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長めの茶髪を掻き上げながら、ギルバートがにこりと笑みを浮かべている。
「おやおや、これは物騒な世の中になったものですね……」
放った弾丸が三発――ギルバートの僅か前方で減速している。
間もなく、中空に停止した弾丸は地面に落ちて数回跳ね、ころころと音を立てて隅の方へ転がっていった。
「どうしました、まだ弾は残っているのでしょう?」
「なっ……何だよ……。いや何なんだよ、クソッ……」
彼の挑発な態度を前に、再び銃を構えて頭部を狙うが、颯樹は引き金を引けなかった。眉を寄せて苦い表情をする事しかできず、発砲することで殺せる自信が持てない。
「これは……無意味なんだな。ああ、このままじゃ無理ってことだろ?」
「潔い方ですね。その割に落ち着いているようにも見えますが……」
「驚いてはいるさ。ただ今日は驚いてばかりだからな。そろそろリアクションにもパターンが尽きてきて、新たなリアクションってのを模索中なんだよ。何かリクエストは?」
「アハハッ、本当に珍しい方だ。この力を前にすると取り乱す者が多いのですが、君はやはりどこか冷静でいる。軍用品などに精通している方でしょうか?」
「いや特には」
粗暴な笑みを浮かべて首を振る。
彼が起こす現象は、この時代でも奇異な部類に当たるようである。
しかし一般的な部類ですら訳が分からないのだから、こんな事にわざわざ取り乱しているわけにもいかない。
どうやら軽口にも乗るタイプなので、上手く彼の弱点を引き出せないものか。
「まるで超能力みたいだな。どこでどうやって開眼したんだよ?」
「超能力では些か興がない、今日日あり得てしまう話ですから」
「あ、そう。じゃあどんな話が好みだ?」
「では……、こう考えたらどうですか。君はファンタジーの世界に迷い込んだのです」
「そらあ願ったり叶ったりだ。メルヘンチックで夢があって良いよな」
「夢はありませんよ。メルヘンでも血腥い殺し合いがありますから」
「そんなのは現実だけで十分だよ。夢から覚める魔法の言葉を唱えてくれないか?」
この男をどうすれば殺せるのか。
表面上は平気な顔で繕ってはいるが、頭をぐるぐると巡るだけの解答の出ない状況に、颯樹はとてつもない焦燥に駆られていた。
このままでは同じになる。
過去と同様――またも失敗して死んでしまう。
「良いでしょう。周囲の空間が私の脳波とリンクしているのですよ。正確に言えば、グラヴィオンを空間限定で操作できます。重力場による固定シールドは見たことがあると思いますが、あれを自由に操作できる装置だと思えばその脅威も分かるでしょう?」
ギルバートは勝ち誇った顔で説明したが、やはりこれだけ言われても理解できない。そもそもグラヴィオンなるものが分からないし、シールドなどフィクションの話である。
「科学です、科学力。君は目まぐるしく発展していく現代科学に、きちんと付いていけていますか。世界が魔法のように感じている科学も、明日にはどうなっているか分からない。技術の流出など日常茶飯事。それらを普及する前に得る事ができれば――」
突然に視界が大きく揺らぎ、周りの波打つ景色が遠ざかっていく。
背中に衝撃を受けて肺の息が外に出た後、自分が吹き飛ばされて壁に叩き付けられた事を漸く悟った。抵抗も出来ないまま銃を落とし、颯樹は地面へと俯せに倒れた。
「――こういう事が起こり得てしまうのですよ、ヒットマンさん」
「だから……何だってんだよ、これは……」
直ぐにでも起き上がりたかったが、身体が中々言う事を聞こうとしない。
しかし、痛みの方は思っていたよりも少なかった。身体にそれだけの衝撃を受けた感覚はあるが、それを忌避する為の激痛がない。人が痛がっている感覚とはこういうものかと吟味できてしまう。限度を超えてしまったのか、一定以上の痛みに真実味がない。
