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咲坂雪菜の欲しかった視線

咲坂が見せた純粋無垢な少女の顔……


それは今の等身大の彼女の顔だ。


仮面をかぶる前の――本物の顔。


愛する女性の“本物の顔”へ辿り着けたことは、俺にとってこの上ない喜びだった。


しかし……彼女の本物の顔が、なぜ少女時代の面影なのか?


その答えを田尻は俺に悟らせた。


彼女は、少女時代まで“心”を戻す必要があったのだ。


何のために?


彼女が本物の顔をしていた頃まで戻って――


男性との関係性をやり直す必要があったのだ。


中学という季節。


少女が、自分の体の変化を意識しはじめ、他者の視線を初めて重く感じる頃。


咲坂は、その時期に「男子の視線」を“汚れ”のように感じてしまった。


目を逸らし、心を閉ざし、彼女は自分を守るために世界を遮断した。


その瞬間――彼女は、自分に仮面をつけた。


無垢を守るための防御だったはずが、同時にそれは“闇”の種でもあった。


押し殺した想いは、消えない。


「見られたい」という、本能。


本能を無理やりに沈めたことで、それは闇となって奥底に沈殿していった。


思春期に男子を嫌う女子など、珍しくはない。


だが多くは高校生になる頃には、自然な関わりの中でその嫌悪は薄れ、抑圧された心も静かにほどけていく。


しかし咲坂は普通の女子中学生とは少し違っていた。


彼女が普通と違っていた理由は、まずその“圧倒的な容姿”だ。


男子の視線を浴びる数が桁違いだった。


そして彼女は「霊が視える娘だった」と言っていた。


本当に視えていたかは分からない。


だがその言葉が示す通り、彼女の感受性は異常なほど鋭かった。


人の気配や感情に過敏で、常に“見られている”という感覚に囚われていたのだろう。


結果、視線の数以上にプレッシャーを感じてしまった。


やがてそれは恐怖に変わり、彼女は男性そのものを避けるようになった。


高校に進んでもその傾向は変わらなかった。


闇は逃げ場を失い、彼女の中で密かに膨張し続けた。


そして、ある日それは形を変え、静かに反撃を始めた。


まず彼女は無意識のうちに “モデル”という職業を選んだ。


それは皮肉にも、“異性に見られる”という状況を、自ら招き入れる選択だった。


「櫻井……咲坂君の最大の問題はなんだ?」

田尻は、確認するようにゆっくりと問いかけた。


答えは、もう見えていた。


――彼女は、あまりにも多くの男性の視線を集めすぎてしまうこと。


「なぜ咲坂君は、そうなってしまうのか?」


その問いに、田尻は答えを導くように続けた。


それは“闇”の仕業だ。


長い時間、押し込められていた「見られたい」という想い。


それが、無意識のうちに行動として表に出てしまった。


咲坂は気付かないまま、それを形にしていた。


男性を惹きつけるような職業を選び、身のこなしを磨き、自然に目を奪うような仕草をしてしまう。


――それが、押さえつけられていた闇の反撃だった。


彼女の中の“見られたい”が、ようやく形を得た瞬間。


だがその力は強すぎた。


彼女は、その美貌ゆえに、誰よりもそれを体現してしまった。


これが、咲坂が男性の視線を集めてしまう理由の全貌だ。


昨日、田尻に説明を求められた時、俺が本当に応えるべき内容が――これだったのだ。


あのとき「残党がいる」としか言えなかった自分が、いかに何も見えていなかったかを思い知る。


田尻があの場で失望したのも、無理はなかったのだろう。


「櫻井、もう分かっただろ?」


「はい。ようやく理解できました」


「なら君の役割は何になる?」


「俺の役割?」


「おい? まだそんなことを言うのか?」


いや、咲坂の闇の正体は分かった。


だが、俺にそれをどうにかできる気は、まったくしない。


ここに来て、まだ俺が気づきえないことがあるのか?


「君はそんな分析ができても咲坂君の問題の解決にはならないぞ。櫻井にしかできないことがあるだろう?」


「でも俺はカウンセラーという立場はとれないはずでは?」


「そうだ。君がカウンセリングをする必要はない。もし私がそのカウンセラーの立場であるなら、君は私が行うカウンセリングの重要な“コマ”ということになる」


「重要なコマ?俺ホントに重要なんですかね?」


田尻は呆れながらも、どこか諦めたように微笑んだ。


「櫻井……君の“視線”が重要なんだよ」


「俺の視線?」


「そうだ。何十人、何百人の視線では咲坂君の闇は解消しない。咲坂君が少女のころから望んだのは、不特定多数の男子の視線ではない。自分が見てほしいと思う、たった一人の男性の視線だ。今、その視線を向けられるのは、櫻井……おまえしかいない」


