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剣の輪舞

 刀を腰につけ、蘭は簡単な精神統一を行った。

 深呼吸の三度目、深く息を吸い盛大に声を張り上げる。


「風雅!」


 蘭が呼ぶ。すると廊下に面していた教室の壁が消え、風雅と琴音が現れた。


「うわ!?」

「きゃあ!」


 二人は壁を背にしていたのか、突然の壁の消失により座ったまま床に倒れこむ。風雅の方からゴンッとものすごく痛そうな音がしたのだが俺は琴音を気遣うのに忙しい。琴音は無事だ。よかった。

 風雅は大の字に身体を倒したまま痛いと呟く。そりゃそうだ。


「てぇ……あれ、ここは……? さっき蘭ちゃんは階段下の廊下を左の方へ走っていって……」

「次元なんて些細なものだろう。細かいことは気にするな」


 風雅を見下ろすように蘭が言い放つ。

 蘭を認識した風雅が満面の笑みを輝かせる。無邪気な大型犬の尻尾がちぎれんばかりに振られている様を見た気がした。


「あぁ、いつもの蘭ちゃんだ。よかった」


 屈託なく笑う風雅に蘭は少しだけ戸惑ったらしい。紅潮した頬を隠すように風雅から顔を逸らす。おかげで俺からはその赤面っぷりが良く見えるのだが気付いていないようだ。


「う、うるさい。……その、風雅。後で話したいことがある。少しだけ黙って待っててほしい」

「俺は今すぐにでもいいけど――っと。なるほど、そういうことか」


 風雅はゆっくりと身体を起こす。正面には下り階段も教室も無く、闇へと続く長い廊下が続いていた。

 その果てに狗が立っている。


「行ってくる」

「おう、行ってきなよ」


 蘭が風雅の横を通り、最前へと歩む。すると廊下の壁が全て教室の扉へと切り替わり、手前のドアから順に開放されていく。


「なっ――!?」


 俺はその光景に愕然とした。

 扉一つにつき一人の狗が真剣を携えて現れたのだ。

 左右の扉から出てきた狗達は軍人のように向かい合い、整列していく。そして狗が出てきた扉が順々に閉まっていき、最後の扉が閉まるのと同時に全員がこちらを向いた。

 一体何人いるのだろう。こんなにもたくさんの悩みや苦しみを蘭は今まで抱えてきたのか。


「思ったよりも少ないな」


 蘭は冷静に見定める。少ないなんてよく言えたものだ。全員が殺気と見間違う程の感情を刀に乗せている。対峙するだけで膝から崩れ落ちそうになるほどの圧を受けてしまう。

 蘭がまた一歩、進む。


「私は今まで逃げてきた。自身の内側から突き破ろうとする声を頑なに聞こうとしなかった。自分の声すら聞こえないほど耳を塞いでいたから、当然周りの声も聞こえなかった。だが私は私の取り巻く世界に向き合いたい。私の心の声よ、私を守ってくれた嘘達よ、今一度私と真剣に向き合ってくれ」


 蘭が刀を抜き、一人目の狗に斬りかかる。太刀筋が光の軌道を描き、狗は白と黒の粒子となって煌めき、消えた。


『もう、剣道なんてやりたくない!』


 機械を通したようなノイズ交じりの声が空間に響く。紛れもない蘭の心の声だった。


「理由を言え!」


 蘭は二人目の狗に斬りかかりながら叫ぶ。

 他の狗達はただ待つのではなく、蘭の隙を突くように襲い掛かってきた。それでもなお蘭の方が強い。瞬く間に粒子が弾け飛ぶ。


『毎日毎日、稽古ばかりで苦しいよ!』

『友達と遊びたかった』

『周りの女の子はどんどん可愛くなっていく』

『怖いって言われたのが悲しいよ』

『どうして続けなきゃいけないの?』

『こんなに努力してるのに終わらない』

『負けるのが怖い』

『勝って当たり前だなんて言わないでよ』

『戦ったのは私だ。どうして他人が誇らしげなの』

『逃げたくないよ。期待は裏切れない』

『でも逃げだしたいよ』


 狗達の遺す言葉が重い。人として当たり前の悩みが幾重にも蘭に立ちふさがる。ただ声を聞いているだけの俺ですら胸が苦しい。

 それでも蘭は刀を振るう。決して動きを止めない。一つ一つの悩みに真剣で立ち向かう。


「私は剣道で負けるのが怖かった! そして居合いとベースを始めた。 それらは事実だ。だが決して逃げてはいない! 私は剣道を好きなままでいたかった、そして居合いもベースも好きなんだ! 好きなものを好きでいる為に選んだ道だ! だからもう、後悔も負い目も無い!」


