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夢恋路 ~青年編~3

【おリョウ】

小五郎はあれから現れない。

目の前が長州の藩邸だと言うのに面白くない奴だ、しかしそれが正解。あの子は私に会わない方がいい、晋作君が小五郎を引き連れまわっている事を願ってしまう。

「・・・・・・?」

腫れた気持ちのいい一日、表の掃除をしていると、ふと、視線を感じた気がした。

でもまぁここは旅館だし、そんな事は当然。気にすることは何もないよね。

出入りするお客さんと挨拶を交わし、掃き掃除をしながらいつも歌を口ずさんでいた。

歌はいいよね、口ずさめばそのときだけは現世に帰れる気がする。好きな歌は気が紛れるし、気分も上がる。そして悩んでばかりいられないことに気付かせてもくれる。

でもこの場では口ずさむ歌詞にも気を使わなければならないわけで・・・

私はそのとき、The Sound of MusicのMy Favorite Thingsのリズムを軽快に口ずさんでいた。

表を終えて中庭へ、廊下から見える手前側から掃いていく。広い中庭は毎日掃いてもどこからともなく落ち葉がやってくるから不思議よね。一通り掃き終えて両手を伸ばしていたら、縁側で子供が座っているのがわかった。色が白くてかわいらしい顔立ちの小柄な男の子、その子は私を見てにこにこしている。

・・・誰?

「こんにちは。」

私はその子に笑いかけてみたけれど、お客さんだろうか?

「こんにちは。」

男の子は相変わらずニコニコ。

「・・・・・・。」

ちょっと不思議な子・・・第一印象はそれ。

「お姉さん、とてもきれいな声ですね。」

「・・・・ん?」

は~ん、さっきから感じていた視線はこの坊主か。

「あら、聞いていたの?」

「はい、」

「いつから?」

「表から、」

「・・・あらぁ、ずいぶんと近くにいたのね、気が付かなかったわ。」

私、そんなに大きな声で歌ってたかな・・・?

少年は相変わらずニコニコし続けている、なんだろうこの子・・・思いが読めない子だ・・・

「君、ここのお客さん?」

「違うよ。」

「家が近所なの?」

「うん、お姉ちゃんの家が近くだよ。」

「ふ~ん、そうなんだ。」

何て相槌を打って見てふと思う。

「・・・・ん?どうやって入って来たの!?」

「お姉さんと一緒に。」

気が付かなかった・・・

この子、気配がないんだ。

自分に鳥肌が立ったのがわかった、何だろうこの子の取り巻く空気は・・・静かすぎる・・・

別に私は気配が読めるとかそんな能力はないけれど、この子が静かなのはわかる。

ちょっと怖いけれど、恐る恐るその子の横に座ってみた。

「お名前は?」

「宗次郎です。」

すごく簡潔に答えるけれど、なんだろう、とても長い会話をしている様にその言葉にいろいろな意味を感じた。

何かこちらを探りながら会話をしているようにさえ感じる。

「私は、おリョウよ。」

「おリョウさんが口ずさんでいたのはなんですか?」

・・・まだ、音楽と言うものは、ない時代だったかな・・・?

「あれは私の国の歌よ。」

「へー、きれいですね。」

「そうかしら?」

「おリョウさんは歌がとても上手なんですね。」

「そうでもないわ、でもありがとう。」

「次は何歌うの。」

えーっと・・・?

「もっと、おリョウさんの歌が聞きたい。」

「えーっと、それはねぇ・・・」

困ったなぁ・・・歌を歌えって言われても、別に歌がうまいわけでもないし、歌詞を選ばないといけないしなぁ。

「でも、私は仕事中なのよ?」

今日の所は諦めてくれないかなぁ。

「じゃぁ、お仕事しながらでいいから、歌って?」

「・・・・・・そーきたか。」

「はい。」

ニコニコ笑う宗次郎君。ずいぶん幼く見える子、童顔で。

なんだか妙に照れるけれど、また歌を口ずさみながら私は掃き掃除をする。

宗次郎君はニコニコしながら私を見て、私が動くといつの間にか付いてきている。相変わらずちょっと怖いと思うのは、何でだろう・・・

でも、悪い子ではないのはわかる、むしろ極端に素直な子の印象を受ける。無垢と言うか、邪念がない。

そう!

邪念を感じない!

この子はただ私の歌が聞きたいと思っているだけのように感じる。

一曲歌い終えてちらりと見れば、宗次郎君はまだニコニコ、・・・これは、まだ歌えと言うことだな?

