初恋 ―わたしはリア充じゃない―
この作品は、武 頼庵(藤谷 K介)様主宰の「初恋」企画参加作品です。
『わたし』は自分が嫌いだった。
生まれつき視力が悪く、小さい頃からずっと牛乳瓶の底のような分厚いレンズのメガネを掛けていた。何をするにもドン臭くて、すぐ周りの人をイライラさせてしまう。
クラスの女子達が、男子の話でキャーキャー騒いでいるのも、私にとっては別世界の出来事。もちろん、恋人どころか好きな男の子さえ出来た事がない。
そんな私の高校時代の渾名は”地味子”
それでも勉強だけは頑張り、東京の大学に現役合格した。静岡の地元を離れ、東京でアパートを借りての一人暮らし。
これを機に、『わたし』は生まれ変わった。
ファッション誌を読み漁り、メイクを覚えた。忌わしきメガネもコンタクトに変えた。髪も染めて、外見だけは綺麗になった。
リア充っぽく生まれ変わった『わたし』に集まってくる男の子はとても多い。大学に入ってからの一年間で、何度も交際を申し込まれた。
だけど、私の外見を好きだと言う彼らに好意を抱く事はなかった。だって、これは本当の『わたし』じゃないから。
一人になるたび、そんな自分が嫌になる。『わたし』は自分に自信が持てない。
見た目だけ変えても結局、『わたし』は『わたし』が嫌いなままだった。
* * *
大学二年の春、そんな私にも転機が訪れる。
定員一杯の英語の講義。
ほぼ満席でざわつく教室。
チャイムと同時に駆け込んできた男の人。
空席を探してキョロキョロしている。
初めて会った『君』は、『わたし』の隣が空いているのを見つけると、お隣失礼しますと気まずそうに言いながら席に着いた。
遠慮がちな佇まい。
自信無さそうに俯くその横顔。
常に周りを気にしておどおどしている。
席に着いてから、一度もこっちを向いてくれない。
きっと、女性と接する事に慣れていないんだろうな……。
大丈夫よ
安心して
怖がらなくていいのよ
わたしは怖くないから
これが『君』との出会いだった。
講義時間も半分が過ぎた頃、勇気を振り絞って『君』に話しかける。
「ねえ、消しゴム貸してくれない?」
「……消しゴムですか? 二つあるので良かったら、これどうぞ」
初めてこちらを向いた『君』は、一瞬驚きの表情を浮かべた。それから筆入れの中に手を伸ばし、小さな立方体を差し出してくれた。
「ほんと? ありがとね!」
私も手を伸ばすと、君の指が私の掌に触れる。
ドクン!
その瞬間、胸の奥がひと際大きく跳ねた。
~ ああ、この人なんだ ~
自然とそう思った。
こんな気持ちは初めて。
これが人を好きになるって事なのかな。
講義が終わってすぐ、迷わず『君』に声をかける。
「あのっ! さっきはありがとね。よかったら、地下食堂でお話出来ないかな?」
「大丈夫ですけど……」
目を泳がせながら『君』は返事をしてくれた。
食堂に移動してから自己紹介を済ませ、この大学に入ってからの話をする。
やっぱり一年生だったんだ。一つ年下の『君』。
時折『わたし』の方に顔を向けては、目が合うと恥ずかしそうに俯く。そんな仕草が可愛い。
背も普通。特別容姿が良い訳でもない。ファッションも洗練されているとは言い難い。
でもなんだろう? 特別な感じがする。ずっと探し続けていた生き別れに巡り合えたような感覚。
「何か飲まない? コーヒーで良いかな?」
「はい。……あの、お金払います」
『君』は、慌てて財布を取り出した。お金なんていいのに……。真面目なのね。
「お金なんていいわよ。消しゴムのお礼」
「それじゃ遠慮なく……いただきます」
私がニコッと笑うと『君』も穏やかな表情になった。
『君』と過ごす時間はとても落ち着く。
『わたし』の中の朧げな理想像に、『君』はピタリと嵌った。
『君』といるこの時間だけ、本当の『わたし』でいられる。
それから毎週のように、講義の後は『君』と二人で食堂で話す。
次第に『君』は、笑顔を見せてくれるようになった。
「先輩は、どうして僕とこんなに話してくれるんですか?」
自信なさげに聞いてくる『君』。
「なんて言うのかな……。君といると、ありのままの私でいられる感じで、すごく安心するんだ」
「安心……ですか?」
「うん。私はここにいてもいいんだ! って感じがするの」
