私に彼氏がいると思ってたの?
「なんだって?」
あまりに突飛な答えに俺は大声でそう答えていた。
「だって義人が焦らせるから、思わず……」
思わず?
「思わずで嘘をつく話題ではないだろう!?」
そんな簡単なノリで、いとも簡単に嘘の彼氏にされたことに苛立ちを覚えた俺は自然と語尾が強くなった。
「ご、ごめんなさい」
咲坂は俺のいらだちに慌てて謝ってきた。
俺も素直に頭を下げられ、怒りの矛を収めることができた。
「で、大丈夫なのか? その、ホントの彼氏とか?」
冷静になりながら不意に、そんな言葉が口をついた。
なぜその発想が抜け落ちていたのか、自分でも不思議だった。
俺の中で今のいままで、咲坂に彼氏がいるという想定をまったくしていなかった。
彼女のルックス、境遇を考えたら「いて当たり前」と思うのが普通だ。
しかし、なぜかその考えにすら辿りつかなかった。
「咲坂に彼氏がいてほしくない」という無意識の願望が、その発想を遠ざけたのかもしれない。
咲坂は、どうしたのか。
今度は彼女の方が急に怒ったように俺を睨みつけて言った。
「彼氏なんているわけないじゃない! まさか義人は、私に彼氏がいると思ってたの?」
いきなり噛みつかんばかりにまくしたてる咲坂に、俺は面食らった。
な、なんでいきなりそんな攻撃的なんだよ?
“彼氏がいるわけない”と言うことを俺に押し付けるその根拠は、いったい何だよ。
でも――そう聞いて、ホッと安堵の息を漏らす俺がいるのを認めざるを得なかった。
「いや、実は咲坂に彼氏がいる想像はしてなかったんだ。ただ、咲坂なら“いて当然”なのかと咄嗟に思ったまでだ」
俺は嘘偽りない感想を話した。
「いないわよ。だから、そんなこと言わないでよ」
咲坂は、まだ不貞腐れていた。
「それはそうと、あの野本ってヤツは少なくとも俺が彼氏だと誤解してるわけだろ? 当然その情報、拡散するだろ」
あのむかつく顔がスタジオ中に言いふらしている様が目に浮かぶ。
「それは構わないわ。ただ、義人にマネージャーをしてもらうわけにはいかないだろうから、そこはうまく考える」
え? 別に彼氏と思われて構わないの?
ちょっとそこ、気になるだろ!?
いやいや、知ってますよ。
“どうでもよすぎて、誰も信じやしないからフォロー必要ない”って意味だよね?
それにしても──
俺もいきなりすごいことに巻き込まれてるな。芸能界ってこんな恐ろしくてめんどくさいところなのか?
咲坂はそろそろ撮影の準備があるというので、二人で控え室へ向かうことにした。
改めて観察してみると、途中ですれ違う人間の反応は、確かに尋常ではなかった。
男たちは、貼りつくような視線を向けてくる。
熱を帯びたその眼差しが、あまりに露骨で気持ち悪い。
そしてその直後、彼らの視線が俺へと移ると、敵意に変わる。
女たちは、咲坂を見る目に冷たい色を宿していた。
羨望とも嫉妬ともつかない感情が、空気の表面をぴりつかせる。
スタジオにいる全員が、まるで一つの意思で彼女を見つめているようだった。
男は異様な熱をもって。女は異様な敵意をもって。
この空気の“粘度”が、まとわりつくように重たい。
息が詰まるような不快感。
これでは、咲坂本人が平然としていられるはずもない。
彼女がスタジオに近づくにつれて、どんどん暗い顔になっていった理由が、今ならよくわかる。
控え室の前で、咲坂はスタッフに呼び止められた。
メイク直しや衣装確認など、撮影前の細かい準備があるらしい。
俺は邪魔にならないよう、一歩下がって様子を見ていたが、長く待つのも悪いと思い、軽く会釈をしてスタジオの端へ移動した。
遠目に、他のモデルたちが撮影している様子を眺める。
中には、バラエティ番組でも見かけるような人気タレントの姿もあった。
ああいう露出の多いモデルの方が、業界的には格上のはずだ。
それでも、男たちの視線はなぜか咲坂へと吸い寄せられていく。
他にも美しい女性はいるのに。
俺には、その理由がどうしても掴めなかった。
「ちょっといいですか?」
まだ幼さの残る女性が、突然甘ったるい声で俺に話しかけてきた。
――女子高生くらいか?
