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〉〉廊下〉〉教室〉〉プーケスエ

「手続きを済ませてきた」

「は? 何の?」


 放課後。帰り支度をしていた俺の元へ蘭がやってきた。開口一番に訳の分からないことを言わないでほしい。開口一番じゃなくても言わないでほしいけど。

 蘭は何かを警戒するように教室を見まわした後、手に持っていたプリントを一枚、机上に広げた。

 背もたれに預けていた身体を離し、プリントを手に取る。

 見出しには『残留届』と書かれてあった。なにやら堅苦しい文章が並び、下部の代表者名の所には何故か俺の名前がある。


「なんだこれ」俺の率直な感想だ。

「残留届だ。知らないのか?」

「あ、はい。……すんません」


 やべぇ。怒られるか? とっさに身構え、蘭が刀を持っていないことに感謝した。俺の命は辛うじて保証されている。視線だけで殺される懸念は拭いきれないが。

 一拍おいて投げかけられた蘭の言葉は拍子抜けするほど穏やかなものだった。


「謝るところではないだろう。下校時刻をキチンと守る帰宅部なら知らないのも無理ない。これを機に知ればいいだけだ。この学校は17時が下校時刻。完全下校時刻が18時と定められている。下校時刻までに用事の無い生徒は速やかに下校しなければならない。そして部活動や委員会活動を除いた活動を完全下校時刻まで行いたい場合はこの残留届を提出する義務がある。それがこの用紙だ」


 やっぱり蘭の思い込みは度が過ぎている。俺への信頼というか肯定感が半端ない。こんな紙を提出せずに遅くまで友達とふざけあったこともめっちゃあるし。風紀の腕章をつけた奴が巡回しているのは知っていたので適当にトイレでやり過ごしていた。俺が蘭と遭遇しなかったのもそのせいかもしれない。


「で、代表者が何で俺なの?」

「違うのか?」


 真顔で聞き返されると否定しづらい。うーん、まあ俺なのか?

 きっちり印字された俺の名前を見ているとそんな気がしてくるから不思議だ。感慨に(ふけ)ながらプリントを眺め、ふと湧いたどうでもいい疑問を口にする。


「俺の名前のとこってさ、手書きじゃなくていいの?」


 こういう書類は大抵手書きで名前を書くものだ。確かに手書きは面倒だが何でか大人は納得しない。高校の志望動機も手書きを強制されたし、俺に至っては字が汚いとか怒られた。読みやすさを優先するならパソコンで書いてもいいじゃんって思う。心があるかどうかというより読めない方が深刻じゃん?

 俺の問いかけに蘭は首を傾げた。


「もちろん手書きだが何か問題が?」

「え、これ手書き? マジで?」

「勝手ながら私が代筆した」


 俺は蘭の勝手ぶりを放置し、まじまじとプリントを見つめた。どうみても印刷されたとしか思えない文字だ。

 机の中から置きっぱなしにしているノートを取り出し、適当なページを広げる。ちょうど胸ポケットに入っていたボールペンを蘭に手渡す。


「ワンモアプリーズ」


 さらりとノートの左端に俺の名前が印刷された。書かれたっていうよりも、印刷されたという表現が相応しいのだ。

 俺は言葉を悩んだあげく、人間コピー機とだけ呟いた。


「選択授業を書道にしている。これくらいは当然だろう」


 鼻にかけることなく言うものだから、俺は選択授業を美術にしておいてよかったと心から思う。これが標準レベルの授業とかついていける気がしないからな。

 蘭は気は済んだか? と言わんばかりに残留届の説明を再開する。


「下校時刻が近くなると委員は校内を巡回する。その時にこの用紙を見せるといい」

「りょーかい。ていうか、蘭と風雅がいれば届なんかなくても顔パスで済みそうだけどな。風雅も参加するって言ってたし」


 ハハッという俺の笑いは、バキッという音にかき消された。何事かと思い音のした方へ視線を落とす。ボールペンが蘭の手の中で絶命していた。いや、生きてた訳じゃないんだけど。

 驚きのあまり、蘭って左利きだったんだなーとか、インクで手が黒いっすよー? とかどうでもいい感想が思い浮かぶ。


「ら、蘭、さん?」


 おそるおそる蘭の顔を見上げる。一足早く現れた夕日が蘭だけを照らしたかのように紅潮していた。

 蘭が口を開閉させ、しばらくの間、言葉にならない声を発する。わかりやすい動揺だが、笑う気にはなれなかった。ボールペンの次は俺かもしれないからな。身の危険を感じている。


