風の旅人
翌日。辺り一面には靄がかかっている時間であったが、草原の道には四つの影があった。それは馬に乗ったフィリアとギド、そしてその後方について行くような形になったゲイルとジードであった。
ギドは昨日と異なり、その身を鎧で固め、背には一本の槍が用意されていた。兜は着けていないが、それでも漂わせるのは只者とは思わせない気迫だった。
歩く順番は先頭からギド、フィリア。そしてゲイルとジードは肩を並べ、少し距離を空けて早足で進んでいた。
「……えっと、ところで、ギドのその鎧は一体どこから?」
「これでしょうか? レムに我が騎士団と交流のある詰所があり、そちらにしばらく預かってもらっていたのです。さすがに鎧をまとったまま街中を歩くのは目立ちますので」
「……でも、ジード……はほとんど変わっていないようだけど」
「そりゃあ、な。傭兵は腕と装備が命だ。何かの拍子で無くしてしまいました、じゃあ使い物にならないから、ほとんど肌身離さずって状態だ」
「へぇ……色々と理由があるのね」
話を聞く彼女は非常に感心した様子だった。
長い間一般人として生きていたためだろう、騎士や傭兵といった今まででは遠い存在だった者が現れたことで、思いついた疑問はとにかく投げかける、といったようだった。
だが、疑問も尽きてしまえばそれまでだった。
出発当初の会話は嘘のように収まり、陽が昇り、靄が晴れた頃にはなぜか静けさが四人を覆い、しばらくその状態が続いた。
「……あーっと……ゲイル、だっけか? 少しばかりあんたに聞きたいことがあるんだが……」
そんな中、ふと小声でジードが彼に声をかけてきた。
「あの爺さんから話を聞いたんだが、あんたはこの大陸を回っているんだってな」
「……あぁ。とはいえ、まだ始めたばかりであまり詳しいわけではないが……」
そこでようやくゲイルは口を開いた。
それでも視線は周囲に向けており、
「いや、それでも構わねぇ……突然で悪いが『シグマ』って名前に聞き覚えは?」
「……済まない、そんな名前は聞いたことすらないな」
「そうか……ま、そう簡単に見つかるものでもないだろうし、仕方ねぇ、か」
ゲイルの返事が予想通りだったのかジードは一つ伸びをした後、頭の後ろに手を組んだ。
「そいつがどうかしたのだろうか?」
「ん……悪いな。聞いておいて何だが、俺の都合に巻き込むわけにもいかないからな。さっきのことは忘れてくれ」
「……そうか」
そこでゲイルは背中に提げた大剣が、昨日イアンが見せてきた物の一つであることに気付いた。
「ジード、その剣は……?」
「ん? あぁ、これか? 昨日市場を探したら、俺の故郷の剣が売られていたからつい、な。あまり出回らないものだから、運が良かったんだろうよ」
「……ということは、クシュラの生まれなのか」
ゲイルの言葉に彼は驚きを見せた。
「……よく分かったな? もしかしてあんたも、か?」
「いや、その剣を売っていた商人から話を聞いただけだ。俺の出身はもっと別の場所だ」
「そうか、それは残念だ」
「……お前ら、雑談をしていないで周りに気を配れ。フィリア様に何かあれば取り返しのつかないことになるからな」
後半から声が大きくなっていたのだろうか、二人の方へギドが振り返っていた。その眼光は老人とは思えないほど鋭く、普通の人間であればそれだけで震え上がりそうなほどだった。
「了解。けど、ずっと黙り込んだままじゃこの先持たないだろうから、多目に見てもらえないかね?」
「……いかがしますか、フィリア様?」
「え、えっと……す、少しくらいなら良いんじゃないかしら? それに親睦を深めておくのも大事なことだと思うから……あと、ギドもそんなに畏まらなくても……」
突然振られた問いに、彼女は困惑しながらも答えた。
彼女はまだ『様』付けで呼ばれることに抵抗があるのか、少し困ったような笑みを浮かべていた。
「……いえ、家臣が君主の孫娘に馴れ馴れしく口を効けば、上に立つものとしてその裁量を見くびられてしまいます。なので、出来る限り早く慣れるようお願いします」
