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俺の言葉は止まり、彼女の本心が近づいた。

 俺と咲坂は研究棟を後にした。


 帰り道、俺は「落ち込み」を取り繕う余裕もなく、塞ぎこんだまま咲坂と駅に向かった。


 咲坂は、俺にどう言葉を掛けていいのか分からないようで、不安げに俺をチラチラと見ている。


 まただ……


 咲坂の部屋の時といい、今回といい……


 救わなければならないはずの俺が、救われなければいけない咲坂に心配されている。


 もうこれでは助けるどころか足手まといでしかない。


 仕事場でストレスにさらされている咲坂が、プライベートでまた俺という“お荷物”に気を使わなければならなくなっている。


「咲坂……悪いな。迷惑ばかりかけて……」


 俺は居た堪れなくなり、そう呟いた。


「な、何言ってるのよ!私はいつも義人に助けてもらってるって言ったでしょ?」


「ハハ……最近は咲坂に慰められてばっかりだな」


「な、慰めているわけじゃないから……そんな顔しないでよ!」


「もう……俺に気を使わなくていいぞ」


 俺が咲坂にやってあげられることなんて、もう何もない。


 田尻の言葉が頭をよぎる。


 ――君が外側でつったっているからだ。


 あの一言は、いまだに胸の奥でざらついている。


 意味なんて、正直わからない。


 けれど、何かを見透かされたような居心地の悪さだけが残った。


 俺は、ただ立ち尽くしている。


 咲坂を支えるつもりでいながら、何もできない自分に苛立ちを覚えた。


 咲坂は、苦しみを生き抜いてきたからこそ、人の痛みを敏感に感じ取る。


 だから俺のようなどうしようもない男にも優しいのだ。


「はは……咲坂はやさしいな……」


 俺は自嘲するように呟いた。


 咲坂にしたって「根本解決は難しい」という事実を突きつけられて、きついはずだ。


 それでも俺のことを気遣って、必死に慰めてくれようとしている。


 それに比べて俺は……


 情けないが、今、咲坂にかけてあげられる言葉すら見つからなかった。


 “俺は咲坂を救えない……”


 またこの言葉が、俺の心に突き刺さる。


 また俺の顔が苦痛にゆがんだ。


 ふと前を見ると――


 隣を歩いていたはずの咲坂が、俺の進行方向に立ちはだかり、こちらを向いていた。


 咲坂は睨みつけるように、大きな瞳で俺を見つめている。


「義人……私がさっき田尻先生にいったことは……本心だから。私は義人にもう救われてる……それはちゃんと分かってよ?だから……そんな顔しないでよ……。いつもみたいに偉そうに私を励ましてよ……。もうそんな……私のこと諦めたような……そんな顔しないでよ……。義人がいないと……私は困るのよ……。……私は……私は……」


 そう言ってから、咲坂は俺に近づき……


 彼女の両腕は、俺の脱力した身体を包みこんでいた。


 ……その両腕は、力強く俺を抱きしめた。


 そして咲坂は、まるで子供のように声を出して泣きじゃくっていた。


 俺は……そんな咲坂を見ても……


 何も言葉を掛けてあげることはできなかった。


「あ~……ゴホン! ゴホン!……」


 不意に背後から咳払いが響いた。


「?」


 俺は反射的に振り向く。


「ああ……ゴホン!」


 今度は、わざとらしいほど大きな咳。


 その場に、沈黙が落ちた。


 俺も咲坂も、驚きで身動きが取れない。


 咳の主――小杉先輩と森内も、気まずそうに固まっていた。


「お……お取り込み中、悪いんだが……」


 ようやく小杉が恐る恐る声を出す。


「バカ! まだ声かけるの早いってば!」


 森内が肘で小杉の脇腹を突いた。


「もういいでしょ?」


「何よ、もしかしたらラブシーン見れたかもしれないじゃない!」


「いや、俺は……それはちょっと見たくないから」


 小杉が小声で言い訳する。


 人の気も知らないで、随分と勝手に、しかも丸聞こえなヒソヒソ話をしていたのは……


 見覚えのある二人だった。


 わざとらしい咳払いの主は、同じサークルメンバーの小杉先輩。


 それに突っ込みを入れていたのは、もう一人のオカルト娘・森内だ。


 ……な、なんであんたらこんなところにいるんだよ?


「いやあ……お取り込み中、本当に申し訳ないのだが……」


 小杉はもう一度同じセリフを言いながら、咲坂を見た。


 咲坂は小杉の視線を感じて……一気に“素”に引き戻されたらしい。


 咲坂は、俺を抱きしめたまま、みるみる耳まで真っ赤に赤面して固まってしまった。


 あの~咲坂さん?


 俺はとっても嬉しいんだけど……素に戻って、その体勢で固まられると……何と言うか……。


「さ、咲坂……あ、ありがとう。だから……その……」


 俺はしどろもどろに、そこまで言うのが精いっぱいだった。


 咲坂は、スススッと音もなく俺から離れた。


 一旦、皆に背中を向けてから、


 慌てたように距離を取ると、咲坂は顔を伏せ、両手で頬を扇ぎながら「ゴホン、ゴホン」。


 咳をしているのか、照れ隠しなのか、自分でもわからない様子だ。


 さらに髪を整え、制服の袖を軽く払って、深呼吸ひとつ――そして、くるりと振り返る。


「小杉先輩、森内さん、こんばんは!」


 と言いながら、満面の笑みで“ニコッ”と笑って見せた。


 お、おい!……それは強引すぎるだろ?


 なんで何事もなかったことにしようとしてるんだよ?


 ってかその笑顔かわいすぎるから、小杉先輩、満足しちゃってるし……。


 なんか……こういう時の咲坂って凄いな。


 おまえモデルじゃなくて、女優になれよ?


 絶対、大成すると思うぞ。


 俺も息を整えて、小さく咳払いし、話を切り出した。


「小杉先輩と森内……随分前に帰ったと思ってたけど?」


 あまりにタイミングよく二人が現れたことに、違和感を感じた。


「櫻井くん……察しのいい君だから隠さずに言うと、田尻先生に頼まれて待ってたんだよ」


 そう森内は答えた。


 は?そ、そんなことあるか!?


 この二人は、普段はあまり空気を読む方でない。


 それが、サークルが終わった後、田尻の目くばせだけでやけにあっさり教室を出て行ったことを思い出した。


「まさか、あの時点で田尻はここまで読んでいたというのか?」


 あらためて田尻のあまりに底知れぬ洞察力を目の当たりにして、もう驚きを通り越してあきれてしまった。


「田尻先生からはなんて言われていたんですか?」


 咲坂も苦笑いしつつ尋ねた。


「まあ、今見た通りのことが起きるから、この辺で待っとけと」


 小杉は当たり前のようにそう言った。


「マジですか?」


 俺は思わず声に出してしまった。


 でもその“見た通りのこと”ってどこまでだよ?


 まさか……。


「ああ……でも勘違いしないでくれ。君たちのラブシーンまでは俺たちも聞いてなかったから……あれは想定外だ」


「いや小杉先輩違うでしょ?あれはラブシーンではなくて咲坂さんが一方的に櫻井君を抱きしめていただけだから」


 森内がそう言うと、咲坂はゆでダコのように真っ赤になっていた。


 さすがにさっきのような満面の笑顔で切り抜ける余裕はないようだ。


「では……君たちの話を聞きに……駅前のファミリーレストランにでもいきますか」


 小杉先輩はそう提案した。

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