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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

指先ひとつで異世界無双 ~ただし魔法を使うと大切なモノが失われます~

作者: 丸永悠希☃

 煌々と灯る蝋燭で満たされた広間の中には、場違いとも言える服装の集団――敏央(としお)達がいた。

 その集団を囲むようにして、顔すら見えない騎士甲冑を着込んだ者達が多数おり、最も厚く守られた一部では、絢爛豪華な赤いマントを翻し、立派な白髭を蓄えて、頭上には輝くような黄金色の冠をいただく老人がいた。


 その老人がおもむろに口を開き、敏央達を温かく迎え入れる言葉を紡ぐ。


「よくぞ参られた、未来の勇者達よ」


 そして、そばに控えるローブ姿の老人へ顔を向け、満足そうに話し掛ける。


「大義であった。後のことは其方に任せる。急ぎ、事に当たらせよ」

「畏まりました、陛下」


 恭しく頭を垂れたローブ姿の老人にひとつ頷き、陛下と呼ばれた老人は敏央達に背を向け、近くに侍っていた数名の騎士を連れて広間から立ち去った。

 残されたローブ姿の老人は握っていた杖を下げ、敏央達と向き合い次の言葉を口にする。


「其方ら、わしの言葉が聞こえておるな? であれば、指示を下す――」


 そこで、バスの最後部座席に陣取っていた派手な男女グループから非難の声が上がり、続く言葉が遮られた。


「ちょっと待って。これって何のイベント?」

「そうそう。こんな予定聞いてないんですけど」

「ていうか、ここどこ?」

「さっきのおっさん、すごい恰好だったよな」


 猿のように騒ぎ出したそれらに対し、ローブ姿の老人は顔を顰めて『此度もやかましい』とだけ呟き、それ以降は口を閉ざして騒ぎ立てる者達が静まるまで待ち続けた。

 その表情を目にしたからか、自ら立候補して学級委員となった男子生徒が敏央達の前へ進み出て、皆を見渡すようにして注意を投げかける。


「まぁまぁ、みんな落ち着いて。意味がわからないのは僕も同じだから、一旦そこの人に話を聞いてみようよ? あんまり騒いでたらそのうち怒られそうだしね」

「そうよそうよ、みんな静かにして!」


 かれこれ一年以上は付き合っている彼女に援護され、学級委員の言葉が広がって瞬く間に静まり返り、全員の視線がローブ姿の老人へと集まる。


「……其方らが騒ぐに無理はない、状況が理解できておらぬであろう。しかし、我らにとっては一刻を争う事態なのだ。話を聞き、手を貸してはくれないだろうか」

「その前に質問があります。ここはどこで、あなたは誰ですか?」

「……わしはこの国に仕える一介の魔導師に過ぎん。そして、ここは人類最後の帝国だ」

「人類、最後?」


 揃いも揃って目を丸くした敏央達に向けて、深い頷きを返した老魔導師がおもむろに腕を組み、説いて聞かせるように蕩々と語り始めた。


 ある日を境にして野獣が凶暴化したこと。今まで使役する対象でしかなかった亜人――人間ではない人型の存在が、互いに手を取り合って反旗を翻したこと。それによって人類は徐々に追い立てられていき、今では帝国と呼ばれる国家の集合体でしか生存できなくなったこと。


 そのような話を聞かされながら敏央達は場所を移し、外の景色を眺められる部屋へ通された。


「なんか外国の田舎って感じが――うわ、あそこ見てみろ!」

「えっ、あれって人? 人が空飛んでる!」

「左様。ここでは其方らも魔法を使える。技能と言い換えてもよかろう」

「……どういう事ですか?」


 困惑の表情を浮かべた委員長が質問し、老魔導師が自信ありげにニヤリと口元を歪ませ、窓の外を目にして驚く敏央達へ耳を疑うような内容を話し出す。


 この世界では当然の事実として魔法が存在しており、それが理由で科学技術の発展は大いに遅れている。しかし、生きる上で不便は一切ない。なぜならば、人は誰しも魔法が使える――使えていたからだ。


