振る舞い
英之助が去ってから、数日経って、父が隠居を決意した。
家督を継いだのは、やはり次男であった。
父は、はたし状を出したことと、近頃のふるまいについて苦言を呈した。
身の振り方を考えたのは、そのことがあってからである。
それまではなにもかもが夢中であったが、自分がこのような状況に置かれ、小三郎は、ほんとうに目が覚めたと思った。
「若旦那さま、これからいかがいたしましょう?」
善兵衛がお茶を勧めながらのんきに言った。
「そうだな」
机にぼんやりとひじをついたまま、小三郎は呟いた。
「なにをしようかな」
「縁談の話がいくつかあるのですが、お受けになられますか?」
「俺でいいのか?」
くすっと笑うと、善兵衛ははっと目を見開いた。
「若旦那さまほどすばらしい方は、どこへいかれても立派にやり遂げることができます」
「そうか、そう思ってくれるか」
「はい」
と、善兵衛は元気よく答えた。
小三郎は、縁談の話を受けると承諾した。善兵衛は小躍りして喜んだ。すると、小三郎はなにを思ったのか、すっと立ち上がって善兵衛を驚かせた。
「若旦那さま、どちらへ」
「ちょっと、出かけてくるよ」
ゆったりと部屋を出る。足は英之助の屋敷へ向かっていた。
潜り戸を叩き、門番に知らせると中へ入った。
玄関に立つと、見慣れない中間が出てきた。
「英之助を呼んで来てくれ」
中間はすぐに奥へ入り、しばらくしてから英之助が現れた。
英之助と会うのはあれ以来であった。
「小三郎」
小三郎の姿を見て、英之助は言葉を詰まらせた。
「少し外を歩かないか」
誘うと英之助は戸惑った顔で頷いた。
「…ああ、分かった」
屋敷を出てから二人は無言であった。
小三郎は隣を歩く英之助を感じながら、なにか言いようのない不安が押し寄せてくるのに気づいた。
「小三郎、顔色が悪いぞ」
ふと目が合ってから、英之助が言った。
「いや、急に息苦しくなって」
「大丈夫か? どこかで休むか」
小三郎は、英之助の着物をつかんだ。
つかんだ瞬間、英之助の体がびくりと震えた。
「す、すまない」
慌てて謝ると、英之助は小さく首を振った。
「いや、俺の方こそ、すまなかった」
英之助が静かに言った。だが、小三郎の手は英之助の着物をつかんだまま離れなかった。
小三郎は手を離さなければならないと思ったが、どうしてもできなかった。
「とりあえずどこかで休もう」
英之助が言って歩き始める。以前、二人でよく通ったよしの屋へと向かった。
小三郎は足がもつれる一方であったが、英之助が強く腕を引いて離さなかった。
駆け込み座敷に入ると、英之助が抱きしめてきた。
「駄目だ」
小三郎は首を振ったが力が入らなかった。
なにもかも、英之助に吸い取られるような気がした。
「なにが駄目だ。お前はなにをしたいのだ。なぜ、俺を訪ねてきた」
「縁談を受けることにした。結婚する」
「相手は誰だ」
「知らないっ」
「お前はっ」
英之助は、小三郎を畳の上に押し倒した。
「英之助っ」
小三郎が顔を覆った。涙が流れ出す。
「大丈夫だと思ったのだ。ようやく立ち直った。だから、お前に報告できると、結婚できると思った。堂々とお前に報告ができれば、俺は前へ進めると思った。でも、英之助を目にしたとたん、たまらなくなった」
英之助が唇を塞いでくる。
熱い唇に感動する。英之助の舌が絡み合い、小三郎は興奮した。
英之助は唇を奪ってから、乱暴に小三郎の背中を抱きしめた。
「お前は俺のものだ。誰にも渡さないっ」
涙が滲んで英之助の顔が見えなくなる。
「英之助っ」
「なんだ、言いたいことがあるなら、言ってみろ」
「誰かのものにならないでくれ」
「俺は結婚しない」
「ほんとうか?」
「ほんとうだ」
小三郎は自分の方から英之助に口づけをした。強く英之助の唇を吸った。
「俺を選ぶか、ようやくすなおになる気になったのか」
「ずっと、ずっと好きだった」
「ほんとうだな」
「うん。俺は英之助がとても好きだ」
英之助の目がやさしげに潤む。
「その言葉を待っていたぞ」
再び噛み付くような口づけを受けとめる。息継ぎをしながら、英之助にしがみついた。
もう、離れられない――。
