あの二人の言葉が揃ったとき、俺はやるべきことを理解した
俺と咲坂は、待ち伏せしていたであろう小杉先輩と森内に合流してから、駅前のファミリーレストランへ向かった。
小杉先輩と森内――この二人の、あまりに暢気で他人事な空気が逆にありがたかった。
深刻になっていた自分が馬鹿らしく思えて、張りつめていた糸がふっと緩んで……救われた。
鬱々とした気分が幾分か晴れてくると、停止していた思考が少しずつ回復してきた。
――なんだ、小杉先輩。
グッジョブです!
ほどなくしてファミレスに到着し、店内に入ると、ちょうど夕食の時間帯と重なり、すぐには席に通されなかった。
順番を待ちながら、四人とも無言。
沈黙の中に、妙な居心地の悪さが漂っていた。
やがて、店内の端の席に案内された。
ここなら周りを気にせずに話ができる。
俺は咲坂の正面、小杉先輩は俺の隣。
森内は咲坂の隣に座る形になった。
この座り方は、実は小杉先輩の指示だった。
意外にも、こういうときの気配りができる人だ。
普段は自分の世界に閉じこもってるように見えるのに、人は見かけによらない――。
サークルでも、いつも皆にコーヒーを入れてくれるのはこの人だしね。
案外この人は、見た目で損をしているだけの人かもしれない。
さて……。
小杉先輩が珍しく自分からファミレスを提案してきたということは、田尻から「俺と咲坂の相談に乗ってやれ」とでも言われて来たのだろう。
この二人が咲坂の事情をどこまで聞いているのかは分からない。
おそらく何も知らないのだと思う。
田尻にしても、クライアントである咲坂のプライベートな話を易々と漏らすことはないはずだ。
だとすると、この二人を交えて話しても、咲坂の問題が進展するとは思えない。
すでに俺ですら、この問題解決に関して存在意義がなくなりつつある。
しかし――。
それでも田尻がわざわざ仕向けたということは、意味があることだと考えた方がいい。
田尻は、無駄なことにこんな手の込んだ仕掛けはしないだろう。
では、いったい田尻はこの二人に何を期待したのだろうか?
各々ドリンクバーを注文して少し落ち着いてから、小杉先輩がマグカップを両手で包みながら口を開いた。
「では、櫻井。まずは状況を説明してくれ」
その口調には、妙に張り切った色があった。
やっぱり小杉先輩、完全に“乗り気”である。
四人で話をする以上、ある程度はこの二人にも咲坂の状況を説明する必要がある。
俺は咲坂の方を見て、“話していいのか?”という意味を込めてアイコンタクトを送った。
咲坂はその視線の意味を感じ取り、ゆっくりと首を縦に振った。
それを森内が見逃すはずもない。
ニヤリと笑って、何も言わずにストローをくわえる。
恋愛脳、発動である。
森内さん?
真面目な話しようとしてるんだから、今はその恋愛脳はしまっておいてね?
頼むよ?
俺は咲坂が職場環境のことで悩んでいること。
その悩みの根本には、彼女自身の内面的な問題が関わっていること。
そして、その問題解決に俺が協力していることを、かいつまんで話した。
ただ――“異性を惹きつけすぎる”という問題だけは伏せた。
小杉先輩はウンウンと頷きながら聞いていたが、森内はどうも合点がいかない顔をしている。
「森内、何か疑問点でもあるのか?」
俺が問うと、森内は少し首をかしげながら口を開いた。
「今聞いた話だけだと、どうしてさっき櫻井君と咲坂さんが抱き合ってたのか、その状況が見えないんだけど?」
咲坂がまた、顔を真っ赤にしてしまった。
「おい、またそれを蒸し返すのかよ? あれは、もう気にしないでくれ……」
俺も慌ててそう言った。
だからその恋愛脳は今はしまっておいてくれよ!?