「今も空を飛んでる人がいますけど……」

「そうじゃ。誰でも使えるが、いずれ使えなくなる」

「意味わかんない。使えるなら使えばいいじゃん」

「なに、簡単なことじゃよ。魔法は童貞・処女でなければ行使できぬ」


 老魔導師によって衝撃的な事実がもたらされた。

 そして、その驚きはまだ続く。


「もちろん、タダで使えるものではないぞい。呪文を唱えるたびに男なら毛が抜け、女であれば皺が増えていき、ただの一度でも生殖行為に及べば魔法とは縁が切れるのじゃ」

「なんだそれ、意味ねえ」

「……それと僕達に何の関係が?」

「そうじゃな。いい加減、本題に入ろう」


 魔法の話を始めてからは、まるで好々爺のように柔和な笑みを見せていた老魔導師であったが、そこで居住まいを正し、敏央達に向けて続く言葉を放つ。


「其方らには、この国――延いては、人類を救ってもらいたい。そのために成す事はただ一つ。悪行の限りを尽くす魔王を討伐するだけだ」


 老魔導師が言い放ったその言葉を耳にして、ある者は首を傾げ、またある者は呆れかえり、笑いを堪えきれずに失笑する者もいた。

 そんな中、敏央だけは何の反応も返していない。彼はそれどころではないからだ。


 このままでは人類最後の国が滅び、そこへ逃げ込んだ人々も蹂躙される。

 だが、敏央にとって、そんな事はどうでもいい。ただただ妹の安否だけが気がかりである。

 彼はきっとこう思っていることだろう。早く帰って妹を探したい。そして、会いたい――と。


「話はわかりました。それで、僕達に何をやらせたいんですか?」

「先も言ったであろう。魔王の息の根を止めてほしいだけじゃ。その方法までは問わぬ。なに、魔法に関してはわしがミッチリとしごいてやるゆえ、気に病む必要はないぞい。まずは――」


 興が乗った老魔導師から簡単な手ほどきを受け、敏央達は互いに苦く笑い合い、半信半疑な面持ちで口々に呪文を唱えた。

 すると、各々の魔法が発現し、不自然なまでに一本の毛髪が抜けたり、急に一筋の小皺が刻まれたりした者が約七割、何の変化も訪れない者が残った約三割だった。


「……おかしいのぅ。こやつら、日ノ本の子供ではないのか? すべてとは言わぬが、若者の大多数が童貞・処女であるという話を耳にしておったんじゃがのぅ……」


 首を傾げて独り言を呟いていた老魔導師が片手を挙げ、部屋の片隅で控えていた老紳士を呼び寄せて話し合いを始めた。


 それとは別に、見るからに軽薄そうな髪型をした男子グループには悲劇が訪れた。


「おいおいおいおい。これはどういう事なんですかねえ、恋愛師匠?」

「たしか……修学旅行の朝まで離してくれなかったんだっけ?」

「あ、ああ、そんな事もあったな。それより、ほら、魔法。すげえだろ?」


 他にも、輪郭すらあやふやなほどに化粧の濃い女子グループでも同様に揉め事が起こる。


「うっそ……あんた、まだだったの? 散々見下してたくせに?」

「いや、その、こ、これ手品だから」

「どこでそんなもん売ってんだよ! あアっ?」


 そして、近寄ることも憚られる修羅場に陥った者達もいる。


「え、どういうこと? 僕達まだ何も……」

「違うの! これは……そう、そうよ。あいつが無理矢理……」

「ちょっと待て、お前が誘ってきたんだろ!」


 周囲が騒然とするその一方で、敏央に至っては平穏無事に魔法が発現し、抜け落ちた髪の毛は風に吹かれてどこかへ飛んだ。

 しかし、隣にいた敏央の友人は、残念なことに何も起こらなかった。

 もちろん、敏央がそれを責めることはない。彼からは既に話を聞いていたからだ。

 たとえそうであったとしても、少しばかりの嫉妬心、もしくは羨望が隠し切れていないようではあるが。




 そこかしこで喧々囂々(けんけんごうごう)たる様を見せる中、渋面を浮かべた老魔導師と話し込んでいた老紳士が音も立てず足早に部屋を去った。

 そして、老魔導師は床にドンと杖を突き、腹の底にまで響く強い声を発する。


「聞け、小童(こわっぱ)共。魔法を使えぬ者に用はない。早急に立ち去るがよい。さもなければ。王命に背いた罪人として扱わねばならぬ。本来であれば即刻捕らえるべき対象ではあるのだが、せめてもの手向けとして見逃してやろう」