英之助は、小三郎の着物を脱がせた。小三郎は人差し指を口に含み、力づよく噛んだ。
「なにをしている」
英之助が気づいて手をどけさせた。小三郎は小刻みに震えながら首を振った。
「苦しくて」
「なにが苦しいのだ」
「英之助っ」
小三郎は涙を流し、すがりついた。
「俺は安川じゃあない、あの男と同じことをしないでほしい」
英之助は顔をこわばらせ小三郎を見つめた。
「安川とはきっぱりと別れた。お前に言われるまで思い出さなかった」
はたし状の後、二人がどうなったのかは知らない。
怪我が治り、歩けるようになっても調べようとは思わなかった。
「小三郎だけだ、他の誰とも比べたりしない」
英之助の声を感じながら、小三郎は目を閉じた。
「俺を感じるんだ。今、お前を抱いているのは俺だ」
「ああ、英之助、英之助だ…。俺の愛している男だ」
英之助の顔がくしゃりと歪んだ。言葉もなく嗚咽を漏らす。
そのさまがいとおしく、小三郎は優しく抱きこんだ。
「小三郎、平気か?」
名を呼ばれ気がついたら、英之助に額を撫でられていた。
「英之助…」
声がかすれている。咳をすると、英之助がやさしく唇を塞いだ。
「英之助…」
「ん? どうした」
「――なんでもない」
「二度と離れるな。誰がなんと言ってもだ」
「うん」
そっと目を閉じ、ふたたび熱く体を重ね合わせた。
時がたつのは早く、だるい身体を起こすと、先に着替えをすませた英之助が着付けを手伝いながら、大丈夫か? と聞いた。
「平気だ」
「どこか痛んではいないか」
気遣われると妙に照れる。いや、平気だと帯をきちんとしめると、小三郎は緩む顔を引きしめた。
「小三郎」
英之助が物足りないというように抱き寄せた。
「ん?」
肩口に顔を埋めて顔を上げる。
「俺を捨てるな」
「え――」
「さっきの言葉を忘れるな、なにがあっても離れないと」
「分かっている」
頷いてから、あ、と呟いた。
「なんだ?」
「俺は部屋住みだ」
「部屋住みか。まあ、なんとかなるだろう」
英之助が楽しそうに笑った。とろけるような笑みに、小三郎は頬を染めた。
「なんだ、そんな顔をして、なにがおかしい」
小三郎は赤くなった顔を押さえる。
「いや、いつ見ても、お前の顔は面白い顔だなあと思って」
「そうか、俺の顔は面白いのか」
「ああ」
男前だとだけは言ってやるものかと、心の中で笑う。
「小三郎」
「ん? なんだ?」
「縁談はどうするのだ」
「断らねばならないな」
「善兵衛はがっかりするだろう」
「だろうな」
善兵衛にはめいわくばかりかけている。
黙っていると、不安そうに英之助が顔をのぞきこんだ。
「俺を忘れるな」
「忘れないよ、忘れない」
顔を寄せて口づけを交わす。
永遠に続きそうだ、と小三郎はふたたび熱くなる身体を沈めなければならなかった。
「英之助、続きはまた次に」
「そうだな」
仕方ないと言って、ため息をついた。
「帰るか」
「うん」
部屋を出るのが惜しく、何度も手を引いては、二人で笑いあった。
「分かっているのだが、お前と離れるのがつらい」
英之助は、もういちど強く小三郎を抱きしめた。
小三郎は、しっかり抱き返して顔を上げた。
「俺はもう迷わない」
まっすぐな視線を向けると、英之助は頷いた。
「行こう」
「ああ」
座敷を出ると、外はとっぷりと日が暮れていた。
「夜ではないか」
「鐘の音もなにもかも聞こえなかったな」
星がまたたいている。丸い月が目の前にあった。
「近いうちに、月見をしようか」
「かならず」
約束を交わして、二人は分かれた。
小三郎は道を歩きながら、ずいぶん遠くまで寄り道をしてしまったような、そんな心持ちがした。
自分の気持ちをしっかりと持ち、信念を貫いて、相手に物事をゆだねない人間になりたい。これからが真剣勝負だと、気持ちを新たにした。
隣を見ると今はなにもないが、英之助が隣にいてくれる。それだけで、力が湧いてくるようであった。
小三郎は、地面を踏みしめ前へと歩き始めた。
「若旦那さまっ」
長屋に近づくと、提灯を持った善兵衛の姿が見えた。小三郎は手を上げた。
「善兵衛」
手を振ると、善兵衛の笑顔があった。




