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22/40

俺は、間違った場所から始まっていないのか?

 咲坂と俺は、Kスタジオを出て少し遅い昼食を取るために、道玄坂の途中にあるバイキング形式のレストランに入った。


 昼休みのピークを過ぎていたので、席はほどよく空いていた。


 窓際の落ち着いた席に腰を下ろす。


「なんか、ごめんなさい。私が連絡すればよかったね」


 咲坂は軽くうつむき、そう言った。


「まあ、あの社長を咲坂がコントロールすることはできないだろう」


 彼女は苦笑いを返すが、表情が暗い。


「でも、ますます義人を巻き込んでしまって、迷惑かけてばかり」


「いや、それについては全く気にしないでいい。乗りかかった船だ。素敵なお姫さまのためなら、男なんて単純なものだ」


 俺は明るくそう言った。


 咲坂は一瞬ぽかんとして、すぐに笑ってくれた。


「何それ?」


 その笑顔を見て、胸の奥がふっと軽くなった。


 咲坂に振り回されることは、俺にとって決して苦痛ではない。


 どんどん振り回してもらって構わない。


 ――ただ、今回のことはいきなり“目の当たり”にするには少々きつかった。


 つまり、「東郷肇」という男――いや、普通の男ではない。


 完璧イケメンかつ、咲坂のダミー彼氏という存在のことを。


 俺が唯一引っ掛かったのはそこだ。


 不満の理由は「協力してるんだから、事前に情報を共有してくれ」なんて理屈じゃない。


 ――「仕事場で近しい男性の存在を話してくれなかった」。


 つまり嫉妬だ。


 だから俺は東郷のことをもう少し聞いておきたかった。


「東郷さんのことだけど……」


 言葉を向けた瞬間、咲坂の肩がわずかに動いた。


 その変化に気づきながらも、俺は話を続けた。


「彼との関係って……」


 言い終える前に、咲坂が息を吸い込む。


「誤解しないで!」


 かぶせるように強い口調で咲坂が口を開いた。


「彼とはホントにダミーで、恋人のフリをしてもらってただけだから」


 早口だった。


 言い終えると、咲坂は唇を噛んだ。


 その事実は誤解していない。


 ただ、“恋人”という一語の響きが、胸のどこかでひっかかった。


 たったそれだけで心がざわつく自分が、情けない。


 俺の顔色に気づいたのか、咲坂は慌てて続ける。


「彼を連れてきたのも上條社長で、私が選んだとか、お願いしたとか、そういうことは一切ないから。東郷さんは、うちの事務所でもルックス的にも性格的にも一番……その……」


「ああ、それは東郷さんが適任だろうな。そこらの男じゃ務まらない」


「そう……だよね……」


 咲坂の表情がまた暗くなったので、俺はまた無理に軽い調子で続けた。


「でも、先に言って欲しかったな。あの人、いきなり紹介されたら――正直、ショックでけーよ」


「だ、だから、ちょっと義人にはあまり知られたくなかったというか、知ってほしくなかったというか……」


 咲坂は歯切れ悪く、最後の方は小さな声が消え入るようだった。


 まあ、咲坂からしたらダミーの恋人なんか、友だちに知られたくはないだろう。


 咲坂にとって、苦悩を避けるための作戦のはずが、この作戦を続けること自体が「苦悩」になってしまった。


 こんな対処療法で何がどう変わる訳があろうはずがない。


 決していい方法とは思えない。


 それに乗り気で協力する東郷の本意は正直分からない。


 ただ、あの調子だと真剣に咲坂のことをなんとかしてあげようという気持ちは見てとれた。


 その根底にあるのは――まあ、考えるまでもない。


 咲坂への好意だ。


 そういった意味で、俺と同類か。


 だから俺としても「ニセの関係から本物の関係に」という、漫画にありがちなテンプレートな出来事がないとは限らないのでは、という不安があったのも事実だ。


 いずれにしても、そんな付け焼き刃的な対処療法は、すぐにでも解消してほしい。


「で、東郷さんはどうするんだ?」


「実は、今日“ニセの恋人”というのは、社長からやめにするという話をしてもらったの。そうしたら東郷さんが社長に詰め寄ってしまって。義人が協力する話も社長がしたものだから、義人を呼ぶという流れになったわけ」