 何を言われたのか理解できていなかった者達に、その意味が溶け込むように浸透し始めると同時、頭に血が上り表情をゆがめる者が続出した。


「ふざけんなよ! 勝手に連れてきておいて何だその言い方」

「相手はジジイひとりだ。やっちまおうぜ」

「おい、やめとけって。魔法あんだぞ? 勝てるわけねえよ」


 実際に手をあげる度胸もないくせに、止める人がいれば勢いを増す軽薄そうな男子。

 その横でひたすら口汚くの罵るだけの厚化粧な女子。

 未だに先の話題を引きずり、あからさまな嘘泣きを交えて言い合っている男女。

 我関せずと冷めた目でそれらを眺める地味な顔立ちの者。

 そして、敏央をはじめ、どうでもいいから早く帰らせろ――と願う大多数。


 まるで、小学生時代にあった帰りのホームルームを想起させるこの事態。

 自らが引き起こした事とはいえ、老魔導師にとっては苦痛であろう。

 彼からしてみれば、子供が生意気なことを口にしているだけにしか過ぎないのだから。


 そこで、部屋の外からガシャガシャと金属のこすれ合う音が響いてきた。

 先ほど姿を消した老紳士が連れてきた騎士達――騎士団の足音である。

 しかし、不満を言い募る声は衰えを見せず、結局は部屋へ踏み込んだ騎士団に連行されていき、建物の外へと放り出されるに至った。


 連行されたのは騒いでいた一部の者だけではなく、魔法が使えなかった全員であり、この中には敏央の友人も含まれている。

 あまりの展開に敏央は何もできず、その友人が去り際に放った『いつか必ず会おう』という約束に首肯するのみであった。




 翌日からは魔法兵の訓練に用いる施設へ場所を移し、老魔導師による魔法学講座が始まり、それの参加を強制された敏央達も仕方なく教えを受ける日々だった。


 そんなある日、多少の毛髪が抜けた程度で気にもならない男子諸君とは違い、元から老け顔に悩んでいた一人の女子生徒が手鏡を見て涙ぐみ、老魔導師に食って掛かったことがある。


「なんであたしがこんな事しなきゃいけないの!? 自分の事なら自分でやれ! 魔法が使えなくなるなら男全員のを切ればいいでしょ!」

「ほっほっほ。威勢が良いのぅ。だが、それはできぬ相談じゃ」


 帝国自体が何もせず、ただ手をこまねいているわけではない。

 魔法が使える者は外敵から国を守るために前線へ出払っているのだ。

 しかし、過去に起こった大量殺戮事件の影響で若者の数は驚くほど少ない。


 一度も魔法を使うことなく非業の死を遂げた者は、神に愛された妖精に生まれ変わるという伝承があり、それを疑わなかった確信犯によって善意の大量殺戮が引き起こされ、人類最後の帝国にもかかわらず、いや、だからこそ若者――特に子供の命が数え切れないほど奪われた。

 その結末は、妖精に生まれ変わった者など一人もおらず、(いたずら)に人口を減らすだけのテロでしかなかったのだ。


 このような話を笑って言い聞かせる老魔導師を前にして、敏央はある決断を下した。

 以前から敏央達の安全を蔑ろにした危険な訓練が多く、自分達を使い捨ての齣として扱っていることは明白であり、今も過去の惨劇を笑って口にする老魔導師の頭はどこかおかしいと判断し、その夜には闇に紛れて逃げ出したのだ。


 夜間であっても不寝番の兵士や門を守る衛士などと遭遇したが、敏央は『老魔導師に課せられた試練である』という出任せで乗り切り、今日まで暮らしてきた魔法兵宿舎を後にした。


 魔法を使えば楽に抜け出せたであろうが、敏央はあまりそれを使わないようにしていた。

 それにはもちろん理由があり、皆は髪が抜けても生えてくると勘違いしているようだが、魔法を使えば毛根が死滅することにいち早く気付き、可能な限り控えていたのだ。

 そして、勝手ながらも宿舎から拝借してきた少ない食糧を抱えた敏央は、この町に留まっていては追っ手が掛かるだろうと予測し、共に帰還を果たすべく友人を探す旅に出るのであった。




