〉〉屋上〉〉懇親会(バトルロワイアル)
回想が現在に追いつき、終わってしまった。
果し合いの日は終業式の日。時間は放課後。明日から夏休みだというのに運動部の元気な声が屋上まで響いてくる。暑くて大変だろうが、平和でいいよな。ここに比べて。
灯歌の開会宣言の後、おもむろにうさ男が挙手をした。
「はい、うさ男君。何かありましたか? 解説の春葵君は翻訳をお願いしますね」
「俺、解説なの?」何も聞いてないんだけど。
「参戦希望?」
「いえ、解説でいいです。解説がいいです」
仕方なくうさ男のジェスチャーを読み取る。うさ男は全身を使ってアピールしてくれるので翻訳はさほど難しくない。というか俺以外に通じないのが不思議なくらいだ。
ささっと屋上の床や俺たちを指さし首を傾げる。とても的を得た質問だったので苦笑せざるを得ない。
「これ、何の集まり? だってさ」
「うさ男君のファンの集いだよー。懇親会的なー?」
「懇親会と書いてバトルロワイアルと読むのか……」
「春葵君は自分の意見なのか、うさ男君の台詞なのか分かりやすく言ってくださいねー」
「うっす。俺の独り言だ」
「えっと私から説明してもいいんだけど、蘭ちゃんが説明したそうな顔しているからどーぞー」
灯歌から話を振られた蘭は力強く頷き、うさ男を睨む。鞘に収まった刀に手をかけ、いつ抜刀してもおかしくない凄みを感じる。うさ男の表情は分からないが俺だったらとりあえず命乞いしたくなるな。
「先日の文化祭において多大なる貢献を感謝し、貴殿を交えた懇親会を企画した。ここがその会場である。だがしかし、文化祭期間の終わった今、貴殿の服装は校則に違反する。今すぐに制服を着用し、うさぎ面をはずしてもらおうか!」
柔道部のノリに参加していない蘭までも殺気だっていた理由がよく分かった。蘭と仲良くなったら多少の校則違反を許してもらえるんじゃないかっていう甘い考えは捨てたほうがよさそうだ。こっそりピアスの一つでも空けようかと思っていたが全身を刀で貫かれかねない。
「私たちは純粋にうさ男君の正体が知りたいだけだよー!」
円歌がはしゃぐように飛び跳ね、風雅も頷いている。話し合いをする格好をしていないあたり、純粋さなんて見当たらない。
そもそもうさ男がすごいっていうのはドラムの腕前の事であって、ガチの格闘技経験者が集団で襲っていい相手ではないだろう。ここは素直に着ぐるみを脱いでもらって平和な懇親会をしたいところだ。
俺がうさ男に声を掛けるより早く、うさ男がジェスチャーを再開した。
シュッシュッと空を切る拳。誰の目にも明らかなファイティングポーズである。それから俺に向かって水平にした右手を上下し、誰かの背を測るかのような動作をした。
……おいおい、マジかよ。
「戦う意思はあるようですがその後の構えはなんでしょうか? 春葵君、解読を急いでください」
灯歌に急かされ、仕方なく伝えることにする。本当に仕方なくだからな! マジで!
