ミスリード
な、なんで東郷がここにいるんだ?
東郷は、咲坂と会っていたのではなかったのか?
目の前の光景に、思考が全く追いつかない。緊張のあまり腹部までが震えている。
俺は東郷の顔を見た瞬間、押さえていた感情を一気に爆発させた。
「咲坂は!咲坂はどこなんですか!?」
俺は東郷に詰め寄りながら問いただした。
「ちょっ……ちょっと待て、一体どうした?撮影中に突然来て非常識だろ!?」
不快感を隠そうともしない東郷は、あまりに近づき過ぎた俺を突き放した。
「確か君はYUKINAの友達の……」
「は、はい。櫻井です」
「櫻井くん、どういうつもりだ?突然訪ねてくるなんて失礼だぞ」
「さ、咲坂はどこなんですか!?さっき一緒に……!」
「落ち着け。YUKINAなら遅れて来た。今は撮影中だ」
「……咲坂が、いる?」
なんで咲坂がいるんだ?
上條社長はさっき咲坂がいないと……
遅れて来た?無事だったと言うことなのか?
……
俺は緊張の糸がプッツリ切れて放心してしまった。
東郷にきつく言い返されて、俺は少し冷静に頭を働かせることができるまでになった。
一体俺はさっきから何をやってるのだ?
なんで一人興奮して訳の分からない行動をしている?
浮かれていたかと思ったら、今度は被害妄想で一人興奮して常軌を逸した行動をとっている。
東郷が咲坂へ何か危害を加えるなんて、俺の勝手な妄想でしかないだろう?
冷静に考えれば、すぐに分かることだ。
結局、俺は未だ”魔”に捉えられて抜け出せないでいるのか?
電話で話した上條社長も、すれ違った逆井も、MISAKIも……ただただ俺一人が慌ててパニクッた姿に面食らっていた。
そこまで思い至った俺は、自己嫌悪のあまり奥歯を強くかみしめながら悔しさに耐えた。
「東郷さん……申し訳ございませんでした。本当に、どうかしていました」
俺は深々と頭を下げて詫びた。
東郷は明らかに怒っていたが、真正面から頭を下げられたことで、怒りの剣をようやく鞘に収めてくれた。
「いったいどうしたというんだ?」
「いえ……咲坂のことが心配になって」
「心配? なにか気になることでもあったのか?」
「姿が、見えなくなって……」
田尻から聞いた“警告”を話しても東郷に伝わるはずがない。
まして、疑っていた本人に言えるはずがなかった。
「それだけで? 君はそんなことで大騒ぎをするのか?」
「……」
返す言葉がない。大人に怒られる子供のように惨めだった。
「そんなことで、YUKINAの彼氏が務まるのか? 守れるのか?」
東郷は俺と咲坂が付き合うことをもう知っているのか……
東郷の言葉が胸に刺さった。
「君も分かってるだろうが、俺はYUKINAには好意を寄せていた。しかし、君と出会ってからのYUKINAの変化を一番近くで感じていたのは俺だ。だから諦めたんだ。なのに今日の君を見ていると、不安でならないよ。大丈夫なのか? 君は?」
東郷は一気にまくし立てた。怒りがこみ上げてきたのか、口調は荒々しく、声も周囲に響くほど大きかった。
俺は自分の幼稚さに腹が立った。全く東郷の言う通りだ。
意気消沈していると、東郷は少し声を抑えて続けた。
「彼女は遅れて撮影室に来て、俺の顔を見るなり頭を下げて言いに来たよ。いままで申し訳なかったって。それから君と付き合うことになったと」
なんだよ咲坂。自分から無茶しやがって。
でもこれが彼女の強さか。やっぱアイツは肝心な場面で強さを見せる。
俺なんか到底敵わない。
浮ついて、焦って、沈んで……どうなってんだ俺は。
東郷は再び口を開いた。
「俺だって胸糞悪かったよ。散々恋人役をやって。いつも俺の隣にいたYUKINAが別の男の横に立っている姿なんて想像したくもなかった……でもな」
そう言って東郷は一旦、言葉を途切らせ、そして続けた。
「YUKINAが君のことを話す度に見せる嬉しそうな顔を見たら、諦めがついたんだよ。俺にはついにこの顔を見せてくれなかったと」
俺は言葉を失い……悔し涙をこらえるしかなかった。