「な……なんで! そこで! あ、あ、あの馬鹿の名前が出てくるんだ!?」


 ようやく言葉らしい言葉を言ってくれたのだが意味が分からない。やっぱりコイツ意味わかんねぇ……。沸点どこだよ。

 だって蘭も風雅も生徒会役員じゃん? 何かと顔が利くかなって思っただけだ。もしかして校則がどうとか? これくらいの冗談が通じないとかどこまで固いんだ。


「春葵ー。待たせたなー」


 俺が困惑していると風雅がトイレから帰還してきた。ナイスタイミング……なのだろうか。


「なんでか混んでてさー。――って、おぉ! 蘭ちゃん!」

「――とにかく書類は春葵に任せた!」


 蘭が全速力で去っていく。と思いきや全速力で帰ってきた。俺の机の上にインクで汚れた五百円玉を置き、壊してすまなかったと言いながら去っていく。よくよく見ると走っているのではなく競歩のようだ。律義な奴め。

 嵐のように過ぎ去った出来事にデジャヴを感じる。昼休みと酷似していると気づくまでそう時間もかからなかった。


「風雅、お前一体蘭に何を――ってお前もどうした!?」


 俺はそう叫ばずにはいられない。

 風雅が膝を抱えて床に倒れていた。まとう空気も淀んでいる。はつらつとした普段の面影は無く、目には悲壮感が宿っていた。漫画だったらどよーんという効果音が描かれていることだろう。


「……何があったし」


 呟くような俺の問いかけに、風雅は同情と同意を誘う声で答えてくれた。


「春葵……お前にもあるだろ? 言うつもりじゃないのに、頭で考えていたことがなんでか口から零れる時って奴がさ……」

「まあ、うん。それを蘭に聞かれたってことか。何言ったんだ?」


 数秒の沈黙の後、風雅が両手で顔を覆う。わー乙女チックな仕草。柔道部の部長務めるレベルのガタイのいい男じゃなければときめくのになー。


「言えねぇ!!」

「言えよ! 乙女ぶるな!」

「無理! 無理!」


 転げまわる風雅をどうにか宥める。あの蘭が露骨に逃走するくらいの台詞ってめちゃくちゃ気になるじゃないか。これは何としてでも聞きださなければなるまい。

 肩を揺すり、床へ転がしてみるが効果が無い。防御力の高い亀みたいだ。埒が明かない。聞きだす決意は変わらないが今日の所は諦めてやろう。下校時刻について蘭に教わったばかりだしな。早く帰るに限る。まずは自分の支度だ。残留届とノートを机にしまう。


「とりあえず帰るぜ。いつまでもここで転がってられないんだしよ」


 風雅の失言が原因ならさっさと謝れとしか言えないのだが、ここで追い打ちをかけても仕方ないだろう。

 どうにか立たせ、鞄を握らせる。俺より図体デカい小学生をあやしている気分だ。


「元気だせ。話ぐらい聞くからよ」

「わりぃ……。無理……」


 廊下を歩きながら励ましてみたが、無理としか言わない。今は歩いてくれるだけマシだ。次にしゃがみこまれたら立たせるのは至難だろう。

 厄介な事になったと辟易しながら歩いていると、何やら楽し気な声が前方から聞こえてきた。

 聞き覚えのある声。灯歌と円歌の声で間違いない。一つ気にかかるといえば、その声が何故か3年3組から聞こえてくることだ。あの二人は6組の生徒。……まあ、5組の俺の所へひょっこり出現できるくらいだし、あの二人にとって教室の壁というのは大した隔たりではないのだろう。

 それにしてもいい機会だ。あの二人ならこのなよなよしい風雅を何とかできるかもしれない。面倒ならサクッと一本背負いでもしてもらおうか。


「おーい、灯歌ー、円歌ー」


 3組の扉から顔だけ覗かせて二人を探す。教室内にはすでに3組の生徒の姿は無く、灯歌と円歌だけが黒板の前ではしゃいでいた。うっかり6組と見間違えたかと思ったが、廊下にあるプレートはやはり3組である。