はははっ・・・

ふと笑いが込み上げてきた。

どの時代に行っても結局子供の世話をしているなぁと思うと妙にほっとしてしまう。別に子供が好きって訳ではないけれど、小五郎の時もそうだった。毎日が楽しかった。

縁側の手前を掃き終えて、気がつくと。

「あら。」

宗次郎君が柱にもたれて寝てしまっている。

「何と言うか・・・差し詰め子守唄だったわけねぇ、」

私は宗次郎君のもとに歩み寄り、顔を覗き込んで見た。

「ありゃ~、完全に寝ちゃったねぇ。」

どうしよう、これ。そもそもどこの子なのよ。

私が困っていると、廊下をたまたまおサチが通った。

「おリョウさん、この子は?」

「あっ、さっちゃん、」

私は苦笑して見せた。

おサチは困った顔をしている私を見て足を止める。

「この子は、お客さん?」

こんな子いたかしらと言わん気に首をかしげるおサチ、とりあえず事を説明しておかないと。

「いや、なんか、外を掃除していた私に付いて入ってきたみたいなのよね。」

「あらまぁ・・・」

「さっちゃん、この子知ってる?」

「いいえ、見かけた事ないですね・・・」

「そうよね・・・」

私達は苦笑した。

「ねぇさっちゃん、この子もう少し寝かせてあげられないかな?私が掃除している間は見ておくし、終わったら家まで送るから。」

「じゃぁ、上に掛けるもの持って来ますね。」

「ありがとう、ごめんね。」

私は宗次郎君を起こさないようにそっと横にして、おサチは薄手の掛け物を宗次郎君に掛けてくれた。

「・・・はぁ。いい根性してるよ、君は。」

私は相変わらず歌を口ずさみながら残りの掃き掃除を済ませる。

掃き掃除のあとは灯籠などのごみを払って、全部終えるには最低でも2時間、なんとか終えてみたら夕刻前だった。

おかげ様で今日はいつもより時間がかかっちゃったよ・・・

「まだ、寝てるよ・・・」

私は宗次郎君の頭側に座ってみた。なんとまぁ、幸せそうな寝顔だこと。

でもとりあえず起こさないとねぇ・・・

「宗次郎君、」

「・・・・・・」

「宗次郎君、起きて。」

「・・・・・・・・・・」

「お家まで送るから、場所教えて?」

「~~~邸、近く・・・」

ごにょごにょと何かを言う宗次郎君。

「えっ、なに!?」

「~~~白河藩邸、近く・・・」

もぉ!!!

さっきまでの気配はどこへいったのよ!!!

急に子供っぽくなっちゃってるじゃん!

「ほら、送って行くから、頑張って立って!男の子でしょ!!!」

ぐいっと宗次郎君の手を引き上げる、すると小柄な宗次郎君はぐんにゃりしながら立ち上がり、目をこすっている。

何だこいつは!?

私は女将さんに事を伝え宗次郎君を送りに行く。

玄関を出て宗次朗が指さした方を少し歩いて、とんでもない事態に襲われている事を知った。まさかの、起きない・・・

こんな事なら女将に白河藩邸がどこにあるかを聞いておけば良かったと後悔した。

しかしこの子はなんでこんなにぐんにゃりしていて歩けないほど眠いのだろう・・・何か、病気なのかな?

宗次郎君の背に手を回し脇に抱えるようにして歩いてみるけれどこれがなかなか大変。足取りはふらふらしているしコクンコクンと頭は揺れるし、そもそも私は白河藩邸なんて知らない・・・

「ちょっと、宗次郎君!がんばってって!!」

「・・・・ぅん・・・・」

「こっちでいいの?」

「・・・・・ぅん・・・・・」

「・・・そーじろー君?」

   カクン。

「えぇぇぇ!?ちょっとぉ!?」

宗次郎君の膝が崩れて腰が落ちる、私は繋がっていた手が突然落ちて思わず尻餅をついた。

宗次郎君は座り込むような形でくったり・・・

「・・・おーい。」

寝てる・・・・

周囲の人たちは横目で私たちを見ている。大方、姉弟にでも見えているんだろう、誰も助けてはくれない・・・

こんな時代こそ助け合うってもんじゃないの!?

「この子、おぶって歩けるかなぁ・・・」

いくらなんでも十代の男の子をおぶって知らない土地を歩けるだろうか、しかも着物で・・・

「・・・あぁぁ!もう!仕方ない!!!」

私は宗次郎君の袖を手繰って何とかおぶる形に持って行く、そしておぶってみて気が付いた。

「こいつ、結構締まった身体している・・・」

重さはそれほどではなくとも、力の入っていない身体は持ちにくいし余計に重く感じる。

「・・・・絶-----対に無理よ。」

荷車とか誰か貸してくれないかなと思いつつ、何とか背負って歩き出そうとしたその時。

「姉さん!?」

「・・・・・!?」

その声に私は思わず振り向く、この地で私の唯一の知り合い。

「小五郎!?」

私は大きく叫んだ。小五郎は袴姿で数人の男達と歩いていた様で、立ち止まっている。

「姉さん・・・何、してんの!?」

まぁ、そうよね。

小五郎はそう言うと私の背後の生物を指さした。

「えーっとねぇ。この子を白河藩邸って場所に連れて行かないといけないんだけど・・・どーしても起きてくれなくて、たった今また歩きながら寝ちゃったのよ・・・」

「白河藩邸だってぇ!?」

声を上げたのは横にいた晋作君だった。

「姉さん、白河藩邸って、結構歩きますよ・・・?」

「うそ・・・」

「そうっすよ?姉さんの足じゃ着いたころには日が暮れちゃう、夜道を女が一人は危ないです。」

   はぁぁぁ~・・・・

「うそでしょ・・・」

私はため息をついて思わず額に手を置く、その時、背後の宗次郎君がバランスを崩して落ちそうになった。

「おぉっと!!!!」

背後の重りが急に動いて、私は重心を崩してしまった。

やってしまった!

そう思ったが最後、宗次郎君が地面に叩き付けられる!

   ばっ!!!

