洗濯
「やぁ、調子はどうだい……って、クッサ!
あぁ、我慢の限界が来る前に切る事が出来なかったんだね。その皮の拘束から脱け出していればまた結果は違っただろうに」
心底楽しそうな声で話すフェルトさんの声が聞こえる。
でも今の俺にはそんなことどうでも良かった。
「どうでも良いとは酷いことを言うね。
でもまぁ仕方のないことかな。まさかその精神年齢で漏らす事になるとは思わなかっただろうし」
言うなぁー……。
あぁ、反論する為に口を開くのも億劫だ……。
「心が完全に折れてるね。まぁ俺は君じゃないし、漏らしたのは君の責任だから、そういう意味での他人な俺はそんなこと知った事ではないけどね。
あ、食事を食べたらそのベッドとシーツは自分で洗ってね」
「」
「体も心も無反応って、どんだけだよ。
まぁ良いや。君が漏らした事のようにどうでも良いや。
そんな事より、凄いね。俺の予想していた3分の1ほどの時間でソレを切るなんて、大人でも難しいよ」
そう、フェルトさんの言う通り、俺はなんとか皮のような物を切ることに成功はしていた。
膀胱様が決壊されたあと、俺の心はポックリと折れたが、なんとか気力を振り絞って、体に痣が出来るぐらい食い込んでいた皮のような物をなんとか切る為に頑張った。
ダムが決壊したことで、ある意味集中出来るようになったから変わらず皮のような物を切るのに勤めた。
ただ、皮のような物はどうやら魔力を吸うらしく、そして吸えば吸うほど縛る力が強くなるらしく、今度は体を縛る痛みで集中出来なくなっていた。
その事に気付いた俺は、チェーンソーのイメージを変える事にした。
俺のこの鋼色の魔力というのは、どうやら切る事に特化している属性らしく、その切れ味は俺のイメージに依存する事は、膀胱が悲鳴を挙げていた頃にはわかっていた。
俺はこの鋼色の属性を斬る事に特化した属性として、『斬属性』と名付けた。
斬属性は先程も述べた通り俺のイメージに依存するらしい。そしてそんな俺のチェーンソーに対するイメージは、切るというよりどちらかと言えば『削る』だ。
その方法で駄目だった訳だから、次に俺は処刑に使われる断首台をイメージした。
断首台は『削る』チェーンソーとは違いどちらかというと『落とす』といったイメージだ。ただ『落とす』と言っても、それは断首台の構造上の話で、俺が思い浮かべたのはその勢いだ。
刃物というのはどうしても横にスライドさせながら切る事を強いられる。しかし今回の俺のように動けない、横にスライドさせることが出来ない場合、刃物というのはどうしようもなく使えない物になる。
それに対して断首台の刃というのは、完全に上から下に落ちる勢いだけで首を落とす。つまり横にスライドさせずに斬る事に特化した刃物と言える。
俺はこの勢いだけで首を落とすという所に注目した。
現状、俺の状況は身動きが取れない、客観的に見れば断首台の例えで言うなら俺は断首台に拘束されている罪人だ。
だが俺は罪人ではないし、斬る対象はあの皮のような物だ。
そこで俺は、俺の皮膚を断首台の刃に、皮のような物を罪人として捉えた。そして断首台の刃が首を落とすイメージをしながら、ちょうど首が落ちる瞬間に腕や脚に力を入れたら、微々たる変化ではあったが拘束が緩んだ。
そこで俺は、これ幸いとソレを繰り返す事で皮のような物を完全に切る事に成功した。
ただそこで気力も体力も尽きたらしく、フェルトさんが入って来る少し前まで寝ていたし、ダムの決壊の事を思い出して意気消沈していた。というわけだ。
「さて、切れたならさっさと起きて自分の服とシーツを洗って。もう朝だよ」
フェルトさんに言われて気付く。部屋に射し込む光は、白銀色の光ではなく淡い黄色をしていた。
しかし、起き上がる気にはなれない。
「何?動きたくないの?なら別にそれでも良いけど、昨日からここが君の部屋になる。
君は自分の漏らして汚れた服やシーツに包まって寝る特殊性癖でもあるのかい?」
それを早く言って欲しい。俺も早く、この不快感から解放されたい。
俺は直ぐ様起き上がり、シーツを剥いでその下の汗拭きマットのような物も剥いだ。
というかこの世界、汗拭きマットが有るのか……。
「よし、持ったね?じゃあ服やシーツの洗い場に案内するから着いて来るように」
フェルトさんはそう言って部屋を出て行った。
俺はそれを、シーツと汗拭きマットを一生懸命抱えて追い掛けた。
やはり5歳の体。いくら精神年齢が30歳でも、出来る事と出来ない事がある。
俺はフェルトさんを見失わない程度にシーツや汗拭きマットを下ろして休憩しては追い掛けるを繰り返した。
途中、抱えた事により前が見えず何度かぶつかったが、なんとか見失うことはなく追い掛ける事が出来た。
そうして案内された先は井戸のような物が備えつけられている部屋土間だった。
「さぁ、着いたよ。そこの井戸から水を汲み上げて、そこにあるタライで洗う。簡単でしょ?」
フェルトさんは指を指しながら教えてくれた。
その指した指の先には確かに井戸とタライがある。
しかし、まぁこの世界に来てから薄々気付いていたが、洗濯機が無いのは当たり前として洗濯板も無かった。完全な手洗いだ。
俺はフェルトさんを見た。
「フェルトさん、あのタライのような質感まで磨かれた木とかないですか?もしくは綺麗な木の板」
俺の問い掛けにフェルトさんは首を傾げて不思議そうな表情をしながら俺の顔を見た。
