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俺は、東郷という選ばれ者に嫉妬した

「咲坂が直接連絡すればいいだろう?」


 俺がそう言うと、なぜか三人がみな顔色を変えた。


 咲坂と上條社長は「しまった」という顔をしていたが、東郷だけが眉間に皺を寄せ、「なんだと?!」とばかりの驚きの表情を見せた。


 俺と咲坂が直接連絡を取ることに、なにか問題があるのか?


「まあ櫻井、悪かったよ。そうカリカリするな。その、YUKINAがホイホイと特定の男に連絡するのがな……」


 上條は歯切れ悪くそう言って、東郷の顔をちらと見た。


 ここに来て、分厚い仮面をつけてポーカーフェイスを決めていた東郷が、明らかに不満の表情を見せている。おそらく彼が俺に見せた初めての「素」の表情だ。


「YUKINA、君は彼に個人的な連絡先を教えているのか?」


 東郷は責めるように咲坂に問いかけた。


 咲坂は気まずそうに目を泳がせ、下を向いてしまった。


「東郷、まあ彼は大丈夫だ」


 上條社長がすぐにフォローを入れた。


 だが東郷は納得がいかない様子で、低い声を返した。


「社長、でもこれではまた同じことを繰り返すことになりませんか?」


「東郷の言い分もわかるが、YUKINAだって大学という我々以外のコミュニティに属している。そこまで我々が口を出すのは現実的ではない」


 上條は静かに反論したが、東郷の表情はさらに険しくなった。


「いや、それはそうですが、YUKINAの危機意識がどうなのかと。本人がそれだと、周りが手助けするにも……」


 どうやら想像通り、咲坂の問題に東郷はすでに協力している立場らしい。


 会話の内容から推測するに、きっと咲坂は過去に個人の連絡先を男に教えたことでトラブルを起こしているのだろう。


 安直な想像では……ストーカー被害か。


 連絡先すら教えないという神経質ぶりから判断するに、一度や二度ではないのだろう。


 上條もこの悪い空気のままでは先へ進めないと思ったのか、説明を始めた。


「櫻井、君も気付いているYUKINAの問題だが……」


 俺は短くうなずいてそう返した。


「ええ……男性の視線ですね」


「ああ……勘のいい君のことだから気付いていると思うが、この東郷はその問題解決に全面的に協力してもらっていたんだ」


「ええ、そうみたいですね。であればなぜ社長は俺なんかを頼ろうとしたんですか? 東郷さんの方が適任に見えますけど?」


 俺の問いに、上條は一瞬目を伏せた。


「まあ、もちろん東郷で問題なければよかったんだが……」


 言い淀んでから上條社長は続けた。


「東郷……つまり最初の計画がうまく回らなくなっていたんだ」


「最初の計画?」


 俺が眉を寄せて聞き返すと、上條は少し苦い顔で続けた。


「ああ、それはその……」


 社長は言いかけて咲坂の表情を確認した。


 咲坂は苦しそうに唇を噛んだ。


「まあ、その……誰もが諦めるだろう相手をでっち上げたのだ」


 上條社長がそう言うと、咲坂は悲しそうに下を向いた。


 俺の心がざわざわと波立った。


 つまりそれは……


「それは……この東郷が……」


「ああ、俺がYUKINAの彼氏として振る舞っていた」


 東郷が上條社長の話の後を継いで、静かにそう答えた。


 俺の心拍がバクンと跳ね上がった。ギリギリと奥歯を噛みしめるほどに、負の感情が湧き上がる。


 この感情の正体はもちろん知っている。


 我慢ならないほどの嫉妬だ。


 俺は気付かれないように、鼻からゆっくり息を吸い込み、深呼吸しながら冷静になろうと努力した。


 咲坂は不安げに俺の表情を見つめ、何か言いたそうだったが、何も口にすることはなかった。


 上條社長は、俺の咲坂への気持ちを知っているから、俺が今どんな感情に支配されているかは当然わかっているだろう。


 社長も神妙な面持ちで切り出した。


「しかし、最近それに無理が生じてしまっていた」


「無理?」


 俺が促すと、上條は少し肩を落とし、低い声で続けた。


「君が最初にここに来た時に、YUKINAから聞いただろう。マネージャーの話を」


「ええ、そう言えばマネージャーを彼氏にするとかなんとか、むちゃくちゃな話でしたね」


 俺が苦笑しながら言うと、上條は重くうなずいた。


「そんな話が出たのも、東郷とYUKINAの偽りの関係がすでにスタジオ内に露見してしまっていたからなのだ。所詮フリはフリだ。毎日顔を合わせていれば、誰もが違和感には気付く。特に君も会った野本は、執拗に事実関係をYUKINAに迫っていた……」