「お、春葵君やっほー。ちょうどいいところにー」

「力作完成したところなのー。見てって見てってー」


 じゃーんと両手を広げて見せてくれたのは黒板アート。

 俺はそれを見て、絶句した。

 まず目を引くのが女子特有の丸みを帯びた飾り文字。目に痛いほどのピンクと黄色のチョークで「ぴんくのうさぎさんえ」と書いてある。「へ」ではなく「え」を使うところが女子っぽいというか馬鹿っぽいというか、そのおかげもあってごってごてのハートマークと絶妙な調和を保っていた。

 咲き乱れる花とひらひらリボンの絵で黒板を縁取り、余白は人参と四葉のクローバーの絵で埋めつくされている。中央にはこれまたピンクが目に痛いながらも可愛らしいうさぎのイラストが何かを持っている。近寄って見てみると白い紙包みが磁石で留められていた。表題は「果たし状」。印刷されたかのようなきっちりした字だが、墨のにおいがほのかに薫る。間違いなく蘭の字であった。


 シュルレアリスムとはこのことか。

 小学生向けコミック誌にハードボイルドなイラストが挟んであるくらいの違和感だ。芸術って奥が深いどころか底なし沼だな。


「――……これは何ですか」

「うさ男君へのメッセージ」

「今日は金曜日だから土日の間、ここに貼っておけば見てもらえるかなって思ったの」

「果たし状ってのは?」

「うさ男君が興味持ってくれるように」

「ファンの女の子を装ったメッセージと、男なら受け取るのが礼儀! くらいの代物があればどちらかには反応するかなって」


 斬新すぎてどう答えたものか。こういうとき風雅なら調子のいいことを言って丸く収まるんだが、現在は役立たずだ。

 俺が返答に困っていると、灯歌と円歌は鏡合わせのように首を傾げた。


「後ろにいるのってー」

「ひょっとして風雅?」

「元気ないから誰かと思った。なんかあったの?」

「蘭から露骨に避けられてて凹んでる。マジでメンドい。なんとかしてくれないか」


 二人は顔を見合わせ、再び首を傾げる。それから同時に嘘だーと笑った。


「蘭ちゃんが風雅を避けるわけないじゃん」

「蘭ちゃんってば風雅の事大好きだし」

「マジで? 恋愛的な意味で言ってる?」

「「もちろーん。ライクじゃなくてラブでーす」」


 あっさりと告げられた衝撃の事実。ていうか俺と風雅が知っていいことなのか?

 風雅の方へ振り返ってみると、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。凹んでいるのも珍しいが、これはこれで貴重な表情なので写真に撮りたいと思った。


「だって蘭ちゃん、風雅のお願いなら何でも聞いちゃうしー」

「そうそう、私たちが狐鬼祭のバンド発表の時、蘭ちゃんにツナギでもいいから参加してってお願いしても全然きいてくれなかったんだよね」

「なのに横で聞いてた風雅が、俺ベースだけの演奏って聴いたことないなーとか蘭ちゃんの演奏超聴きたい! って言った瞬間、出るって言ってくれたんだよねー」

「へぇー」


 思い返してみれば俺にも心あたりがあった。蘭が俺とバンドをすると言った時も風雅が後押しをしてくれたからだ。それに「別にお前の為じゃない」という演奏が終わった後の捨て台詞も今ならなんとなく理解できる。自責の念と照れ隠しと風雅からのお願いという三つの要素が絡まった結果だったのだろう。


「あと風雅の柔道の試合は全部見に来てるよ」

「ビデオカメラ持参してるし、しかもその映像を絶対見せてくれないの」

「風雅を応援してる自分の声が恥ずかしいみたい」

「なにそれ、めっちゃときめくんだけど」


 蘭がいないところでこんな話を聞いてたと知られたら、あとで殺されそうだがものすごく興味深い。

 俺の中にある蘭への勝手なイメージが鮮やかに、それでいて心地よく塗り替えられていく。

 不機嫌そうな顔も、眉間に寄せた皺も、すべてにポジティブな理由が見いだせる気がする。


「あと個人的にツボなのが、蘭ちゃんが選択授業を決める時、風雅と同じ書道を選んだこと!」

「あ、それ私も言おうと思った。すっごい可愛いよね」

「どういうことだ?」

「春葵君は察しが悪いなぁー。うちの学校の選択授業は音楽、美術、書道でしょ? 蘭ちゃんなら迷わず音楽を選ぶね。なんたってプロレベルのベーシストですしー」

「なのに風雅と一緒に授業を受けられるからって書道を選んだんだよ」

「あぁ、なるほど」


 選択授業は三科目ある故に単純計算するとクラスメイトが三分の一に分かれる。そこで三クラス合同で授業を受けさせることによって一クラス分の人数をまとめて教えることができるのだ。蘭は双子と同じ6組。風雅は俺と同じ5組。基本は組ごとの授業の中、選択授業は数少ないチャンスなのだ。後はもう言わなくても分かると思う。


