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クライオニクス(仮題)  作者: 曲馬 乙晴
第一部 クライオニクス
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1-1 未来の世界

 夢と現実を取り違えた経験はない。

 酒に酔って記憶が曖昧になった経験もない。

 死後の世界を想定して行動する者などいない。


 だから、目が覚めればそこは確実に現実なのだ。

 ここが現実である以上、考える事はこれまでの経緯ではなく、自身の置かれている現状である。一度開けた目は直ぐに閉じる。長く眠っていた感覚がある為、時間的な問題は殆ど無いと取る。今の内に身体の血を巡らせておき、瞬時に筋肉が反応するようにも意識しておく。


 そして思い出す、酷く朧気な記憶を。夢と見間違う幻を。

 そう――、少女に殺されたのだ。


 その思考に至った瞬間、全ての確認事項がどうでも良くなった。

 逸る気持ちで瞼を開くが、差し込む光で何も見えやしない。眩い視界に少しずつ色が塗られていき、最初に見えたのは白色の天井だった。ベッドは馴染みのないものであり、人の気配を感じて横を見てみれば、白衣の人間が背を向けデスクで作業に勤しんでいる。


 この場が病室である事を想定し、颯樹(さつき)は無警戒に身体を起こした。


「あの、すみません……、少し宜しいでしょうか?」

「あ、やっと起きた」

 白衣の女性が振り返り、随分と無感情な声を出す。


 長い黒髪を後ろで束ねた、眼鏡を掛けている少女。

 その顔には見覚えがあった。

 少女は眼鏡を外し、束ねていた髪を解いて白衣を脱ぐ。その背丈や顔が記憶の中にある少女と完全に一致した。自分を殺した人間を忘れるはずがない。忘れようがない。


 彼女は椅子から立ち上がると、颯樹の元までつかつかと歩いて足を止めた。

「……調子は?」

「えーと、悪くは無いと思うんだけど、俺は助かった……のか?」

 まず率直な質問をすると少女は僅かに目を瞬いた。

「記憶が……あるの?」

「ああ、もしかしてお前が助けてくれたのか?」

「……お前?」

「えっ、ああ、失礼。君って言った方が良いのかな。その、君は――」

「別にお前で構わない。もしくは璃世(りせ)姫路(ひめじ)璃世だから」

「ああ、そうか。俺の名前は……椎堂(しどう)颯樹って言うんだよ。悪かったな、寝起きで色々と気が回らなくてさ。君も――お前も好きなように呼んでくれて構わないよ」

 こっくりと少女が頷く。


 少しでも場を和ませようと颯樹は愛想笑いをしたが、彼女は表情らしき表情を何一つと表に出さなかった。声は澄んでおり聞き取り易いが抑揚が殆どない。記憶の中にある少女はもっと表情豊かで声にも張りがあり、眼前の少女とは違って歳不相応な雰囲気を持っていた。これでは姿形が同じだけの別人である。脳裏に焼き付いたあの残忍な光景は、衰弱による夢現な状態だったのかもしれない。記憶に齟齬が発生するのは不快だったが、颯樹はそれも覚悟しておくことにした。


「所で……ここはどこだ? もう一度訊くが、お前が助けてくれたのか?」


 よくよく周りを見てみれば、ここは明らかに病室ではなかった。

 それらしい機材は置かれているが、どれもが医療用には見えない程に無骨である。剥き出しの鉄塊が数個設置してあり、駆動音を響かせて何やら緻密に稼働している。


「分からない。何を持って助かったと言うの?」

「えっ、そりゃあ普通に……」

「常人のように生きているかということ?」

「いや、生きてるのは誰だって分かるよ」

「そう、あなたは生きてるの?」

「まあ生きてるだろ。こうして喋って動いてるわけだし傷も特に見当たらないしさ」

「根拠はそれで良いの? 助かった、の定義はそれだけ?」

 出来の悪い機械がするような質問に、颯樹は口を噤むしかなかった。


 淡々と喋り、常に無表情――。

 まるで存在感がなく肌の白さも相まって、人形や幽霊のようにも見えてくる。外観だけを言い表せば、もしくは遠くから見てしまえば、等身大の市松人形そのものである。


「まだ気分が優れない?」

「あ、ああ……、まあそんな感じかな……」


 確かに寝起きで頭を巡らすのも億劫に感じて、颯樹はこの倦怠感が彼女にも伝わるように目頭を強く押さえた。無言でじっと見つめ続けている彼女に何だかぞっとする。全て見透かされているようで居心地が悪くなってくる。