 そうか……野本と俺の小競り合いがあった時、咄嗟に俺を彼氏だと言ったのも、そういった背景があったわけだ。


「そして決定的だったのが、やはり……」


 上條は言葉を選ぶように、ゆっくりと声を落とした。


「やはり?」


 俺が促すと、社長は一拍置いて続けた。


「大学に入ってから、YUKINAが明らかに変わってしまったことだ」


「咲坂が変わった?……どう変わったんですか?」


 俺の問いに、上條は視線を東郷へ向けながら言葉を継いだ。


「東郷には言いにくいが、むしろ東郷を遠ざけるようになってしまった。もしかすると、櫻井との出会いも大きく関与しているのかもしれないが」


「いや、それ以前からだと思いますよ」


 東郷が静かに口を挟んだ。その声音には、どこか苛立ちのような響きがあった。


「まあ、私もそれは分からん。しかし、そんなタイミングでYUKINAが君をスタジオに連れてきてしまったから、私も驚いたんだ」


 いろいろと話の辻褄が合っていく。咲坂の変化に俺が関与していると思った上條社長だからこそ、最初に俺がKスタジオを訪問した時、強引に面会をして“品定め”をしたのだ。


 俺は暢気に……それこそ「職場見学」とあまり変わらないテンションでいたのだが、咲坂と、特に上條社長の中ではかなり切迫した「東郷との問題」が控えていたわけだ。


「YUKINAのその行動は、あまりに人を馬鹿にしている」


 東郷が低い声で吐き捨てるように言った。その視線はまっすぐ咲坂へ向けられている。


「東郷、その話はもう蒸し返すな」


 上條が苦々しい表情で割って入った。


 東郷のこの調子からして、俺が咲坂とこのKスタジオに初めて来た時、咲坂は東郷に相当に責められたのだろうと想像できた。


 まあ、それも無理はない。


 まだ東郷との関係が宙ぶらりんの状態で、勝手に“彼氏かもしれない男”――まあ実際は彼氏ではないのだが――を連れて来たのだから。東郷にとっては許し難い裏切りに映ったはずだ。


