夢恋路 ~青年編~2
【おリョウ】
この時を境に私は無事に江戸川屋さんに潜り込む事が出来た。
与えられた部屋は三畳ほどだけど荷物もないし十分、住込みの女中は私を含めて数人の様で他はこの時代では珍しく通いの様。
私は自ら志願したように表には出ずに下働きをして掃除や水汲み洗濯などをしながら一日を過ごしていた。
数日たったある日
「おリョウさん、ちょっとお使い頼まれてくれないかしら?」
「はい、どちらでしょう?」
私は前掛けで手を拭きながら女将さんの元へと向かった。
「お雪ちゃんのお店に行って、おまんじゅうを買ってきてもらいたいの。お願いできないかしら?」
「かしこまりました。」
「借りていた着物もあるでしょ、返しがてら行ってらっしゃい。」
あの日以来会っていないお雪ちゃん、元気にしているだろうか?
女将さんは私にお金の入った包みを渡す。
「あと、お釣りはいらないと伝えてね、おリョウさんの紹介料だから。」
「私の、ですか?」
「えぇ、まさかこんなに働いてくれるとは思っていなかったからとても助かっているわ。力もあるし何よりおリョウさんは賢い、本当に助かっている。これも全て連れて来てくれた砂川屋さんのお雪ちゃんとおばあさんのおかげだもの、お礼をしなければいけないわ。」
「なんだか迷惑をかけているのに、照れますね。」
私は苦笑する。
なぜ苦笑かと言えば、賢いと言われても所詮は私が現世で受けた一般雑学程度だし、力があるのはこれはもとより仕方がない。その辺の小娘には負けない能力も筋力も持ち前である。
「お客さん用の菓子じゃないから時間は気にしないで行ってきてね。お雪ちゃんとおばあさんによろしく。」
「はい、行ってきます。」
私は頭を下げて、女中の格好から着替えて江戸川屋を後にした。
一週間以上経ってもまだ現世には帰れる気配がない、年々帰るのに時間がかかっている気がする。
「それって、現世の私が死に近くなってるって事なのかねぇ・・・」
現世の私が死んだら、ここにいる私はどうなるんだろう?
もしくはここにいる私が死んだら?
帰ってみれば数分から数時間程度の時間しか経っていないけれど、帰れなかった場合私はどうなるのだろう?
考えれば考えるほど妙な事になっている。
帰った時の喪失感を思えばできるだけ付き合う人間の数は少ないに越したことがない、だってここから離れてしまえばもう二度とその人たちに会う事は叶わないのだから。
みんなとっくに命は尽きてしまっている人たちなのだから。
一番怖いのは歴史を変えてしまう事。
私のせいで誰かが死ねばその人の末裔の一族は消え去るかもしれない、歴史の表舞台に立つ人間とかかわれば思想が代わって現世の状況が変わってしまうかもしれない。
私がうかつなことを口走れば、未来が変わるかもしれない・・・
「そう考えると、私はさっさと死んだ方がいいわね・・・」
お雪のいる砂川屋までは時間にして30分程度、こちらの時刻で言うと四半刻。女将が急いでいないと言うお買い物はきっと私に砂川屋に行く口実を付けてくれたのだと思う。要するに「顔を出しておいで」だ。
私はもう身なりも態度も一丁前で完全に江戸時代の人間になっている、これだけ何度もいろんなところに行けば慣れるのも早くなるというもの。良い事なのか悪い事なのか。溶け込みすぎているおかげで誰も私の事を気に留める人間もなく、私は砂川屋を目指した。
【桂小五郎】
「あれ・・・?」
「どうしました桂さん。」
「いや・・・・」
朝、藩邸から道場へ出ようとした時、この前お雪ちゃんがおリョウさんと呼んでいた女の人を見かけた気がした。女は僕たちに当然気が付かずに歩いて行く。
見れば見るほど、似ている。
「桂さん、行きますよ。」
横で誰かがそう言っているが、僕はあのおリョウと呼ばれていた女が気になって仕方がない。
