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屋上に風が吹いている。けっして冷たくはないが無いよりはマシ。夕暮れというにはまだ早く、空はどこまでも青かった。俺の為に用意された長机とパイプ椅子を日陰に移動させれば昼寝に最適かもしれない。
……この不穏な空気さえなければ。
屋上にいるのは俺だけではない。日本刀を構えた蘭。柔道着且つ裸足という戦闘モードの風雅と円歌。そして顔色一つ変えず、いや変えられないの間違いか、無言のまま腕組みをして立つうさ男。
円歌と同じ格好をした灯歌は俺の隣でにこにことしている。
なんていうか普通に制服着てる俺が場違いな気がしてならない。蘭は辛うじてセーラー服着てるけど持っている獲物がガチの日本刀なので違和感半端ないし、全身着ぐるみのうさ男に至っては論外だ。
「春葵君、気合入れていきますよ!」
灯歌がうずうずと身体を震わせながら俺に期待と興奮の入り混じった感情をぶつけてくる。灯歌用のパイプ椅子が軋んでおり、だんだんと灯歌がおとなしく座っていられない子供に見えてくる。
正直言って俺にはついていけない。文化祭が終わってから何日も経っているというのに祭りの活気がここにはあった。
そしてついに灯歌が立ち上がり高らかに宣言する。
「第一回! うさ男の正体を暴け、バトルロワイアル! はじまるよぉ!」
……どうしてこうなった。
記憶を遡り、事の発端を探す。ほんの数日前の事なのに遠い昔のように感じるから不思議だ。
俺は現実から目を背けるべく、回想を始めることにする。
◆◆
数日前の昼休み。文化祭の熱も落ち着きいつも通りの日々が再開された頃、剣とベースの鬼こと蘭が他クラスである俺のもとを訪ねてきた。洒落た菓子屋の紙袋を机の上に置き、俺を睨む。睨んでるつもりはないんだろうが。相変わらずの眼力だ。
「話は聞いた」開口一番に意味不明なことを言う。
「誰にだ。つか何の話だ」
「文化祭のバンド発表の件だ。その……本当にすまなかった。灯歌と円歌によればあのうさぎ男も飛び入りメンバーだったそうだな。私がゴミ拾いを手伝わせたばっかりに、ベースはおろかドラムのメンバーまで失っていたとは……本当になんと詫びれば……」
声どころか肩を震わせ始めるので俺は慌てる。ただでさえ他のクラスの奴、それも女子が一人で俺のところに来ているせいで注目浴びているというのに泣かれでもしたら、クラス中から非難されるだろう。つうかこいつまだ俺のバンドが解散した原因が自分にあると思っていたのか。ゴミ拾いで遅刻してバンド解散って無いから普通!
「き、聞いてくれ。あのバンドは文化祭が始まる前から解散してたんだ! 手続き間に合わなくてあんなになっちゃっただけで、蘭は微塵も悪くねぇの! 菓子折り持ってくるのむしろ俺の方だから!」
とっさに立ち上がり手をわたわたと振りながら弁解してみるものの、蘭は静かに首を横に振る。
「いいんだ、そんな大きな嘘をついて私を励まそうなどという気遣いは。灯歌と円歌にまで根回ししてまで隠す必要もない。私へ情けも無用。許されるとは思ってもいないし、今日の謝罪だけで終わらせるつもりはない」
「えぇ……」
蘭の脳みそは鋼か何かでできているのだろうか。固すぎだろ、おい。
いっそ勘違いさせたまま俺が許すって言った方が楽なのか? そんなことも思ったが俺が許すと言ったところで蘭の気が済むとは思えないし、それどころか元バンドメンバーのあいつらへ謝罪しに行きかねない。そんなことがあったら余計話がこじれるだろう。やっぱり誤解を解く必要がある。蘭と比較的仲の良い灯歌と円歌にも相談して、三人がかりで説明するのも手かと思ったがすでに勘違いを拗らせているようだし……。
俺が思案を巡らせていると、蘭がそれと――と話を続けた。
「うさぎ男――うさ男と言ったか。彼は今どこに? 彼にも会って話さねばならないことが多い」
「あぁアイツか。……いやーそれがさー」
俺はなるべく蘭の罪悪感を刺激しないように説明する。俺がうさ男を助けてうさ男が俺に恩返ししてくれたという、昔話並みにご都合主義な話だが蘭はあっさりと信じてくれた。そればかりか感心の頷きを何度も返してくれる。
「春葵、ゴミ拾いだけでなく迷子の助けをするとは、中々できることではない。やはり私の見込んだ通り徳の高い人間だな」
蘭の中で俺の評価はうなぎ登りどころか龍の滝登りレベルの勢いで急上昇しているようだ。大丈夫かな。誤解解いたら俺をゴミみたいな扱いするんじゃねぇの?
