とどめ
はたし状には日時と場所だけ書いて、内容についてはいっさい触れなかった。
来るだろうか。いや、英之助はかならず来る。
西日が傾きかけた頃、下げ緒を外して襷がけにし、袴の股立ちを絞った小三郎は、荒野に一人立っていた。
以前は百姓の納屋であったのだろう。朽ちた掘っ立て小屋が、荒野にぽつんと建っている。
昼頃に研ぎ終えた刀を受け取り、足袋はだしで待っていた。
朝からなにも口にせず、時の鐘を聞く前に長屋を出てきた。
居間に遺書を残しておいた。
そのうち、夕餉だと言いに来る善兵衛が見つけるだろう。善兵衛の悲しむ顔を思い浮かべると胸が痛んだ。
約束の時刻は、暮れ六ツ(午後六時)である。日が沈めばあたりは闇になる。恐らく英之助は暗闇を恐れてすぐに仕掛けてくるだろう。
秋風が立つ季節になった。日が暮れるのも早い。遠くで鐘の音がする。掛け捨て三回が鳴った後、六つ音が鳴る前に、英之助が安川を連れて現れた。
「安川は立ち合いに頼んだ」
英之助は怒ったように言った。
背後にいる安川が、はた目にも分かるほど震えている。
寒さで震えているのか、それとも恐怖で震えているのか、白い肌がいっそう白く見えた。
「結構だ」
小三郎は鯉口を切るとすらりと刀を抜いた。
青眼に構える。
それを見た英之助は、さらに怒気を含めて近づいて来た。しかし、刀は抜いていない。
「なんのためだ。これはなんのためのはたし状だ」
納得のいかない顔をしている。
「噂を知らないのか、お前にもてあそばれた。俺はお前を許さない」
小三郎は大声で言った。
英之助が右目を細くして、わけが分からないと首を振った。
「いつ俺がお前をもてあそんだのだ。ふざけたことを言うな。俺はお前の戯れ言に巻き込まれて不愉快だ。顔も見たくないのに」
「だったら斬ればいいだろう」
小三郎はやけくそに言う。
英之助は苛々しているようであった。
彼はまだ戦う用意をしておらず、襷がけすらしていない。
「戦う意思はないのか」
「お前を斬ったところで、俺にはなんの得もないのだ」
英之助は動こうとしなかった。
小三郎は刀を振り上げ、ほんきで間合いを詰めた。
小三郎の殺気を感じたのか、英之助がさっと気色ばむ。すばやく鯉口を切り、抜刀した。抜き打ちに小三郎の腹すれすれを斬った。寸前のところを斬られ、小三郎はぞっとした。
「小三郎、俺がそんなに憎いか、俺を殺したいほど憎いのか」
英之助は、上段に構えた。殺気が伝わる。
英之助の剣が振り下ろされれば、かならず斬られるだろう。
小三郎は隙を見せないため、相手の目を見返した。
英之助はよゆうの笑みを見せ、
「腕が上がったな。隙がない。誰に教わった」
と、えらそうに言った。
「お前を倒すためならなんだってやる」
小三郎が返すと、英之助の眉が吊り上がった。
無言で間合いを詰めてくる。ほんきで斬ってくるけはいがあった。
小三郎は唾を呑んだ。
一寸踏み込むと、英之助の体が揺らめいた。ひとすじの風が頬を撫でたかと思うと、目の前に刀の切っ先があり、左腕を斬られた。
浅手だがしっかりと皮膚まで斬られ、吹き出した血が手首まで流れ出した。
小三郎の体がすうっと冷たくなる。
英之助はためらわず構える。
ふたたび来ると思って、半歩うしろに下がると、青眼に構えた刃の先がまっすぐに突いて来た。
小三郎は突きを払いのけ、袈裟がけに斬ってきた英之助の太刀を受太刀した。
力の差は歴然としていて、柄を握る手がびりびりとしびれる。
あっと思った時、英之助の切っ先が目の前を真横に横切ったかと思うと、すっと脾腹へ突き刺さってきた。刀が手から離れる。
声も出せずに小三郎は膝を付いた。
すぐに体を起こそうと両手を地面について顔を上げた。
英之助は身構えてふたたび刀を振り下ろすところだった。
「柾木さまっ、いけませんっ」
どこからか善兵衛の叫び声が聞えてきて、英之助は手を止めた。
小三郎は落とした刀を探したが、それより早く善兵衛が刀を奪った。
「これ以上はいけません」
「どけ、邪魔をするな」
善兵衛をどかそうとしたが、うまく力が入らない。
脾腹が熱く、生温かい血が太腿を流れていく。
――これで死ねる。
小三郎は力がなくなってゆくのを感じて手を下ろした。
善兵衛は小三郎をかばいながら、両手で刀を差し上げた。
英之助は刀を受け取り、目を見張った。
「柾木さま、若旦那さまをお許しください。若旦那さまは、貴方を思ってはたし状を送ったのでございます。若旦那さまは、若旦那さまは」
「黙れ……善兵衛」
「医者をっ」
善兵衛が走り出そうとすると、震えていた安川が叫んだ。
「俺が行きますっ」
言うなり、あっという間に姿が見えなくなる。
善兵衛は小三郎のかたわらに座って呼びかけた。
「若旦那さまっ。しっかりしてくださいましっ」
「小三郎、小三郎っ」
英之助は、たおれた小三郎を抱き上げた。小三郎の持っていた刀には刃引きがしてあり、切れないように引きつぶしてあった。
「刃引きを……っ」
「……騙したりしてすまない」
小三郎は言いながら、英之助の腕から逃れようと体をよじった。
しかし、英之助はしっかりと傷口を押さえ込み止血をする。
「なぜだ、なんのために、こんなことを」
英之助が訊ねたが、小三郎は首を振るだけでなにも言わなかった。
「英之助、とどめを刺してくれ」
手を伸ばし、衿をつかむ。
英之助は首を振って、あふれ出す血を押さえた。
「いやだ。そんなことはしたくない」
「頼む。英之助、とどめを」
「いやだ。もう動くな、小三郎、すぐに医者が来るから、頼むから動かないでほしい」
「いいんだ、俺はもういいんだ」
「なにがいいのかそれはあとで聞く。もう、しゃべるな。小三郎、俺の顔を見ろ」
「うん……、俺の好きな顔だ」
英之助の顔がくしゃりと歪んだ。
「黙ってくれ……。頼むから」
小三郎は、英之助の体のぬくもりを感じながら目を閉じた。
「これでよかった。しあわせだ」
「これがしあわせなのか、お前が選んだしあわせがこれか」
英之助の顔を見ていると、ほっとする。
今まで苦しかったものが溶けて解放されていく気がした。
「ありがとう……」
「死なせないぞ、俺はお前を死なせないからな」
英之助がそう言ったのが最後で、あとはもうなにもかも分からなくなった。