「・・・悪い、寄らなければならない所がある。先に行っていてくれ。」
「えっ!?」
「ちょ!桂さん!?」
僕はそのおリョウさんを追いかけるように走った。
【おリョウ】
城下を一人で歩くのはなんだかんだ初めてで私はやたらときょろきょろしているのかもしれない。前回の田舎町とは違い女性たちはきれいに着飾り商人たちが活気よく商売をしている。物価も高そうでお店もきれい。それよりなにより雪ちゃんが言っていた各藩の派出所的な建物が多いい。
砂川屋さんまでの道はお雪が江戸川屋に来るときに教えてくれているので迷う事はないが寄り道をしたくなるわね。
「エスコートがいてくれるとありがたいんだけどなぁ・・・」
お雪には頼めそうにないし、そのうち誰かを捕まえようかなんて考えてみる。
石作りの小さな橋を渡り水路を覗けば魚が泳いでいる。どこの世界でもどんな時代でも同じ命の光景に私は自然と笑みがこぼれてしまった。
【桂小五郎】
「・・・・・・・」
水路を覗いているおリョウさんの優しくて美しい微笑を見て僕は確信した。
「間違いない・・・お市姉さんだよ・・・」
僕は何とかそれを確認したくておリョウさんを追いかけた。
【おリョウ】
もうじきお雪に会えると思うと嬉しかった。この世界にいる数少ない知り合いで、かわいい妹。おばあさんにもちゃんとお礼を言わないといけない。
あの場であの格好で、中まで通してくれたお雪には感謝意外言葉もない。母親の形見の着物まで貸してくれてなんとお礼を言っていいのやら。
今着ている着物は女将さんがくれた物で年相応のシックな物、笹の葉が裾にデザインされていて大人向けだった。着付け方も改めてしっかり教わったので十分に一人で着られる。髪飾りから足元まで一通りそろえてくれて・・・
「あとはしっかりと働いて、自分で買い足しなさいね。」
と粋な言葉まで掛けてくれた。要は給料がしっかりと出ると言う事だ、ありがたい。
初給料でお雪に何か買ってあげよう、髪飾りがいいかな。おばあさんは何がいいかな。帯紐なんかもいいかもしれない。これは女将さんに相談しよう。
そう思っていると急に栄えている繁華街を抜けた。騒がしさはなくなり静かになって来る川沿いの郊外、お雪のいる砂川屋は商店街から少し離れた静かな場所、この静かさがもうじきお店があると言う事を教えてくれている。
見覚えのある木造の小さな茶が見えてきた、お客さんが数人いて腰を掛けてお茶を楽しんでいる。
中から雪が出てきたのが見えた、そして雪は私の存在に気付くと嬉しそうにパァッと表情を変えた。なんてまぁかわいい事・・・
私は足早にお雪の元へと向かった。
「おリョウさん!お元気でしたか!?」
お雪は目をキラキラさせて私に小走りで歩み寄ってきた、私も両手を出してお雪と再会を喜んだ。
「もちろん元気よ!着物、返しに来たの。」
私はきちんとたたんだ着物をお雪に返す。
「どうか来て、おばあちゃんも喜ぶわ!」
お雪は私の手を取って茶屋に引っ張る、私はそんなお雪に引かれながら店へと入った。
「おリョウさん!お元気そうで何よりです。」
お雪の祖母は私にニコニコと喜びの言葉をかけてくれた。
「お世話になったのに、お礼に伺う事が遅れてしまい失礼しました。その節は本当にお世話になりました。」
私はしっかりと頭を下げた。
「さぁさぁ、お茶でも。ゆっくりしていってください。」
「ありがとうございます。」
祖母は私の前に茶とお団子を出してくれた、そしてお雪と二人で店先に腰かけて話をする。
どんな時代でも女が集まれば話は尽きないもの、お客さんが帰った後はおばあさんも含めて三人で話をし続けた。
「お雪ったら口を開けばおリョウさんの事ばかりなんですよ?」
「あら、どんな?」
「キレイキレイってずっと小言の様に言うんです。」
「もぉ!おばあちゃんったら!」