一瞬だけこの世界を夢や幻と希望したが、それにしては他の感覚が鮮明過ぎる。
そしてそれを考えるには、あまりに都合が良すぎて反吐が出た。
「今時古いんですよ、君のその性質……」
「……なに?」
「理解できましたよ。君は玄人でも素人でもなく、基礎もできていない無知な子供だ。どうせ君にとっての戦闘とは、力や技術のぶつけ合いなのでしょう? 本当に……くだらないです、くだらないくだらないくだらない。強さなど極めた所で何の意味もない。分かりますか、こうして如何に最新鋭の兵器を手にするかが戦闘には尤も重要なのです」
そうしてまたも見えない力に吹き飛ばされ、颯樹は後ろの壁に背中から叩き付けられる。
「駆け引きすら成立しない。君のような弱者が私を狙うなど屈辱ですよ」
追い打ちで何度も何度も衝撃波が加わる。
一つ一つが車に轢かれるくらいの威力はあり、内臓の全てが外に出てしまいそうな感覚すら受けた。血反吐は勝手に口から溢れ、足下では扇状に血の跡まで出来ている。
「――死ぬ前に訊きましょう、誰に頼まれて私を狙ったのですか?」
壮絶な衝撃波の連続が止み、颯樹は地面に膝を突く。
地面に手を突いて息を整えつつ、颯樹はギルバートを睨み付けた。
「ハッ、自分の胸に聞いてみろ。汚い仕事ばかり請け負ってるから見当も付かないか。お前はどれだけの人間を不幸にした? か弱い少女を手に掛ける事すら厭わないんだろ?」
「大金や権力や名誉を前にして、それを拒む者などいないでしょう。欲するモノが手に入るのなら何でもしますよ。私には全てを実現させる力があるのですから」
「ああ、それが聞ければ十分だ。動機なんてそれが気に食わないからで良いさ」
立ち上がって銃を向ける。
ギルバートが目を見開き、空気が爆ぜて衝撃波が飛んでくる。颯樹はそれを全身に受けながらも、決して目を逸らすことなく引き金を引いた。
直線に貫く弾丸が――ギルバートの鼻先で停止する。
見極める。再射撃。
後に放った弾丸が先の弾丸を後押しし、ギルバートの鼻筋に弾丸の先が触れた。
颯樹が壁に叩き付けられると同時、ギルバートは目頭の辺りを押さえて蹲る。
「くっ……、随分と器用な事を……」先に身を起こしたギルバートが垂れた鼻血を指で拭い、「ですが君に私は殺せない、確実に!」と眉間に皺を寄せて殺意を剥き出した。
彼が数本の小さなナイフを懐から取り出して無造作に放ると、轟音と共にそれらがあり得ない速度で颯樹に向かって直進する。そのナイフの速度は銃弾のように凄まじく、内二本が颯樹の胸と脇腹を柄ごと貫通し、後ろの壁に当たって刃が粉々に弾け飛んだ。
残った数本のナイフは、不格好な形で颯樹の身体に深々と突き刺さる。
全身に冷や汗がどっと湧く。
まだ痛みはない。
だが、このような痛みは記憶に鮮明な形で刻まれている。
傷口からじわじわと広がっていく痛痒から、吐き気を伴う我慢できない程の激痛に繋がり、意識が明滅して闇に沈むような不安を覚えるのだ。
しかし――
そんな経験が颯樹を裏切った。
不思議に思って傷口を見てみると、身体に埋まったナイフの刃が半分だけ顔を出し、ぐらぐらと微動していた。そうして自然と排出されたナイフは音を立てて地に落ちる。傷口から溢れ出す血は数秒で止まっており、それどころか傷口は真新しい皮膚によって既に塞がれ、貫かれた致命傷部位も隙間の肉を埋め終えていた。
「ま、まさか、その異常な自己治癒力は……」
目を丸くしたギルバートが、何故か途端に笑みを浮かべる。
「そう……そうこなくては! そうですか、君が姫路璃世の関係者だったのですか!」
「……だから? 何か嬉しそうだな?」
「聞いていましたよ、私の持つオーバーテクノロジーに匹敵する強敵が現れると。張り合いが無くてつまらないと思っていたのですよ、熟々、常々。こうまでまんまと……」