田尻の言葉が、肚の中にようやく落ちた。


――そうか、だからあのとき、彼女はあんな表情をしたのか。


「だから彼女は少女の顔になった。君に、あの頃の自分を見てほしかったんだ」


「そ、そういうこと……だったんですか……」


彼女の涙の意味が、ようやくひとつに結びついた。


「咲坂君が、君の告白で得たのは……本当に欲しかった君の視線だ」


「俺の視線……」


「少女時代から嫌悪した不特定多数の視線が、いくら向けられても意味がない。それでは彼女は避け続けるだけだ。だから、真に望む視線を得たとき――その視線は抑え込まれない。その唯一の視線こそ、君の視線なんだよ」


「俺の視線が、その負のループを断ち切る……」


「そうだ。だから俺は君に彼女へ踏み込むことを促したんだ」


「つまり先生は、最初から咲坂が俺のことを好きだって――」


「気付いていたに決まっている。そうでなければ、こんな仕掛けを俺がするはずがない」


衝撃で言葉が出なかった。


坂田さんでさえ祓えなかった“闇”を、田尻は俺という駒を使って追い詰めた。


――ここまで、すべてが彼の中で描かれていたのか。


ということは、昨日――俺と咲坂の気持ちが通じた時点で、この勝負は終わっていたのか。


「もしかしてこの勝負、もう終わってるってことですか?」


「俺の仕事という意味ではそうだ。俺は君という楔を打った。あとは君次第だ」


つまり、ここからが俺のターン……ということか。


だが、何をすればいいのか分からない。


「これから俺は……何をしたらいいんですか?」


「君は何もしなくていい」


「は? 何もしなくていい!?それではさっきと言われてることが違う気がします」


「勘違いするな。咲坂君の闇を解消できるのは君しかいないのは事実だ。だが、何か具体的な行動を起こす必要はない。ただ、そばにいればいい」


「……ただ、そばにいるだけでいい?」


「そうだ。彼女は君の視線を感じながら、未発達だった男女関係を再構築していく。それこそ、少女時代からやりなおすように。そうしてようやく、闇は解かれる」


「何かをしてすぐに解決という話ではないってことですね」


「そうだ。ただし、君の視線が消えた瞬間、再発する可能性がある」


「俺の視線が……消える?」


「つまり、君と咲坂君の関係が壊れた時だ」


「俺は……絶対、別れません」


「そうか。ならいい」


胸の奥に、確かなものが灯った気がした。


これは、覚悟だ。


「では最後に……君が足りなかった“最後のもの”を教えよう」


「足りなかったもの……?」


「それは今、君が宣言した“覚悟”だ。未来永劫、咲坂君に視線を送り続ける覚悟。それが本物になった時、彼女の闇は完全に消えるだろう。おそらく、それは君と彼女が“永遠”を約束した瞬間だ」


永遠――。


その言葉が、重く、温かく胸に沈んだ。


結婚、という言葉が頭に浮かぶ。


昨日までの俺なら笑ってごまかしただろう。


けれど今は、違った。


その重みが、不思議と心地よかった。


「櫻井。咲坂君を救うとは、そういうことだ」


田尻の声が低く響いた。


「昨日の君には、それがなかった。彼女に踏み込む勇気も、闇の正体も、自分の立場も見えていなかった。一生そばにいる覚悟なんて、影も形もなかった。昨日の君は、足りないものだらけだった」


――ぐうの音も出ない。


昨日の俺を殴り飛ばしたいほどだ。


でも今は違う。


ようやく分かった。


俺がすべきことは、“覚悟”を持って彼女と生きること。


それが、俺にできる唯一の救いの形だ。


「櫻井、最後にもう一つ言っておかねばならないことがある」


田尻が神妙な顔で、改まった口調になった。


少しだけ俺に緊張が走った。


「咲坂君は、君の告白で“変容のスイッチ”が押されている」


「変容のスイッチ……?」


「彼女はもう、昨日までの彼女ではない。そして周囲は必ず気付く。特に、彼女に視線を送っていた男たちは」


その言葉に、嫌な予感がした。


「しばらくは、周りの男たちの行動に注意しろ。闇が最後の抵抗を見せるかもしれない」


「最後の抵抗……?」


「彼女の変化を望まない者たちが、何かを起こす可能性がある。それを、すぐに彼女へ伝えてくれ」


周りの男。


――東郷の顔が浮かぶ。


「咲坂に近しい男性が一人、います」


「その男が巻き込まれる可能性が高い」


血の気が引いた。


東郷が――?


「咲坂君の今日の予定は?」


「午前中、スタジオ撮影です」


田尻は眉間にしわを寄せた。


「俺、今から行きます。講義もないんで」


「そうしろ。すぐに会って、話を伝えろ。……櫻井、くれぐれも注意しろ。君なら“闇”の怖さを理解しているはずだ」


「はい……分かっています」


あの冷たい影の怖さ。


人の命すら奪う、あの重い闇。


簡単に考えちゃいけない。


まずは、東郷。


そして――咲坂。


俺は田尻と別れ、渋谷の道玄坂――Kスタジオへ向かった。

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