お雪が恥ずかしそうに言う、私はそんなお雪を心底かわいいと思う。
「そうそう、女将さんから帰りにおまんじゅうを10個頼まれているの。で、お釣りはいらないそうです。」
私は女将さんから預かった包みをそのまま、横に座るお雪にわたす。
「えぇ!?こんなにたくさん!ちゃんとお返しします!!」
お雪は中に入っている現金に驚き祖母を見た、おばあさんも驚いて口を開けている。
「いいえ、お釣りはもらわないようにと言われているので受け取ってください。それ、私の紹介料なんだそうです。」
私は微笑んでみせる。
「そんな・・・いくらなんでも、」
困惑している二人に私は言葉を続けた。
「お礼は今度女将さんとお会いした時におっしゃればいいと思いますよ、まだ数日しかお世話にはなっていませんが随分と粋な事をなさる方の様ですから、ご厚意として受けておいていいのだと思います。」
「本当に、江戸川屋の女将さんにはいつもお世話になっております。」
祖母が私に頭を下げる。
「よろしくお伝えください。」
「はい、かしこまりました。」
ガールズトークもある程度続いた時、ふと草履の音がして私はその方向に目をやる。
・・・あれ、この人は・・・
長身の優しそうな青年を見るなりお雪の顔が急に赤くなる、そして座っていた祖母が立ち上がり軽く会釈をした。
「桂様、こんなに早いお時間に珍しいですね。さぁ、どうぞ。」
「こんにちは。」
・・・桂?
私は再び何かを思い出しそうで首を傾げてその男をじっと見てしまった、それが・・・まずかった。
「あの、突然に大変無礼とは思いますが、あなた様は、おリョウさんと申されましたか?」
青年は突然私に話しかけてくる。
「えぇ、はい・・・?」
誰だ、こいつ・・・?
「以前、お市と、名乗られてはいませんでしたか?」
「・・・・・・」
私は、この男を知らない。
と、言うよりは知る訳がない。
が、しかし、お市と言う名前は、確かに長い間使った事がある。
「桂様、おリョウさんについて何か知っているのですか!?」
お雪が声をかける。
私は黙って立ち上がり、詰め寄る様にその男の顔をじっと正面から見つめた。
「失礼ですが、どちら様ですか?」
男の表情は妙に必死で、でも私はこんなにいい男を忘れるわけがないので、やっぱり知らない。
「失礼しました。私は長州藩藩士、桂小五郎と申します。」
「長州・・・・・・桂・・・小五郎・・・?」
ん?なんだかすごく聞いたことがあるような・・・?
私は何度も左右に小首をひねって、必死で何かのつかえを思い起こそうとしてみた。そんな私の仕草にこの青年は更に必死そうな、まるで懇願するかのような顔でこう言った。
「あのっ!人違いではないと思います!あなたは昔、和田家に住んでいた幼い僕に対しいつも『クソガキ』と呼んでいました!・・・覚えては、いませんか・・・!?」
「クソガキ・・・・?」
「はい!」
「長州の、クソガキ・・・?」
「はい!!」
・・・うそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!
私の叫び声にお雪と祖母は目を丸くし、青年は急に輝いた眼差しを見せた。
「やっぱりお市姉さんだったんだ!!!!」
私はあまりの嬉しさに小五郎に抱きついた、そして小五郎も嬉しさを爆発させて私の手を取り二人で飛び上がって喜んだ。忘れた事の無い家族の記憶、しかしそれがこの世界で繋がるわけがないとはなから思っていたわけだからつながるのに時間がかかった!
小五郎だ!!
「あんなチビがこんなに大きくなったの!?気が付かないわけよ!」
「信じられない!お市姉さんに再び会えるなんて!」
私達は再会の喜びを未だ爆発させる、そしてそんな私達に後ろから祖母が声をかけてきた。
「おリョウさん、お市と言う名前だったんですか?」
・・・・おっと!