「……まだ後継者の話は受けたわけではないのだけれど……」
そう。ギドは昨晩フィリアから話を受けてからずっとこの調子だったのだった。
既に後継者として認識しているのだろうか、言葉遣いは丁寧に変わり、厳格な雰囲気を漂わせるようになったのだった。それだけ彼女に期待をしているのか、それともトルエンが相当に酷いのかは分からないが、とにかく彼は彼女を全力で守るという気概がありありと表れているのだ。
「……」
その雰囲気に押されたのか、時折彼女はゲイルの方に(ギドに気付かれないよう)助けを求めるような視線を向けたりしていた。
それに対するゲイルの反応は、首を横に振るというものだった。
「うう……」
僅かに恨めしげな視線を一つ送って、彼女は再び前方へと顔を向けなおそうとした時だった。
「……あら?」
途中、遠くに煙が高く上っており、火の手が上がっているであろう場所からは騒がしく声が上がっていた。
「……ねぇ、あれってもしかして……火事じゃないかしら?」
「……そのようですな。しかし、草原の民が火のミスを起こすとは珍しい」
「……いえ、失敗はあったとしてもあそこまで大きくするはずが……それにたしかあそこは……」
不審に思ったフィルは、馬の足を止めてしばらく火の手が上がっている場所を凝視した。数秒の間、黙り込んでいた彼女だったが、次の瞬間に大きな声を上げた。
「……!? ゲイル! あそこでもしかして魔物が暴れているかもしれない!」
「特徴は?!」
「え、えっと……背がとにかく高くて……頭がない? それと……あそこで襲われているのは……ユバ小父さんたち?!」
襲われている人物が自分の面倒を見てくれた親代わりであると分かると、彼女はより強い焦りを見せた。
次の瞬間には馬に鞭を打ち、全速力で駆け出していったのだった。
「ふぃ……フィリア様!? 危険です、お戻りください!」
「そんなことできるわけないでしょう! 私はまだあの人に何も返していないんだから……!」
ギドの忠告を振り切り、彼女はそのまま巨体を持つ化け物へと向かっていった。
「……仕方無い! ジード、ゲイル殿、あの化け物をすぐにでも倒してフィリア様の無事を確保するように!」
「あい了解! 俺はとりあえずあのデカブツの気を引く! だから爺さんは隙を見つけて突き崩してくれ! ゲイルは……」
作戦を伝えようと彼の方を向けば、そこにゲイルの姿は無かった。
「……逃げたのか?」
「いや、もうあそこに……」
ギドの指差す方向、ゲイルの背は既に遠くなっていた。
「……おいおい、どんな速さだよ……」
「感心してないでとっとと動け! とにかく儂は一槍入れてくる! その間にお前はフィリア様に付いて守りに回れ!」
怒声を出すと、ギドは馬にムチを入れ、二人の後を全力で追いかけた。
「……この剣、買うのは少し早かったかねぇ?」
ジードは昨日購入した大剣を担ぎながら三人を追うが、相当の重さを持っているためだろう、三人に比べ走る速度が非常に遅かった。
《ゲィラァアア!》
その化け物の雄叫びは、草木を、大気を震わせた。
一つしかない血走った眼は、目の前で倒れる獲物たちを睨み、巨木のように太い手足をゆっくりと進めていった。
「く、来るな! こっちに来るな、化け物が!」
ユバは手にした弓を引いて巨体に応戦していたが、足、手、首と様々な場所に撃ち込んでも、鏃はその分厚い皮を傷一つ付けることすら叶わず、矢は次々と地面に落ちていった。
「と、父さん! 早く逃げないと……!」
後方には、彼の家族だろうか、女性と少年少女が一人ずつおり、顔を恐怖で歪ませていた。その中でも少年は父親のユバに対して必死に逃げるよう進言していた。
「そりゃできればそうしたいさ! しかしお前たちもさっき見ただろう、あの素早さを! 馬にでも乗らんとすぐ追いつかれて……」
「お父さん、危ないっ!」