「あなたはネクロマンシーという言葉を聞いたことはある?」


「……は? なに? 何だって?」

 鳩が豆鉄砲を食ったようとは、正にこの状況の事を言うのだろう。

「ネクロマンシー。聞いた事はある?」

「あ、えーと……、ゲームやら映画やらで聞いたような……。悪いな、何か記憶の方が曖昧みたいでさぁ。そういう雑談はまた今度にしてくれると助かるかな」

 再び軽く笑い掛けてみるが、やはり璃世は無表情のままである。

「アンデッドという言葉は?」

 少女は目を逸らさないどころか、その瞳すら全く動かさない。

「アンデットという言葉は?」

 額、眉、耳、頬、唇、鼻、と彼女の顔を微細に見流してから瞳へと戻る。

「アンデットという言葉は?」

 その執拗さに圧されてしまった。

「も、文字通りじゃないのか。死なないとか死に損ないとかの意味でさ」


「そう、あなたはアンデッドとして甦った」


 淡々と文章を読み上げるように、彼女は信じられない事を口にした。

 まさか冗談でも言っているのか。しかし、真顔で冗談など言うものなのか。あまり表情を変えないだけで、本人は少し笑っているつもりなのかもしれない。


「へ、へえ……、アンデッドなら無敵だな。最高な気分だよ」

「聞き流さないで。私の言っている事は真実」

「分かった……。ああ、分かったよ、アンデッドな」

「きっとあなたは解ってない」

「あのさ、何て言うか……、助けてくれた礼は言うが、オカルト話は他所でやってくれ。そういうのは同族と話した方が、お前の気分も幾らかは満たされるだろ?」

「聞くだけなら損はないのに?」

「今は状況が知りたいんだ。これは時間の損なんだよ」

「聞かない事を選択するのは、愚者か臆病者のすること」

「それも選択の一つだろ。決定権は俺にしかない」

「……聞いて。見返りはそれだけで良いから」

「はあ? 何の見返りだよ?」

「私はあなたを助けた。あなたはそう定義したはず」


 確かにあの場で助けられた人間など、璃世以外にいなかったと考えられる。颯樹は難しい顔で少し黙り込んだ後、渋々と頷きを返すことしかできなかった。


「まずはネクロマンシーについて」

「……ああ」

「ネクロマンシーとは死者を自在に操るものだとされている」

「おいおい、いきなり魔法とかそういった与太話から入るのか? もっとこうUFOの写真とか見せて、少しずつ積み重ねていくことが洗脳の第一手順じゃないのか?」

「魔法ではない。これは科学技術。通称であって魔法そのものを指してはいない」

「そりゃあ良いな、魔法よりかは幾らかマシになったぞ」

「魔法も科学も無知者にとっては紙一重」

「その言い分も昔から使い古されてるけどなぁ……」

 肯定しようと思えば、どんな事柄であっても理由を付けられる。やはり魔法と科学は違うのだ。それらしい事を言って相手を納得させるのは、こういう人間の常套句である。


「少し方向性を変える。何故あなたは生きてると思ったの?」

「……質問の意味が分からないな」

「もう少し言い換える。そもそも生物は何故死ぬの?」

「俺が知るかよ。考えたこともないし、これからも考えるつもりはないな」

「それでは死とはなに?」

「まあ死の概念は脳かな。脳が稼働してなければ死んだで良いさ」

「そう。だから、一度止まった脳を修復して動かした」

 少女の言葉を受け、颯樹は苦い表情を浮かべて首を振る。


「私は科学者。生物の死を回避させる技術を持ってる。私はあなたの身体を修復して、ネクロマンシーであなたを蘇生した。厳密に言えば、生と死の概念を曖昧にした」


「はあ、魂を呼び戻して器に戻してくれたってか?」

「さっきも言った、これは単なる技術。魂などという不確定な要素は関係ない。譬え話にすると、壊れた機械に新たな部品を与えて再び稼働するように修理したの」

「人と機械を同列に扱われてもなぁ……」

「そう、頭の固い人はみんなそう言う。人は人を神格化する傾向にあるから」

「別に良いんじゃないか? 夢を見るのは勝手だろ?」


「そこにある現実を識ろうしない者はただの愚者。人を神格化する者はロボットと人は違うと考える。プログラムされたモノと人格は別物と考える。人に人は決して創れないと考える。それは人というものが神に創られた崇高なものと考えるから。進化論を唱える人も理屈は違えど同一の結果に行き着く者が多い。でも私はそれらに賛同はできない。ロボットと人に違いはない。構造や部品が違うだけの話。倫理的な観点は人が考えたのだから、人を神格化させるのが当然なだけ。どこかにいる宇宙人が定義上のロボットに当たる可能性だってある。人を創った者が機械である可能性もある。そうなったら今の倫理は簡単に崩れ去る。倫理観なんて曖昧でしかない。所詮人は人であるということ」