まあ、“YUKINAが彼氏を連れてきた”という噂が、そろそろスタジオ内を駆け巡っている頃だろう。
動きがあると思っていたが、案の定というやつだ。
「なんでしょ?」
「私、モデルのMISAKIって言います。いつもYUKINAさんにはお世話になってて……あの、YUKINAさんの関係者ですよね?」
「ああ、大学の友だちで、櫻井って言います」
俺はできる限りの愛想笑いを添えて答えた。
「櫻井さん、もしかして彼氏さんですか?」
――来たな。
初対面でこの直球。
ここで「否」と答えて会話を打ち切るのは簡単だ。
だが、ここで少しでも情報を収集しておきたい。
ならば、ここはもう少し引っ張る価値がある。
「さあ、どうなんだろうね」
否定も肯定もせず、軽く笑ってジャブを返す。
「いや〜びっくりしましたよ〜。YUKINAさんが仕事以外の男性と一緒にいる姿、初めて見たんで〜」
その語尾の伸ばし方。
まるで男の反応を計算してのあざとさ。
本能的にイラッとしたが、そこは大人の対応で笑顔を保つ。
「はは、あいつ友達少なそうだしな」
ここも適当に返しておく。
「そうですか? YUKINAさん、ここでは人気者ですよ?」
ピクリと俺は反応した。さて、咲坂が人気者と来たもんだ。
「人気者?」
俺のその言葉に不快なトーンがにじんでいたに違いない。
「ここだけの話、YUKINAさん狙ってる男性、多いんですよ〜」
MISAKIは俺の不快な表情を意に介さず話を進める。いい根性してるよ。まったく。
「ここだけの話を初対面の人間にするのは、やめた方がいいね」
露骨に嫌味を言ってやった。
「あ〜、私、口軽いってよく言われるんです〜。またやっちゃったかな〜?」
……うざい。うざい。うざい。
今すぐこの会話を打ち切りたい。
けれど――情報を引き出すためだけに、俺は笑顔を貼りつけたまま続けた。
「咲坂は、ここの男たちと近しい関係にはならないんじゃない?」
俺はこのMISAKIがどこまでのことを理解しているか探りを入れることにした。
「そうなんですよね〜、YUKINAさんガード堅いんですよね〜?」
はは、そんな訳あるか。
「ガードが堅い? それは違うでしょ」
「え? どういうことですか?」
「咲坂とここで一緒に仕事してるなら、気づいてるでしょ? この雰囲気。この中で、咲坂がまともな人間関係を築けると本気で思ってるの?」
ここにきてMISAKIははじめて表情を変えた。
「まあ、あんたみたいに“あざとく演じる技術”を持ってれば、もう少し楽なんだろうけどな」
俺はMISAKIの表情から彼女もこのスタジオの問題点に気づいてると直感した。
「しょ、初対面であざといとか……ちょっと失礼だと思います」
声のトーンも一段下がった。
あの甘ったるい“あざとボイス”はどこへやら。
素の声は意外と低くて、冷たい。
「櫻井さんか……なるほどね。そういう人なんですね。YUKINAさんも案外、したたかなんだ」
おいおい、急に素に戻るなよ。
その変わり身、マジで怖いんだけど。
「君、高校生だろ? その歳でキャラ使い分けられるのは、ある意味才能だよ。モデルよりむしろ女優向きなんじゃないの? 見た目そんだけ美しければ──」
これに関しては素直にそう思ったので、思ったままを告げた。
MISAKIは一瞬キョトンとしたあと、小さく息を呑んでから口を開いた。
「うっわ……櫻井さん、危険な人だ。マジでヤバい」
MISAKIはなぜか慌てふためいて早口でまくし立てた。
