鬼殺人迷宮入事件(短編 10)
桜の散るころ。
オレは近くの公園で赤鬼に行き合わせた。
いかなる赤鬼かといえば……。
鬼にボールを当てる遊技が遊園地にあるのをご存知であろう。投げたボールが的に命中すると、腰に虎皮をまとった鬼が金棒を振り上げガオーと叫ぶ、姿かたちはまさにあの鬼である。
赤鬼はベンチに座っていた。
体は前かがみに、頭は深くうなだれている。そして足元には、金棒が無造作に置かれてあった。
どうして公園に赤鬼がいたかは、まったくわからない。とにかくそこに、その赤鬼はいたのだ。
そして泣いていたのである。
鬼の目にも涙、というが……。
だれかのために泣いている。……別に、そういうわけでもなさそうである。
鬼が泣く。
これは鬼のイメージにそぐわない。
ましてや、鬼が公園にいることそのものがふさわしくない。
オレは小道をはさんだベンチに座った。そして赤鬼のようすをうかがうことにした。
どうせヒマである。
赤鬼はずっと泣いていた。
赤鬼の目には、こちらの世界が見えていないのだろうか。目の前の見える位置にオレがいるにもかかわらず泣き続けていた。
と、そこに犬連れの女が通りかかった。
が、赤鬼に気づかない。
臭いさえしないのか、犬もほえない。
赤鬼の姿が見えるのはどうもオレだけらしい。
女と犬は赤鬼の前を通り過ぎ、そのままなにごともなく遠ざかった。
かたや鬼の方も、なんの反応も示さなかった。
鬼の語源は、おぬ(隠)と聞く。
ようは心の中に隠れた恐怖心であり、鬼そのものに実体はない。先ほどの女や犬に、おぬモノ――鬼が見えないのも当然であろう。
で、なぜオレだけに見えるのか。
それはまったくわからない。
見えるから見える。
そうとしか言いようがない。
それからも赤鬼は泣いていた。
ときおりオウオウと声を出し、ひどくつらそうに見える。
見るに見かね、オレはそばに行き声をかけた。
「なあ、どうした? よかったら話してみないか」
赤鬼が泣きっつらの顔を上げる。
「オヌシ、ワシが見えるのか?」
白昼堂々、赤鬼がこんな場所で泣いている理由がわかった。自分の存在が、こちらの世界の者には見えていないと思っていたらしい。
「ああ、見えるよ。あんたは赤鬼だ。ただし見えるのは、どうもオレだけのようだがな」
「そうか。じゃあ、話を聞いてくれるか」
赤鬼がボソボソとしゃべり始めた。
聞けば、その話とは……。
鬼の世は長い間、なにごともなく平穏であり、それはこれからも永く続くと思われていた。
ところが、ある日。
その日をさかいに、思いもせず鬼の世は大きく変わることとなった。突如として、平穏を乱す者が現れたのだそうだ。
その者は非情で鬼たちをようしゃなく殺す。
強すぎて、鬼たちは抵抗すらできない。生きのびるためには、じっとその者から身を隠し、ひたすら逃げるしかないそうな。
逃亡のため、鬼一族は各地に離散してしまった。
この赤鬼の家族の消息は今も不明である。いや、生死さえわからない。
これからいかにしたものか。
今や逃げることにも疲れはて、赤鬼は将来を悲観して泣いていたのだという。
まるで平家の落人のようだ。
戦に破れ、山深くに落ちのび、忍び隠れて生きてゆく。まるで鬼の語源――隠そのものではないか。
このとき。
オレはふとあることを思いついた。
この赤鬼を利用しない手はないと……。
「どうだい、オレのところに来ないか。こんなところにいては追っ手に見つかるぞ」
それとなくさそってみた。
「そうだな。どうせ行くあてもねえし」
うまいぐあいに赤鬼は話にのってきた。
さて、オレのことだが……。
つい最近までサギ集団の一味、いわゆる振りこめサギの下っぱだった。
だが、苦労の多いわりには稼ぎが少ない。さらに近頃は、警察の目がやたらと厳しくなった。
なんやかんやで……。
先日、このサギ集団から抜けた。といっても、まともな仕事をやる気にはなれない。
で、その日は朝からヒマで、近所の公園をぶらついていたのだが、折しもこの赤鬼と行き合ったというわけである。
赤鬼と暮らし始めて、あっという間にひと月ほどが過ぎた。
その間。
オレは数百万円という現金を手にしていた。
赤鬼はべつにイヤがることもなく、オレの指示どおりに動いて、金を手に入れてくれたのだ。
稼ぎの手口はこうだ。
人の集まる場所に出向き、カバンやバッグの中の現金をこっそり抜き取る。そのとき相手には、赤鬼の姿は見えない。
ぜったいにバレないやり口だった。
かたや気になる追っ手だが、ソイツらの正体を知るすべもない。赤鬼の話から残忍で凶悪だと想像するしかなかった。
たとえ追っ手が現れたとしても、それはそれでそのときだ。