耐えられないと言った様子で、ギルバートが狂ったような嗤い声を上げた。
完全に彼は力に酔っている。
無作為な人攫いが出来た理由も、自分に絶対的な自信があったからなのだ。
嫌悪から来る排除行動――、まずいと思った時には既に、颯樹はギルバートに向けて発砲していた。理性や思考が一気に跳び越えてしまった。
本来ならこれで対象は死に至る為、自身の身は守られる事となる。しかし、ここはファンタジーの世界。今まで経験してきた現実が一切通用せず、放った弾丸が物理法則を無視し、こちらに返ってくる事もあるのだ。
自分で放った銃弾が弧を描き、自身の額に突き刺さって後頭部から抜けていく。
耳に残るのは破裂音。
まさか自分の頭蓋が破壊される音を、この耳で聞くことになるとは思わなかった。身体が急激に動かなくなり、颯樹は地面へと背中から倒れる。
「アッ……ハハ……、これは……拍子抜けしてしまいましたね……。幾ら修復能力が脅威とは言え、即死は避けられないでしょう。まずは頭部を庇うのが普通なのですが……」
確かにギルバートの言う通りだった。
そんな事は考えれば分かるのに、非現実の連続に付いていけなかった。
しかし、もう大体の性質は把握できている。これが適応というのなら、適応するまでの時間が掛かっただけであり、自分の本当の戦力はまだ見せていないとも言える。
そう、諦めるにはまだ早い――。
それが負け惜しみにはならない幸運が今の颯樹にはあった。
「……そうか。そう言うことかよ」
命令の受け付けを再開した身体を動かし、颯樹はゆっくりと立ち上がる。
手の平で額を撫でてみれば、弾痕は確認できるが徐々に狭まっていっている。後頭部へと指を伸ばせば、ぬめっとした嫌な感触があり脳の一部がはみ出ている事が判る。ずるずると脳が元の場所に収納されていき、気付けば頭蓋が銃創を塞いでいる始末である。
卒倒する程の悪寒を感じるが、颯樹は大きく嘆息して気をしっかりと保った。
「目が覚めたよ。漸く理解できた、ここでの戦い方って奴がさ」
「な、なっ……」
ギルバートは声も出ない様子で口を半開きにし、目の前の現実が受け入れられていないようだった。先程までの自分はこんな顔をしていたのかと思うと、少しだけ情けなくなる。
「な、何だ、何が起こった……、何故君は平然として立っている!?」
喋り出したかと思えば、当然の疑問をわざわざ問いただしてくるのだ。
「考えたくもねぇよ。でもこれががお前の望む張り合いって奴なんだろ?」
「う、嘘だ、脳を破壊されれば幾ら何でも死ぬはずだ!」
「だったら考えろよ、俺をどうすれば殺せるかを。理解できない現実をまず受け入れ、模索しながら適応していくのが駆け引きの醍醐味なんじゃないのか? 因みに、俺はもうお前を殺す算段が付いたぜ?」
にやりと笑みを浮かべると、顔を青ざめたギルバートが後退る。
「こ、こんなもの子供騙しだ! 遠隔操作されている有機質人造人間なのでしょう!?」
「よく分からないが、それを使うにはここまでの茶番が必要なのか?」
「ならば何故だ、仮に修復できたとしても何らかの障害が残るはず……。何故、君は記憶に障害も無く話している!? 蓄積されていく君という情報はどこにあるんだ!?」
「どうでも良くないか? 俺の実体が何であれ、弱者は弱者のまま変わりない。分からないなら何度も何度も殺せば良いのさ。俺はお前に辿り着く事すら出来ないんだから」
「ひ、卑怯だぞ! 私は種を明かしたのだから君も明かすべきだ!」
「それは笑う所なのか?」
ギルバートに向けて颯樹はゆっくりと足を進める。
「来るな……、来るんじゃない!」
「――だったら早く殺せよ。殺すぞ、ペテン師」
取り乱すギルバートを冷静に見つめ、颯樹は身体をすっと横に移動した。