そうだった、再会を喜んでいる場合ではない。記憶喪失の設定が崩れるとマズイ。私は瞬間的にすごく真面目で厳しい目を小五郎にぶつける。
こいつが空気を読めると良いんだが・・・確かこいつ、すげぇ馬鹿だったよーな・・・
「・・・・・?」
小五郎は私に向けられた視線に一瞬にして落ち着きを戻す。
「えっと、名前はわかりませんが・・・、確かに私は長州にいて、名前はわかりませんがクソガキと常に呼んでいたやんちゃな子供の面倒を見ていました。」
これで、どうだ。
「と言う事は、おリョウさんは長州のお武家さんですかね?」
雪の言葉に私はすぐに否定を入れる。
「いえ、それは多分違うと思います。武家なら着付けなんかもできると思うけれど・・・私は着付けができないし、きっとそういったきちんとした身なりをする身分ではなかったのではないかと・・・ねぇ、」
私はここであえて小五郎に振って見た。
ちっとはマシになっていてくれ!クソガキ!
「えっ、はい、そうです。お市姉さんは、その、町の人間でした・・・」
でかした!クソガキ!!
見た目同様少しは中身も大人になっている様でほっとしたよ。
「じゃぁ、もしかしたら案外早く記憶が戻るかもしれないですねぇ。」
祖母がにこやかに喜んでくれている。
「えぇ、もしかしたら・・・」
私は微笑んで返事を反してその場を何とか切り抜けたかった。
「あっ、少し長居しちゃったかしら。そろそろ女将さんにおまんじゅうを届けないと。」
「そうでしたね!今準備しますから待っていてください!あのっ、桂様は何か召し上がって行きますか?」
「えっ、僕は・・・」
私は小五郎の目を再び見て、その視線を腰掛へと流す。
「えっと、じゃぁ、僕は団子を・・・」
「わかりました、準備しますね。」
そう言って祖母とお雪は店へと入って行った。
「・・・お市姉さん・・・これはいったい・・・?」
困惑気に見てくる小五郎はまだ幼ささえ感じる、しかし、良い男になった物だ。
「橋のたもとで待っている、お前はここでしばらく時間を使ってから来なさい。そこで、落ち合いましょう。」
「・・・わかりました。」
祖母が私にまんじゅうを、お雪は相も変わらず照れながら小五郎に茶と団子を用意している。お雪は本当に小五郎が好きなのだろう・・・
「おばあさん、お雪ちゃん、また来ます。」
私は再びお礼を言って頭を下げるともと来た道を反した。
【お雪】
「おリョウさん、やっぱり綺麗なお人・・・」
おリョウさんの後姿を見て思わずつぶやいた。綺麗で、しゃんとしていて、きっととても賢い方。私のあこがれは強くなるばかりだった。
私はふと桂様に目を向けた。
お姉さんは桂様のご親族なのかしら、あの再会を喜ぶ姿はとてもご友人とは思えず、生き別れたご兄姉に再開したかのごとくで、少し不思議だった。
桂様、あんな笑い方するんだ・・・
いつも物静かで優しい気配の桂様の意外な一面を見た気がして団子を食べているお姿に目を向けると、目が合って微笑まれた。
私はいても経ってもいられなくなりめいっぱい頭を下げてお店の中へと逃げ帰った。
【おリョウ】
帰り道自問自答が続き、頭の中では日本史の年表がぐるぐると目まぐるしく動いている気がする。
なぜ、数年前に降り立った長州のガキがここにいるんだ?
