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俺は咲坂雪菜の少女ムーブに巻き込まれる

上條社長からの突然の呼びだし。嫌な予感しかしなかった。


 激しく胸がざわつき、落ち着かないままエレベータに飛び乗り……5Fの社長室へ急いだ。


 一緒にいた逆井には一階で待ってもらうことにした。


 申し訳ないが、上條社長からの呼び出しとあっては構っていられない。


 まあ、一応”自称人気モデル”のMISAKIにも会えたわけだし、スタジオ内を自由にできるのだから十分満足してくれているだろう。


 てか、もう帰ってもらってもよかったんだけど、どうしても咲坂を待つと言い張るから……仕方ない。


 後でしっかり出来立てホヤホヤカップルを前にお邪魔虫扱いしてやるつもりだ。


 まあ逆井のことだから、俺と咲坂が付き合うなんて天地がひっくり返っても起こるわけないと思ってる。


 だから、俺らがどれだけイチャつこうが、延々と邪魔してきそうで怖い。


 さて……


 上條社長に会うときは、いつだって胃の奥が重くなる。


 まして今回は怒声で呼び出されたのだ。


 田尻からの警告もある。


 嫌でも身が引き締まった。


 乱れた息を整えたくて、社長室の前で深く呼吸を一つ置き……意を決してドアをノックした。


「どうぞ~」


 少しだけトーンの落ちた上條社長の声が響いた。


「失礼します」


 そう言ってドアを開けた瞬間、足が止まった。


 視線の先には、上條社長の隣に俯いて座る咲坂がいる。


 重苦しい空気……だが、想像していた光景と少し違う。


 これは、どこか“職員室で先生に怒られてしょげている女子生徒”の構図に近かった。


 あれれ?


 咲坂さん?


 何をやらかしたんですか?


 もしかして俺はとばっちりパターンですか?


「櫻井?」


「は、はい……」


 ゴクリ。


 喉が鳴った瞬間、社長の視線が刺さった。


 なんかメッチャ恐いんだけどこの人?


 なんですか?


 その目つき?


 あの作品の旧ソ連軍の大尉ですか?


 なんか、顔に火傷跡があっても驚かないような迫力だよ。


 “跪け!”くらい普通に言いそうで怖い。


「櫻井、聞いてないんだけど?」


 はい出ました、ブラック企業ホラー“聞いてないんだけど?”……!


 ていうか俺、この人の部下じゃないよね?


 なんで報告義務みたいな空気になってんの?


 俺、何かしたっけ……?


 ……ん?


 ああ…………


 はい、はい、はい。


 やったな……はい、やりました。


 かつて咲坂への告白を社長に宣言してたから……報告義務はあるのか。


 とはいえ告白したの昨日だぞ?


 そんなスピード報告必要?


 悪い報告は即、良い報告は後でもいいってビジネス書に書いてあったぞ?


 学生の俺が言うのもアレだが……。


 まあ、この人には屁理屈なんて通用しないのは知ってる。


 だから“今から報告するつもりでした”の蕎麦屋ムーブを準備してたのに……


「櫻井?”今から報告するつもりでした”なんて言い訳はするなよ?」


 はい読まれました。


 この人はそうですよね。


 ほんとなんで俺の周囲はエスパーばっかりなんだよ。


「すいませんでした。報告が後になってしまって」


 謝りながら思う……これ、謝罪案件?


 むしろ俺の方がモヤついてきたんだけど?


「YUKINAを同席させた意味は分ってるよな?」


 その言葉に背中を押されるみたいにして、俺は咲坂へ視線を送った。


 咲坂と目が合う。


 ほんの一瞬だけだったのに、胸の奥が妙にくすぐったくなる。


 彼女はすぐに真っ赤になって、慌てたように視線を逸らした。


 俺も平静を装おうとして失敗した。


 口角が勝手に上がって、どう見てもニヤニヤ顔だ。


 自覚した瞬間、余計に止まらない。


 そんな二人の様子を見ていた上條は、盛大なため息混じりに


「もう報告は要らん!!今ので十分だ!!」


 と、手を払うように言った。


 さ、さすが上條社長……。


 二人の空気の変化だけで、全部察してしまうとか。


 恐れ入ります。


「まあ、座れ」


 促されて、俺は上條社長の正面に腰を下ろした。


「別に怒っているのは、櫻井にではない。YUKINAに対してだ」


「え?咲坂?何かやらかしたんですか?」


「私はただいつも通りに……」


「YUKINA?……”いつも通り”ってことはないだろう?」


「は、はい……申し訳ございません」


 ……ん?ん?