 そしておそらく東郷は、ただの“ダミー彼氏”という役回りではなかった。


 彼は咲坂に、明確な好意を抱いている。


 クソッ、なんだって咲坂は先にこのことを話してくれなかったんだ。


 いきなりこの状況を見せられるのは、けっこうキツい。


 でも、なんとなく話の概要は見えてきた。


 咲坂は、この仕事を始めてから多くの男性に言い寄られたのだろう。


 まだ高校生だった彼女は、社交辞令で“いい顔”をせざるをえなかったに違いない。当然、同僚との連絡先の交換だってしたはずだ。


 その中で、多くのトラブルが発生した。


 上條も頭を悩ませた結果、東郷という“完全無欠”な彼氏を仕立てることで、咲坂に群がる男たちを遠ざけようとしたのだ。


 東郷――その存在は、それを可能にするほどの力を持っていた。


 だが、長くは続かなかった。


 咲坂が現場で無理やり連絡先をせがまれる場面では、東郷がいちいち目を光らせてガードしていたのだろう。


 そんな状況で、咲坂が男に連絡先を教えれば、東郷としては面白いはずがない。


 東郷は再び、俺に目を向けてきた。


 最初に会ったときの余裕ある表情は、もうどこにもなかった。


 けれど、その瞳に宿るのは嫉妬ではなく――明らかに“怪訝”の色だった。


 どうやら東郷にしてみると、どう転んでも俺のような一般人が、咲坂や自分が属する“選ばれし世界”の相手になるとは、想像すらできないらしい。


 “万が一”にも、俺と咲坂が対等に並ぶ未来などあり得ないと、そう信じて疑っていないのだ。


「櫻井君……YUKINAは、君がしたように大学では連絡先を交換するようにせがまれることは、けっこうあるのか?」


 東郷の声は穏やかだったが、その奥には明らかな圧があった。


 問いかけというより――詰問。


 俺を見下ろすような視線が、それを物語っていた。


 なるほど。


 俺が無理やり咲坂から連絡先を聞き出したと思っているわけか。


「安心してください。咲坂に連絡先を聞く度胸のある奴なんて、そうそういませんから」


 わざと軽く返すと、東郷は片眉を上げて薄く笑った。


「そうだろうな……。じゃあ君は、すごい度胸の持ち主ってわけか。学部もサークルも一緒だなんて、君は運が良かったんだな」


 バカにされている――そう感じた瞬間、胸の奥が小さく軋む。


「まあ、運が良かったんでしょうね。俺にしてみれば、それだけのことです」


 俺は話を東郷に合わせた。ここで争ってみたところで、俺と咲坂の関係が彼に理解できるとは思えない。


 この男は――本気で自分が“選ばれた側”だと思っている。


 庶民の俺なんか、咲坂に釣り合うわけがないと。


 悲しいかな、東郷にはその軸しかない。なんとも視野の狭い世界で生きていることに驚愕を通り越して同情すらしてしまう。


 東郷が黙り、場に微妙な沈黙が落ちたその時――


「違います!」


 咲坂が突然、声を張り上げた。


 空気が一瞬にして凍りつく。


 上條も東郷も、思わず彼女の方を見た。


「違うんです。義人の連絡先を知りたくて、私のほうからお願いしたんです!」


 その声には、怒りと羞恥が混ざっていた。


 それでも彼女の瞳は、まっすぐ俺を見ていた。


 バ、バカ、お前……なに言い出してんだよ!?


 俺は頭の中で叫んだ。顔が熱くなる。


「いやいや、咲坂、そんな気を使う必要ないから」


 慌ててフォローを入れると、彼女は首を振り、食い気味に言い返した。


「気なんて使ってない! 絶対しない!」


 その言葉に込められた感情の強さに、思わず息を呑む。


 怒っている――俺のために。


 そのことに気づいた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。


「YUKINA、わかってる。落ち着け」


 上條が両手を軽く上げ、宥めるように声をかける。


「東郷、お前の言い分もわかるが、櫻井が無理やり近づいたわけじゃない。でなければ、私が彼を頼りにするはずがない」


 東郷は一度だけ息を吐き、しぶしぶ視線を外した。


 それでも表情は固いままだ。


「君がここまで感情的になるのを、初めて見たな」


 東郷の低い声が静かに落ちる。


 彼は小さく息を吐き、視線を俺に移した。


 その瞳の奥に、ほんの一瞬、火花のようなものが灯った。


 ――今、東郷が俺を「ただの学生」ではなく、「一人の男」として見た。


 それがはっきりとわかった。


 さすがにここまで空気が悪くなってしまうと、三人仲良く食事という感じではない。


 どうしたものかと思っていると、上條社長も同じ思いだったようだ。


 やれやれという顔で切り出した。


「YUKINA、今日はもう上がりだろ? 私は東郷とまだ話があるから、櫻井と食事してそのまま大学に向かって構わんぞ」


「え!?……ああ、はい。では、そうさせてもらいます」


「櫻井、悪かったな。無理やり呼び出してこんなことになってしまって。今回は申し訳なかった」


 上條は、こんな俺にも丁寧に詫びを入れた。


「いえ、俺もいろいろ失礼なことを言ってすいませんでした」


 俺も学生であることを盾に、言いたいことを言いすぎた。


 東郷は、俺に若干の敵意を持っているようにも感じたが、前に会ったモブ野本のような低質なものではなく、好敵手としてロックオンされたような圧力が、俺に居心地の悪さを感じさせた。


 もしかして、あなたがライバルっすか?


 こんな男と勝負して、俺に勝ち目があるのだろうか?


 はあ……


 また眠れぬ日々が続きそうだ……。

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