あれは今この時間から何年前の話なのだろう・・・これは困ったかもしれない。
あの時はあまりの懐かしさに思わず我を忘れたが、これはしらを切り通すべきだったと後悔している。
「しかし・・・良い男になっちゃってまぁ。」
私は我が息子との再会の様に嬉しくなって自然と足元が軽くなった。
「さて、どうやってあいつに話をするかねぇ・・・」
困った困った・・・
【桂小五郎】
僕は少し早食いだったと思う、それだけお市姉さんに会いたくてそわそわしていた。幸いお雪は出てこないし、僕は食べ終えると大きな声で中にお礼を言いお金を置いて足早に店を去った。
さっきの喜び様は確実に姉さんであると言う証拠、でも姉さんは僕に何かを言うなと訴えていた。何かを隠している・・・。あの日、突然あの場から消えた姉さん、まるで神隠しの様に消えてから十五年の月日がたっている。
しかし驚くことに、姉さんはあの時と同じ美しさでここにいる。
「いなかったら、どうしよう・・・」
姉さんが橋のたもとに本当にいるのか、不安で不安で僕は帰路を急いだ。
大好きで仕方なかったお市姉さん、聞きたい事は山の様にあるけれどいったいどれくらいちゃんと聞けるのだろうか。
「落ち着かないと・・・」
そう呟くも袴の裾を汚すほど僕は急いでいた。
【おリョウ】
小さな橋、橋と言うと語弊がありそうな水路にかかる渡り。
川に沿って柳が植えてありこの橋を渡るのは飛脚ばかり、それもあまり多くない。商人たちは荷車や馬を引いている事がほとんどなのでもう少し先の大きな橋を渡る。
どちらの橋とはあえて言わなかったけれど、小五郎がこの橋を選ぶのは何となくわかっていた。ふと見れば小五郎が必死で走って来るのが見えた。
「何だよあいつ、もっとゆっくりしてくればいいのに・・・」
その表情を見て私は思わず笑った。
「お市姉さーーーん!!」
私はでっかい子供に思わず笑いながら手を降ってやる。
「お市姉さん!!!」
がばぁっ!!!
おぉっとぉ!?
いきなり抱きついてくる小五郎、なんだこのでっかいガキは?と笑ってしまう。
私はよしよしと小五郎の背を擦ってやった。
すると小五郎は顔を上げてキラキラした瞳で私を見つめ、言いたいことを一気に全て言い放つ。
「姉さん!本当にお市姉さん!?信じられない!どこにいたんだよ!記憶がないってなに!?何でおリョウって名乗ってるの!?江戸川屋にいるって本当!?」
まてまて。
中身は本当に子供のままかい?
「落ち着いて、一つずつにしてくれない?」
「あぁ、ごめん、つい。」
私は懐かしさ余ってもはや笑いが止まらない。
「まったく、体ばかりでっかくなって。いくつになったの?」
「二十五です。」
25歳、そりゃもういっぱしの大人ね。特にこの時代では。
「ってことは、あれから14年後なのね。」
私のつぶやきを聞いていたのか、小五郎は私をのぞき込むように見つめてくる。
「でも、お市姉さんはあの時のまま、若くて、綺麗なままだ・・・」
綺麗かどうかは別として、その答えは私には4年しか経過していないからよ・・・とは言えるわけもない。
私はできるだけしらを切って見せる。
「あら、そんなことも言えるようになったの?本当に大人になったわね。」
「僕はもう大人です!練兵館の免許皆伝も受けてるし塾頭だし、勉学もちゃんとしている。」
ムキになる小五郎、そんな所はまだまだ子供。私はそんな小五郎をいじりたくて仕方がない、それは14年前から変わらない私の遊び。
「で、師半がおサボり?」
私のその笑いに小五郎は顔を赤くする。
「それは、姉さんがたまたま僕の前を通ったからで・・・でもっ、姉さん本当にどこに行ってたの!?おリョウだなんて名前まで変えて・・・」