「・・・・えっ、」

私と宗次郎君の体は、小五郎の腕の中にあった。思わず背を見る様に見上げて小五郎を見つめる。

「姉さんじゃ無理だよ、僕がおぶるから。」

そう言うと小五郎は優しく笑った。

「・・・・ありがとう、」

・・・不甲斐ない、子供に見とれてしまった。

小五郎はそっと私を押すようにして立たせると宗次郎君を軽々おぶった。その姿を見ると小五郎の大きさが目立つ。

「晋作、先に帰っていてくれ。送ったら戻るから。」

「俺も行こうか?」

「大丈夫、すぐ帰るよ。」

その言葉に晋作君が何やらニヤリ。

「小五郎さん、四十の姉さんと逢引とかしないでくださいよ?」

「晋作っ!!!」

「・・・・40・・・・」

私が引っかかったのは、そっちなんだけど。

「あっ、大丈夫ですよ姉さん!姉さんは四十には見えないです!」

「晋作、斬られたいか・・・・?」

「あわわわわわ・・・じゃ、じゃぁ先に帰ってます!」

そう言うと晋作君は他の男たちと逃げる様にこの場を去った。

「40・・・・」

「いやっ、あの姉さん、そんなことは・・・」

そうか、あの当時28だったから、きっと小五郎に28だと言ったのだろう。と、言う事は、あれから14年だとしても42歳の計算になる。

「そうか、40歳か・・・」

「いや、姉さんはそんな風には見えないから!」

見上げると、焦って否定する小五郎がかわいくて私は思わず笑った。

「あら、だったら小五郎にはいくつに見えているの?」

「それはー・・・そのぉ、」

困ってる困ってる、あのクソガキがこんな純情青年になっちゃって。私はめいっぱい悪戯めいて微笑む。

「覚えておきなさい?女の年齢なんて、ほとんどが嘘よ。」

「えっ・・・・?」

小五郎が目を丸くする。

「歳は取らないに越したことはないわね。さっ、暗くなる前に行こうか。」

私は小五郎の腕をそっと押して歩くように促した。



【桂小五郎】

歩きがてら考えてた。年齢が嘘って・・・どういう事だろう・・・?

微笑んでくる姉さんを見て僕は目を丸くしてしまった。

しかし、姉さんは本当にこの子を背負って白河藩邸まで行くつもりだったのだろうか?それはだいぶ無謀だったと思うのだけれど・・・

それにこの子、剣術をやっている体をしている。しかも多分、腕が立つ。

白河藩邸ってのも気になった、藩邸と言えば武士の子。何でそんな子がこんな所をうろついているんだろう?

そして何より、何で姉さんの背にいたんだろう・・・?

この子は具合でも悪いのだろうか・・・?

ふと、自分も昔姉さんにおぶわれたことがあったのを思い出した。あの時は小さかった自分が、今は姉さんを見下ろす位置に顔を置いている。

見上げてくる姉さんの顔が、歳を感じられないほどに可愛らしくて、僕は見とれてしまった。

「どうしたのさっきから、何か考えてるの?」

「えっ・・・あ、うん、」

姉さんの不意を突いた言葉に、僕は咄嗟に相槌しか打てなかった。

「ごめんね、用事あったかな。」

いや、そうじゃなくって!と言おうとしたけれどそう言った後で説明できるような理由も持ち合わせていなく、僕は話をすり替えた。

「姉さん、この子知り合いなの?」

「ううん、知らない。」

「・・・・・え?」

あっけらかんと言ってのける姉さんに僕は間の抜けた声を上げる。

「正確には、今日知り合った子。」

「・・・どこで?」

「なんかねぇ、表を掃除してたら付いてきちゃったのよ。中庭掃除していて、気が付いたら縁側にいて・・・私、全く気が付かなくって、こんな言い方をしたら悪いんだけど、なんかちょっと気味が悪かったわ。」

やっぱり。僕は今の言葉で確信した。

「姉さん、たぶんね、僕の勘が当たっていればだけど、この子はだいぶ腕の立つ剣の使い手です。」

「・・・剣?」

「そう。その気味が悪かったって言うのは腕が立つ証拠。気配を殺す事が出来る証拠です。たぶん、どこかの道場に通っているはず。」

「どうしてわかるの?」

見上げてくる真っ直ぐな瞳に吸い込まれそうで、・・・耐えられなくて、僕は思わず目を逸らしてしまった。

「僕も一応、剣術の師範だから・・・それくらいはわかるよ。」

「そうなんだ、小五郎はすごいんだね。」

姉さんは昔のままだ。

姉さんは何も変わってなくて、なんだか自分一人だけが歳を増した気がして、すごく不思議だ。

背中で寝ているこの子はどうして姉さんを見つけたんだろう?

姉さんはやはり命を狙われているんだろうか・・・?

でも、こんな子供に?