「僕も先輩とお話していると、なんて言うか……とても落ち着きます」
大分ぎこちなさは成りを潜めて来たように感じる。
こんな風に少しずつ、『君』との距離を縮めていけたらいいなと思っていた。
* * *
五回目の時、食堂にサークル仲間達が現れ、『君』について詮索された。
「ねぇねぇ、あんた達付き合ってるの?」
「私見たんだ~。先週もここに二人でいたよね」
「彼氏か? 俺を差し置いて彼氏なのか~?」
「え、そんな訳ないじゃん」
もちろん悪気なんて無かったのだけど、そう答えてしまった。
その瞬間、『君』は、ガタン! という音と共に席を立ち、鞄を掴むと走り去ってしまった。
一瞬呆気にとられてしまった私達。
「ねぇ、あれ、大丈夫なの?」
「なんか世界の終わりみたいな顔してたぞ」
「ヤバいんじゃねーの?」
「大丈夫だよ。来週の講義の時にちゃんと話すから……」
きっと大丈夫、話せばわかってくれると『わたし』は高を括っていた。
でも、翌週の講義に『君』は現れなかった。
病気やけがで欠席してるって可能性もあるけど、考えれば考えるほど、あの時の不用意な一言が原因なんだろうって思えてしまう。
もう『君』に逢えないのかな。
嫌われちゃったのかな……。
『わたし』の隣は次の週も、その次の週も空席のままだった。
焦燥感が『わたし』の心を蝕み続ける。
ここのところずっと元気の出ない『わたし』。
あれはきっと『わたし』が悪いんだ。
* * *
『君』と逢えなくなって一ヶ月。
あれからずっと『わたし』は『君』を探してる。
同じキャンパスにいるはずなのに『君』は見つからない。
何日も何日もキャンパスの人通りが多い所に立って『君』を探す。
今日見付けられなければ……と諦めかけたところで、遂に『君』を見つけた。
でも、愕然とした。
『君』の隣には、いかにもリア充といった感じの綺麗な女性がいて、親しそうに話していた。
視線に気付いたのか、その女性がこっちに目を向けて……一瞬目が合った。
その人は一瞬怪訝そうな表情をしたように見えた。
「!!」
辛くて……胸が苦しくて、私はその場から走り去った。
初めて見つけた恋だったのに、こんな形で失ってしまうなんて……。
あんな綺麗な人に敵う訳がない。
失言一つで、やっと巡り合えた人ともう逢えなくなってしまった。
ショックのあまり、アパートに閉じこもった私。
悲しいけど、涙は出なかった……。
部屋に閉じ籠り、あの時の事を考える。
――食堂でサークル仲間に会わなければ
――私があんな事言わなければ
――走り去る君を追い掛けていたら
こんな事には、なっていなかったかもしれない。
同じ事を繰り返し考えては、私の気持ちは沈んでいくばかりだった。
数日後の夜、高校の同級生の『あいつ』から電話があった。
『あいつ』はいつもキラキラ華やかで、クラスの中心にいた。
『あいつ』のまわりにはいつも男の子がいて、常にちやほやされていた。
『わたし』なんかと違って『あいつ』は本物のリア充。クラスカーストなんて言葉に当て嵌めれば、『あいつ』は頂点に君臨し、『わたし』は最底辺だった。
そんな彼女の事を『わたし』はあまり好きではない。
「もしもし……」
「ひさしぶり~。ちょっと話があるんだけど~」
「何?」
「ハハッ、そんなに警戒しないで欲しいな~。
この前あんたを見掛けたんだけどさ~、ずいぶん垢抜けたわね~。最初あんただって気付かなかったわよ~」
「……何の用?」
「だから~、そんなに警戒しないでって~。悪い話じゃないからさ、聞いてよ~。
えと、本題に入るけど……あんた、この名前に心当たりあるよね?」
『あいつ』が告げたのは『君』の名だった。
話を聞いて驚いた事に、『あいつ』は浪人して、今は同じ大学の一年生。よくよく聞いてみれば、あの時『君』の隣に立っていたのは『あいつ』だったと知らされた。
『わたし』は全然気付かなかったけれど、『あいつ』はあの時なんとなく気付いていたらしい。
『あいつ』から聞いた。
あまりにも落ち込んでいる『君』を、見ていられなくて声を掛けた事。
落ち込みが激しく、警戒する『君』から話を訊くのに随分と苦労した事。
『君』が半ば自暴自棄になっていて、英語の講義に出席していない事。
やっぱり、あの一言が『君』を傷付けていた事。