「それにしても……そうか、うさ男の正体は不明か」
「やっぱし気になるよな」
「うむ。あのドラムの腕は素晴らしい。動きにくい着ぐるみを着用した状態であのレベルなら、本来の腕前は計り知れん」
「あと単純に顔とか名前、声とかも」
二人で同時に首を縦に振る。考えていることも同じだろう。
もう一度、会いたいと。
蘭が素直に俺の考えを発した。
「よし、探すとしよう」
「簡単に言うが大丈夫か? 手掛かりも多くないんじゃね?」
「ヤキソバの屋台をやっていたのは3年3組だ。それに奴は背が高い。特定は難しくないだろう」
なるほど一理ありだ。たしかにうさ男は背が高く、俺の見立てでは170を優に超えている。意外と簡単に見つけられそうだ。
正直に言うと会ってお礼を言いたい気持ちは文化祭直後からあったのだが、まあ、なんというか一人じゃ心細かった。顔も名前も分からない奴を探しに行くのが、そして無表情なうさぎの顔は俺にとっては恐怖対象の一つだったからだ。
その点、蘭がいればあらゆる点において心強い。万が一、正体を知られることを恐れたうさ男が襲い掛かってきても命は助かるだろう。そんな心配は無用だと十分に分かっているが。ね、念のため……な。
「じゃあ、まだ昼休み時間あるしちょっと3組覗いてくるか」
「無駄足だと思うよー?」灯歌がため息まじりに言う。
「そうなのか? ――っていつからいた!?」
あまりにナチュラルな感じで会話へ入ってくるから驚く。
当の本人は悪びれることなく無邪気な笑顔を浮かべた。
「えへへー、なーんか甘いにおいがしたからさー」
「文月堂のショコラランですなー。さすが蘭ちゃん分かってるー!」
机の下からひょっこりと円歌が現れ、しれっと会話に入ってくる。こいつらは忍者か警察犬か?
「無駄足とはどういう意味だ?」
呆れる俺をよそに蘭はツッコミ一つせず二人に尋ねる。こいつもこいつでやっぱおかしい。
「それがさー。私たちもうさぎ男――春葵の言葉を借りるならうさ男か。そのうさ男の調査をしていたんだよねー」
なんでお前らが……と言いたくなるのを堪え、続きを促す。
その瞬間、灯歌と円歌が同時に人差し指を突きつける。何の打ち合わせもなしにぴったり揃うんだから双子ってすげぇ。
「ずばり、3-3の生徒である可能性は低い!」
「3-3の男子の身長も低い!」
「低身長はマジで男子が凹む台詞だからやめてやれ」
「なるほど。二人が調査済みならば確かに無駄足だな」
双子はさらに動きをシンクロさせたまま腕を組んで頷く。この二人は持ち前の明るさと積極性を武器にこの学校のあらゆることに通じていた。現にこの気難しいと敬遠されている蘭とすら打ち解けている。コミュニケーション能力と運動神経に長けたリア充だ。
「しかも3-3はうさ男の存在に気にかけてなかったというかー」
「着ぐるみ用意する予算があるならヤキソバの具を増やそうぜって路線だったらしいんだよー」
「だから誰かが自前で用意したんだろうって思ってて、後夜祭の時にでも労おうかって言ってたんだって」
「そもそもうさぎの着ぐるみが3-3の宣伝してるって、バンド発表で言われなければ気付かなかったって意見が8割くらいあったよ」
うさ男……不憫な奴。俺は涙を滲ませる反面、どうにも気にかかることがあった。
それは三人も同じようで口々に疑問を挙げている。
「3-3の生徒じゃないなら他に当てが無いんだよねー」
「だが3組の関係者でなければ宣伝活動をする理由もないだろう」
「実は先生……はたまたOB?」
それぞれの疑問を投げかけながら、行き止まりの方へ話が進んでいく。
俺はそこへ加わろうとして、踏みとどまっていた。引っかかるのだ。3組の生徒でもなく、そもそも生徒かどうかも怪しい。そして、俺はあの文化祭で普通じゃありえない体験をしていた。
「ちょっとここに居てくれ」
三人にそう言い、教室を見回す。目当ての人物は予想通り自分の席で読書をしていた。俺は何食わぬ顔でそこへ向かう。女子へ話かけに行くのは勇気がいるものだが、彼女は別だ。何も気負うことはない。
「琴音、ちょっと聞きたいんだけど」
「なぁに?」
琴音は本を閉じて俺を見上げた。ごく普通の女子生徒にしか見えないが、彼女には不思議な力がある。それを知ったのは文化祭の時で、影ながら俺を救ってくれた大恩人だ。彼女なら俺が今から言う荒唐無稽な話も真面目に聞いてくれるだろう。
「文化祭の時、俺とバンドしてたドラムの奴って言えば分かるか?」
「うん、うさぎの着ぐるみ着てた男子だよね。分かるよ」
「そのうさ男なんだけどさ」
俺はここで声を落とし、耳打ちをするような小さな声で尋ねた。
あまり大っぴらにしていい話じゃないからだ。
「あいつって人間なのか?」
俺の気になっていたこと。そもそも生徒かどうかじゃなくて、人間ではないのでは? という懸念であった。