「そうだよ?練兵館って言ったら江戸三大道場って呼ばれるほど有名なんだから。」

「えっ、そんなに!?」

姉さんの驚き様に、僕はふと思い返す。

「・・・でも、剣術は姉さんと暮らしてた時もやってたでしょ?遊びではあったけど・・・」

一応習っていたじゃん。

「あー、いや、あの時は悪童の方が目に余ってたから。」

そう言って姉さんは懐かしそうに笑った。

「・・・姉さんは、ずっと江戸にいたわけじゃないの?」

この質問がまずかったのか、姉さんは驚いたように急に目を開いて数度瞬きをすると、何かを考える様な顔になってしまった。

「うん、違うなぁ・・・」

僕達の前から消えてしまったあの日から今までに、姉さんには一体何があったのだろう。

僕は再び慌てて会話を変える。

「風の便りで、試衛館と言う道場に気代まれに見る腕のいい若いのがいると聞いたことがあるんだ。まだ十代なのに師範を務めているって。」

「宗次郎君がその人なの?」

「さぁ、名前までは・・・この子は宗次郎って言うの?」

「私にはそう名乗ったわ。」

「じゃ、今度みんなに聞いてみるね。」

「でも、もし宗次郎君がその試衛館の師範?だとしたら、小五郎とは敵同士ってことになるのかな?」

「まぁ、そうなるかな・・・いろんな意味でね。」

僕の小声でのつぶやきが聞こえなかったのか、姉さんは小首を傾げて、そして微笑んでいる。

まさにこの子とはいろいろな意味で敵になりそうだ、対姉さんに至ってはね。

「でも姉さん、本当にこの子おぶって白河藩邸まで行くつもりだったの!?」

「そうねぇ、一緒に行ってあげるつもりだったけど何せこの子、起きなくて。」

姉さんは笑っている。

「だからあの時、小五郎が通ってくれて本当に助かったわ。ありがとう。」

姉さんがそんな笑顔を向けてくれるなら、僕は何でもすると思う。

「僕も、おぶわれたことがありましたね。」

「そうだったわね。」

「さすがにもう、おぶってもらう事はできないけれどね。」

「やめてよ、私がおぶってもらいたいぐらいだわ。」

僕はいつだって、姉さんをおぶる事ができるのに、姉さんはきっとそれをさせてはくれない。

「でも・・・」

姉さんはそう言って、目を細めて眩しげに僕を見上げた。

「本当に、良い男になったわね。小五郎は。」

夕日に輝く姉さんの横顔は僕の心を奪うには十分すぎて、僕はしまい込んでいた何かを思い出してしまった。



【おリョウ】

宗次郎君をおぶって歩く小五郎の背が大きくて妙な安心感を覚えてしまう、人間、成長するものねぇ。

それにしても大きい小五郎、この時代の日本人の中ではかなり大きい方。一緒にいる晋作君が小柄だから余計に目立ってしまうのかもしれない。

自分の子供も同然として面倒を見ていた長州時代、私の中では数年なのにこの時代では十年以上動いていて、実際にあの時宗次郎君ぐらいだった子供は私の背を抜いて立派に成長している。

親心同然だった思いは、いつの間にか、ちょっと違っている気がした。

・・・そう言えば。

私はふと数日前に晋作君に言われた言葉を思い出した。

「でもいいの?小五郎、想っている女の子がいるんでしょ?」

私の言葉に小五郎が絶句している。

「その子に、私と一緒の所を見られたら問題あるんじゃない?」

「・・・・えっ!?」

突如真っ赤になってしまった小五郎、本当にその子の事が好きなのね。初々しいじゃないの。

「あのっ、それは、」

急にあたふたとしている小五郎に私は笑いかける。

「大丈夫よ、同郷のお姉ちゃんって言えば。こんなに年上なんだもの、怪しまれないわ。」

・・・なぜだろう、そう言った自分に少しだけ傷付いた気がした。

娘を嫁に出す親の心境?そんなものかもしれない。

私は小五郎がこの先どういう未来をたどるか知っている、小五郎はちゃんと妻を得る。それは決まった未来、私がなにか刺激をして変えてはならない未来。

「姉さんこそ、伴侶となるような人はいないの・・・?」

心なしか小五郎の言葉に力がない気がした。

「さぁ、どうかしら?」

「またぁ!そうやってはぐらかす!」

あぁ、やっぱりこの子は子供だ。こんなにムキになって。

私は小五郎の口に人差し指を当てて口を塞ぐ。

「言ったでしょ?女には秘密があるものよ?」

真っ赤な顔をして息を飲む小五郎、私は目一杯いたずらめいて笑ってやった。

「しかし、起きないわね宗次郎君。よほど疲れているのかしら。」

とっても幸せそうな寝顔を見ると私まで癒されちゃう。

「武士がやぶからぼうに寝るもんじゃないけどなぁ、無防備な子だね。」

「あら、あなたも酷かったわよ?」

「もぉ、それを知っているのは姉さんだけなんだからね!」

これを言いふらしたら名誉棄損ね。

「でも、この幸せそうな寝顔見たら、起こすのはもったいないわ。小五郎、本当にありがとうね。」

「いや・・・、」

もうじき日が落ちると言うときに、目の前に大きな屋敷が見えた。

「あれが白河藩だよ。」

立派なお屋敷だこと。

「宗次郎君はあの中で暮らしてるの?」

「いや、藩邸に子供はいないから、その周囲に家があると思う、長屋があるはずだ。」

「じゃぁ、宗次郎君の事知っている人もいるはずよね?」

「きっと。」

「ならば聞いてみようか、この調子じゃ起きそうもないしね。」

「本当だね。」

私たちは寝ている宗次郎君を連れて聞き回った。出会う人達数人に聞いてみて・・・

「・・・有名みたいねぇ、この子は。」

私が苦笑し、小五郎が苦笑する。

「やっぱりちょっと、変わった子みたいね。」

宗次郎君の目撃情報はすぐに出た。しかもどの情報もいつも一人で河原にいただの橋にいただので、でも甘味屋さんが一番多かったかな。

「友達、いないのかな。」

「そんな感じだね。」

「おばさん受けはすごく良いみたいだけど。」

私は苦笑した。

「小五郎、疲れない?」

「僕は大丈夫だよ、家もすぐわかって良かったね。」

「本当ね。」

私たちは長屋の前を歩いていた。まだ陽は完全には落ちていないはずなのにだいぶ薄暗く感じる細い道、左右の長屋と言われる木造の集合住宅は隣接なんてレベルじゃなく一個の横に長い家を板一枚で区切った様な作りでお互いの陰でこの道に陽が差し込む隙間はあるのかとさえ思えてしまう。

プレハブと言うか、レゴを並べた感じ・・・?

で、中屋敷と呼ばれる長屋のどこかが宗次郎君のお姉さんの家らしく、名前は沖田・・・

まずいなぁ、沖田宗次郎だってさ・・・

たぶん後の沖田総司だよね。

この二人、出会って良かったのだろうか。木戸孝允と沖田総司、やがて宗次郎君は新撰組に入り、小五郎を殺すために必死になる。それよりも何よりも、私はこの子の行く末を知っている。それはあまりに有名すぎて、知らない人はいない話。