聞き覚えのある名前だったから、もしやと思って電話を掛けてきた事。
なんて事をしてしまったのだろう。
少しずつ親しくなって、いつかは『君』から告白されたいと思っていた。
その返事の言葉まで勝手に決めて、未来を思い浮かべ、舞い上がっていた。
でも現実は、そんな妄想とは遠くかけ離れている。
「それでね~。今度の土曜日、時間取れるかな~。実はーー」
『あいつ』には何か考えがあるらしい。
もう一度『君』に逢えるなら、誤解を解く事が出来るのなら、何だってする。
それくらいの覚悟で『あいつ』の話を聞いた。
* * *
まだ時間には早いけど、待ち合わせ場所に着いた。
駅の西口にある、誰が作ったのかもわからないモニュメントの前。
待ち合わせ場所から少し離れて、こっそり『君』が現れるのを待つ。
『あいつ』が言っていた約束の時間まであと30分。
10分ほど経った頃、駅から出て来る人波の中に『君』を見つけた。
『君』は腕時計で時間を確認すると、俯き気味に歩いてモニュメントの前に立った。
『君』は、『あいつ』と待ち合わせているつもりだ。
一歩、また一歩『君』に近付いていく。
『君』は俯いていて『わたし』に気付かない。
横から近付いて、スッと隣に立つ。
やっと『君』は気が付いて顔を上げた。
その顔が驚愕で埋め尽くされる前に『君』の腕を掴んだ。
「せ、先輩……」
「ひさしぶりね。ここに『あいつ』は来ないわ。代わりに私が来る事になったの」
「なんでですか?」
戸惑いを隠せず、『わたし』の手を振り払おうとする『君』。
「お願い! 怒らないで、逃げないで! 大切なお話があるの……」
掴んだ『君』の手を絶対に離さない!
「あの時はごめんなさい。私ね、あなたの事が――」
「あの時、先輩は『そんな訳ないじゃん』って言ったじゃないですか! 人をからかうのもいい加減にして下さい。
先輩にはわかったでしょう?
僕は女性と付き合った事もないし、見ての通りリア充じゃないんですよ。そんな僕が先輩の隣にいたら先輩の評判まで落ちてしまいます。僕は先輩の傍にいない方が良いんだ」
今まで見た事のない強い視線で『君』は捲し立てる。
「違うの! 私はリア充なんかじゃない! 本当は君ともっと親しくなりたいの。あの時だって、君の彼女になりたくて仕方なかった。
だけど、私は自分に自信が持てなくて……あなたから告白させようとズルい事ばかり考えて……」
「え? 先輩、それって……」
「私はあなたの事が好き! こう言えばわかる?」
「……はい」
「私ね……高校時代は『地味子』って呼ばれていたの。そんな自分を変えたくて、大学入学を機に今の感じにしたんだけど、やっぱり私には荷が重かったみたい……。
だからね、私はリア充なんかじゃないの。
本当は……地味で根暗でつまらない女なのよ」
「そんな事ないです。
先輩はこんな僕にも優しくしてくれて、一緒にいると凄く落ち着いて……僕はそんな先輩が好――うわっ! ……先輩?」
『君』が言い切る前に『わたし』は『君』に抱きついた。
『君』の背中に手をまわし、力の限り抱きしめる。
「もう離さない。この一カ月、逢えなくて凄く寂しかった。もう離れたくないの」
『君』は何も言わずに、優しく抱きしめ返してくれた。
「先輩、今から大事な事を言いますんで、しっかり聞いてください」
そう言うと、『君』は『わたし』の両肩を掴んで少しだけ私を引き離した。
『君』の顔が見える。
少し見上げた私の目に入ってきたのは、優しそうな眼差しで私を見つめる君の顔だった。
でも、いつもの君じゃない。
その目には強い意志を感じる。
「先輩、僕の彼女になって下さい!」
待ち望んでいた言葉。
出会ってからずっと言って欲しかった言葉を『君』が言ってくれた……。
「ーーはい。喜んで」
自然と涙が零れる。
『わたし』の返事を聞き届けると、『君』はまた抱きしめてくれた。
『初恋は実らない』とよく言うけれど、私の初恋は実った。
やっぱり『君』の隣はとても安心する。
この人を好きになってよかった。
『あいつ』に感謝しないと……。
後で電話で報告しないとね。
「あの……先輩?」
「もう彼女なんだから”先輩呼び”はやめて欲しいな」
「はい。……じゃあーー」
【fin】
お目通しいただきありがとうございました。