 煌めく粒子に紛れて雫が宙に瞬いた。

 蘭は狗を睨みつけながら、汗とも涙ともつかない雫を零す。

 狗達は蘭に怪我を負わせるほど強くは無かった。けれど遺された言葉の刃が何度も何度も蘭の心を貫く。


 痛くない訳が無い。涙が溢れない訳が無い。

 苦しくて、辛くて、自分自身と向き合うには到底無傷ではいられない。けれどやり遂げなければ前に進めない。


『独りの道は寂しいよ』

『誰も私を理解してくれない』

『こんなに苦しいのに』

『こんなに悲しいのに』

『もっと褒めてよ。上辺だけじゃ嫌だ』

『ちゃんと褒めて。私を理解してくれる人が褒めてよ』

『我儘だって分かってる』

『だからもう真面目でいたくない』

『他の生き方がしたい』

『自由がいい』

『でも嫌われる。拒絶される』

『ありのままの私を愛してよ』

『愛される訳が無い』

『私が自分を偽っているのに』

『私が私を愛さないのに』


 蘭の刀を狗の刀が受け止めた。その一瞬の硬直を狙うように別の狗が襲い掛かる。蘭は受け止められた太刀筋を無理に押し通そうとせず、すぐさま刃を滑らせ自身も立ち位置を移動した。隙を突いてきた方の狗を即座に斬り伏せ、返す刀で先程蘭の刀を受け止めた狗を斬り上げる。休む間もなく次の狗を薙ぎ払った。


「っ――! あぁあ!!」


 風雅が言葉にならない感情を吐き出す。

 拳を床に叩きつけ涙を流しながら、それでも蘭から決して目を離さない。噛み殺された叫びがまだ喉の奥から飛び出そうと、全身を震わせていた。

 おそらくは俺と同じことを思っているのだろう。

 戦いへ加勢したい。それが叶わぬならばせめて喉が潰れるまで応援をしたい。

 だが、それをしてはいけないと理解している。それゆえの苦悩だ。


 これは蘭が解決しなければならない問題。

 蘭が俺達の声を、助けを得るための戦い。

 蘭は今、心の内側から掛けた鍵を外そうとしている。俺達は蘭の内側と言う、本来ならあり得ない場所に来てしまったイレギュラーだ。この戦いへ手を出すのは蘭の心をかき乱し、踏みにじる行為に他ならない。

 蘭が苦しんだこと、悲しんだこと、助けを呼ぶ声、抱えてきたもの全てを今はただ聞くことしかできないのだ。


「…………言いたいことは、それだけか!」


 蘭の声に疲労が見えた。息も荒い。言葉を一言ずつ吐き出すようにしか話せないのだろう。肉体的に、精神的に消耗が激しいのは明らかだ。

 一呼吸はおろか、まばたきすらさせないとばかりに狗が襲い掛かる。

 蘭は刀を振るう。一切の手抜きは無い。限界を迎えた腕と足を精神で支え、血を流す心を無傷の肉体で包み込む。


「それらの言葉全て、真実だ。私が抱えていた物に他ならないっ!」


 そう、狗達は蘭の一部。嘘偽りのない本心だ。否定をするだけでは自分を蔑ろにしてしまう。認めずにして向き合えない。それでいて肯定だけをすれば一歩も進めなくなってしまう。

