そもそもの話。
「彼女を殺したのは九十九折さん、貴方ですね。」
先生の言葉に、私は息を飲んだ。
「……随分と、おかしなことをおっしゃるのですわね、先生。マリアを殺したのは神原くんだとおっしゃったのは、先生ではありませんか。まさか先生ともあろうお方が、ご自身の推理を訂正なさるのですか? 」
私は自身の動揺を悟られないように、必死に口元に薄ら笑いを浮かべた。
嘘を隠すための、子供の様に浅はかで思慮に欠けた、何の美しさも含まれていない軽薄な笑み。
それは私ができる精一杯の抵抗であったのだが、そんな幼稚な抵抗など、先生の目にはひどく滑稽なものにうつったであろう。
しかしそう考えると、何故だか気分が楽になるような気がした。
どうせ、見破られているのだ。私の幼稚な抵抗は。
始めは作っていた口元が自然と弧を描いたような気がした。
「まぁ、もし、もしもの話ですけど……もしも私がマリアの死に関わっていたとして、いったいどうやって彼女を殺したと言うのですか? そもそも、私がマリアを殺す動機は何ですか? 私とマリアが唯一無二の親友であったことは、直接事件の調査をなされた先生が一番よくご存じのはずでしょう? 」
私の問いに、先生は何も答えない。そんな先生を畳みかけるように、私はこう続けた。
「私にはマリアの死に関わったという具体的な事実も、動機も、証拠も何もありません。それでも先生は私をお疑いになられるのですか? 」
無垢な少女を演じるように、媚びるように私は先生を見つめた。
そんな私の視線から逃れるように、先生は珈琲を一口、口に含んだ。
つられるように私も手元の紅茶を一口飲んだ。生ぬるい液体が、やさしい甘さとともに口内に広がる。
何時もは美味しく感じるはずのその甘さが、今日は何だか、とても不快に感じた。
ふと耳をすますと、雫が葉を打つ音が聞こえてきた。
紙を指で軽く弾いたようなその音は段々と強みを増していき、ついにはバケツの水を全部ひっくり返したような激しいものになった。
何時の間にか、雨が降ってきたようだった。
そういえば昔、マリアが雨音を‘自然からの警告’だと言っていたことを思い出した。まぁ結局、マリアが雨音のことをどういう意図でそう例えたのかはわからなかったが、今の私にはこの‘警告’がこの先の運命を示しているように感じられた。
この先にまっている先生の謎解きを。
不穏な思考をかき消す様に、私は紅茶をもう一口飲んだ。そこでようやく、先生は口を開いた。
「九十九折さん、確かに貴方の言う通り、月下さんと貴方は親友だったようですね。事件の調査の際、月下さんのご家族も学校のご学友たちも、皆さん口を揃えて教えてくださいましたよ。『二人はとても仲がよかった。』『親友だった。』とね。」
先生の言葉に、私は困ったように眉を下げた。
「まぁ。でしたら、何故先生は私をお疑いになられるのですか? 私とマリアは親友であったのに、殺すだなんてそんなおぞましいこと、」
「ありえませんか?」
「ありえませんわ。」
先生の言葉を遮るように、私はそう答えた。
はっきりとした私の否定の言葉に、先生はわざとらしく、心底驚いたように目を見開きながら質問を続けた。
「おや? 何故です? 」
「……だって私とマリアは、親友、ですし」
「仲が良ければ相手を憎んだり殺意を抱いたりすることがない、とでも? それはおかしいですねぇ小鳥遊さん。我々は人間です。人間には感情があります。いくら親友といえども、今まで一度も相手に悪意を感じなかったなんてそんなこと、ありえるはずがありません。」
今度は先生が私の言葉を、寸分の狂いもないくらいにはっきりと否定した。
思わず顔を上げ、先生を睨むように見つめる。
真っ直ぐとこちらを見つめる黒色の瞳は、同情と嫌悪、それに困惑が混じりあった複雑な色をしていた。
嫌な瞳だと思った。
瞳に混じった、ほんの少しの赤から目を背けるように、私は口を開いた。
「そう、ですね。確かに……今まで一度も、あの子のことを、マリアのことを嫌だと思ったことがなかったわけではありません。それなりに大きな喧嘩をしたこともあります。でも、だからと言って、殺すだなんてそんな恐ろしいこと、出来るはずがないでしょう?」
息が震え、言葉がかすれる。
震える指先を隠す様に、私は両手を太腿の上で重ね合わせた。
合わさった両手に視線を落とし、小さく息を吐く。
吐き出した吐息は耳に聞こえないほど小さなものだったが、何故か私にはそれが周りの空気と混じりあい、私と先生の間に小さな膜のベールを作ったように感じた。
吐息と空気で出来ただけの、目にも見えないその薄いベールは、その正体とは裏腹に私に大きな安堵感をもたらした。
そこでようやく、私は本当の意味で呼吸ができたように感じた。
私はいったい、何に震えているのだろうか。
答えの無い問いが、私の心を埋め尽くした。
「……あくまでも、否定なさる、と? 」
低い声で、先生が尋ねる。
「えぇ、もちろんです。」
先生の問いかけに、私はゆっくりと首を縦に振った。そして下げていた視線をあげ、今度は自分から先生の瞳を見つめ返した。
気まずい沈黙が、私たちの周りに流れていた。
いつの間にかカフェのBGMも客の喧騒の声も、雨の音も聞こえてこなくなっていた。音という音が消え、静寂が私と先生を包み込む。
不意にその空気が揺れ、先生がゆっくりと口を開いた。
「貴方の、貴方の犯行は完ぺきでした。証拠はもちろんのこと、動機も疑惑も感情も、貴方は何もかもを完全に隠しきった。優秀さだけ見れば、貴方の犯行は私が今まで出会った中でも一番です。いやぁ、あっぱれあっぱれ。」
ぱちぱちと、先生が両手を叩き合わせた。明るい声色とは裏腹に、その表情は険しい。私はそれを、不愉快だと思った。
「……まるで、私が殺したような口ぶりですね。」
「ような、ではなく、貴方がすべてを仕組んだ、の間違いでしょう? 」
今度は表情だけではなく、声色も厳しかった。何かに怒っているようなその表情に、私は何とも言えない気分になった。
「では、教えてください。先生が思っていること、私がどうやってマリアを殺したと思っているのかを。謎解きは、探偵の仕事、でしょう? 」
私は挑発するように、先生が前に言った口調を真似していった。
そこでようやく、先生の口元が弧を描いた。
「それではこれより、謎解きを始めさせて頂きます。」
先生はとても楽しそうに笑った。
私を、かわいそうなものに触れる様な目で見ながら。