「なんでそんな物が要るんだい?洗濯をするだけだろ」
「洗濯をするから必要なんです」
フェルトさんは怪訝な表情を浮かべながら、彼の腰のポシェットから、およそそのポシェットの大きさからは想像も出来ない、ポシェットより数倍大きな板が出てきた。
「……そのポシェットは?それに聞いたのは俺だが、その板の用途は?」
「このポシェットについてはまだ君には早い。板については……、ほら、サクッと加工出来る便利アイテムだよね、木の板って」
「これで良いかい?」と告げられて渡された木の板は本当にただの木の板で、別に何かの染みのような物は無い。
俺はそれを確認出来たから、板を何故持っていたかは取り敢えず今は聞かなかった事にした。
何事も時には聞かなかった事にするのも大切。
俺は一言、「ありがとう」と告げて、その板の表面を鋼色の魔力を纏った指でなぞった。
今回の目的の物は洗濯板だ。流石に完全な手洗いはこの体にはまだまだ酷だ。
縦向きの板の表面を、左から右へなぞる。
今回指に纏わせた斬属性の魔力のイメージは彫刻刀だ。これを等間隔で行い、下まで行けば、今度はなぞった所の縁をなぞる。今度はヤスリのイメージで。それを何度も繰り返してある程度綺麗なでこぼこが出来たところで完成だ。
完成したから、俺は完成した洗濯板モドキを使って洗濯を開始をする。
贅沢を言うなら石鹸も欲しいところだが、生憎この世界には石鹸なんて無いし、俺には石鹸を作るための知識もない。こんな事ならもう少し雑学にも手を伸ばしていれば良かった…。
フェルトさんは俺が何をするのか、俺が木の板を何に使うのか、俺の洗濯板モドキを見てからずっと黙っていたようで、後ろから納得するような声が聞こえた。
「へぇー、板はそういう目的で欲しかったんだ。
にしても簡単なのに綺麗に汚れが落ちてるね。なんでこんな簡単な物を今まで思い付かなかったんだろう?
ねぇジャック、それは君の前世の世界で使われていた物かい?」
「あぁ、100年くらい前まで使われていた洗濯用具だ。俺がこの世界に来る直前ぐらいでも未だ使っている人は使っていただろうな」
洗濯物を洗濯板でゴシゴシしながら答える。
そしてゴシゴシすればゴシゴシするほどシーツは綺麗になっていき、次第には黄色い染みは姿を消していた。
ふぅ……。5歳の体に大人でも使うようなシーツの洗濯は重労働だ……。
さて、次は……汗拭きマットか。
汗拭きマットもゴシゴシしていく。
そして汗拭きマットも洗い終わったところで、俺はいよいよラスボスに目を向けた。
「……洗わなきゃ、駄目なんだけどな…。」
汚れているのは下着、それに上と下両方の服だ。
これ等を洗わないと駄目な訳だが、これは俺の一張羅な訳だ。つまりこれを洗った後は、完全に乾くまで服を着れない訳で、それまではずっと素っ裸な訳だ。
精神年齢30歳の男が、いくら建物の中とはいえ、この歳で見ず知らずの人達が居る往来で素っ裸。5歳の体だからまだ許される部分があるのかもしれないが、されど素っ裸。メンタルへのダメージが尋常じゃない。
俺が人の居る往来で素っ裸になる事に興奮するような特殊性癖の持ち主であったならば、まだ俺自身の精神的ダメージは低かったかもしれないが、生憎俺は性癖とかそういうものに関しては完全にノーマルだ。だから普通に羞恥心も持ち合わせてる。
さて……、困った。
俺がそうやって、大決断を迫られて唸っていると、フェルトさんから声を掛けられた。
「洗濯は順調かい?」
「フェルトさん……。実は今、どうしようもない現実と理想の狭間で精神的に苦痛を味わうか、社会的にも精神的にも死ぬかの選択に迫られていて、ちょっと悩んでる」
「なんか大袈裟な事を言ってるけど、その様子だと要するに服を洗うか洗わないかって事だろ?
何を躊躇ってるんだ?」
心底不思議だという声でフェルトさんがそう言う。
はぁー、これだから持つ者は……。
「俺にはこの服しか無い。つまりこれを洗ってしまうと素っ裸になるわけだ。
純粋な5歳児ならば別に問題無いが、俺は精神年齢30歳のおっさんだ。素っ裸で興奮するような特殊性癖は持ち合わせていないから、これを洗ったあとの素っ裸をどうするか、いっそ異臭を我慢しながら新しい服を手に入れるまで我慢するか、俺はその決断に迫られている。
服の替えを持ってるあなたにはわからない悩みだろうがな」
「あー、確かにそんな悩みはわからないし、わかりたくもないね。それは悪いことを聞いた。
さて、そんな陳腐な悩みも解決する、ついでにお詫びにもなる物を持ってきた。受け取ると良いよ」
そう言ってフェルトさんは折り畳まれた布と針と糸を渡してきた。
嫌な予感がしてきた……。
「フェ、フェルトさん。これは?」
「その様子だとわかっているんだろ?
君が服を洗ったあと、素っ裸で部屋に戻るまでは護衛してあげるから、自分の物は自分で作るように。
もちろん、生活やお金に余裕が出来たら、今後は自分で用意するように。
今回は俺が特別に干しといてやるから、
夕方までには仕上げろ」
最後に、初めて会ったときな盗賊共に組み付いていたときのようなドスの利いた声に真顔でそれだけ言うと、直後に笑顔になって「じゃあちょっと準備してくるから、それまでに終わらせといてね」と付け加えて、フェルトさんはこの部屋から出て行った。
……………………こっわっ。
俺は急いで服を脱いで一張羅を洗うのだった。