「まあ、不安なのはわかるよ。言っては悪いが、君のような普通の大学生が、モデル界でも一目置かれるYUKINAと付き合うわけだ。しかしだからこそ、もっとしっかりしてもらわないと」
容赦なく非難されるが、その全てが正しい。
東郷は恋敵のくせに、俺以上にまともで、俺以上に大人で……俺なんか足元にも及ばない。
そんな東郷を“悪役”に仕立てていた自分が、ただ恥ずかしい。浅ましい。
東郷が咲坂に危害を加えるなどという妄想をしていた自分が心底嫌になった。
「YUKINAには君が来たことを伝えておく。撮影はすぐ終わるから1Fで待つといい」
「ありがとうございます……ご迷惑おかけしました」
俺は再度頭を下げ、東郷はC撮影室へ戻っていった。
重い足取りでエレベータの前へ来たが、エレベータを待つこともなく、俺はフラフラと階段に向かった。
廊下の端の薄暗い階段。
そういえば初めてKスタジオに来たとき、上條社長とこっそり降りた階段だ。
普段、ほとんど人は通らない。
一人落ち込みながらその階段を降り始めた。
すると、背後に気配を感じて振り返る。
あれ?気のせいか……
そう思った直後、スマホに着信があった。
咲坂だった。
「義人?どうしたの?」
俺が慌てて尋ねてきたのを東郷に聞いたんだろう、咲坂の声は少し不安げだった。
「ああ……ちょっとな」
俺は東郷から激しく詰められた直後の気まずさから言葉が泳いだ。
「なんかあったの? 急用?」
咲坂にそう言われ、今なら田尻の話ができると思った。
今、伝えるべきだ。
俺はようやく、そのことに気づいた。
「田尻が気をつけろって言ってたから、それを伝えようと思って」
「え?どういうこと?」
「詳しいことはあとで話すけど、咲坂に近しい男に警戒しろと、田尻にしては珍しく真剣に言われたから」
ここまで言えば、田尻を知る咲坂なら、その警戒が“ただ事ではない”と気づくはずだ。
「なるほどね。それで義人は東郷さんを疑ったのね?」
さすが咲坂は、それだけですべて理解したようだった。
「でも俺の読み違いだった。ホントに東郷さんには悪いことをした」
またさっきの東郷とのやり取りを思い出し、俺は恥ずかしいやら悔しいやらで、胃がぐるぐる不快になってきた。
そんな俺の様子を電話越しで感じ取ったのか、咲坂は“フフフ”と小さく笑ってから続けた。
「でも東郷さんは、まさかそんな疑われ方をしたとは思ってないから、大丈夫でしょ?」
「まあ、そうだけど……東郷さんにこっぴどく叱られた」
「あはは。東郷さんは東郷さんで、嫉妬のあまり言いすぎたって珍しく落ち込んでたよ」
「十分反省したって言っといてくれ……」
「それは自分で言いなよ? だってまた叱られるよ。“それぐらい自分で言いに来い!”って」
「お前もえぐるな? リアルに想像して笑えないよ……。ホント情けない彼氏で申し訳ない。東郷さんには格の違いを痛感させられてしばらくは浮上できないよ」
「いいの。そんな義人でも、そんな義人が私は好きなんだから」
「お、おまえいけしゃあしゃあと言ってのけたな」
「ははは、嬉しい?」
咲坂のそんな“明るさ”は慰めでも同情でもない。
俺を立て直すための、あの子なりのやり方だ。
胸の奥がすっと軽くなる。
「それで義人……。気になるって言ってたこと、もしかすると、彼かもしれない」
「え? 誰?」
一瞬で背筋が冷えた。嫌な予感がまた首をもたげる。
「うん、さっき呼び止められて」
「撮影室に向かう途中で?」
「そう。ちょっと言い合いになっちゃって、遅れちゃったの」
“誰だ?”
逆井の言葉が頭の中で再生される。
“エレベータホールで見栄えのいい男と話して困ってた”
東郷じゃない。
となると……
脳裏に、あの不快な顔が浮かぶ。
「まさか……」
その瞬間、背中をドンと押された。
反射的に振り返ると──
そこには、俺が最初に“やりあった”モブ野本が立っていた。
逆井のやつ……こいつのどこが見栄えいいんだよ、マジで……
「義人? どうしたの?」
咲坂の声が耳に届く。
だが返事ができない。
それは野本の右手に、銀色の刃があったからだ。