返事をするため意識の集中が弱まった瞬間を化け物は見逃さず、その太腕を大きく振り抜き、ユバを力任せに殴りつけた。
「ガホッ……!?」
攻撃を受けた彼は木の葉のごとく吹き飛ばされ、数度にかけて地面を転がっていった。
「あ、あなた!?」
「父さん!! 死んじゃ嫌だ!!」
「か、勝手に、ゲホッ……こ、殺す、な……が、これは少し、まずい、な……」
駆けつけた家族の声を受け、ユバは体を起こそうとするが、上手くそれをすることができなかった。痛みの走る部分を見てみれば、左腕が曲がってはいけない方向に曲がっており、素人目から見ても完全に折れていることが分かった。
「ちくしょうが……! さっきので腕“も”やられた、か……ゲホッ……!」
状況を確認するため口を開くと、そこから僅かな鮮血が緑の芝に滴り落ちた。
「お父さん!? ……もしかして、胸を……」
「みたい、だ……これでは……これ以上、抵抗、できそうに、ない、な……」
ユバは咳き込みながらも近寄る異質な存在を見遣った。
もうすぐそこにまで来ている。
しかし、先程から化け物は、何故か彼の家族ではなくユバのみに視線を向けていた。攻撃もユバ以外には一切仕掛けず、幸いにも家族には怪我が一つも無い状態だった。
「……あいつは、俺だけを、攻撃、している……から、その間に……お前たちは逃げろ!」
絶え絶えの息でありながらも、彼は必死にそう声を振り絞った。
少しでも家族が生き延びる可能性があるのならば、それに賭けてみるべきだと思ったのだろう、折れていない反対の手でゆっくりと体を起こし始めた。
「そ、そんな……!? できるわけないよ! 父さんを置いていくなんて……!」
「黙れ! お前の我侭で……母さんもミアも危険な目に合わせるつもりか!? 俺はお前をそんな大馬鹿に育てた覚えはない!!」
「!?」
聞いたこともない父親の大声に、少年は体を震わせた。
「お前は誇り高きルトの男だろう! なら、俺の代わりに二人を守り通すくらいの気概を見せろ! こんなところで女々しく死ぬつもりなら、俺がこの場で今すぐ……!」
そこでユバの言葉は途切れた。
目の前にまで近付いた化け物の視線がユバではなく、今度は息子に移っていたからだった。気味の悪い笑顔のようなモノを浮かべて。
……気付くのが遅かった。
化け物がユバを執拗に狙っていたのは、一番手近だったから、という理由ではない。
ユバの、そして彼の家族が怯える様子を楽しんでいたのだった。
だからこそ、唯一まともに戦えるであろうユバを攻撃し続け、逃げ出そうとすればその巨体を素早く動かし、逃げ道をことごとく塞いだのだった。
「……この化け物がぁ!」
悔しさに自然声が出たが、それもお構いなしに化け物は拳を振り上げる。
叩きつけられれば恐らく四人同時にあの世送りにされるだろう。
そう悟りながらも、ユバは痛みで、家族は恐怖で身体を動かすことができず、ただその過程を受け入れることしかできなかった。
「……させないわよ!」
声と同時、フィリアが化け物の横を通り過ぎた。
その際に、彼女は剣で脇腹を斬り付け、その切り口からは濁ったような血が流れだした。
《ヲガアァ!?》
怪我を負わされた化け物は悲鳴じみた声を上げ、僅かにその体勢を崩した。その隙にフィリアは愛馬から飛び降り、ユバたちの下へ駆け寄った。
「大丈夫、ユバ小父さん!?」
「ふぃ、フィル……ちゃん!? どうして、ここに……旅、立った、はずじゃ……」
「その話は後! ……とにかく、手当でもしないと……!」
息絶え絶えながらも尋ねようとするユバを制して、彼女はユバの曲がった腕に触れた。それだけで激痛が走ったのか、彼は声にならない悲鳴を上げ、起こした体を倒してしまった。
「……酷い……このままじゃ……!」
「……いい。それより、フィルちゃん……悪い、が、家族を……連れて行ってもらえる、かい?」
「な、何言ってるの、父さん!」
「……俺は、この怪我、だ……長くは、ない……せめて、三人だけでも……無事に」
