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無限廊下

「待てって言ってるだろ!」


 どこまでも続く廊下を走る。正直、体力的に足が限界だった。けれど前を走る蘭を見失いたくない一心で足を動かす。どうにか手を伸ばし、蘭の腕を掴む。いっそ転んでもいいと思い、足を伸ばしてブレーキを掛ける。精一杯上体を後ろに反らしたが蘭の力に負け、見事顔面を廊下に打ち付けた。


「痛ぇ……」


 主に鼻が痛い。歯が折れなくて本当によかった。

 蘭の腕を掴みながらどうにか立ち上がると蘭の心配そうな顔が見える。多少の罪悪感は感じてくれているようだ。


「だ、大丈夫か?」

「大丈夫じゃねぇよ。待てって言ってんだから止まれよ」

「あの状況で止まれるわけないだろう!」


 咄嗟に出た大声に他でもない蘭自身が動揺する。余韻が消えるまでの一呼吸をおき、声量を抑えて言葉を続けた。


「なんなんだアレは……。どうして、私が、風雅を……っ!」

「俺が分かる範囲で説明するから逃げるのだけはやめてくれ。お前足早すぎ」

「……春葵も、腕を離してくれ。痛い」

「逃げるなよ?」


 蘭は無言のまま、俺に鞘ごと刀を押し付けた。蘭なりの誠意だろう。俺は刀の重さに驚きつつも蘭の腕の代わりにしっかりと握りしめる。


「えっとじゃあ、まずアレのことだけど……」

「いい……説明は不要だ。アレのことなら私が一番分かっている」


 蘭がその場にうずくまった。小さな体が殊更小さく見えて、このまま闇に埋もれてしまいそうで怖くなる。蘭と目線を合わせようとしゃがむが、顔を上げてくれない。


「アレは私だ。私のなりたかった、私よりも私らしい私だ」


 蘭の肩が震えている。俺が触れたところで振り払われるだけだろう。もどかしくもあるが今はこの距離を保たなくてはいけない。俺だけが今、蘭の最も近くにいられるのだから。

 蘭は感情を押し殺した声で、隠しきれていない悲痛さの混じった声で言う。


「不満で満ちているというのもおかしな言葉だが、アレはそういう存在だ。私への当てつけばかり……。剣道の構えだったのは私が居合の道へ逸れたことへの糾弾、そしてベースの道へ逃げ込んだ私への皮肉。風雅に刃を向けたのは私が恋愛などという横道に逸れそうになったことへの罰だ。私は剣の道を極めると自分に誓った過去がある。それを裏切ったのだから自業自得だ。私が未熟であったが為に皆を巻き込んでしまった。不甲斐ない。自分で自分が許せない」

「違う。アレは本来、自分がやりたくてもできなかったことを代わりにやろうとしているんだ。方法が歪なだけでちゃんと見てやれば――!」

「――ならば私は風雅を殺したいのか! 私は人を殺したくて剣を始めたんじゃない!!」


 蘭が耳を塞いで叫ぶ。俺の言葉だって、拒絶されたら意味を成さない。このまま独りになってしまったら蘭は闇に溺れてしまう。けれど俺はどうすればいいか分からない。


「春葵、帰ってくれ……風雅を連れて逃げてくれ。私の蒔いた種だ。私が責任を取らなくてはならない。たとえ刺違えてでも私がアレを!」

「蘭、俺の話を聞けって!」

「聞きたくない! 分かってるから! 私が悪いんだ! 私のせいなんだ! 私が強くないから!」


 蘭の言葉はある意味では正解だ。だから否定できない。過ちを正そうと努力の姿勢を見せているのも正解だ。責任感だってある。正しいさ。間違えたのだから正そうとするのは何も間違えていない。けれど今の蘭は正しくない(・・・・・)

 だから聞いてほしいだけなのに。どうすれば――。


 焦る俺の背後にも闇は迫っている。蘭を救えない未来が怖い。失敗したら琴音と風雅になんて言えば? 俺のせいで蘭を救えなかったなんて言えない。

 心が締め付けられていく。蘭の黒い感情に感化されているのが分かる。俺が蘭を救わなきゃいけないのに!


 這い上がる闇が俺の心臓を鷲掴んだその時、


「また、一人で抱え込むの?」


 知っている声がした。

 その声が誰なのか考えるよりもその言葉の意味を考えた。そしてすぐに答えを得る。

 俺、一人で蘭を救おうとしなくてもいいじゃないか、と。

 いつの間に気負っていたんだろう。俺には琴音のような力があるわけでもなく、風雅よりも蘭を理解できていない。過ごした時間で言えば灯歌と円歌の方が勝るし、うさ男のように蘭を凌駕しているものだってないじゃないか。俺は大した人間ではない。でもそれはどうしようもない事実であると同時に心強い味方がいるのだと示している。


 俺の背後の闇が弾け飛ぶのを感じた。背に感じる熱は春のような穏やかさではなく、身を焦がすほどの熱い夏の太陽だ。

 校内スピーカーからボッと短いノイズが聞こえた。続いて放送開始を告げる和音が響く。

 マイクの前にいる人物の息を吸う音が聞こえた。


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