 垂れ流される機械音声のように聞こえ、彼女の説明はまるで意識に訴えてこない。注意しなければ聞き流してしまい、その透き通った声だけが残れば子守歌となるだろう。


「唯物論って奴だな。まあ言いたい事は嫌でも分かったさ」

「……本当?」

「ああ、これで俺も晴れてお仲間だな。動かなくなった俺というコンピュータを、お前は修復して動くようにしてくれたんだろ? 中に残されてたデータ――つまり記憶も復元して、何もかもが元通りってわけだ。人と機械に違いなんてありゃしねぇよ」

「そう、あなたは素晴らしい結論に達した」

「それは嬉しいねえ。続きは俺みたいな半端者を省いてやる事をお勧めするよ」


 そう言ってベッドから立ち上がり、颯樹は自分の服装を確認した。

 気を失う前に着ていた服装とは違うが、外に出ても問題ないフォーマルな服装である。拳銃と携帯電話の行方は気になったが、ここを去ることを優先し、颯樹は扉に向かって足を動かした。


「私、あなたのような性格の人が嫌い」

「そんな能面のような顔じゃ分からねぇよ。本当に嫌なら嫌悪感を顔に出してみろ」

「嫌い。本当に大嫌い」

「そりゃ良かった。なら後腐れなくここで別れられるな」

 目で不快を示す彼女を再び見やる事なく、軽く手を振って彼女の部屋を後にした。




 廊下に出ると薄暗さが目に付く。

 外光が完全に遮断してあり、息の詰まるような閉塞感がある。


 まるで現代版魔女の隠れ家のようだった。階段の辺りでここが五階だと認識しつつ、颯樹はポケットに手を突っ込んで、あまり周りを見ないようにして階段を下っていく。本当に薄気味の悪いビルであり、良からぬものを見てしまいそうな気がした。


「あー怖え怖え、オカルト女超怖ぇよ……」

 ぼうっとした頭のまま、殆ど無心で玄関から外に出る。


 外の空気を目一杯に吸い込み、颯樹は軽く目線を上げて景色を見た。

 吸い込んだ空気でむせ返る。

 そして通行人の目を気にする余裕もなく、颯樹は言葉にならない驚きの声を高らかに間延びさせて上げた。フクロウのように首が回っているのではないかと錯覚する程に、挙動不審になって辺りをぐるぐると見回す。


 まずは巨大な銀白色のクリスマスツリー――否、富士山をも超えるような超々高層ビルが密集して建ち並んでいる事に驚く。ピン止め効果とマイスナー効果で浮き上がる磁石――否、中空に浮かぶ透き通った光線の上を車が滑らかに走行しており現実を疑う。そして夢にまで見ていた三次元映像――ホログラムの看板が当然のようにあって歓喜が湧く。


 半笑いで後ろを振り返り、颯樹は今出て来たビルを確認した。

 楕円柱型の丸みを帯びた六階建ての()()()ビルである。

 銀色に統一された外装は清潔感があり、造りもしっかりとしている。しかし、あの建ち並ぶ超々高層ビル群を見てしまうと、このビルが酷くチープなものに見えた。そして更に目を懲らして見る事で、今出て来たビルの背景がただの壁面である事に漸く気付く。


 そう、この街は全体が途轍もなく大きなドームで囲われているのだ。


 ドームの壁には景色が映し出されており、目の錯覚で奥行きが遠くに見えている。映像とは言っても、空は遠く彼方まで続いており、雲を抜ける飛行機雲が見える。細々とした人の営みまでもが確認でき、今正にホログラムの人間が壁に吸い込まれていった。これがただの映像ではなく、仮想( バーチャル)現実の(リアリティ )映像なのだと予測するだけで興奮を覚えた。


 最早、上げていくだけでも切りがない。


 流石にこれは夢だと感じて、頭に浮かんだので古典的に頬をつねってみる。

 思ったよりも痛くない。つまり夢で良い。だから夢で良い。否、夢としておく。


 開放的な気分で童心へと返り、颯樹は猫型ロボットでも探しに中心地へ向かう事にした。

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