素直に褒めただけなのに――なんで変質者扱いなんだよ。
「ずいぶん楽しそうね?」
振り返ると、氷の微笑をたたえた咲坂の姿に、ホント凍りつきそうになった。
しかし次の瞬間、撮影用に施された衣装とメイクで見違えてしまった咲坂に息をのんだ。
直視できず、俺は赤面しながら視線を逸らしてしまった。
「あっ! YUKINAさん! 別に櫻井さんに口説かれてた訳じゃないので安心してください!」
いきなりMISAKIは人聞きの悪いことを言い始めた。
「おい!俺がお前を口説くわけないだろ! 第一、お前から声かけてきただろ?」
「え? 私があなたを口説くとか、それはあり得ないから!? YUKINAさんもそんな勘違いはしないでしょ?」
確かに。それはその通りだから反論できない。
この女子高生モデルが、俺にちょっかい出すという話は……まあないな。
たしかに、その判断はお前が正しい。
「あの義人? お楽しみのところ申し訳ないんだけど?」
「いや、別に楽しんでないんだけど」
咲坂その笑顔怖いから。
「女子高生モデルと仲良くなって鼻の下伸びてるけど?」
「っ! な訳ないだろ?」
「どうだか」
咲坂は不貞腐れながらそっぽを向いてしまった。
なんで俺が後ろめたい感じになってんだよ?
俺は必死に咲坂のために情報収集してんだぞ?
「ゆ、YUKINAさん? どうしたんですか?」
MISAKIが驚きの表情で会話に入ってきた。
「なに? 私がどうかした?」
咲坂も何のことかわからない感じだ。
「そんな表情豊かなYUKINAさん初めて見たんで」
俺はMISAKIのこのセリフにピクリと反応した。
やはりそういうことか。
「そ、そうかしら? ほら彼ってちょっと失礼なところあるじゃない? だからつい私も」
咲坂もしどろもどろになった挙句苦し紛れに責任を俺に全部かぶせてきた。
「おい、俺のせいかよ?」
「ちょっと義人は黙ってて!」
さっきの野本の件があるから警戒しているのか、咲坂はピシャリと言い切った。
「ほらまた。YUKINAさん、すいませんでした。あの本当に私口説かれてないんで、撮影があるんで、じゃあ、また」
MISAKIは咲坂の態度に心底驚いているようだった。
そして何を慌てたのか、そそくさと去って行った。
「ったく、なんだよアレ?」
俺はあきれながらそうつぶやいた。
「そう? ずいぶん仲良さそうに見えたけど?」
咲坂は意地悪そうに目を細めてそう言った。
「どこからどう見れば仲いいと映るんだよ?」
そうは言いつつ結局MISAKIに振り回されてしまったことが少し悔しい。
「まったく。野本さんといいMISAKIといい、またあんまり引っ掻き回さないでよね?」
咲坂はMISAKIの話をするときはそれほど暗い顔にはならないところを見ると、このスタジオ全体の女性が咲坂を敵視しているわけではなさそうだ。
「こんなことだとほんと私の仕事がしづらくなるんだから」
「仕事……しづらくなるね……」
「何?」
「もう十分仕事しづらくなってんだろ? これ以上どう悪くなるんだよ」
咲坂は絶句した。
「そ、そう、見える?」
咲坂の声は震えていた。
「ああ、最悪だな。俺なら一日もたないよ」
咲坂は悲痛な顔をして俯いた。
今にも泣き出しそうな咲坂を見て、
「で、これから俺はどうしたらいい?」
俺は明るい顔を戻して会話を繋いだ。
「ああ、そのことなんだけど……ちょっとある人に会ってほしくて」