胸が、痛かった。

「姉さんどうしたの、疲れた?」

小五郎の言葉に私は肩を跳ねさせる。そして動揺を隠すために小五郎を見上げて笑った。

「大丈夫よ、それよりどこだろうね。」

「この長屋の端って言われてるけど・・・・・あれ、女の人がいる。」

そこにいる女性はそわそわしていて、心配気で、まるで誰かを待っている様子だった。

「あれって、宗次郎君のお姉さんかな、」

近づいていく私たちに女性は気がついた様子で、じっとこちらを見ている。

私と小五郎は顔を見合わせた。

「あのぉ、沖田みつさん、ですか・・・?」

「えっ、えぇ・・・」

私と小五郎は顔を見合わせて安堵のため息をついた。

みつが困惑気に私達を見る。

「あのぉ、宗次郎君を連れて来たんですけど・・・」

「宗次郎!!!!!」

みつさんは絶叫に近い声を上げた。

「林太郎さん!林太郎さん!!!」

「あの、寝ているだけですから、落ち着いて下さい。」

発狂していたみつさんは私の言葉に目を丸くし瞬きをする。

「どうした、みつ。」

「林太郎さん、宗次郎が・・・・」

林太郎と言う男性は私達を見るなり軽く会釈し、小五郎の背にもたれている宗次郎を見た。

「寝てしまってるね、わざわざありがとうございました。ご迷惑をおかけしました。」

そう言うと林太郎さんは小五郎から宗次郎君を受け取る。途端に両手を大きく上にあげて伸ばす小五郎。

そりゃ、何時間もだから疲れたよね。

「みつ、僕は宗次郎を寝かせてくるから。」

そう言うと林太郎さんは優しそうな笑顔で家の奥に入って行った。

「どうも大変ご迷惑をおかけしました!」

みつさんは勢いよく深々と頭を下げる。

いやいや、そんなそんな・・・私はそっとみつさんの肩に手を置いて頭を上げる様に促した。

「宗次郎君は私と遊んでいる間に寝てしまっただけですから、気になさらないでください。」

私の言葉にみつさんはがばっと頭を上げて、意味がわからないと言わん気にじっと私を見つめる。

「えっと・・・とっても疲れていたのか、何度起こしてもどうしても起きてくれなくて。」

みつさんの勢いのよい行動に私と小五郎は目を丸くしっぱなしだよ・・・

「宗次郎がですか!?信じられない・・・・」

みつさんが目を丸くして驚いている姿を見て、私と小五郎は顔を見合わせた。

「宗次郎君、病気とかじゃないですよね・・・?」

「いえ、健康だと思います。とは言っても今は試衛館で内弟子をしておりますのでここにもたまにしか帰って来ることはないのですが・・・」

小五郎の眉が一瞬、動いた。

「では、今日はお暇を?」

「えぇ、たまにふらっと帰って来るんです。でも帰って来ても誰と会うわけでもなくて、大抵は一人でどこかにいるんです。今日は帰りが遅かったから心配していて・・・」

「そうでしたか・・・」

「あの、あなた様は、宗次郎とは知り合って長いのですか?」

ん?どういう質問だろうか。

「申し遅れました、リョウと申します。知り合ったのは今日の昼過ぎで、私は旅館の掃除をしていただけなのですが、何を気に入ってくれたのやら・・・」

苦笑する私にみつさんは明らかに驚いている。

「あの子は小さい時からとても気が細かくて、他人様の前で寝るなんてことは絶対にない子です。内弟子となってからも夜眠れぬ日々が続いて倒れたと言う話をよく塾頭の先生方から聞きました。」

「・・・そう、ですか、」

あれで人見知りですって!?

冗談じゃない・・・

「もう十四になると言うのに・・・」

十四!?

私と同じ驚きだったのか、小五郎も思わず声を上げている。どうみても10歳が精々で、14歳と言えばこの時代では大人の仲間入りをしている年齢。それにしてはあまりに幼い・・・

「・・・こういう言い方をしたらおかしいのでしょうが、宗次郎は幼い時に母親を亡くしているせいか姉である私にだいぶ依存しているところがありました、話をするのも年上の女性ばかり。もしかしたらおリョウさんに何か魅かれたのかもしれないですね。」

様はシスコンならびにマザコン・・・宗次郎君のそれは、ここを探しているときに嫌というほど思い知らされた。

私は苦笑して見せる。

「それはー・・・何を気に入ったのかしらねぇ・・・」

思わずつぶやいてしまう。

「本当にわざわざありがとうございました。」

みつさんは再びがばっと頭を下げる。そして、爆弾発言。

「旦那様も本当にありがとうございました。」

・・・・えっ?

私と小五郎は顔を見合わせる、途端真っ赤になる小五郎。

しょーがない、乗ってあげるか。

「お気になさらず、それでは私たちは失礼します。宗次郎君にはまたねと伝えてください。」

私が頭を下げるのを見て小五郎が慌てて頭を下げた。

身を翻しみつに背を向け歩き出す私に気が付くのが遅れた小五郎は一歩遅れて小走りで追いかけてきた。

「姉さん!姉さん!ちょっと待って!!」

妙に焦ったような声で私を呼び止める小五郎、長屋の並びを出て見上げた空はもう完全に夜を迎えていて丸い月がとってもはっきりと大きく見えた。

「すっかり暗くなっちゃったね~。」

私は小五郎の方を振り返り笑った。



【桂小五郎】

今、みつさんは僕の事を旦那様って言った。そして姉さんはそれを否定はしなかった。

呆気にとられていた僕を置いて姉さんは歩いて行く、僕はあわてて後を追った。

満月なのがせめてもの救いだった、提灯もなくて真っ暗な夜道、どこから何者が出てくるかわからない。やっと姉さんの横に付くと姉さんは僕を見上げて笑っている。

「すっかり暗くなっちゃったね~。」

姉さんは、何とも思っていないの・・・?

「まさかこんなに遠いとは思っていなかったよ、本当にありがとうね。」

「僕も、こんなに時間がかかるとは思わなかった。」

姉さんの歩調に合わせて歩いたせいか時間がかかってしまった。でも、僕にとってそんな時間はちっとも惜しい物じゃなくて、むしろ、もっとゆっくりしてから帰りたいと思った。

「宗次郎君、14歳なんだね・・・」

「ずいぶんと幼く見えたけど・・・」

僕は背に残るあの子の感覚を思い出していた。細くて華奢な幼い身体に均一に付いた筋肉、あの子が試衛館の若き天才剣士・・・一体どんな腕を持っているのだろう。

そもそも、なぜあの場所にいたのか、そしてなぜ、姉さんに近づいてきたのか。

背中で眠っている姿を見る限り敵意や魂胆は感じられない、しかもあの子は丸腰だった。

姉さんを襲う・・・?

