果ての廊下
「蘭ちゃん!!」
風雅が疾風のごとく蘭の元に駆け寄り抱き着いた。
「な――っ! な、何をする!? 離せ!」
顔を真っ赤にして蘭は怒鳴る。しかし風雅は決して離そうとせず、むしろ腕に力を込めて蘭を抱きしめた。大柄な風雅が女子の中でも身体の小さい蘭に抱き着いているので、蘭は振りほどこうとしても動けない。
「蘭ちゃん、俺、俺……っ!」
嗚咽を漏らしながら涙を流す風雅に、蘭は抵抗を止める。そっと目を閉じ風雅の体温を受け取った蘭は嬉しそうで、それでいて少しだけ呆れた表情を見せた。
「なんで……私より泣いているんだ」
「俺、何もできなかった。上辺だけのバカみたいな励ましや慰めばっかで、蘭ちゃんがこんなに苦しんでいたのに俺は能天気に笑って……自分の為に蘭ちゃんに告白して……すげぇダメな奴だ」
「風雅は何も悪くない。私の方がバカだった。ちゃんと風雅や周りの声に耳を傾けていればこんなことにはならなかった」
蘭がギュッと唇を噛みしめ身体を震わせる。自分に打ち勝ったばかりの蘭ですら苦しい言葉を絞り出す。
「刀を向けて、本当にすまなかった。どう詫びればいいか本当に……」
「俺は生きてるよ。大丈夫だ」
「でも私はあの時、殺意を以て風雅に刀を――!」
風雅は蘭を愛おしむように抱きしめ、頭を撫でる。いつものように明るい声で微笑みかけた。
それだけで蘭の瞳から涙が溢れ出す。
「それだけ真剣に向かい合ってほしかったんだろ? 本当に大丈夫だから。大体、好きな子の殺意くらい受け止められなくてどうすんだってカンジだ。今日から道場で白刃取りの練習を始めるぜ。蘭ちゃん、とりあえず木刀から振ってくれるか?」
「……んで……風雅は……やっぱり私よりバカだ。すごくバカだ」
「泣かないで蘭ちゃん。もう済んだことだ。蘭ちゃんは過去を乗り越えた、俺にしたことだって過去だよ。だからさ、俺と未来の方へ向こう。今の蘭ちゃんなら俺の言葉も真剣に受け止めてくれるだろう?」
蘭は涙を止めるように顔に力を込めながら頷く。風雅の指がそっと蘭の涙を拭いだ。
風雅は腕を解き、蘭の前に膝をつく。
「改めて言わせてほしい。――俺は蘭ちゃんが好きです。俺と付き合ってくれませんか」
「っ――!!」
「蘭ちゃんの笑顔が好きだ。刀を構える蘭ちゃんも、ベースを弾いてる蘭ちゃんも好きだ。どんな時も本気で、いつだって努力をしている姿が好きだ。文化祭でバンドしてる蘭ちゃんを見て、好きだって確信した。今日だって何度惚れ直したか分からない。もっと傍にいて、いろんな蘭ちゃんを見ていたい。俺を選んでください。絶対に後悔させないから」
夕陽色に満たされた廊下。永遠のような一瞬が通り過ぎ、蘭の上擦った声が世界を変える。
「……………………はい」
見ている俺が泣きそうだった。隣にいる琴音がそっとハンカチで目元を抑えている。言葉にならない熱い感情が込み上げてきて、己のボキャブラリーの無さを呪う。けれど言葉という枠に当てはめてはいけない気がして、無性にギターが弾きたくなった。
祝福の鐘の代わりに校内放送の鐘が鳴る。完全下校時刻を知らせる18時の鐘だ。
そういえば……うっかり忘れていたことを思い出す。うさ男と灯歌と円歌のことだ。あの三人の放送はどうなったのだろう。できることなら最初から最後まで聞いていたかった。録音とかしていないのだろうか。娯楽としても十分な役割を果たすが、あの放送は蘭にとって心の壁を取り払うきっかけにもなった。蘭が実力を認めているうさ男からの言葉がなければ俺の説得に耳を貸さなかっただろう。
俺としては少し悲しいが、うさ男はやっぱりすげぇという気持ちが勝る。しかもそのうさ男が俺に見込みがあると言ってくれたんだよな。
……ギター、うん、好きだ。歌うのも、好きだ。
うさ男や蘭みたいになれるのだろうか。もう一度、演奏してくれるだろうか。
夕陽がじわじわと俺を熱くさせる。いいや違う。俺の中にある情熱が再燃したのだ。文化祭が終わったからと言ってぼんやりしている暇はなかった。
手を取り合う二人の影をみていると、蘭みたいに真剣に生きて、風雅みたいに全力で恋したくなる。ふと、その影の近くに歪な形の影を見つけた。視線で辿ると西階段の方から顔だけを覗かせる三人の人物、の内の二人と目が合う。
