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第三章 「その嘘を愛そう 2」

 翌日、藤崎加奈は母親の弥生に手を引かれながら、Sクリニックを目指していた。一方、奈々と有紀はそんな二人のすぐ後ろを歩きながら、微妙に引きつった表情を浮かべている。

 原因は自明だ。現在、彼女たちは真昼間の風俗街を歩いているからだ。辺りを見渡すと、如何わしい店やガラの悪い客引きたちがうろうろしている。


 何なのここは……お兄ちゃんが治安が悪い、って言ってた意味がようやく分かった。っていうか何でわざわざこんなとこで、クリニックを開業するわけ? もっといい場所なんて幾らでもあるでしょ? 一体どういう神経してんのよ。


 ああ、何か急に不安になってきた。本当に大丈夫なのかなあ、相良先生って……お兄ちゃんいわく、精神科医としてはとても優秀らしいけど。

 加えてあの朴念仁が、唯一頭の上がらない女性らしい。ということは良くも悪くも、かなり濃いーキャラにして余程の(つわもの)だということは間違いない。有紀は一抹の不安を感じながら、小さく溜め息を漏らした。


「ねえ、その相良先生って……本当に大丈夫なんでしょうね?」


 私の心を見透かすように、奈々は不安気に尋ねてきた。


「大丈夫、問題ないってっ!」


 ハッキリ言ってなんの根拠もない。だけど今は自信満々にこう言うしかなかった。


「そんなことよりさあ……加奈ちゃん、いつもあんな感じなの?」


 有紀が目の前の小さな背中を見つめながら小声で尋ねると、奈々は無言で首を縦に振った。


「そっか……」


 有紀は小さく呟くと先程のやり取りを思い起こした。久しぶりに会った加奈ちゃんは、見た目的には特に変わった様子はなかった。以前と同じで表情も明るい。だけど――。


「久しぶりだね、加奈ちゃん。元気だった?」


「ううん、全然。だって風邪引いちゃって、熱が39℃もあるんだもん」


 熱が39℃? 有紀が隣で佇む奈々に視線を向けると、彼女は吐息を漏らしながら静かにかぶりを振った。なるほど、これが問題の ”嘘” というやつか……確かにこれは厄介だ。奈々が不安になる気持ちがようやく分かった。有紀は先程の回想から戻ると、目の前の小さな背中を見つめながら、再度溜め息を漏らした。


 無言のまま10分ほど歩いた所で、Sクリニックの入ったビルに到着した。ビルを見上げると、最上階にはピンクの電飾に白抜き文字で【Sクリニック】と表記された看板が点灯している。何とも如何わしい看板……どう考えても普通の病院には見えない。っていうか風俗じゃないの? ここ……。


「ねえ……本当に大丈夫なんでしょうね?」


「多分……」


 再度、奈々の不安そうな言葉が私の鼓膜に届いてきた。だが今回は先程のように、自信満々に答える事は出来なかった。お兄ちゃん、本当に大丈夫なんでしょうねえ……。有紀は仏頂面の黒縁メガネを思い浮かべながら、意を決してビルの中へと入って行った。


 4人はエレベーターに乗り込み5階のボタンを押した。フロアを少し歩いた所で、Sクリニックと書かれた扉が目に入ってきた。扉の中央はガラスだったがスリガラス加工が施されている為、外からは中の様子は窺えなかった。


「……ここでいいのよね?」


 弥生が不安そうな顔を奈々に向けると、彼女は曖昧に首を傾げながら有紀に視線を移した。


「大丈夫、ここで間違いありません」


 有紀は軽く深呼吸をすると、ゆっくりとドアの取っ手をスライドさせた。中に入ると外の看板とは対照的な、白を基調とした清潔感のある、空間が広がっていた。

 4人が所在なさ気にしていると受付の女性が弥生に「ご予約のかたですか?」とカウンターから声をかけてきた。


「あっ、いいえ」


「初診の方ですね。それでは保険証の方を――」


 弥生はバッグから保険証を取り出し、初診の手続きを始めた。すると奥の部屋のドアが静かに開く。中から現れたのは白衣に身を包んだ一人の女性だった。

 相良琴音――この人がお兄ちゃんの母親代わり……っていうか、超綺麗なんですけど。有紀が見とれていると、琴音はゆっくりと彼女たちのもとへと近づいてゆく。そして膝を折って加奈の目線に合わせると、優しい微笑みを浮かべた。