いや、考えられない。

そもそも、姉さんは何者なんだろう?

僕たちの前から消えた十年、いったい何があったのだろう・・・

「なんだか、宗次郎君、かわいそうね。」

姉さんの言葉に僕はふと我に返る。

月を見上げている姉さんの横顔は綺麗だったけれど、宗次郎の身の上話がどこまで本当なのか、僕には皆目見当も付かなかった。

「十四と言えばもう大人です、両親を失ったと言う話はどこの世にもある話、彼は武家だからまだ恵まれている方だよ。それに、試衛館の内弟子って事は、僕が風の便りに聞いていた若き剣士は彼だと思うしね。」

「やっぱり、そうなんだ・・・」

姉さんはどことなく寂しげな顔をしている、なぜだろう・・・?

「彼のあの性格を考えると、到底そうは思えないけどね。」

剣を握れば誰もが性格など関係なくなる、特に普段静かな者ほどその姿を豹変させる。晋作の様に根っから陽気な者よりも、この種の人間の方が逸材が出やすい事を僕は知っていた。

「・・・そっか!じゃぁ、しょうがないなぁ。」

姉さんは突然、さっきまでとは違う声色で明るく言う。

「おばちゃんが、お友達になってあげるかな。」

そう言って姉さんは僕を見上げてにっこり笑った。

・・・おばちゃん?それは誰だろう・・・・・?

僕は小首を傾げて思わず歩みを止めてしまう、そんな僕を見て姉さんはクスリと笑った。

「あら、わからないの?晋作君に聞いてみたら?」

   !!!!!!

「ちょっとまって!姉さんはそんなんじゃないって!!」

「誰かさんだって、小さい時はおばちゃんに遊んでもらっていたくせに~。」

「ちょっと!姉さんってば!!」

僕は笑いながら数歩先に行く姉さんを小走りで追いかける、姉さんはぴょんぴょんと僕を避ける様に足を速める。

「ちょっと姉さ・・・・!?」

姉さんが僕の方を向いて笑ったその時、姉さんの背後に人の気配を感じた。それは闇夜に紛れているのに、白い嫌な光がぱっと僕の前にちらついて。

それは、ほんの一瞬だった。



【おリョウ】

「動くな!」

「・・・・・・・・。」

あぁぁぁぁ・・・

そうだった・・・

ここはそんな時代だったわね、しくじったよ。

私は背後から肩を抑えられ首元に冷たい金属を当てられている。

「・・・・ごめん、」

   はぁ・・・。

私はつぶやいて、深くため息をついた。

情けない、もはや絶望に近い感覚だよ。怖いとか云々じゃなくってあっさり捕まった自分の不甲斐なさに絶望だ。

正面に立つ小五郎は黙って私と、その背後にいるだろう男を見つめていた。

背後の男は最低二人、もう少しいるのかな?

私は案外冷静だけれど、小五郎の目が、やばい・・・・

「物わかりのいい姉さんだ、旦那、女に傷を付けたくなければ有り金全部出しな?」

「・・・・・・・」

背後の男たちは、この小五郎の気配がわからないのかしら?私でも感じるこの気配の変化、どちらかというと、背後の男達よりも、小五郎の方が怖いんですけど・・・

小五郎は黙って一歩、足を踏みだす。

「おっと、動かない方がいい、この女の首が落ちる。」

「・・・・・・」

それでも小五郎はまた一歩、前に出た。

「おい!動くなと言っているだろう!俺達は本気だ!」

この男たちは、本当に頭が悪いんだ・・・

「・・・・逃げた方がいいわよ・・・・」

私は小声で男に囁いた。

男の気配が一瞬、揺らいだ気がした。

小五郎はまっすぐに、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

「おい!止まれ!!!」

「その人から、手を離せ・・・・」

あぁ、やっぱりさっきまでの小五郎ではない。

真っ暗い未舗装の道に草履の擦れる音が聞こえる、それだけ今の空気は静か。

「お前達も剣を持つ者であれば、練兵館の桂小五郎の名を聞いたことがあろう・・・」

「!!!!!!」

男たちに、動揺が走った。

「桂・・・練兵館の、桂小五郎・・・・!?」

「まさか、なんで桂がこんなところに・・・!?」

別にいたっておかしくないじゃないよ・・・歩ける距離なんだから。

「もう一度言う、その女から手を離せ。女に返り血一滴も浴びせることなくお前らの首を落とすことなど、たやすい・・・・」

   カチャ・・・

小五郎が、腰の剣に手をかけた。これは、まずい・・・。

「・・・早く、逃げなさい。」

私は小声で男たちに告げる。しかし、男たちはふるった拳を下ろせずにオロオロしていた。

もぉ・・・器の小さい男達!