小五郎は赤くした顔を急に大人しくさせ、本当に悲しいと言わん表情をして見せた。
私は、しらを切り続ける。
「あら、あなたも大人ならわかるでしょ?大人にはいろいろな都合があるものよ。」
「母さんや姉さん達も・・・とっても心配したんだよ?」
その言葉は辛い。
小五郎の生い立ちは少々複雑で、桂と名乗っているがそれは養子先の姓、しかし養子に出て数年で養父母を失い生家の和田家に帰って来ている。なので実家は医者だが小五郎だけは武士の身分がある事になる。
お母さんは特に私によくしてくれて、身分も知れない私を拾ってくれたのはお母さんだった。
このお母さんもまたややこしくて、小五郎の母だが和田家の後妻で、小五郎は異母兄弟がいるという・・・まぁ、この時代ならではの複雑な家庭だ。
「・・・そう、お母さん達は、元気?今も長州に?」
私のこの言葉に、小五郎はますます悲しそうな顔をする。
「あのあと、母さんも姉さん達も相次いで死んでしまったんだ・・・」
「そう・・・」
悪い事をしたと思った。
私がもう少しいられたら、この子にこんな悲しい目はさせなかったかもしれない、そう思った。そして同時にその事態は、私がその場に行ってしまったがために時代が変わり、起こった事実なのかもしれないとさえ思った。
これ以上、私はこの子を巻き込んでしまってはいけない・・・
「ねえ、小五郎?私のことはもうお市とは呼ばないで、」
「えっ、」
私の言葉に小五郎が伏せていた瞳を上げて私をまっすぐ見つめる。
「今は、おリョウなの。理由は言えない。そしてできるなら、私には関わらない方がいいかもしれない。」
「どうして!?」
まるで捨てられた子犬ように、小五郎の焦った顔が、胸を打った。
理由なんて、信じると思う?私にはかいつまんでしか話せないのに・・・
「私はね、この世界にはいてはいけない人間なの。」
「どういうこと、」
小五郎の目が見られない。
「そのうち少しずつ教えるわ。とりあえず私の今の設定は、おリョウと言う名で記憶喪失なの。余り、事が大きくなるのは不味いのよ・・・」
「誰かに、追われているの?」
小五郎が声を潜めて問いかける。
「いいえ、でもそれに近いかしらね。」
「ならば藩邸に来たらいい!きっとかくまってくれる!」
そんなことしたらそれこそ歴史が代わってしまうじゃないよ。
そもそも実際に命を狙われているわけではないからそんな事はする必要はないんだけど。
「とにかく、今後もし私に会いたければおリョウと呼ぶこと。そしてさっきみたいに空気を読んだ会話をすることね。それができなければもう、会わないで。」
「えっ、どうして!?」
ますます事態が呑み込めないと言う顔をする小五郎、そりゃそうよ、私にだってわからないんだから。
「大人の都合よ、どうする?」
「・・・わかった、約束する。」
「おりこうね。」
「もうっ、子供扱いしないで!」
髪を撫でる私の手を優しく払う小五郎、顔が真っ赤でかわいいわね。
「私ね、今までいろんな場所に行ってきたんだけど、長州での日々を忘れたことはないのよ。とても楽しい日々だったから・・・そう、お母さんもお姉さんも亡くなったのね・・・」
「お市・・・じゃない、おリョウ姉さんがいなくなっただけでも辛かったのに、母さんと姉さんまで死んでしまって、僕、本気で出家しようと思ったんだ。」
「出家ですって!?」
私は思わず笑ってしまった。
「何で笑うの!本気だったんだよ!?」
「いやいや、ごめん。だってクソガキ小五郎が出家なんて、考えられなくて。」
「それだけ傷心だったんだよ!?」
小五郎の焦った顔を見て私は目を細める。
「そうよね、お母さんとお姉ちゃん達二人が亡くなれば、辛かったわよね。」
「そうじゃなくて!!」
・・・ん?