 木を隠すなら森の中――。

 この格言に倣った敏央は、まだ人が多く居ると聞いていた南の王国へ足を向けた。

 食糧は失敬したが、金目の物まで持ち出すには良心の呵責があり、無一文のため徒歩である。


 日中は歩を進めて夜間は木陰に潜んで身を休める。

 そんな日々が数日ほど続き、食糧が心許なくなってきた頃に、敏央の背後からは多数の馬が駆ける足音が響いてきた。

 とうとう追っ手が迫ったかと逸る気持ちを抑えた敏央は、木陰に身を潜めて後方を確認する。


 そこでは、見るからに盗賊然とした野蛮な身なりの男達が一つの馬車を追い回し、制止の声を上げながらも手に持つ武器で次々と馬車に攻撃を加えている。

 そして、馬車の前方へ盗賊が回り込み、まったく動じる気配のない御者から手綱を奪い取り、馬車の勢いが瞬く間に落ちていき、敏央が隠れる木の近くで停車した。


「おい、さっさと出てこい! 金持ってんだろう?」

「自動人形の御者とか金持ちすぎ」

「たんまり持ってんなら、俺らにも分けてくれよ」


 そう言った盗賊共は、馬車の扉をこじ開けようと四方八方から手斧を振り回した。


 目の前で金持ちの馬車が盗賊に襲われているのなら直ちに逃げるべきではあるが、この窮地を救えば次の町まで、あわよくば南の王国まで同乗させてもらえるか、そこまでいかずとも謝礼代わりに旅の路銀が手に入ると考えた敏央は、木陰から躍り出で盗賊共と向き合った。


「ゃ、やめたまへぇ……」

「あん? なんだ、こいつ」

「お、お頭、こいつどう見ても魔法使いですぜ。そんな顔してやがる」

「クソッ――お前えら、引き上げだ!」


 威勢よく飛び出したものの、声は裏返り、足が震えていた敏央だったにもかかわらず、盗賊共は相手が魔法使いと見なすやいなや、土煙を巻き上げて逃げ出した。


 非常に情けない姿ではあるが、それは正しい選択だった。敏央は魔法使いである。

 それも、最前線へ投入することを前提にした厳しい訓練を受けさせられていた。

 さすがは他者から金銭を強奪する以外に能のない盗賊と言えよう。

 人を見る目だけは確かなのだから。


 周囲の展開についていけず呆然と佇む敏央であったが、差し迫っていた危機が去ったことを知らせるべく――本音では謝礼を求めるために馬車の扉を軽くノックした。


「あ、あの、もう大丈夫ですよ」

「……おやおや、すまないねぇ。助かったよ」


 馬車の中からは声にまで歳を感じさせる嗄れた老婆のそれが聞こえ、散々痛めつけられたことで動きの悪くなった扉がゆっくりと開かれる。


「あ、どうも。お怪我はありませんか?」

「あぁ、あいつらは口だけじゃから――お、おおお、おおッ!?」

「どどど、どうかしまし、た、か?」

「お、お、恐ろしいほどに、魔法使いの顔をしておって、驚いただけじゃ。気にするな」


 あまりにも酷い言い草であるが、この老婆との出会いが敏央の運命を大きく変えた。

 それはもう、劇的と表現しても過言ではない。




 この口の悪い老婆はクレメンスと名乗り、運が良いことに南の王国内にある片田舎に居を構えており、そこでひたすらクッキーを焼いては東西南北の王都、そして中央に位置する帝都へ売りに行っていた。


 隣近所からは店も持たずにクッキーを焼き続ける奇怪な老婆だと見なされていたが、その実、帝国全土でも知る人ぞ知るクッキーババアとして名を馳せている。


 そんなクレメンスであるが、寄る年波には打ち勝てず、己が持つ技術を受け継がせるために後継者を捜し求めていた。


 そして、獲物を探る老婆の前にノコノコと姿を現した敏央は簡単に絡め取られ、断る暇すら与えられずに弟子入りする事となったのだ。


 ところが、今までに数え切れないほどクッキーを食べたことのある敏央だが、作った経験は一度もないがゆえに老婆から懇切丁寧に教えられ、田舎で暮らす祖母のことを思い出して涙に暮れる夜もあった。


