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寄り道  作者: 春野 セイ
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粉雪




 医者を呼びに駆けた安川は、郊外で暮らしている藩の医者を呼び起こし、辻駕籠を呼んでその医者の屋敷へ小三郎を運んだ。


 藩では私闘を禁じていた。


 知っている者は小三郎の家族ぐらいである。医者には口止めをして、そこで養生することにした。

 小三郎の傷は心配していたほど深くはなく、幸いなことに臓腑には届いていなかった。しかし、縫合した傷口が傷むのか、二日は一睡もできずに苦しんだ。


 医者からはけっして動かしてはならないときつく言われ、善兵衛は片時も離れなかった。


 英之助が見舞いに訪れても、病人が気を遣うので会わないで欲しいと門前払いにした。

 小三郎も、善兵衛の必死なさまを見ると、おとなしく言いなりになるしかなかった。




 それからのち、縫合した傷もあらかた塞がり、多少動けるようになったが、家人から謹慎を言い渡された。


 家督を譲る話は次男に話がまとまるようで、小三郎よりも善兵衛の悲しみは深く、だいぶ落ち込んでいる様子であった。




 居間でだらしなく寝そべって外を眺めていると、ちらちらと雪が舞い始めた。


 寒いはずだ、と体を起こし火鉢を突くと、襖の向こうで善兵衛の声がした。


「若旦那さま」

「ん?」

「お客さまがいらしております」

「そうか、客間へお通ししろ」

「いや、ここでいいよ」


 聞きなれた男の低い声がして、襖が開いた。


 苦虫を潰したような顔の善兵衛を押しのけて、英之助が立っていた。


「小三郎、久しぶりだな」

「――うん」



 いつか来るだろうと思っていた。


 小三郎は頷きながら、込み上げてくるものをぐっと抑えた。

 英之助の肩には白い粉雪が解けずに残っている。

 それも部屋の暖かさで消えた。


 英之助は刀を左に置いて、小三郎と向き合った。


「動いても平気なのか」

「もうなんともない」

「そうか」


 話が途切れる。


「なにか持って来させよう」

「小三郎」


 立ち上がろうとした小三郎の手を英之助がつかんだ。びくりと体が震える。


「いらない」

「…そうか」


 小三郎は視線を合わせないで、再び座ると外を眺めた。粉雪が風に吹かれて舞っている。正面から英之助の顔を見ることができなかった。


「善兵衛には人払いするように頼んだ。だから、誰も来ない」

「ああ……」

「小三郎、俺を見ろ」


 顔を向けるとまっすぐ射抜くような鋭い目で小三郎を見つめてから、ふっと力を抜いて笑顔になった。


「元気な姿を確かめるまで、生きた心地がしなかったぞ。何度、見舞いに来ても門前払いで、小三郎はほんとうに無事なのか、善兵衛の言葉だけでは信用できなかった」

「うん……」


 先ほどから、ああとかうんしかしゃべっていない。

 小三郎の舌は干からびてしまったように、からからであった。


「俺に縁談の話が出ている」


 英之助が言った。


「そうか、そうだろうな」


 不意に腰高障子を叩きつけるような強い風が吹いた。


 がたがたと戸が揺れている。小三郎の手はずっと小さく震えていた。


「小三郎、さっきからなにを震えている」


 顔を上げると、英之助がまっすぐにこちらを見ていた。

 小三郎は目を伏せた。伏せた時、目が潤んできて困った。


「小三郎」

「あ、ああ。うん、なんだ?」


 顔を上げられない。顔を上げると涙がこぼれそうになる。


「顔を上げて俺を見ろ、小三郎」

「分かってる。分かってるんだ、英之助」


 顔を上げたとたん、涙がこぼれ落ちた。


 英之助はびっくりした顔をしていた。


「なにを泣いている」

「ひとりでいるとさみしかったんだ。お前が来てくれてうれしかった」



 涙は止まらない。会いに来てきてくれたことが、なによりうれしかった。



「俺がなにをしに来たのか、お前は分かっているのか?」

「俺はお前を待っていた」


 小三郎はうめくように答えた。


「小三郎」


 英之助が手を伸ばし、膝に置かれた小三郎の両手を取った。


「俺を許して欲しい」


 英之助の言葉に、小三郎は首を振った。


「もういちど、やり直したい」


 小三郎は一瞬、のどを詰らせたが、しぼり出すようにして声を出した。


「…無理だ」

「なぜだ」

「それだけはできない」

「小三郎、俺はお前がいない間、生きている心地がしなかった。お前にひどい言葉を投げつけたのも、すべてお前がそばにいないことが苦しくて、俺のわがままだったのだ」

「そうじゃないんだ、英之助、俺が言いたいのはそうじゃないんだ」

「じゃあ、なんなのだ」


 小三郎は何度も首を振った。


「言いたくない。言わせないで欲しい」

「俺を許してはくれないのか」

「許せない」


 きっぱりと言い放った小三郎の言葉に、英之助は驚いたようであった。


「はたし状を送ったのも、お前に斬られたいと願ったのも、俺が選んだ道だ」

「駄目なのか、どうしても許してはくれないのか」

「ああ。許せない」

「小三郎……」


 英之助が途方に暮れたような悲しい目をしている。



 こういう目をさせてしまうのが自分なのだ。


「安川としあわせになってくれ。俺が前に言ったことばがすべてしんじつだ」

「小三郎、俺は……」

「俺は、お前が城代家老になって、もっと大きな人物になってくれるのを期待している。俺がそばにいてはそれが叶わなくなる」

「誰が言ったのだ、そんなことを」

「誰も言ったりはしない。俺が思っていることだ」

「俺が愛しているのは、お前だ、小三郎」


 英之助が、不意打ちに言った。


「俺は――。お前を愛してなどいない」


 小三郎は目を逸らし、うつむいた。



 もう泣くまいと、千切れそうなほど強く唇を噛んだ。



 しばらくして、英之助がすっと立ち上がった。


 冷たい風が入って来て、襖が閉まると同時にかき消えた。


 ぽたりと血が畳に滴り落ちた。小三郎はいつまでも畳を睨みつけた。






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