琴音は少しの間考え込み、やがて正直に答えてくれた。
「たぶん、人間だよ」
「たぶんって?」
「うーん……どこから説明すればいいか難しいんだけど、まず前提として私はあの時ね、力を使った後だったし春葵の演奏に集中してたからそこまで気が回らなかったっていうのがあるんだ。でもさすがに人外がいれば気付くと思うし、危ない気配もなかったし人間で間違いないと思うよ」
琴音はあの時、俺に似た鬼を弱体化させた直後だったらしい。その辺りのことを聞けば聞くほど頭が下がる。
鬼について簡単に言うと――と言いながら本を机の中に片付け、代わりにルーズリーフと黒ペンを取り出す。
ルーズリーフの欄外に黒い点が描かれた。
「この点が黒い感情の塊。これは色んな生物の黒い感情を呼び込むの。どんどん他の黒い感情を取り込んで大きくなっていく」
黒点に渦を描くようにペンを走らせ肥大化させていく。ぐるぐる、ぐるぐる。不安が膨らんでいく様によく似ていた。
そこから少し離れたところに似たような黒点が描かれる。
「もし複数の黒い塊があればそれはお互いに引かれあって大きな一つの塊になっちゃうの」
二つの点を塗りつぶすように大きな点が出来上がっていく。かなり分かりやすい。
俺はふと浮かんだ疑問を口にする。
「じゃあ何でアイツは俺だったんだ? 一つになるならこう……赤と青を混ぜたら紫になるみたいに別の何かにならないか?」
「それは春葵の感情が一番強くて黒かったからだよ。たくさんの色があっても黒が一番強ければ黒くなっちゃうでしょ?」
「あー……うん、分かるわ」
自分で傷を抉った気がする。あの時の俺はホントもう、マジでどうかしてた。解決した今だからこそ軽く言えるのだ。
「そういうわけで、もしあのうさ男君がよくない類のものだったら、同時に出現はありえないの」
「なるほど。サンキュー、人間って分かっただけ安心したわ」
「何かあったの?」
「あいつにもう一度会おうと思って。けどほぼ手掛かりねぇの」
「そっか。会いに行けないなら来てもらえば? 春葵のピンチに来てくれるなんてヒーローみたいだし、案外あっさり来るかもね」
目から鱗が落ちたとはこのことか。琴音に礼を言い、すぐさま三人娘の元へ戻る。不思議な体験のことは省いて、琴音のアイデアを伝えると三人の目が輝いた。
「それ、いいね」
「3-3にメッセージみたいなの貼り付けてみよっか? もしくは掲示板とか?」
「放課後なら比較的都合もつくかもしれないな」
とんとんと話がまとまり、俺が口を挟む余裕が無いほどに盛り上がっていく。だんだんと蚊帳の外というか、俺いなくてもいいんじゃね? って気になってくる。そしてそろそろ教室にいる男子の視線が痛くなってきたところだ。俺、モテてる訳じゃないからな、断じて。という弁解のメッセージを込めて目配せしてみても「女子達と放課後の約束ぅ? GO TO HELL!」みたいな目で威嚇された。男子怖い。
近寄りがたい蘭はともかく、灯歌と円歌はそれなりに人気者だし恨む気持ちも分からなくはない。だが色恋ある約束じゃねぇっすよ、マジで。
俺が突き刺さる視線の数々に耐え忍んでいると、それらを豪快に吹き飛ばす風のような声が響く。
「よー! 何の集まりだ? 俺も混ざっていい?」
購買へパンを買いに行っていた風雅が戻ってきた。ナイスタイミングだ。風雅がいれば、同じ柔道部の双子と喋っていてもおかしくないし、同じ生徒会の蘭がいてもおかしくない。俺が蚊帳の外のさらに遠くへ放り出された気もするけど別に悲しくなんてないんだぜ!
「あぁ、そうだ。私は担任に頼まれた雑用がある。灯歌、円歌、日付が決まったら連絡してくれ」
蘭がそそくさとその場を立ち去った。唐突ではあったものの、まあ蘭の言動をいちいち気にしても意味がない。片手を挙げて見送る。とりあえず風雅に今の話をしようと思い見上げると、俺は目を見張った。
風雅が一瞬だけ、表情を歪ませたのだ。本当に一瞬。それこそ本人すら気付いていなかったかもしれない。
寂しげで、切なげで、傷ついたような表情。風雅がそんな顔をするのは見たことない。柔道の試合で負けた時も相手に敬意をもって讃えたし、卒業シーズンでも笑顔で別れを言えるような奴だ。一言でいえば、風雅らしくなかった。
「風雅! うさ男に興味ある!?」
「私達、今調査中でさー!」
灯歌と円歌が元気よく今の話を説明し始めると、風雅もいつも通りの調子で聞き入っている。さっきの表情は俺の見間違いかもしれない。そう思い直して、俺も会話に加わる。
昼休みが終わるころには風雅がそんな顔をしていたかもなんてことを忘れ、俺は期待に胸を膨らませていた。
もうすぐでうさ男に会えるかもしれない。うさ男に会ったら何から言おうか。菓子折りより人参の方が喜ぶのかなどとくだらないことを考えていた。