 そんな共同生活を続けていたある日、不思議な事が起こったのだ。

 クレメンスから付きっきりで指導を受けていた敏央が、ようやく人前に出せる商品としてのクッキーを作れるようになった時分だった。


 自らも大量のクッキーを焼き上げたクレメンスであるが、なぜか全身の皺が減っていたのだ。


 この世界で魔法を使うと、男性は毛が抜け落ち、女性であれば皺が増える。

 これは避けて通れぬ事実であり、実際に小皺が増えていく様を目にしたこともあった。

 だがしかし、クレメンスの皺が、少ないとはいえ減っているのもまた事実。


 それに、敏央がクッキーの形を一つ整える間に、クレメンスは百個・千個と作り出すこともあり、皺が減ってからはその数をさらに増やしていた。

 もはや時間を操っているとしか思えない傑物である。


 敏央は夢でも見ているのかと思い、我慢ならずにクレメンスへ問い掛けた。


「あの、クレメンスさんって、実は男だったりしますか?」

「はぁ!? そんなわけないだろう。こんなに可憐な美少女は世界中を探したって見つかりゃしないよ。バカ言ってないでさっさと次の生地をこにぇにゃ!」


 老婆は最後の最後に噛んでいた。実は男なのかもしれない。

 確信には至らなかったが、なんとか着地点を得た敏央は小麦粉をふるいに掛けるのであった。




 そうやって数年の月日が流れ、クレメンスの皺が増減しても驚くこともなくなり、国内一流のパティシエですら敏央には敵わないと唸らせるほどのクッキーを作れるようになった頃、佐藤敏央を指名した来客がある――と、メイド代わりの自動人形から知らされた。


 初日に別れてから音沙汰のない友人が会いに来てくれた――と期待した敏央だったが、玄関扉の外側には招かれざる客がいた。


「本当に佐藤君じゃないか。久しぶりだね」

「……え、もしかして、委員長?」

「そうさ。寝取られ委員長だよ。君はあんまり変わってないね。元気だったかい?」

「え、えっと、その……」

「佐藤君、困ってるよ? もうその自虐ネタやめなよ、委員長」

「自動ドアのことなんか忘れろって。誰かと会うたびに聞かされる俺達の身にもなってくれ」


 敏央の記憶では、時折腹黒い一面を覗かせることがあるものの、童顔でかわいらしさすら感じさせた委員長であったが、今はつむじの辺りにまで涼やかな印象を抱かせていた。

 そして、委員長と共にいる面々も驚くほど変化しており、クレメンスと大差ないほどに皺だらけと成り果てた女子、落ち武者のようになった男子など、敏央の目線は定まらない。


「君を訪ねに来たのは(ほか)でもないんだ。帝都で噂になっている“シュガー”は君のことだね?」

「……違うと言えば?」

「僕達の髪の毛と皺をもって君を拘束し、城へ連行する」

「……安直すぎる名前だったか。半分はハズレだけど」


 一流のパティシエをも越えた敏央の作るクッキーは、知識を持たない素人ではクレメンスが作ったものと見分けが付かず、どちらも“シュガー”というブランド名で販売されている。


 この形式はクレメンスが提案したものであり、敏央は名称にいささか不安があったものの、未だに姿を見せない友人が気付いてくれるかもしれない……という期待が含まれていた。

 だが、現実は無情だった。敏央としては会いたくない人物が釣れたのだ。


 そうして訪れた委員長達であるが、彼らにも言い分はある。

 敏央が逃げ出したことを契機にして、他にも脱走者が何名も現れ、ここに姿を見せた者達はすべての自由を奪われた上で、厳しい特訓と称したしごきを受けさせられていた。

 しかし、それを恨んでの行動ではない。単純に人手が不足していたのだ。


 共に最前線へ赴き、苦楽を分かち合った彼らの仲間達は傷つき倒れ、ある者は手足をなくし、またある者はその命を落とした。

 そこで、過去に姿を隠した元同級生を探し出し、魔王の討伐を成し遂げようというわけだ。


「……わかったよ。クレメンスさんに迷惑は掛けられな――」

「――ちょっと待ちな。トシオなら魔王なんざ相手にならないだろうけど、指は大切だろう?」

「平気ですよ。ちゃんと気を付けますから」

「話はまとまったようだね。最後に残った四天王の城まで案内するよ」


 こうして、敏央はクレメンスの元を去り、魔王討伐隊に協力することが決まった。




 地の底深くで悪巧みに耽っていた一人目の四天王。火山の山脈で暴れていた二人目の四天王。海底に隠れ潜んでいた三人目の四天王。そして、この世界のどこかで移動し続ける浮遊島を支配した四人目の四天王。