「貴女が加奈ちゃんね?」


 琴音の問いかけに、彼女は恥ずかしそうに頷いた。


「私は相良琴音。ここでは琴音先生って呼ばれてるわ」


「……琴音先生」


「そう。あらためてよろしくね、加奈ちゃん」


 琴音はそう言って加奈に握手を求めた。


 数秒の沈黙――程なくして彼女は元気に「うん」と頷くと、微笑みながら握手に応えた。

 スマートな子供の扱い……この人出来る。子供嫌いのお兄ちゃんには、到底まねのできない芸当だろう。


「で、貴女がお姉さんね?」


「はい。今日は妹のこと、どうかよろしくお願いします」


 奈々はそう言って深々と頭を下げた。

 すると琴音は彼女の肩に手のひらを置きながら「大丈夫よ」と言って微笑みかけた。そしてすぐに隣で佇んでいた有紀に視線を移してゆく。


「ということは、貴女が清水君の妹さんね?」


「は、はいっ!」


 やばっ、なんか緊張して声が……途端に有紀の顔が薄っすらと桃色に染まってゆく。そんな彼女を琴音はまじまじと見つめた。


「うーん……似てないわね」


「よ、よく言われます……あれっ、兄のことご存じなんですか?」


「勿論よ、だってあの子の貴重なお友達だもの」


 あの子?……ああ、お兄ちゃんのことか。それにしても、信ちゃんのヤツ……琴音先生と知り合いだなんて、一言も言ってなかったのに。


「因みにお兄さんのことだけじゃなく、貴女のことも色々と知ってるわよ」


「えーと……例えばどのようなことを?」


「テンパってお酒飲んで、酔っぱらった挙句にあの子のほっぺにキスしたこととか」


 2年前の消したい記憶……あの後は散々、信ちゃんと早苗さんに叱られたっけ。


「他には……好きな男の子を振り向かせるために、あの子をだし(・・)に使ったこととかね」


 軽く口角を上げると、琴音は悪戯っぽく片目を瞑った。

 Sだ……この人絶対にドSだ。ああ、折角いい感じに忘れてた、消したい記憶が鮮明に蘇ってしまった。有紀が肩を落としてへこんでいると琴音は再度、加奈に向き直った。


「それじゃ、自己紹介も一通り済んだことだし、私と加奈ちゃんはあっちの部屋でお菓子でも食べながら、少しおしゃべりでもしようか」


「うん、いいよ」


 加奈が頷いたのを確認すると、琴音は受付で手続き中の弥生に顔を向けた。


「藤崎さん、加奈ちゃん少しお借りしますね」


「あっ……ええ、宜しくお願いします」


 弥生は一瞬、琴音に顔を向けると、すぐさま手続用紙に視線を戻した。その素っ気ない態度に、一瞬だが琴音の顔色が曇ったように有紀には感じられた。


「……じゃあ嘘つき同士、行きますか?」


 琴音は微笑みながら加奈の手を取ると、彼女は不思議そうに琴音の顔を見上げた。


「ねえ……琴音先生も嘘つきなの?」


「勿論。ここだけの話、女の子はみーんな嘘つきなのよ」


 琴音はそう言って微笑んだ。すると加奈はどこか安心したように表情を緩めると、彼女と共に奥のカウンセリングルームへと消えて行った。

 女の子はみーんな嘘つきかあ……取りあえず私は当てはまるわね。勿論、小夜さんも同様だ。奈々は微妙。早苗さんは……あの人は嘘を吐けない、というよりすぐバレるタイプだなあ。

 私はそんな不毛なことに考えを巡らせながら、待合室の長椅子に静かに腰を下ろした。すると隣に座っていた奈々が、小声で耳打ちしてきた。


「ねえ、なんかカッコイイ人だったね」


 有紀は頷くことで同意した。


 ネコ科を思わせる、涼やかな目元にスマートな物腰。確かにカッコイイ……ロリーな私には到底、真似の出来ないクールビューティーだ。

 お兄ちゃんが言うような、副流煙を撒き散らす極悪人にはどう考えても見えないけどなあ……。有紀がそんなことを考えていると、手続きを終えた弥生が、不安気な面持ちで、彼女たちの向かいに腰を下ろした。


 やっぱり心配なんだろうなあ……いつも親に迷惑ばかりを掛けている私としては、ほんの少し居心地の悪さを感じた。その後は少し重苦しい空気をまといながら、私たちは加奈ちゃんの、カウンセリングが終わるのを静かに待った。


 それから2~30分が経過した頃だろうか、加奈ちゃんはお菓子を片手に、微笑みながら琴音先生と共に待合室に戻ってきた。どうやらカウンセリングは、思いのほか楽しかったようだ。そんな我が子を見て、おばさんは少し安堵した表情を浮かべた。


「とても楽しい女子会でした」


 琴音は微笑みながら弥生に言った。そしてすぐに加奈に視線を移すと「ねえー?」と同意を求める。すると彼女は元気いっぱいに「うん」と頷いた。待合室には先程とは打って変わって、和気藹々としたムードが漂い始めた。


「藤崎さん、それでは少しお話いいですか?」


「は、はい」


 暫しの雑談の後、診断の報告のため、琴音は何気ない様子で弥生に声をかけた。すると穏やかだった彼女の顔は、一瞬にしてまた強張り始めた。


「加奈ちゃん、お母さんは琴音先生と少しお話があるから、暫くの間お姉さんたちと遊んでてくれる?」


「うん、いいよ」


 加奈の了承を得たところで、彼女たちは静かにカウンセリングルームへと向かった。変な病気じゃなきゃいいけど……。有紀は二人の背中を見つめながら、心の中でそう願った。

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