私が逃がしてあげるって言っているんだから、早く行きなさいよ。

このままだと小五郎は間違いなく刀を抜く、時代背景があるから良いとはいえ、やはり目の前で人の命が吹き飛ぶのも、人が命を奪うのも、見たくはない。

ましてやあの子に、人殺しになってほしくない。

「早く行きなさいってば!!!!!」

「!!!!!!!?」

私は大きな声で怒鳴った。

その声に背後の男たちが慌てふためいて走り去っていくのを感じた。

私は突き飛ばされるように数歩前によろめいて、小五郎が走り寄ってきて、私の体を支えてくれた。

「姉さん!!!」

小五郎の、いつもと変わらない優しい顔を見て、私は思わず腰が抜けたように力が抜けてしまった。

小五郎はそんな私の体を抱きとめ、抱え込むように抱き留めてくれる。

「ごめんね、」

私は小五郎を見上げて苦笑する。

「ごめん姉さん!僕が気付くのが遅れた!本当にごめん!!」

この子は何で謝っているんだろう・・・しかも、その顔は今にも泣き出しそうで、昔を思い出した。

「何でそんな顔してるの?私がうかつだったのよ、この時代は、こういう時代だったわね・・・忘れていたわ。」

小五郎はより力を込めて私を抱きしめる、その体は、震えていた・・・

「どうしたの?震えているよ・・・?怖かった?」

私は小五郎に悪戯っぽく問いかける、小五郎はまた更に私を抱きしめる。

「怖かった!姉さんに何かあったらと思ったら、すごく怖かった!」

思わず言葉を失った。私はそっと手を伸ばし、小五郎の背をゆっくり撫でる。

「何言ってるの、だって、練兵館の桂小五郎なんでしょ?あなた、本当に腕が立つって有名なのね。」

まるで小さな子供の様な小五郎、私は小五郎の背を擦り続けた。

しばらくして小五郎が落ち着いてきたのを感じる。呼吸が落ち付いて、震えが止まった。

   クスッ、

「もう少し、力を弱めてもらえるかしら?」

「あっ!!!」

小五郎は真っ赤な顔をして急に力を抜いた。

私達はしばらく見つめ合った形になって、やがて小五郎が目を伏せて気まずそうな顔をしてつぶやいた。

「あの時、姉さんが男たちを一括しなければ、僕は間違いなくあの二人を斬り殺していた・・・」

馬鹿な事言わないでよ・・・

「そんな事、させるわけないでしょ?」

私は小五郎の頭をぐっと抱きしめた。

「さぁ、帰ろう。遅くなると晋作君がまた何か言うわよ?」

私は小五郎の手からすり抜ける様に体を離して数歩離れて、小五郎を誘う。すると小五郎はすぐに駆け寄ってきて、私の手を取った。

「ちょっと、小五郎!?」

手をつなぐなんて子供の行為、成人男性で尚且つ武士と言う身分の者が女性の手を引くなど、恥さらしであることぐらい私だって心得ている。男は女の数歩先を歩き、女は男の数歩後ろを歩く。それがこの時代のしきたり。

「あなた武士でしょ?やめなさいよ、」

私の言葉なんてお構いなしに、小五郎は私の手を取って歩き出した。

「ちょっと、小五郎?」

「姉さんと一緒にいると、僕は周囲の気配が読めなくなってしまう・・・」

「・・・えっ?」

思わず聞き返す。

「また、姉さんを危険な目に合わせてしまうかもしれない!」

小五郎の悲壮な言葉が闇夜に響いた。

「・・・じゃぁ、私と離れた方がいいんじゃないの?」

「そうじゃなくて!」

小五郎は急に足を止めて、声を上げた。

「姉さんと一緒にいると、その、あの時に戻ってしまうんだ・・・ただ楽しくて、何も考えていなかったあの時に。でも、それで、そんな事でもう二度と、姉さんを失いたくはないんだ!だから、手は、離さない・・・」

大人になったのか、子供のままなのか、小五郎の幼い覚悟は一丁前過ぎて可愛らしくさえ思えた。

「だったら、」

私は小五郎の横に立つ。

「そこまで言うんだったら、横に並んで歩いても構わないよね?」



【桂小五郎】

姉さんの首に月夜に輝く白い光が当てられた時、僕は全身に鳥肌が立ったのがわかった。

どうして、気が付かなかったのだろう・・・そう思うと自分の未熟さに震えすら上がってくる。よりによって、姉さんをこんな目に合わせてしまった自分に恐怖を感じた。

絶対に、許せなかった。

理性がプチンと音を立てて切れた気がして、僕は、刀に手をかけていた。

「早く行きなさいってば!!!!!」

姉さんが出した大声で我に返ったのは僕も同じで、男達にはじかれて前によろめいてしまった姉さんの元に駆け寄って抱き留めて、姉さんの無事を確認した。

怖かったはずなのに、姉さんは僕にごめんねと言う。

どうして姉さんが謝るの・・・?

怖い思いをさせたのは僕で、気が付かなかったのも僕で、僕を正気に戻してくれたのは姉さんで。

怯えたそぶりも見せず毅然とした態度で僕はもちろん男たちの事も按じた姉さん。あの場で姉さんが悲鳴の一つでもあげていたら、僕は間違いなく男たちを斬り殺していた。

「何でそんな顔をしているの?」

あぁ、僕はどんな情けない顔をしているんだろう。身体の震えも止まらない。こんな恐怖は久しぶりだ、体の中から震える恐怖、姉さんの方がよっぽど強い。

もう僕の前から、姉さんが消えるのは嫌だ。

姉さんを手放すのは絶対に嫌だ。

姉さんは優しく僕の背を撫でてくれる。

それは僕がまだ宗次郎君より幼かった時に姉さんがしてくれていた事で、とても落ち着くのがわかった。

姉さんのいたずらめいた笑顔が僕に向けられている、この笑顔が大好きで、あの時の僕は姉さんが一生僕にこの笑顔を向けてくれるのだと信じていた。でも今日、僕の不注意でそれを一生失う事になるかもしれなかった。

せっかく再会したのに、せっかく再びこの笑顔に会えたのに、そう思うと立っていられないほどの恐怖で。

「もう少し、力を弱めてもらえるかな?」

その言葉に我に返ってみると、僕はとても強い力で姉さんを抱きしめていたことに気が付いて、力を緩めて姉さんを見つめる。でも、手放す気にはなれなくて、抱えた姉さんから手が離せなかった。

いつもと何も変わらずに微笑んでくれている姉さん、そんな笑顔を見ていたら自分が情けなくなって、うつむき目を逸らしてしまった。

「あの時、姉さんが男たちを一括しなければ、僕は間違いなくあの二人を斬り殺していた・・・。」

「そんな事、させるわけないでしょ?」

あぁ、姉さんはやっぱりあの時のままだ。この言葉も、一体何度聞いただろう。今と昔じゃ、その意味は違うけれどあの時と変わらない強くたくましく美しい姉さん。

「!!!!?」

姉さんはまた僕の腕からするりと抜けて先を歩く、そして僕を誘うように歩く姉さん。僕は怖くて、なりふり構わずに姉さんの手を取った。

武士という者は女の横を歩かず、女の前を歩くもの。先陣を切って歩くことで危険から守り警護を行うもの。

でも、そうしたら、後ろを歩く姉さんの後ろは誰が守るの?

