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第四章「木枯らしの季節に 2」

 あいつのことが気になりだしたのは、一体いつの頃からだろう。もう随分と前のような気もするし、つい最近のような感じもする。初めは無口で愛想のない、嫌味なヤツだと思っていた。どうして小夜がこんな男を? 正直、あの子の気持ちがまったく理解できなかった。だけどその無口と無愛想の裏には、私が想像もしなかった辛い過去があって――。


「おい、荒川っ! ぼさっとしてないで、さっさと柔軟済ませろっ!」


 柔軟の途中でボンヤリとしていた早苗に、陸上部の監督である吉田の激が飛ぶ。彼女はすいません、というと止まっていた柔軟を再開した。

 最近、特に集中力が落ちてきてるなあ。余計なことを考えるのは、もう止そう……。この頃になると、受験を控えた3年生のほとんどは部活動を引退する。だが進路が決まっている早苗と清水は、未だ部に在籍していた。柔軟を終えると、いつものように100メートルのタイム測定が始まった。部員たちは各々体をほぐしながら、足早にトラックへと向かってゆく。


「位置について――」


 マネージャーの号令と共に、早苗はスターティングブロックに足をかけた。そして素早くクラウチングポーズの体勢にはいる。


「用意――」


 一瞬の静寂。私はこの瞬間が何よりも好きだった。次の瞬間、鼓膜を(つんざ)く号砲が辺りに響きわたった。早苗は意識的に呼吸を短く吐き、目の前のゴールだけを見据える。キックの瞬間のたびに、心拍数が上がり鼓動が早まる。そして彼女は、胸を突きだしフィニッシュを迎えた。


 ダメだ。呼吸もフォームも全然バラバラ。こんなんじゃ……。早苗はトラックから出ると、ゆっくりと歩きながら弾んだ息を整える。するとそんな彼女のもとに、監督の吉田が表情を曇らせながら近づいてきた


「どうした、荒川。お前らしくないぞ」


 吉田は溜め息交じりでストップ・ウォッチを早苗に向ける。そこには彼女のベストタイムには、ほど遠い数字が並んでいた。


「……すいません」


「最近、いつもボーっとしてるし。なんか悩み事でもあんのか?」


「いいえ、大丈夫です……ただ、ちょっと体調が悪いだけですから」


「そうか。じゃあ、あんまり無理はするなよ」


「はい」


 最悪だ。以前ならトラックで思いっきり走って汗を流せば、嫌なことなんて綺麗さっぱり忘れられたはずのに、今はそうもいかない。単純だった私は一体どこにいっちゃったんだろう……。


「おい、なんか調子悪そうだけど大丈夫か?」


「あんたに心配されちゃおしまいよ」


 気遣う清水に対し早苗がいつもの軽口で応えると、彼は安心したように「うっせえ」と言って微笑んだ。

             

                    ☆



 早苗は部活を終えると、重い足取りでいつもの坂道を下っていた。すると背後から彼女を呼び止める声が聞こえてきた。振り返るとそこには部の後輩である、森田景子が微笑みながら近づいてくるのが見えた。


 小柄でややポッチャリ気味の体躯に、童顔な顔立ち。結局のところ、男はやっぱりこういう子が好きなんだろうなあ……。早苗はそんことをボンヤリと考えながら、後輩に手をふって応えた。