「私たちと一緒に音楽やろうって誘った時、何て言ったと思う?」

「書道が一番風雅の選びそうな教科だからって言うんだよ。ホント、もう妬けちゃうよねー」


 俺も恋愛やら女心というものには疎いと自覚しているが、ここまで話を聞けばもう十分だ。遠まわしではありながらも、蘭ははっきりと風雅を意識している。注意深く観察していればいくらでも見つかりそうだ。


「そういうわけだからさ、蘭ちゃんが風雅を避けるなんてありえないよ」

「風雅の気のせいじゃないのー?」


 にこやかに笑う二人とは対照的に、風雅はこの世の終わりみたいな顔をして項垂れている。

 俺はしばし腕を組んで情報の整理を始めた。分かりにくいとはいえ、蘭が風雅に好意を抱いているのは間違いないといえよう。そんな蘭が風雅そのものを避ける異常事態。心当たりがあり、それを頑なに白状しない風雅。

 推理って言うほど小難しい話ではない。楽譜上の休符って呼ばれるところは音を出さなくていい場所なんだぜって言われているようなものだ。


「つまり風雅、全ての原因はお前にあるとみた」

「うーん……。確かにアレかなって思うのはあるんだけど……。今の話が本当なら、なんで? って思うし……」


 ぐだぐだ呟く風雅。普段の男らしさはどこへいったのだろうか。

 灯歌と円歌も不思議そうに風雅の顔を覗き込む。心配するそぶりを見せながらチョークで汚れた手を使い、風雅の顔に落書きをしていくあたり流石といえよう。

 頬に三本ひげ、額に第三の目、口の周りは典型的な泥棒のように縁取られ、眉毛は普段の倍以上の太さになった。笑ってはいけないと分かってるのに肩が震えて止まらない。

 一通り悪戯した後も風雅が元気にならなかったので、双子が次の手段に出る。


「何があったかは後程、根掘り葉掘り聞くけどさー」

「今は現状を打開しましょーよー」

「無理……。蘭ちゃんがマジで見向きもしてくんねぇ……」

「そーんな風雅に逆転チャーンス!」

「こちらをご覧くださーい!」


 二人が自信満々に見せたのは、完成したばかりのシュール黒板アート。風雅はそこで初めて認識したのか目をぱちくりさせている。分かるぜ、その気持ち。数分前の俺と同じだ。

 二人は意気揚々と説明を始める。バンドのMCを務めるだけあって堂に入っている喋り方だ。


「とりあえず風雅のかっこいいとこを見せてみようぜ作戦だ!」

「今度、うさ男君を呼び出してなんやかんやしようと思っていたんだけど、そのなんやかんやが決まってなかったんだよねー」

「というわけでさ、うさ男君について色々知りたいなって思ってたの。特に顔見せてってお願いしても聞いてくれそうにないし、力尽くとなったら私達じゃ不安だもん」

「そこで男と男の信念ぶつかる大迫力の戦いを見せ、うさ男君の秘密を暴き、さらには蘭ちゃんの心を惹きつけようという作戦です」

「我が柔道部の部長たるもの、うじうじ悩んでいる暇があれば鍛錬せよ! 努力の分だけ結果はついてくる!」

「……――そうだな!! めっちゃ面白そうだ!」


 風雅の死んだ瞳に生気が宿る。代わりと言ってはなんだが、俺の瞳が陰っていた。スポ魂のノリについていけないというか、これで乗せられる風雅の不甲斐なさというか、あぁもうなんていうか、猫髭肉泥棒さんそれでいいの? って言いたくても言えない状況が辛いです。

 あと勝手に巻き込まれるうさ男がまっこと不憫である。


 まったく……。このノリとメンバーならバトルロワイアル始まってもおかしくないわな。はい。


◆◆


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