いや、あんなことはもうさせない、例え誰であっても姉さんに近づく者は斬る。

でも姉さんはきっとそれを喜ばない、そして自由な姉さんはまた僕の前からふらりといなくなる。だったら、どこにも行かない様に、この手を離さない。

姉さんは武士のしきたりを知っているせいかとても驚いた声を上げている、でも僕は構わない。そう伝えると姉さんは僕の横にやって来て、僕の顔をのぞき込んで、笑った。



【おリョウ】

もう足はクタクタで、真っ暗な夜道では足元を気にするのが精いっぱい。小さな小石や小枝にまで躓く(つまづく)始末だから運動不足よね・・・何度も何度もよろめいては小五郎が手を引いてくれた。

こんなに歩いたのはいつぶりかな、明日の仕事に支障が出なければいいのだけれど。久々に履いている下駄も歩きにくい原因の一つ、スニーカーだったらどれだけ楽か。あぁぁぁ靴が恋しい。

「姉さん疲れた?」

「さすがにね。」

私は小五郎を見上げて苦笑した。

「今日は思いがけずよく歩いたからね。」

「本当、だって宗次郎君、家はすぐ近くだって言ってたのよ?」

「すぐ近くじゃないなぁ~。」

小五郎が笑った。

「小五郎こそ、稽古の後で疲れたでしょ?本当に助かったわ、ありがとう。」

「いやいや、僕は何ともないよ。そのために毎日道場に行ってるんだから。何なら姉さんの事おぶって帰ろうか?」

「宗次郎君より重いからやめた方がいいわ。」

「それはおぶってみないとわからないよ?」

「わかったら困るでしょ?」

笑う私に小五郎も笑う。

行きよりもだいぶ早く戻ってきた気がした、笑い合って帰って来た私たちにとって帰りの道のりはあっという間過ぎた。なんだかちょっと名残惜しく思うのはなぜだろう・・・?

「もうじきだね。」

「帰りは早かったね。」

「そうね・・・」

私はそっと小五郎から手を離す。小五郎が驚いた顔をして私を見てきたけれど、私は特別何も言わず、小五郎の一歩ほど後ろを歩いた。この辺りまで来たらいろいろな藩の武士たちが歩いているはず、時間こそ遅いけれどどこで誰が見ているかなんてわからない。小五郎の名を落とす様な事、できるわけないでしょ?

私がもう少し若ければ人目など気にしないだろうけど、さすがにそこまではね。

小五郎は優しく微笑むと黙って私の前を歩いた。私もはぐれないようにそんな小五郎の大きな背を追った。

「わざわざ送ってくれてありがとう。」

「藩邸はすぐ目の前だから、気にしないで。」

「今日は一日がとっても長かったわ。」

「僕もだよ。」

二人して笑ってしまった。

「このお礼は必ずするわね。」

「そんな、姉さん、礼だなんて、」

「おリョウさん!!!」

江戸川屋の中から聞こえる私を呼ぶ声、おサチが小走りでやって来た。

「お帰りなさい!遅かったですね、心配していたところ・・・・あっ、」

おサチは奥にいる小五郎に気が付き、会釈をした。

「じゃぁおリョウさん、自分はこれで。」

小五郎が私達に軽く頭を下げる。

「お手数おかけいたしました。お気をつけて。」

私は深く頭を下げ、横にいたおサチも同じように頭を下げた。

おサチが明らかに何か聞きたげな顔をしている。10代の娘さんって、わかりやすい。

「今の方、長州の桂様じゃ・・・」

「えぇ、そうみたい。」

私の設定は記憶喪失だから、不自然がない様に会話を作らないといけない。

「おリョウさん、お知り合いなんですか?」

「私はよくわからないんだけど、あっちは私に見覚えがあるみたいなの。それで、良くして下さるの。」

「じゃぁ!おリョウさんは長州の方なんですか?」

「さぁ、わからないわ。」

「そうなんですか、何かわかると良いですね!」

「ありがとう。」

私はおサチと江戸川屋の中に入った。



【桂小五郎】

帰り道、姉さんが言った言葉がずっと引っかかっていた。

『この時代は、こういう時代だったわね・・・忘れていたわ。』

あれは、どういう意味だろう。

確かに、今の世は荒れている。懲罰があるとは言え人を殺めるという事がごく普通に起こる世。しかし姉さんはそんな事を忘れていたかのようにつぶやいた。

姉さんはいったいこの十五年どこにいたのだろう・・・とても平和な世界にでもいたのだろうか?

日本ではないどこかほかの国?

以前浦賀にやって来たあの異国人のいる様な国に?

異国は、平和なのだろうか。

「小五郎さん遅い!!!」

屋敷に入ると晋作がバタバタと走って来た。

「思いのほか時間がかかってしまった、」

「もう、どこかで逢引してるんじゃないかって皆で賭けてたんだよ!?」

「・・・で、お前は?」

「俺?俺は逢引派」

   ゴン!!

「いてぇ!!!」

「それは残念だったな。」

僕はそれだけ言うと部屋に歩いて行った。


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