オレを追っているわけではない。
オレに手を出す理由はないのだ。
だが、心配する必要はなかった。
それからも追っ手が現れることはなかった。
犯行の手口が日を追うごとに大胆になった。
ターゲットを事務所や銀行に変えたのだが、そのほうが手っ取り早く金が手に入り、しかも一度に大金が転がりこんだ。
世間は怪事件として騒ぎ立てた。
警察も必死に捜査をしているようだが、オレが捕まることは決してない。
鬼はオレ以外には見えない。
なんといってもこの世の者ではない。
桜の葉が紅く色づく頃。
オレは大金にものをいわせ、旧家の古い屋敷を手に入れた。座敷の縁側から広い庭園が見渡せ、なかなか風流なながめである。
さっそくそれまでのアパートを引き払い、その屋敷に移り住んだ。
むろん赤鬼もいっしょにだ。
そんなある日。
銀行の現金輸送車をおそった。
輸送車はさすがに頑丈だったらしく、このときばかりは赤鬼も、金棒を使って輸送車のドアをたたきこわした。
その甲斐あって……。
三億を超す現金が、まとまってオレのふところに転がりこんだ。
その夜。
オレと赤鬼は屋敷で、札束の山をサカナに酒をくみかわしていた。
縁側の風鈴がチリンと鳴る。
オレは人の気配を感じて庭に目を向けた。
するとそこには……。
桃の絵のついた羽織袴に鉢巻と、見なれぬイデタチの男の子が立っていた。さらにその背後には、ノボリを手にした犬と猿と鳥もいた。
「ヤツだ、桃太郎だ!」
赤鬼がとっさに金棒をつかんで立ち上がった。
「鬼め、退治してくれるわ!」
桃太郎も前に進み出る。
「どうしてここが……」
「冥土のミヤゲに教えてやろう。その金棒だ」
「金棒だと?」
赤鬼が手にした金棒に目をやる。
「そいつが暴れるとな、その悪事の音が、この桃太郎の耳にひびくのだ」
桃太郎は振り向くと、犬、猿、鳥の三匹に目くばせをした。
『もーもたろうさん ももたろうさん』
鳥が矢のように赤鬼に向かって飛んだ。
赤鬼の目から血がほとばしる。
『おこしにつけた きびだんご』
続いて犬が赤鬼の腕にくらいつく。
骨のくだける音がした。
『ひとつ わたしにくださいな』
猿は赤鬼の両耳をつかんでひきちぎった。
赤鬼が座敷をのたうちまわる。
このようすを、桃太郎はフテキな笑いを浮かべてながめていた。
オレはというと――。
ドサクサにまぎれて押入れに飛びこみ、わずかな戸のすき間から座敷をのぞき見ていた。
『あーげましょう あげましょう』
桃太郎が腰の刀を抜く。
オレは押入れの奥に隠れた。
だからオレが見たのはここまでだ。
『ついてくるなら あげましょう』
バサッ!
にぶい音がして、何かが座敷の畳を転がる。そしてそれを最後に、シーンと物音ひとつしなくなった。
風鈴がチリンと鳴る。
オレはぶじであった。
ヤツらにはオレの姿も見えていたはず。
ターゲットはやはり赤鬼だけなのか。それともオレのことが見えなかったのだろうか。
戸のすき間からのぞき見た。
座敷はなんの乱れもない。
落ちているはずの赤鬼の首もないし、畳には血痕さえ残っていない。
呑みかけの酒、食いかけの食べ物、それらはそのまま残っている。
札束の山もある。
すべて、桃太郎が現れる前の状態にあった。
オレはなにはともあれぶじだった。
大金も残った。
だが、ここに長居はできない。
いつまた、ヤツらが現れるともかぎらない。
すぐさまオレは、旅行用の大型トランクに札束をつめこむ作業を始めた。
テンテンテンテン……。
どこからともなく耳なれない音がしてきた。
つづみの音のようだ。
庭を見るに、そこには奇妙な男が立っていた。
はでな着物で身をつつみ、桃色の薄絹を頭からまとっている。さらに腰には刀がある。
『ひとーつ 人世の生き血をすすり』
男は両手で薄絹を持ち上げた。
薄絹の下から白い鬼の面が現れた。
それから男は鬼の面を宙に放り投げ、同時にその場でヒラリと華麗にひとまわりした。
薄絹が男から離れて宙を舞う。
『ふたーつ ふらちな悪行ざんまい』
オレを見すえ、腰にある日本刀を抜いた。
ゆっくりと近づいてくる。
『みっつ みにくい浮世の鬼を 退治てくれよ桃太郎』
やっ、この決めゼリフは……。
そう、桃太郎侍だ。
オレは浮世の鬼、しかるに退治をしようというのだろう。
相手が相手、どうあがいても無駄であろう。
オレは切り殺される。
で、オレはこの世の者である。
無残な死体はいずれ発見されることになる。
世間は怪事件として騒ぐだろう。
警察も必死に捜査をするだろう。
だが、この事件は永久に迷宮入りだ。
犯人は桃太郎侍。
鬼と同じで、オレ以外には見えないだろうから……。