小五郎の大きな声に一瞬私の口が止まる、小五郎は自分が発した大きな声に驚いているのかばつが悪そうな顔をして、でも引っ込みがつかないと言わんばかりの顔をしている。
「僕は!お市姉さんがいなくなったことが一番辛かったんだ!!!」
・・・あらまぁ、かわいい事。
当時10歳ぐらいだった坊やにこんな告白をされて。
「くそガキじゃなくて、ませガキね。」
「姉さん!」
ムキになる小五郎がかわいい事。
「ねぇ、小五郎は今どんなことを学んでいるの?」
話し絵お変えるべく振った私のこの言葉に小五郎は急に背筋を正した。
「今は長州藩の警備を命じられているんだ、剣術を学びながら吉田松陰先生にこれからあるべき日本についてその思想をお伺いしてます。まぁ、先生と言っても友のようにさせてもらってますけど。」
「日本の未来ね。」
「はい、姉さんは以前浦賀に異国船がやってきたのを知ってる?」
「・・・えぇ」
日本史としてだけどね・・・
「さすがです、吉田先生はそのときに・・・・・・」
小五郎は本当に吉田松陰を尊敬しているんだろう、熱く語る小五郎に笑みがこぼれてしまう。
私は、未だ熱くなって思想を語り続ける小五郎の両頬に手を伸ばしそっと包む。
小五郎はいきなりそんなことをされて、話す言葉を止めて目を見開き驚いていた。
「あなたがとても勉学に励んでいて尚且つ文武両道であることはよくわかったわ。ずいぶん、成長したものね。」
私は、子供の成長に愛しささえ込み上げていた。
「昔、姉さんが僕に言ったこと・・・『世界は広い、知らない人も知らない言葉もこの世の中にはまだまだある。小さな世界で満足せずに、全てにおいて上を目指し、精進すること。そうすればきっと、今より多くの何かがわかる。』僕はその言葉を胸にここまできたんです。僕にとって、お市姉さんは全てでした・・・」
「あら、それは可愛そうなことをしたわね。」
「信じてないでしょ!」
「シィー・・・」
ムキになって掴みかかってきそうな小五郎に私は人差し指を立てて唇に押し当て笑う。
本当にこの子は大人になったんだ、そう思うと笑みが漏れる。
この歳まで大病せず無事に生きる事がどれだけ大変なのか、どれだけの幸運の元にこの子はこの歳まで生きているのか、時代背景まで考えると愛しさは増すばかり。
生きて私に再び会いに来てくれた。そう思ってしまう自分がいる事もまたおかしな話だ。
しかし、今の話でひとつだけわかったことがある。
それは私にはあまりよろしくないこと。
私はいつも、記憶が消える前にそのとき出会った人物の名前を調べる。歴史に関係あるような大きな名前だったら歴史が変わってしまってないか調べるため。
今目の前にいる桂小五郎と言う男、こいつは、後の木戸孝允だ。
単なる同姓同名であればいいんだけれど・・・
「本当に、困った子だわ・・・あなたは、私と最も出会うべきではなかった人かもしれない。」
「・・・・えっ」
「小五郎さん!!!」
背後からかかる言葉に小五郎は肩を跳ねさせて振り向き、私はそっと手を下ろし一歩下がった。
「探しましたよ!こんな所で何してんですか!早く道場へ戻ってください!!」
「いや、でも、」
小五郎が私を見る。私はニコニコと微笑みながらその駆け寄ってきた青年に目をやった。
「そうですよ?師範は教え子を一番に思うものです。」
その子はその時初めて私の存在に気が付いたと言わんばかりの顔をして深々と頭を下げた。
「お話し中でしたか!失礼しました。」
その威勢の良さに私は笑う。
「いいえ、こちらこそあなたの先生を長々とお引止めしてしまっていたみたいでごめんなさいね。さぁ、連れて行ってちょうだい。」
「姉さん!!」
「これは!小五郎さんの姉上様でしたか!?」
「晋作!違う!」
おっとぉ・・・晋作とはまさか・・・・
「同郷の者です、血縁はありませんよ。小五郎先生がまだとんでもない悪童だった時の知り合いみたいなものです。」
「姉さん!!」
「悪童・・・小五郎さんが!?」
私はくすくすと笑い、小五郎は焦った顔で私に何か言いたげで。
「と、言う事は、姉さんは小五郎さんのめかけですか?」
「めかけ!?」
ゴツッ!!!