「えぇっと……小さなお友達と大きなお友達の夢を壊すことはできない。我が信念を貫く為、戦いも辞さないって――」
「――誰がチビだ! お前がデカすぎるだけだろ!」
俺はちゃんとボカして言ったのに蘭が鋭く反応を示す。小さなお友達は蘭と双子、大きなお友達は俺と風雅のことらしい。
ちなみに蘭と双子はほぼ同じくらいの背丈で、女子の中でも小柄な方だ。しかも双子はぴょんっと跳ねたアホ毛がある分、蘭より背が高く見える。やはり蘭も気にしていたのだろう。触れちゃいけないところだったようだ。
まあまあと円歌が蘭を宥め、灯歌が手際よく話を進める。
「では全員の参加意思を確認したところでルール説明です。まず武器の持ち込みは可。服装はまあ今のままでいいよね。もし一般生徒や先生が来た場合は迷惑のないようにお願いします。参加者の多少の怪我は自己責任でお願いします。まあその辺の匙加減はみんな心得ていると思うからよろしく。時間は下校時刻の17時まで。それ以降は普通に懇親会やるからねー。うさ男君の頭が取れたら終了です。以上!」
「17時までと言わず、数分で終わらせよう。貴殿とは語りたいことが山ほどある」
蘭が一歩前進した。瞬きを一つせずうさ男を見つめ間合いを計っている。気だるく纏わりついていた風がピタリと止む。それを合図に蘭が駆けだし、目にも止まらぬ速さで抜刀した。
うさ男は後方へステップを踏み回避する。間合いのぎりぎり外。見ているこっちがひやりとするくらいの僅差だ。
「さあー始まりました! 実況は私、灯歌がお送りします。第一ラウンドは蘭VSうさ男! 蘭ちゃんの一閃を軽快なステップでうさ男君が回避しました! 一撃必殺の居合を交わされた蘭ちゃんは動揺を見せることなく切りかかっていくー! それすらもうさ男君は華麗にかわすかわすかわすー! まさに『剣蘭華麗』だー! 解説の春葵君、どう思いますか!」
「蘭って利き手どっちなんだ?」
「いい質問ですね! 説明しようっ!」
俺がわざと的外れの返事をしてみるが、灯歌の実況の勢いは止まらない。適当に相槌だけ打っていれば勝手にやってくれそうだ。
「蘭ちゃんは左利き寄りの両利きです! 筆記用具と刀は左、箸と握力は右、そしてベースは両方OKともう実況とか描写が手間で仕方ない! 誰かが矯正してあげたいくらいの複雑さを持ってまーす!」
「今ちょっと別の誰かの本音出なかったか?」
「それはさておき!」
「流すなよ」
「蘭ちゃんにやや不利な状態が続いております。先程から空振りばかり、当たればそれだけで勝敗が決まりそうなものですから互いに必死だー!」
風を切る音に耳を傾けながら、屋上を駆け巡る二人を見つめる。
時折刀が光に反射するのが眩しいくらいで、俺には何が起きているのかよく分からなかった。
「早すぎて見えないんだけど」
「もっと動体視力を鍛えてくださいね春葵君。そんなんじゃ解説者失格ですよ」
そもそもここが解説席とは知らなかったんだが、あのレベルに混ざれと言われても死ぬしかないので黙っている。
それにしてもうさ男の身体能力には驚きだ。動きを制限する着ぐるみを着用しているというのに意に介さない。ぎりぎりのところで避けていると思っていたのだが、おそらくはわざとだ。必要最小限の動きでかわしているせいでそう見えるだけ。そして、うさ男からの攻撃はまだない。素振りすら見せず弧を描くように移動をしている。
「くっ……」
蘭の息が上がってきた。空振りばかりでは体力の消耗も激しいだろう。それでも戦い慣れている。大きく踏み込み、うさ男の胴に狙いを定め横へ薙ぎ払う。洗練された所作は蘭が冷静である証拠だ。決して乱雑に刀を振るわない筋の通った攻撃である。
うさ男は両足を浮かし、身体をつの字に曲げ回避した。ピンッと伸ばした指先で、蘭の頭を軽く撫でながら大きく距離を取る。余裕有り余るといった具合だ。
蘭が遊ばれている。誰の目にも明らかな事実であった。
うさ男はやれやれといった具合に肩をすくめる。欧米人ばりの呆れ方だが嫌味は無いようだ。それから俺の方を向き、通訳をするように頼んできたので正確に翻訳をする。
「君の剣術は素晴らしい。もっと間合いを詰めるといい」