「おあついねーお二人さん」
「青春だねーお二人さーん」
にやついた表情の灯歌と円歌。そしてほとばしるオーラで冷やかしたいと表現するうさ男。
その全員が仲良く揃ってスマホのカメラをできたてカップルに向けていた。なんて奴らだ。
「なっ!? 離れろバカ風雅!」
「ぐふっ!」
熱い照れ隠しという名の膝蹴りを顎に受け悶える風雅をよそに、蘭がパパラッチ三人組へと走り出す。その手には刀が握られており、すでに居合いの構えがなされていた。
「今すぐその写真を消せ!」
言葉よりも早く斬りかかろうとする蘭を前に、双子は宥めるように笑いかける。
「まあまあ、もう完全下校時刻だし学校出ないとー」
「私達、わざわざ屋上から皆の荷物を取ってきたんだよー」
顔だけ出すのをやめ、三人はそれぞれの手に握られた鞄と荷物を見せつけた。うさ男に至っては着ぐるみの胴体を背負ってうさぎの首だけ被っているので、なんかこう……見ていてぞわぞわしてくる。夜道で会いたくない。泣く。
「ぐっ……荷物については感謝しよう……」
蘭はくやしげに刀の柄から手を離し鞄を受け取る。
下校時間という校則と恩義。蘭の弱点を的確に突いた良い武器だ。
俺は一つ気がかりなことを思い出して琴音に尋ねる。
「琴音の荷物は?」
「うーん……。私は明日でいいかなー」
「明日から夏休みじゃん」
「夏休みでも部活の人たちもいるから見回りしに来るつもりだからね」
それにほらっと琴音が声を小さくする。
「私の鞄、切り刻まれちゃったから蘭ちゃんに見せるわけにはいかないなって……」
「あー……そうだな」
さすがは琴音。色々と分かっていらっしゃる。相手を理解して思いやる為に最善を尽くす。それが当たり前にできなければ琴音に与えられた役割は果たせないのだろう。
琴音は今までずっとそうしてきたのだ。俺の知らない所でずっと、ずっと……。そんな琴音に俺は何ができるだろう。ちょっと考えてとりあえず頭に浮かんだアイデアをそれとなく投げかけてみる。
「あのさ、琴音。帰り遅いときとかどうしてんの?」
「え? 家の人に連絡して迎えに来てもらってるよ」
「あ、そーなんだー……」
「急にどうしたの?」
「いや、べ、別に……何でもない」
数秒前の俺の馬鹿野郎。当たり前だ。夜道とか危ないし俺が心配しそうな事ぐらい対策されてない訳ない。
かといって特別な力もなんもない俺が琴音の見回りに付き合っても足手まといにしかなんねぇし。思いやりってやろうと思うと難しいな。
「春葵」
考え込んでいた俺に琴音が声を掛けた。
「夏休み中ってさ、図書室が勉強する生徒の為に解放されているのって知ってる?」
「あぁ、そういえばクーラー完備だって担任が言ってたな」
「よかったら一緒に行こう? 一人で勉強するより、隣で頑張っている人がいたらいい刺激にもなるし」
「…………」
「あ、春葵は一人で集中したい派だったら迷惑だよね?」
「ゼッタイ、行ク」
「なんで片言なの?」
戸惑う琴音に気付かれぬよう、そっと目尻を拭う。
結局、気遣われてるじゃん俺のバカ……。超かっこわりぃ……。
しかも俺、琴音より成績良い教科といえば体育と美術だけだ。あらゆる意味で俺はバカだ!
「あ、そうだ。唐突だけど春葵は蘭ちゃんの刀に触ったことってあるの?」
「ん? さっき触ったばっかだ。竹刀より細いけどやっぱ鉄だけあって意外と重かったぜ」
「そっか、うん。ちょっと気になっただけだから春葵は気にしないで」
傷心の俺は琴音の呟く「まさか……ね」という言葉を聞いていながらも記憶に残らなかった。
俺に出来る事ってなんなんだろうな。欲をいうなら俺にしか出来なくて琴音の役に立つ事であるが……。とりあえず走り込みでもしようか。明日は筋肉痛で動けないだろうし明後日くらいからな。
「そこ二人! それと風雅は起きろ! 帰るぞ!」
蘭の声が飛んできて、俺は考え込むのをやめた。
琴音とそれとなく目で会話をして、夕陽へ向かって同時に歩き出す。
廊下に転がる風雅が邪魔だが、けっこう良いシーンじゃないか。俺はきっとどこかの未来でこの景色を思い出すだろう。そんな根拠のない確信があった。