「駅まで一緒にいいっすか?」


「おう、いいっすよ」


 早苗が冗談ぽく頷くと、恵子はにこやかに笑みを漏らしながら、おもむろにジャケットのポケットからレター封筒を取り出した。

 あちゃ、またかい……。早苗は表情には出さずに、心の中で愚痴をこぼした。すると景子は「言っときますけど、私からじゃありませんよ」と念をおした。


「分ってるわよ……ったく、また女の子から?」


「そうみたいですね」


 早苗は大げさに肩を落とすと、溜め息を漏らしながら景子から手紙を受け取った。


「相変わらず、モテモテですね」


「女の子ばっかりにモテても仕方ないのよ。悪いけど私には百合(こっち)のけはないんだから」


「でしょうね」


「私ってさあ……そんなに男受け悪いのかなあ?」


 早苗はうなだれながら愚痴をこぼした。


「早苗先輩はほんとになにも分ってませんねえ」


「分ってないって、なにがよ?」


「うちの学園は男子よりも女子の割合が圧倒的に多い、ハーレム学園です」


「そんなの知ってるわよ、だからそれがなんなの?」


「要するに我が学園では女を敵に回したら、生きていけないってことですよ」


「だからそれと私が男にモテない、ってのとどう関係してくるのよっ!」


 まったく要領を得ない景子の言葉。苛ついた早苗は声を荒げながら、後輩女子に詰めよった。すると景子は苦笑いを浮かべながら、彼女を見据えた。


「いいですか? 早苗先輩は知らないだろうけど、あなたは三島先輩なみに……とまではいいませんが、かなり男子から人気があるんですよ」


「私が男子に? ……ないない。そんなのありえないわよ」


 早苗が鼻で笑いながら手をひらつかせると、景子は溜め息交じりでかぶりを振った。


「早苗先輩に男が寄りつかないのは、百合女たちの鉄壁なガードがあるからですよ」


 暫しの沈黙。無言で見つめ合う陸上女子たち――程なくして早苗は真剣な表情を浮かべながら「……そうなん?」と尋ねた。


 そんな彼女に後輩陸上女子は、呆れ顔のまま静かに頷いた。


「早苗先輩、マジで気付いてなかったんですか?」


 私が男子から人気がある? これこそまさに青天の霹靂……正直、まったく思いもよらなかった。早苗はそう思いつつ、コクリと頷いた。


「じゃあ、試しに適当な男をみつくろって誘ってみたらどうです? みんなホイホイついてくるはずですから」


「適当なって……あんた、さらっと凄いこというわねえ」


「それとも誰か好きな人でもいるんですか?」


 好きな人ねえ……いるには、いるけど……もう、どうにもなんないのよ。


「別にいないわよ、そんなの」


「じゃあ、いいじゃないですか。学園生活もあと僅かですよ。最後にいい思い出を残してみてはどうです?」


 恵子は小首を傾げながら、早苗の顔を覗き込んだ。


「ポッチャリが、生意気なこと言ってんじゃないわよ」


 早苗は悪戯っぽく微笑む後輩のおでこをピシッと張った。


「痛ーい……もう、可愛い後輩になにするんですか」


「自分で言いなさんな」


 早苗は吐き捨てるようにいうと、神無月駅へと歩みを進めた。

 確かにこの子の言う通り、高校生活もあとわずか。だからって適当な男と思い出作りなんて……悪いけど、私はそんな器用なことの出来る女じゃないのよ。早苗は自嘲した笑みを浮かべると、後輩女子の軽口に耳をかたむけながら、歩きなれた坂道をゆっっくりと下っていった。



                    ☆ 




 土曜日。陸上部は吉田監督の都合で突然、休止となった。急に出来てしまった休日の暇な時間。早苗はとりあえず小夜に連絡を入れてみたが、彼女は如月とデートとのことだった。それでは有紀に――しかし彼女も恋人の柳田と過ごす、という答えが返ってきた。


 どいつもこいつも、彼氏彼氏……ったく友人を優先させるっていう気持ちは、これっぽっちもないわけ? まあ、仕方ないって言えば、仕方ないんだけど……。早苗は溜め息を漏らしながら、自室のベットに寝ころんだ。

 天井を見上げながら、暫しの間ボーっと過ごす。そして程なくした頃、彼女はむくっと体を起こした。折角の休日。一人、家の中で(くすぶ)っていてもつまらん……。早苗はそう思いつつ、細身のデニムジャケットに袖を通すと、あてもなく自室を飛び出した。

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