蘭は額に浮かんだ汗を拭おうとせずに刀を構えなおした。しばらく肩を上下させ、呼吸を整えてから歯を食いしばる。悔し気な表情がありありと浮かんでいた。
そして俺はあることに気付く。二人がそれぞれ立っている場所は戦いが始まった場所と同じであった。うさ男は軽やかに避けつつ元の場所に戻ってきたのだ。その余裕に底はないのだろうか。
なおも刀を構え続ける蘭に影がさす。きっと蘭から見ればその背中はさぞ大きく見えただろう。
「アドバイスまで丁寧だな。すげぇよ、うさ男」
風雅が蘭の前に立ち、にこやかに笑った。蘭が恨めし気に口を開くが駆け寄ってきた円歌が何かを囁くと大人しく刀を収める。おそらくは蘭にいいところ見せちゃおうぜ作戦の為に円歌が暗躍したのだろう。蘭は屋上に来てから一度も風雅と目を合わせていないので、やはりまだ風雅との蟠りが残っているようだ。
「君も強そうだ」うさ男の代わりに俺が言う。
「おう! 楽しくやろうぜ!」
うさ男は少し長めのジェスチャーを始めた。剣道の構えに柔道の投げ技のような動き、それからドラムを叩くような仕草に反復横跳び。
俺が通訳できるからいいとして、何も知らない人が見たら怯えるか爆笑するかのどちらかだろう。表現力という言葉を文字通り体現している。
風雅がちらりと俺を見た。何をしてるのかは分かっても言語としては不十分なのかもしれない。理解できてしまう俺の特殊能力ヤバいぜ。
「先に言っておくけれど、剣道や柔道は型がある故にパターン化されている。それはリズムがあるということ。避けるのは容易い」はい翻訳。
「リズムか。確かにうさ男のドラムはすげぇもんな」
うさ男の言葉に風雅は動じない。勝機を見出せているのだろうか。柔道着の帯を締め直すと、ゆっくりとうさ男の元へ歩き出す。
流れるような動きだった。力むことなく歩みが速度を上げ、気付けば二人の距離は詰められている。
「じゃあ、俺のリズムを掴んでみろよ」
風雅は右腕を引き、正拳突きを繰り出した。
うさ男は風雅の右手首を叩き、軌道を逸らして回避する。
「はい第二ラウンドは風雅VSうさ男! 男の意地を賭けた戦いが始まりましたー!」
「灯歌」
「何でしょうか、解説の春葵君!」
「柔道って正拳突きがあったっけ」
「あるわけないじゃないですか」
俺は目を擦ってから戦いに注目する。風雅は右ストレートと回し蹴り、足払いを駆使していた。
……柔道って何だっけ?
「戦闘途中ですがコマーシャルでーす」
混乱する俺をよそに、ひょっこりと円歌が割って入ってきた。机のちょうど正面、架空のカメラに向かってぺこりと頭を下げる。
「柔道、剣道、ボクシング! 空手に弓道、合気道! 武術のことならなんでもござれ! 花菱道場はいつでも君を待ってるよ! 花菱道場!」
再度、円歌が礼をし、とことこと蘭の隣へ帰っていく。何だったんだ今のは。それにしても花菱道場とは随分懐かしい名前が出たものだとしみじみ思う。小学生の時、俺と風雅が揃って通っていた道場の名前だ。女子供であろうと容赦ない練習内容に俺は音を上げ、小学校卒業と同時に辞めていた。俺の根性の無さがよく分かるいい例だ。
「宣伝ありがとうございましたー! 我々柔道部は校外活動の場として花菱道場を利用しております。風雅は小学生の時から花菱道場柔道部屋に所属し、部活時間外ではありとあらゆる格闘技を叩きこまれた、いわゆる無差別格闘技プレイヤーなのでーす!」
なるほど。俺とは違い、風雅はあの道場に10年以上も通い続けているのだ。格闘技大好き師匠、もといあの戦闘狂ジジイの顔がふっと思い浮かぶ。感傷なんてものはなく無性に腹立たしい気持ちが湧いてくる。せめて一発殴れるようになってから辞めるべきだったか。あの頃の俺は百年かかっても勝てないと思って努力を諦めたのだが、風雅は技を磨きながら戦い続けている。そりゃあ強いわな。
「風雅の怒涛の攻撃にうさ男は防御態勢を余儀なくされています! 剣道のすり足をベースに空手とボクシングを融合した拳を変幻自在に放っていく! 不規則に変わるリズムにうさ男は翻弄され、手も足も出せないのかー!?」