「いってぇ!!」
私はその言葉に大笑いし、小五郎は青年の頭に拳を落とした。
「と、言う事は本妻がいるのね。なんだ~、ちゃんと話してくれなと小五郎せんせっ?」
「いません!!!」
「えっ、でも想い人がいるって!?」
「晋作!!!」
「めかけにしちゃちょっと私は年上すぎるかもね、まぁ先生がそう言う女がお好みとあらば話は別でしょうけど。」
「ちょっ!?姉さんもやめてください!!!」
「えっ、お姉さん、小五郎さんと同じくらいのお歳じゃないんですか?」
小五郎の必死の制止に構うことないこの晋作と言う子、だいぶ好奇心の強い子ね。
「女に歳を聞くもんじゃないわ、晋作君。歳は、そこにいる先生に聞いて。さぁさぁ、行ってちょうだいな。晋作君早く連れて行って?」
「はいっ!失礼します!!」
晋作君は私に頭を下げると小五郎の腕を掴んで走り出した。なんか、昔の小五郎を見ているみたいで面白い。
小五郎はこちらを振り返り何かを言いたげだったけれど、私は手を振って何も返さなかった。
【桂小五郎】
姉さんは何かを隠している。
僕はずっとそう思いながらも聞けず、上手く話しをかわされて逸らされて晋作に見つかった。やはり姉さんはすごく頭のいい人だと確信する。吉田松陰の奴が投獄さえされていなければぜひ会わせたかったのに・・・
姉さんは何かに追われていると言った。
ならば僕にできる事は何だろう・・・
「決まっているじゃないか・・・」
僕は小さくつぶやき、腰に差した剣に片手を添えた。
「僕が、守る・・・」
「えっ、何を!?」
晋作の言葉にふと我に返って恥ずかしさを覚えた。晋作はそんなことお構いなしと言わん顔で走りながら話しかけてくる。
「ところで、さっきの姉さんはご親戚ですか?」
「・・・いや、同郷の人だ。」
「綺麗な人でしたね、遊女みたい。」
ゴツッ!!!
「痛いっ!!!」
「遊女とは何事かっ!!」
「いや、そのくらい綺麗だって事だって・・・」
遊女!?
姉さんが遊女だって!!
この晋作、口が悪いとは思っていたけれどまさかそこまで悪いとは思わなかった!
「ところで、さっきの姉さんは御幾つなんですか?」
「・・・・40頃っ!!」
「えぇぇぇぇ!?」
僕はそうとだけ言うと走る足をさらに速めた。
【おリョウ】
どうやら、私の最後の淡い期待は崩壊した様子。
同姓同名説は完全に落ちた。
小五郎は格段に頭がよくなっている、そりゃそうよねぇ、何たって明治維新の発起人、木戸孝允なのだから。
となればあの青年は高杉晋作、こ~りゃ困った。
小五郎にこれ以上知られたらまずい、そう思いながらもどこかで、今の小五郎なら自分を理解してくれるんじゃないか、そう思ってしまう自分がいる。もういい加減こんな生活も飽きてきたし、嘘をつくことは辛い。
しかし、歴史に傷を付ければどんなことが起こるかわからない。それこそ、私自身が消えてなくなるかもしれない。過去において一人の人間がいなくなれば、その人間がこれから一生のうちで出会うはずの人間はその人間と出会うことはなくなる。夫婦になり子供が生まれる男女のどちらかが消えれば、その夫婦の子供もその子供の子供も存在しなくなる。
初めて出会う人間にならいくらでも言える言葉も、知り合いとなると話は別。
自分を知っている人間がいると言う事がこれほど複雑な物なのか・・・
「どこかの田舎ででも静かに暮らそうかなぁ・・・」
私はまんじゅうを持って江戸川屋を目指して歩いた。