 五人目はいない。魔王軍にしても冗談に興じる余裕はないのだ。


「月の光で動くらしいから、ここで待ってたらもうすぐ出てくるよ」

「……新月の日は?」

「知らないよ、そんなこと。どこかに隠れてるんじゃない?」

「……何だそりゃ」

「お、おい、佐藤。委員長をあんま刺激しないでくれ……」


 頭髪は涼しいが顔つき幼いこの委員長。実は既にいくつもの命を奪ってきた。

 それは凶暴化した野獣や敵対する亜人だけに留まらず、人間――同級生も含まれる。

 誰を手に掛けたのかは言うまでもないだろう。そして、それは一人ではない。


 こんな危険人物のそばに居たくないと震えた敏央は、浮遊島が見えるなり単身で突撃した。

 それに遅れて委員長達も突入したが、信じられない光景が目前で繰り広げられていた。


 敏央が指を振るうにつれて、頭髪が一本抜け落ちると共にただの一撃で敵が吹き飛んでいく。

 どんな存在でもお構いなしに次々と打ち砕いていき、瞬く間に最後の四天王と相まみえた。


「ここまで来たことを褒めてやろう。我が輩は――」

「あ、そういうのいいんで」


 最後の四天王は悲鳴を上げる許しすら与えられず、轟音と共に消し飛ばされた。


「佐藤君、つよっ」

「うっは。すげえな、佐藤」

「あぁ、一緒にばあちゃんがいただろ? 凄いのはあの人。全部教えてもらったんだ」


 生地をこねる際の力加減。これが非常に厄介だった。

 小麦粉と卵やバターを混ぜる時も神経を使うが、生地の練成は一線を画す。

 そして、その指捌きを会得すると同時にこの技能も習得していたのだ。

 だが、クッキーの生地にこんなことはできず、今まで宝の持ち腐れであった。


 四人目の四天王を打ち倒したことで、魔王の元へ行くために必要な鍵が揃った。

 次は世界の果てに聳える魔王城へと足を向け、道中で襲い掛かってくるザコは敏央が髪の毛を飛び散らせながらも指先で吹き飛ばし、難なく魔王との対面が叶った。


「……よくも……よくもよくもよくも……よくも! よくも我が野望を――」

「こっちにも都合があるんで」


 魔王の口上を最後まで聞くことなく、敏央による神速の突きが放たれた。

 しかし、さすがは魔王。一撃では倒れない。

 だが、敏央は指をしならせるように次々と打ち付けた。


「アタァ!」「アタタタタタタタタタタ――」「ゥホァッターッ!」


 終わった。




 魔王が溜め込んでいた金銀財宝を持ち帰り、それを世話になり続けていたクレメンスと分け合おうと考えた敏央は、急ぎ南の王国へ向かった。

 そして、相も変わらずクッキーを焼き続けるクレメンスを視界に捕らえ、財宝を詰め込んだ宝箱を持ち直して速度を増したその時――。


 敏央は床に転がる麺棒を踏みつけ、そのままの勢いでクレメンスに向かって倒れ込んだ。

 その際に、指先がクレメンスの胸部へ強く押しつけられる。


 以後は、一瞬というには遅すぎる、刹那にも満たない間の出来事だ。


 敏央とクレメンスを中心に、色すらも感じ取れない残酷な光が辺りを包み込むと同時、地獄と呼ぶには生温い温度――三十個ものゼロが連なる神秘が生じた。


 敏央の意識が光に呑み込まれるその間際、どこからともなく懐かしい声が聞こえる。


『お兄ちゃんのエッチ!』『どこ触ってんだよ。きもっ!』


 どちらでもいい。敏央は確かに妹の声を聞いたのだ。


 そして、世界のすべては崩壊した。




 のちに、この揺らぎを発見した学者はビッグバンと名付け、今日(こんにち)では皆に親しまれている。


ハッピーホリデーズ!

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