 刀を降ろし、狗と手を取り合いこのまま埋もれるのも道の一つだ。

 けれど蘭は――。


「だがそれがどうした。私は進みたいんだ。ここで立ち止まっているわけにはいかない」


 自分の選んだ道ならばどんなに困難でも突き進む。それが俺達の知る蘭なんだ。

 蘭は吠えた。狗のような虚無の目ではなく、瞳に決して曇らない光を宿して。


現在(いま)の私が進むと言っているんだ。過去は道をあけろ!」


 邁進する蘭を止められなかった狗達が泣いて縋るように叫ぶ。狗達の数は明らかに減っている。それでもなお残響が心に爪を立てた。


『おいていかないで!』

過去(わたし)はこんなにも苦しいのに』

『忘れてしまうの?』

『裏切りだ!』

『ずるいよ、ひどいよ!』


 幾筋の光が描かれ、白と黒の粒子が散り去る。その渦中で蘭は舞っていた。舞と呼ぶにはあまりにも荒々しく、それでいてなによりも美しい生きざまであった。

 他人からみればちっぽけな悩みかもしれない。大人から見れば誰もが通る道と嘲笑うかもしれない。それでもこの苦しみは蘭だけのもの。蘭が蘭らしく生きる為に必要なものなんだ。

 蘭は今、真剣に生きている。


「忘れる訳が無い! 忘れてたりするもんか! その苦しみは私が前へ進むために必要なんだ。もっと叫べ! 私の心臓(ココロ)はここにある! その痛みをここに刻みつけろ! 全て真実だ、私の真実だ、全て背負って進みたいんだ!」


 むき出しの心臓に狗が噛みつくように飛び掛かり、蘭は血の代わりに涙を流す。


 刀を振るう度描かれる光の太刀筋はすぐに細く見えなくなってしまう。けれど消えてしまったわけではない。

 それまで休むことなく戦い続けた蘭の動きが変わった。

 四方を狗達に囲まれていながらも、刀を鞘に納めたのだ。

 右手に刀の鞘を。左手に刀の柄を。蘭の得意とする居合の構えだ。


「私は居合の他にベースを始めた。音楽は良い。勝ち負けが全ての世界ではない。努力の分だけ結果がついてくる。そして剣を交えずとも仲間ができた。言葉が無くても、お互いの事を知らなくても心を寄り添える素晴らしいものだ」


 狗達の動きが止まる。いや、わずかに震えていた。動きたくとも目に見えない何かによって動けずにいるのだ。

 蘭は俺達に背を向けたまま神経を研ぎ澄ませる。荒い呼吸は深い深呼吸に代わっていた。まるで時間が止まっているかのような静寂の中、心臓のような音が聞こえた気がした。低く、短い、それでいて確かに存在する音。俺はこの音を知っている。


「ギターやドラムと違い、ベースは一瞬ごとに一音を出すのが常。一音でバンドの全てを支える、責任もやりがいもある最高のパートだ」


 うさ男からのメッセージが頭に浮かぶ。そうだな、蘭は本当にベースが好きなんだ。他人から評価されなくても、孤独でも、こんなにも悩みを抱えていても、ベースを弾く時の蘭は笑顔だった。

 それと同じくらい居合をやっているんならさ、今だって心の中では笑顔でいるんだろ?


「私はこれからたくさんの選択をする。同じ答えを選び続けるとも限らないが、その時その時の持てる力の全てを使って真剣に選択すると誓う。たった一つの選択でも私の世界の及ぼす影響は凄まじいぞ。そう――こんな風にな」


 蘭が一瞬で刀を抜いた。張りつめたベースの弦が弾け飛ぶような低い音がしたかと思うと、蘭の周囲を光の線が駆け抜ける。蘭の振るってきた過去の太刀筋が一本の弦のように集約し絶大な威力を以て、狗達を、空間を切り裂いた。


 崩壊していく迷宮のような空間。その切れ目に夕陽が差し始める。

 蘭は駆けだした。ただひたすらに一直線。最後の狗が立つ、そのさらに先へと向かって。


 その一瞬はまばたきをしたつもりがないのに見えなかった。

 気が付いたら蘭が狗の向こうに立っていて静かに刀を納めている。

 狗の面に水平な光の筋が横に一本、描き足されていた。一拍遅れて狐の面の下半分が風に舞う。ぷしゅっと炭酸の沸き立つような軽い音がしたかと思うと狗の姿は消え、空間が元の南校舎へ戻っていた。

 はらりと舞った狗の面は音もなく床に着地する。それは半分に切断された書道の半紙で、ちょうど『狗』という字の下半分だった。半紙の左端には最早見慣れた達筆な字で蘭の名がある。琴音がそっとそれに触れるとスッと音もなく消えた。


 終わった――ホッと息を吐こうとしたその矢先の事だ。


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