 会話の流れを追いかけようとしても、頭の中で線がつながらない。


「上條社長……咲坂が何か仕事でご迷惑お掛けしたんですか?」


 咲坂の肩がわずかに揺れる。


「ああ。今日予定していた撮影が全部キャンセルになった」


「な、なんでそんなことに……?」


 問い返した瞬間、咲坂が俯いたまま小さく息を飲んだ。


「モデルというのは、いわば商品なんだ。作品づくりのための“演出”があって初めて成り立つ。だから肝心のモデルが予定していたイメージを逸脱したら撮影は立ち行かない……櫻井でも分かるだろ?」


 上條社長は、淡々とした声音のまま俺を見据えた。


「ええ……まあ、当然ですよね。モデルって、求められたイメージを守るのが仕事ですから」


 そう答えると、咲坂がわずかに身じろぎした。


「ほらYUKINA……素人の櫻井ですら理解してるぞ?」


 その言葉に、咲坂は縮こまりながらも俺に“じと目”を向けてきた。


 ――いやホントに無理だから……この空気でフォローなんて……


「でも咲坂は……今日そんなに調子が悪かったんですか?イメージが変わるほどって……」


 俺が恐る恐る尋ねると、上條社長はわずかに眉を寄せた。


「そうじゃない。今朝、彼女に会って驚いたよ。今日のYUKINAは、昨日までのYUKINAとは別人だった」


 俺は、胸の奥からじわじわと、冷たいざわめきが背骨を伝って這い上がってくるのを感じた。


 さっきMISAKIが“呑気な調子”で言っていたから、深刻さを見誤っていた。


 でも……撮影が“全部キャンセル”されるほどの変化だったなんて。


 急に足元が揺らいだような、不穏な感覚に包まれた。


「まあ、むしろ今後のYUKINAのことを考えれば、感情豊かになった今の姿がむしろプラスに振れることもあると思うが……。しかし、いままでのイメージで演出を決めていた今日の撮影は悉くボツだ。YUKINAもプロのモデルならこんな失態を冒してはいけないのだよ」


 社長の静かな声が、逆に重く沈んで聞こえる。


 咲坂がどれほど戸惑っているかと思うと、胸の奥がきゅっと締めつけられた。


 急に変化した当人が一番驚いているだろうし……責められる姿は見ていて辛い。


 でも……俺が叱られた理由。


 報告のタイミングなんて建前で、本当は――


 俺の告白が引き金になって、咲坂が“変わってしまった”ことへの責任を問われている。


 そう思うと、妙な罪悪感が胸の底でじくじくと疼いた。


 でもさ……その告白を後押ししてきたの、誰でしたっけ?


