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寄り道  作者: 春野 セイ
14/17


 朝から出かけていた小三郎は、町木戸が閉まる直前(午後十時)に帰って来た。

 善兵衛は、小三郎を見るなり腰を抜かすほど驚いた。老いたその表情に涙が盛り上がる。


「若旦那さま、なにがあったのか私に話してください。なんでもいいので打ち明けてください。爺のお願いでございます」


 すがりつく善兵衛を見ると、小三郎は小さく、すまないと言った。


「このまま休む。眠らせてくれ」

「若旦那さまっ」


 小三郎はいちども振り返らず、寝間へ向かった。

 善兵衛は追いかけて来て、もういちど取りすがったが、小三郎はなにも答えなかった。

 そのまま布団の上に横になると、泥のように寝入ってしまった。

 朝、目を覚ますと口の中が腫れている。


「いてて」


 起き上がり頬を押さえた。

 すぐに善兵衛が現れ、顔を見るなり水と氷を持って戻って来た。

 頬の腫れに氷をあてながら、


「若旦那さま、このおけがはどうなさったのですか?」


 と、けわしい顔で聞いた。


「ん? ああ、転んだ」


 善兵衛はむっと口を曲げる。


「若旦那さま」

「うるさいな」


 善兵衛は耳を疑うという顔をした。


「ああ、悪かった。けんかしたんだ」

「誰とです」

「酔っ払いだ。絡まれて気がついたら殴られていた」

「刀は」

「なんだ」

「刀はいかがされました」


 善兵衛は刀が見当たらないことを気に病んでいた。

 小三郎はのらりくらりと答えた。


「刀なら研ぎに出した」

「いつでございます」

「夕べだ。刀がないと気が抜けていかんな」


 笑ったが、その目は笑っていない。


「どうして刀を研ぎに出したのですか」

「刃こぼれしたのだ」

「なにを斬ったのです」

「なんでもいいだろ」

 不機嫌な顔つきになる。

 前の小三郎であれば、こんな顔はしなかった。

 けわしい顔で、どこかを睨みつけ、すっかり心が見えなくなった。


「もういい」


 さっと手を払われる。

 善兵衛はさらになにか言おうとしたが、小三郎の視線はすでに別の方向を見ていた。

 なにを見ているのか分からないほどぼんやりとしていて、善兵衛は胸騒ぎがおさまらなかった。



 お供いたしますという善兵衛をなだめすかし、小三郎はぶらりと長屋を出た。



 柔らかい日差しが照りつける。眩しさに目を細めて歩き出すと、待ち伏せをしていたのだろう、安川が後から追いかけて来て、立ちふさがった。


「どいてもらえまいか」

「どきません。柴山さん、貴方、頭がこわれてしまったのじゃないですか、どうして我々の邪魔をするのです。しあわせをぶち壊してうれしいのですか」


 小三郎はぐっと奥歯を噛みしめた。

 しあわせをぶち壊す気持ちなど毛頭ない。


「そなたには関係ない」

「関係あります。柾木さんは俺の――」

「黙れっ」


 大声を上げてしまってから、小三郎は唇を噛み締めた。

 安川はうろんな顔つきで、


「貴方はどうかしている。柾木さんは行きませんよ」


 と、言った。

 安川の体を避けて小三郎は歩き始めた。安川はそれ以上追っては来なかった。

 安川は、はたし状を読んだのだろうか。



 人のものを勝手に見せるなんて――。




 瞬時に怒りが湧き起こったが、それはすぐに掻き消えた。


「それだけ仲がいいということだろうな」


 ふっと笑うと、そのままあてもなく歩き始めた。

 この目にさまざまな景色を焼き付けておこうと思っていた。






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