風雅の表情は真剣そのものであったが、どこか嬉しそうでもあった。公式試合では味わえない解放感からくるものだろう。それに全力を受け止めてくれる相手を見つけ、歓喜しているせいもあるはずだ。
うさ男は頭や腹への攻撃をもこもことした掌で受け止めガードを続ける。瞬きするのも惜しい。二人の息の合った動きに魅せられる。そう、本当に息のあった動きに俺は違和感を覚えた。二人の動作は整いすぎている。風雅が顔を狙えば顔をガードし、足技が繰り出されたかと思えばうさ男の掌は風雅の膝を抑えるといった具合に。ヒーローショーを見ているような予定調和の動き。しかし風雅の動きは確かに不規則なのだ。拳、回し蹴り、一歩踏み込んでからの手刀……事前の打ち合わせをしているのではないかと疑いたくなるほどにうさ男は完璧に対処した。うさ男の表情は分からない。けれど俺と演奏をしたあの時と同じ顔をしている気がした。
俺の稚拙なギターに引きずられることなく己のリズムを維持し、なおかつ的確にサポートしてくれたあの時と――。
予測のつかない演奏は突然の終わりを告げるように不協和音を響かせる。風雅の拳をうさ男が大きく弾いた音だ。風雅が埋めるはずだった空間にうさ男の拳がねじ込まれる。うさ男からの初めての反撃であった。
「風雅!」
とっさに俺が叫ぶと、風雅はいつも通り笑った。
突き出されたうさ男の拳を受け止め、そのまま腕を掴み肩に乗せる。その一瞬はとても長く、スローモーションの映像を見ているようだった。
風雅が両足に力を籠め、身体を捻る。投げ出されたうさ男が宙に舞う。
「風雅の一本背負いが決まったー!」
灯歌の絶叫にも近い歓声が大きく響いた。投げられたうさ男はきっちりと受け身を取ったのか、風雅の腕を抜けすぐに立ち上がる。
「…………」
風雅は動かなかった。額に浮かんだ熱い汗の雫が顎を伝い、ぽつりと落ちる。喜びの色は無い。放心しそうになる心を必死に掴もうと、両手が震えているのが見えた。
「風雅? どうしたのー?」
灯歌が不思議そうな顔で歩み寄ろうとしたので、思わず引き留める。俺の気持ちが届いたのか、灯歌は首を傾げながらも立ち止まった。
吹き抜ける風が静寂を告げる。ややあって沈黙を破ったのは風雅だった。
「俺の負けだ」
呻くように、呟くように、それでいてはっきりと負けを宣言する。ふらふらとこちらへ歩いてくる風雅に先程までの笑みは無い。
俺は席を立ち、出迎える。風雅の気持ちが痛いほどに伝わってきた。
「あれは……化け物だな」
「どうして? すごく綺麗に投げてたじゃん」
灯歌の励ましに首を横に振る。それから先程の感触を確かめるように手を握った。ギュッと林檎を容易く潰せそうな音だ。悔しさを握り潰すようでもあった。
ぽつり、ぽつりと言葉が零れていく。
「投げた時、軽すぎた。なんていうか、……スタントマンだっけか。ドラマの戦闘シーンとかでやられたフリをする奴。うさ男は俺が投げる動作に合わせて跳んでくれた気がするんだ」
「でも……だって、風雅だよ? うちのエースを相手に、そんな!」
灯歌の言葉を遮るように、うさ男が手を振って俺の気を引いた。ギターを弾く素振りに親指を突き立てるジェスチャー。予想通りの答えに頷く。
俺に向けられたメッセージは俺の中で受け止めることにして、風雅にありのままを伝えた。
「ショーに演出は付き物。決して君を馬鹿にするつもりはない。ってさ」
俺の演奏を引き合いに出すのも違うかもしれないが、うさ男にとっては同じことなのだろう。卓越した能力を持つ故にうさ男はレベルを合わせられるのだ。俺の演奏も、風雅の動きもすべて予想の範囲内。分かっているから対応し、さらに山場の演出までもやり遂げられるのだ。
「あー。本気で馬鹿にされてる気はしねぇけど、いい気もしねぇなー!」
風雅が無駄に大きな声で叫ぶ。ため息の混じった深呼吸を一つし、握りしめたままの拳をうさ男に向ける。
「次は――勝つ」
ズンッと腹の奥底に響く言葉だった。俺に向けられた訳でもないのに汗が背中を伝う。
うさ男がはっきりと頷いた。瞬間、その場にあったプレッシャーはたちどころに消え失せた。風雅がいつも通り笑い、
「またよろしくな、うさ男」
と言ったからだ。
二人は固い握手を交わし、互いの健闘を讃えた。