 社長。


「それにしても。今のYUKINAを見ると、ますますIZUMUに近づいたなと思うよ」


 IZUMU――社長がかつて“唯一”褒めた伝説のモデル。


 ふと、社長の横顔がそのときの記憶を辿っているように見えた。


 今回の変化で、咲坂がそのレベルにまた一歩近づいたのだとしたら……。


 嬉しい反面、なんか……置いていかれる不安もある。


 だけど社長は、表向きは叱っているようで……本音はどこか誇らしげだった。


 むしろ、この変化を喜んでいるようにすら見えた。


「そうか。がんばったな、櫻井」


 胸の奥がじんわりと温かくなる。


 上條社長の声が、思っていたよりずっと柔らかかった。


「ええ、まあ……なんとか」


 自分で言っておきながら、少し照れくさい。


「よかったな、YUKINAも」


 上條社長の視線が咲坂に移る。


「はい……」


 咲坂は小さく息をのみ、控えめに微笑んだ。


 その頬がうっすら赤い。


 田尻、小杉先輩、森内……支えてくれた人たちの顔が、脳裏をよぎる。


「まあ、良かったよ。これで少し安心だ。櫻井もウジウジしていつまでたっても告白しないからヤキモキしたぞ?」


「め、面目次第もございません……」


 苦笑しつつ頭をかいた。


 ここまで来られたのは、本当に周囲のおかげだ。


 上條社長は、この流れを最初に会った日にもう予想していたのだろう。


 だからあの日、強引に告白宣言をさせたのだ。


 田尻のように心理学バックボーンもなくて、なんの訓練も受けていない上條社長が見せた、このナチュラルな洞察力には本当に舌を巻く。


「あの、社長」


「なんだYUKINA?」


 呼ばれた咲坂が、少し身を縮めながら顔を上げる。


「もしかして……その口調だと、義人の気持ちって知ってたんですか?」


「当たり前だろ? 最初に会った時、この男は私に“咲坂に告白する”って宣言して帰っていったんだから」


 その瞬間、咲坂の表情が一瞬で色を変えた。


 驚きと、呆れと、信じられない気持ちが入り混じったまま、まっすぐ俺を見る。


「まあ……社長に嵌められて白状したようなもんだけどな」


 照れ隠しで笑うしかなかった。


 俺は気を取り直して、肝心なことを切り出した。


「上條社長……一ついいですか?」


「なんだ?櫻井」


「東郷さんのことなんですが……」


 咲坂がピクリと緊張の顔をした。


 田尻から警告を受けた時、真先に思い浮かんだのが咲坂の恋人役を演じていた東郷だ。


 あの時の様子では咲坂への好意は明らかで、まだ咲坂に執着している可能性が高い。


 今後、東郷が余計なちょっかいを出すかもしれない。


 そのせいで「闇」の最後の抵抗に巻き込まれるのは避けたい。


 だからこそ、俺が咲坂に告白し、そして咲坂がそれを受け入れてくれたこと。


 それを、きっちり東郷に伝えておく必要がある。


「ああ、それについては私から東郷に伝える。まあ彼にも散々迷惑を掛けたからな。まあ彼もショックだろうが、こればっかりは仕方がない」


 それを聞いた咲坂も心苦しい表情をした。


 それはそうだ。


 自分のために散々協力してくれた相手が、実は自分に好意を寄せていた。


 それを振り切って自分は別の男と……


 東郷としては簡単に収まりがつかないだろう。


 東郷へは、当事者の俺や咲坂から説明ができるものではない。


 社長から話を通してもらうことが確実だ。


 もしかすると社長からしっかり話をしてもらえれば案外、すんなり納得してくれるかもしれない。


「さてと……じゃあ、君らはもう付き合ってると、そう東郷にも報告していいんだな?」


「はい」


 俺は即答したが……肝心の咲坂がキョトンとしている。


「え?違うの?」


 おいおい!


 俺の告白は幻だったのか?


 勘弁してよ……


 上條社長も怪訝な表情を浮かべてしまった。


「なんだYUKINA?違うのか?」


「えっと……す、好きだとは言われたけど付き合ってくれとはいわれてないなあ~と思って」


 なんだよ、少女からやり直すからって、この場で少女漫画ムーブかますのかよ?


 お前素直すぎなんだよ。


「なんだ櫻井?だらしないな……詰めが甘いぞ?」


 なんで俺がここで説教される流れになるんだよ。


「櫻井!!」


「は、はい……」


 社長の声に、条件反射で姿勢を正してしまう。


「やりなおし!」


「はぁ?何をですか?」


 思わず変な声が出た俺に、社長は呆れた顔を向けた。


「YUKINAは“付き合ってくれ”と言われてないそうだ」


「ま、マジかよ?」


 咲坂は“ほんとだよ?”と言わんばかりの表情でこくこく頷いている。


「ほら!はやく言え!」


「え?ここで?」


「あたりまえだ」


 俺の羞恥心なんて一切考慮されてない。


「さ、咲坂……」


 言いかけた俺の声が、妙に上ずる。


「は、はい……」


 咲坂は胸の前でそっと手を握りしめ、小さく息を呑んだ。


「俺と……付き合ってくれ」


 言ってしまった。


 社長が見ている前で。


 逃げ道ゼロ。


「はい……喜んで……」


 咲坂は顔を真っ赤にして、視線をさまよわせながら答えた。


「なんだそれ?中学生の告白か?あ見てられない!!ヤメロ!ヤメロ!!」


 自分でやらせておいてヤメロって……この社長は……。


 社長は例のおばさんモードに突入して、ひとりで大騒ぎしている。


 咲坂は真っ赤になって俯いたまま。


 なんだよこの状況?


 咲坂……ほんと勘弁してくれよな?

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