耳元を衝撃波が掠めていく。
完全な勝機に不敵な笑みを浮かべ、一気にギルバートへと走り込む。
衝撃波が幾度も放たれるが、その度に右へ左へと身体を動かし、狭い廊下でそれらを難なく躱していく。辿々しい手つきで彼はナイフを取り出すが、集中力が定まらないのか全て地面に転がり、そして至近距離まで辿り着いた颯樹は、ギルバートの胸ぐらを掴んで地面に張り倒した。
「始点はお前。攻撃は直線。正に見かけ倒しって奴だな」
片手で彼を押さえ付けたまま、左手に持った銃をその額に突き付ける。
「その力の利点は、銃で言えば発砲のタイミングが掴みにくいってだけだな。そんなの冷静に対処すれば何とかなる。特にお前の攻撃は集中を必要とするのか読みやすいよ」
「や……止めろ、止めるんだ……」
「おいおい、こんな豆鉄砲なんて簡単に止められるんだろ?」
「こ、このような至近距離でそんな……」
「じゃあさ、念じてみたらどうだよ、自分は確実に死なないとさ。ファンタジーなんだし何とかなるだろ。何か凄い魔法でも唱えてみたらどうだよ?」
「ま、待て。交渉しよう。ち、力が欲しくはないか……?」
必死に懇願するギルバートの顔を、颯樹は醒めた目で少しの間だけ見つめた。
「悪魔の契約はしねぇよ。ここでお前を解放したとして、また同じような事をどこかでやられたら、俺が責任を放棄したみたいで後味が悪くなる。その時にお前が自業自得で死ぬなら良いけど、そんな映画みたいな上手い展開がそうそうあるわけもないしな」
「わ、分かった。では二度としないと誓おう!」
「だから証明が無いんだよ。まあ依頼主になら引き渡してもやっても良いぞ」
「だ、駄目だ、それでは結局殺されてしまう!」
「じゃあ、警察にでも行くか?」
「それも駄目だ、手回しされて結局は警察も守ってくれない!」
「そこはお前の手腕で何とかしろよ。実現出来ない事なんて無いんだろ?」
「しかし、私は――」
「我が儘が言える状況か。生き存えられるだけマシだと思えよ」
冷徹に突き放すと、ギルバートは口を噤んだ。
意気消沈とした彼を起き上がらせ、後ろから銃を突き付けて前を歩かせる。ふと軋むような音に窓ガラスを見るとヒビが入った。
突如、衝撃波によって颯樹は吹き飛ばされる。
しかし、殆ど読めていた行動だった為、ギルバートの襟首を瞬時に掴んでいた。結果、壁に向かって吹き飛んいる人間には、ギルバート自身も含まれている。
「は、放せ! 私はこんな所で終わる人間では――」
「どうせこんなんじゃ近い内に終わってたよ、お前……」
ギルバートの耳元で囁いてから、力任せに彼を後ろに放り捨てる。
そのまま彼の腹部へと足を当て、壁への衝突と同時に力を込めた。
潰れた蛙のような呻き声を洩らし、ギルバートは口から血反吐を吐きながら壁に埋まる。そして颯樹は彼を踏み台にして狭い廊下で宙返りをし、手放さなかった銃でギルバートの眉間を照準した。
「や、止め――」
ギルバートの声が掻き消える。
頭蓋が粉砕し、脳漿が弾け飛び、ギルバートは一瞬で事切れた。
颯樹は崩れそうな態勢を天井を蹴る事で修正し、地面に着地しながら彼の最後をしっかりと目に焼き付けた。
「うわっ、猟奇殺人現場みたいになっちまった……」
頭部を失った死体が磔刑のような体勢で壁に貼り付いていた。
特に意図したわけではないのだが、この有様に若干気分が引いてしまう。
「ま、まあ良いや。強化された力も上手く使いこなせたし、銃の癖もよく分かってきたしな……、うん、そう考えればこれは最高のデモンストレーションだったよ」
そうして自身を納得させながら、ギルバートに背を向けて歩いていく。
「せ、せめて床に降ろしてやった方が良いのかな……?」
後ろ髪を引かれる気分で、足を止めてギルバートを見やる。
だが頭を強く振って甘い考えを捨て、今度は振り返ることなくその場を歩き去った。