 なるほどな……。


 でも――。


「それは、俺を呼んだら話ややこしくなるだけって気付かなかったのかな?……上條社長にしては読みが甘かったな」


 皮肉っぽく言うと、咲坂は困ったように目を伏せた。


「いえ、社長は止めたほうがいいって言ったんだけど、私が……その、無理やり呼ぶように言ったから」


 言いにくそうに語尾が濁る。


「お前もちょっと男心、読めよ」


 思わず肩をすくめる。


「え? どういうこと?」


 咲坂が顔を上げ、首をかしげた。


「だから、東郷さんの気持ちとか?」


「東郷さんの気持ち?」


 彼女は本気で分かっていない顔をしていた。


「どう考えても東郷さん、お前に好意があるだろう? それに気付かなかった?」


 さすがに呆れ顔で俺は言った。


「え?! それはないと思うけど!?」


 咲坂は慌てて身を乗り出した。


「は? バカかおまえ!!」


 つい声が荒くなる。


「バカって何よ! それは義人の思いこみだと思うけど?」


 口を尖らせる咲坂に、俺は小さくため息をついた。


「うわっ……いま東郷さんに初めて同情したよ。――って、俺ごときに同情はされたくないだろうけど」


「え? ナ、ナニ言ってんのよ? 東郷さんが?」


 咲坂の視線が揺れる。


「おそらく上條社長は、咲坂の気持ちをこう読んだと思うぞ……」


 少し間を置いて、切り出す。


「東郷の気持ちが咲坂に向かうことで、咲坂がプレッシャーを感じはじめていた、と」


「え? そうなのかな?」


「そうだろ? だから“ダミーの恋人”役である東郷から、咲坂のプレッシャーとなる『異性の視線』が発生してしまった」


「それって、つまり」


 咲坂が続きを促す。


「そうだよ。本末転倒な状況になっている」


 咲坂は、心底驚いたように目を見開いて固まってしまった。


 確かに咲坂は、東郷が自分に好意を寄せているとは、微塵も感じていなかったらしい。


 ――まあ、ってことは俺の好意も全く通じていないってことなんだろう。


 そんな自虐がよぎった瞬間、ある可能性がひらめいた。


 ……俺は?


 俺はどうなんだ?


 俺の咲坂への好意は、“その他大勢”と何か違いがあるのか?


 俺が咲坂の“魔性”に魅かれたわけではないという保証は、どこにある?


 その「可能性」に、なぜいままで気付かなかったのか?


 決して認めたくないから、敢えて避けてきたのか?


 いやいや、俺はそうでない。


 そんなはずはない。


 ただ、そう思っても……俺だけが違うと言う確たる根拠が見つからない。


「咲坂、東郷の視線にはプレッシャーは感じていなかったということだよな?」


 俺は気持ちをなんとか落ち着けながら、再び咲坂に問うた。


「え? さっきの話? 感じる訳ないじゃない。だって私が東郷さんの気持ちに気付いていないんだから、プレッシャーなんて感じる訳ないよ」


「だよな」


 確かにそうだ。


 なのになんだ、この不安感は?


 確かに、なんで咲坂は東郷を遠ざけるような行動を、知らず知らずにとっていたのか?


 つまり、俺をスタジオに連れて行き、あまつさえ野本には俺を彼氏宣言までしてしまった。


 東郷という“ダミーの彼氏”がいるにも関わらず。


 不可抗力とはいえ、結果だけを見れば、見事に東郷との関係性を解消することに成功してしまった。


 端から見れば、咲坂は、東郷に一線を越えられたくないから、自分から先に「俺」というダミーを使って、東郷を遠ざけたとしか思えない。


 咲坂は東郷の気持ちに全く気付いていなかった――それは、さっきのリアクションを見れば嘘ではない。


 しかし、自分が意識できない“無意識のレベル”で、東郷の好意を警戒していた可能性があるのか?


 だから俺を“盾”にし、無意識に東郷を遠ざける行動をとったのではないのか?


 深層心理学をかじっている俺にとって、“無意識の行動”が日常的に起こることは、知りすぎるほど知っている。


 東郷は咲坂から――無意識的に――避けられた?


 そうなのか?


 すると、もう一度同じ問いが浮上する。


 ……なら、俺は?


 俺も東郷や“その他大勢”と同じなのか?


 その可能性に行き着いた瞬間、内臓をかき回されるような焦燥感で吐き気を覚えた。


「え? 義人? どうしたの? 顔が真っ青だけど!?」


 俺の顔色を見た咲坂が、慌てて身を乗り出す。


「いや、すぐ良くなるから、心配ない」


 そうごまかしたが、動揺は収まらない。


 俺は深呼吸を繰り返しながら、必死に思考が立ち直るきっかけを探した。


 東郷は咲坂の闇に引き寄せられた可能性がある。


 では、俺はどうなのか?


 俺も東郷と同じなら、いずれ遠ざけられてしまうのか?


 俺が咲坂を好きになった理由が、咲坂の闇が生み出した引力ではないと、断言できるのか?


 どこを探しても――それを否定できる確たる根拠は、見つからなかった。


「咲坂、俺が嫌になったら、ちゃんと伝えてくれ」


「え? 急にどうしたの? 意味わかんないよ」


 咲坂の顔がみるみる強張ったのが分かった。


「ああ、そうだな。ゴメン。疲れてるのかな、ハハ」


 必死にごまかすが、ますます咲坂は不安そうに俺を見つめた。


 そして咲坂は口を開いた。


「義人、このあと講義は?」


 思わず顔を上げた。


 いつになくまっすぐな声音だったからだ。


「ああ、四限がある」


 咲坂は短くうなずき、すぐに言った。


「それ、休みなよ」


「は?」


 咲坂は一瞬考えこむように目を伏せ、やがて顔を上げて、強い意志を込めて言った。


「この後……私の家で休んでいきなよ」


「……はい?」

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