「でも田尻先生が私達に依頼してきたのは、咲坂さんの問題を解決することじゃなくて、落ち込んだ二人を慰めてくれってことだったから……」
「そうだぞ櫻井。俺は最初から、咲坂さんの問題に首を突っ込もうなんて思ってない」
「だったら何を相談するというのですか?」
声が少しだけ尖った。
「だから俺は、“櫻井と咲坂”という極めて難易度の高い仲を、どうやって取り持ってやろうかと思っていたところだ」
小杉先輩の真顔に、俺は思わず脱力した。
いや、誰より恋愛偏差値低そうなのに、何をやろうとしてるんだこの人は?
やれるもんならやってくれよ……ホントに。
そう腹立たしく思ったものの――考えてみれば、この二人の言うことはもっともだ。
田尻が咲坂の難題を「四人で解決しろ」と言うはずがない。
その困難さは、俺が誰よりも理解している。
おそらく田尻は、精神的に動揺している俺と咲坂を励ましてやってくれ、と頼んだだけだろう。
だが、はたしてそれだけだろうか?
おそらくはそれだけでは終わらないはずだ。
田尻には、必ず“狙い”がある。
……一体、何を狙ってのことだ?
「で……櫻井はなぜそんなにションボリとしていたのだ? 咲坂さんにフラれた訳ではないのだろう?」
「またそういう方向ですか? 小杉先輩、完全に恋バナしたいだけですよね?」
「バ、バカを言うな……ゴホン」
……なんだよ、恋バナしたいのかよ?
このままではダラダラと恋愛話に流されそうだったので、俺は一旦話をまとめた。
「真面目な話、咲坂の問題に俺が安易に首を突っ込みすぎてたんですけど、田尻にそれは無意味どころか弊害だって言われた感じです」
そう言いながら、自分でも気づかぬうちに暗い顔をしていたらしい。
咲坂が慌ててフォローを入れた。
「いや、私は弊害なんて全く思ってないし、助かってるから」
その声に救われる。
けれど同時に、胸の奥に小さな痛みが走った。
「櫻井、君にしては初歩的なミスを犯したね?」
「え? なんですか? それ?」
「普段の櫻井なら、その答えにすぐ辿りつけたはずだ」
その瞬間、胸の内でざわりと波が立つ。
――この言葉。
さっき聞いたばかりだ。
田尻の口から。
「今の櫻井では、咲坂さんを救うことはできないと思うぞ?」
「なっ……!」
息が詰まる。
なんで小杉先輩が、田尻と同じ言葉を?
「それから……」
「そ、それから何なんですか?」
「君が外側にいるつもりなのがおかしいよ」
――外側。
その二文字が、胸の奥で鈍く響いた。
田尻の声と小杉先輩の声が、頭の中でゆっくりと重なっていく。
“君が外側でつったっているからだ”
まさに、あの時と同じ響き。
違う場所、違う相手なのに、同じ言葉が突き刺さる。
「……今の、なんでそんな言葉を?」
「ん? 別に深い意味はないけど」
ゾクリとした。
まるで、見えない何かがこの場を通して、同じメッセージを俺に投げているみたいだった。
頭が混乱する。
どうして小杉先輩が、田尻が俺に話した内容を知っている?
まさか、小杉先輩にも田尻並みのプロファイル能力が……?
――申し訳ないが、小杉先輩に田尻のようなモンスター級の能力があろうはずがない。
小杉先輩の言葉が意味するのは――誰もがたどり着ける、ごく当たり前の答え。
普段の俺なら簡単に気づけたはずのこと。
「まだ分からないのか、櫻井」
「……」
悔しいが、何も浮かばない。
つまり今の俺は、“いつもの俺”じゃないということだ。
「つまり、さっきの君らの抱擁から察しても、すでにニュートラルな立ち位置にいない君が、咲坂さんの深い問題を解決するポジションには立てないってことだろう?」
ここにきてようやく“君が外側でつったっているから”という謎のメッセージの輪郭が浮かび上がってきた。
中立でいられない――そういうことか。
パズルのピースが、ようやくはまる。
カウンセリングでは、中立的な立場でクライアントに向き合うのが基本中の基本。
けれど俺は、咲坂に惚れてしまっている。
その時点で、もう中立ではいられない。
なのに俺は、それにすら気づかず“それ”をやろうとしていた。
“今の櫻井では、咲坂さんを救うことはできない”
田尻の言葉が、静かに胸の中で意味を変える。
なら、どうすればいい?
俺が咲坂への想いを断ち切ればいいのか?
いや違う。
全く発想の方向が間違っている。
そんなの、できるわけがない。
想いは、切ろうとして切れるものじゃない。
「櫻井君がニュートラルになれないって、つまりアレってことだよね? 櫻井君が咲坂さんのことを……」
森内が急に話に割り込んできた。
「森内!! だからそういう詮索は止めろって!」
俺の強い制止に、なぜか咲坂の視線が泳ぐ。
――その目はやめてくれ。
期待に触れてしまう。
「櫻井君は、難しく考えすぎだよ」
森内はあきれたように言った。
「え? どういうこと?」
「櫻井君は助けたい。咲坂さんは助けられて嬉しい。――それで、何が問題あるの?」
「だから、それでは根本解決にならない」
「根本解決?何言ってんの?ホント櫻井君は自分のことになると途端に鈍くなるよね? 櫻井君が今なにもできない理由はなんなのよ? 中立の立場がとれないなら、まずは自分の立ち位置をはっきりさせなさいよ! あなた男でしょ? 男が女性を助けるならどうすればいいのよ? そこをまず考えなさいよ!」
森内にまくし立てられて、俺はポカンと口を開けてしまった。
「櫻井、ニュートラルじゃない以上、できることは“男女の仲”として関わることだ」
小杉先輩が静かに結論だけを置いた。
今日の小杉先輩、妙にキレがある。
二人の話を聞いて、ようやく俺はさっき考えていた思考が収まるところに収まった。
肩の荷が、ゴソッと降りた気がした。
そうか。
難しく考えることはない。
男女の仲――その関係さえ構築できれば、咲坂を救えるのかもしれない。
おそらくそんな簡単な話ではないのだろう。
これで万事解決というほどこの問題は単純ではない。
ただ、一つの結論は出た。
俺は田尻の場所にいる必要はない。
つまり中立なカウンセラーの立場なんて、もとより俺には無理な話なんだ。
そんなことを学生の俺ができるわけがない。
そのうえ俺は、咲坂に惚れてしまった以上、決して中立な立場をとることができない。
まずは、田尻が示したヒントへの一つの答えはこれだろう。
「俺はカウンセラーとしてじゃなく、別の立ち位置で咲坂を救う。――その立ち位置は」
咲坂は田尻からすでに“結論”を受け取っていた。
それが意味するところ――これが答えだ。
思い出す。
上條社長のあの強引な“告白宣言”。
直感だけでその核心を突いていたのか。
「ハハハ。見えてないのは俺だけだったってことか」
そうか、咲坂はこれに気付いていたのか。
咲坂は田尻の前で、自分がそれをすると言った。
違う。
それは、俺の役目だ。
「そうだ櫻井。やることは分かってるんだろう?」
「意外ですよ、小杉先輩」
「何がだ?」
「小杉先輩、しっかり恋愛のアドバイザーできてるじゃないですか?」
「当たり前だろう? 俺は彼女ができたことはないが、彼女をつくるためにした努力は君の比ではない」
あちゃ~、そのカミングアウト必要でした?
せっかくカッコいいと思ったのに、思いっきり残念な人になってしまいましたよ。
――咲坂の手がわずかに震えているように見えた。
「なんだ、面白くないな。すぐに問題解決してしまったじゃないか?」
小杉はつまらなそうに、でもどこか満足げに言った。
「そうよね。でも私は、二人はソウルメイトってとっくに気付いていたから、予想通りなんだけどね?」
オカルト脳、侮れない。
さっきの説教、正直刺さった。
俺たち四人は、思ったより早くファミリーレストランを後にした。
小杉先輩と森内は田尻に報告してくると言って大学に戻って行った。
俺と咲坂は、自然と少し遠回りして、駅近くにある公園の中を歩いていた。
咲坂の歩幅が、ほんの少しだけ不揃いだった。
――たぶん、これから起こることに気づいている。