「……気をしっかり持って! それで小父さんは良くても、残された小母さんたちがどれだけ悲しい思いをするかわかっているの!?」
弱々しい発言を受け、フィリアは酷く激昂した。
「もう大切な人が帰ってこない、その辛さを三人に味わわせるつもり!? 泣いても我慢しても、何をしてもその人が帰ってこない……それがどれだけ悲しい事か分かっているの!?」
目を僅かに潤ませ、彼女は言葉を出していく。
「……聞きたい声も聞けなくて、間違った時には叱ってくれる、何かがうまくいったときは笑顔で褒めてくれる……そんな家族がいなくなることが……どれだけ寂しいか……」
「……すまん、ね。生き延びたい、のは、山々、だけど……この怪我、じゃ……」
「……息があるのならまだ間に合う」
ユバが諦めかけたような声を出した瞬間、声が聞こえた。
視線を上げれば、僅かに息を切らしたゲイルがしゃがみこみ、ユバの様子を調べていた。
「……肋骨が三本、それも身体の内側に食い込みかけている……けど、これなら……!」
「な、治せるの?」
予想外の言葉を受けながらも、フィリアはゲイルにすがるような声を出した。
彼は苦々しい表情をしながら、後方へ視線だけを向けた。
「……一応は。しかし、あの化け物も二人だけでは時間稼ぎもそろそろ限界だ」
フィリアが彼の視線を追ってみれば、そこでは大剣で立ち向かうジードと騎馬で立ち回るギドがいた。
ジードは大振りの攻撃は避け、小回りの効く殴りかかりは受け流し、もしくは受け止めて対処していた。対してギドは常に化け物の正面からは外れ、主に側方・後方を取りつつ、隙を見つけては突きを入れるという方法をとって戦っていた。
「おい爺さん! こいつ一撃が相当重いから気をつけとけ! あんたがまともに受ければ腰をやられるかもな!」
「ほざけ! その程度の攻撃でやられるほど柔ではない! 何だったら今すぐお前と変わっても構わんぞ!?」
「ハハハ! 無茶されて動けなくなられたら困るから断っとく! ……それよりゲイルと嬢ちゃん、できれば早めに終わらせておいてくれ! こいつ相手に時間稼ぎも二人じゃ限度がある!」
「……け、けど、ユバ小父さんが……!」
「……フィリアはすぐ二人の応援に向かってくれ。ユバの命は俺が確実に助ける」
焦り、小父と化け物の間で顔を行き来させるフィリアに対し、ゲイルは静かにそう言った。
「……これ程の傷を治すとなるとしばらく時間が必要だ。それに、あの化け物は見た目にそぐわず足が速い……治癒を終え、準備が整い次第、あれは俺が一撃で仕留める。それまでフィルはとにかく時間を稼ぐように。ただ気を引くだけで構わない」
「だ、大丈夫、なの?」
「……俺を信じてくれ」
疑問に対しての返答は、断言ではなかった。
失敗の可能性も、少なからず存在することを暗に示しており、下手をすれば先程の会話が彼女とユバの最後のやりとりになりかねない。
けれども、彼女はその言葉を、彼を信じた。
「……分かった! 小父さんをお願い!」
言うと彼女はすぐに立ち上がり、腰に差した、昨晩受け取った剣に手をかけ、そのまま化け物の方へと向かって走っていった。
「む、無茶だ……フィルちゃんに、あれは……!」
「時間稼ぎだ……それよりも、少し奇妙な感じを覚えるだろうが、我慢するように。そして四人とも、何があっても声を出さないように」
最後の忠告だけやけに力が入っており、その意味を理解できない四人は疑問の声をあげた。
けれども、それに構わずゲイルはユバの胸に触れた。
《―傷喰い―》
その言葉を発すると、ゲイルの手は黒く光りだした。
「クッ……!?」
同時、ユバは傷を負った場所が熱くなる感覚を覚えた。
見てみれば、折れていた左腕はゆっくりと元通りになっていき、胸を強打したことで苦しくなっていた呼吸も、痛みが引き、楽になり始めた。
「おぉ……これは……!」
「す、凄い……! 父さんの怪我があっという間に!」
四人が驚いている間に、怪我は完全に《ユバから》消えてなくなり、体を動かしてみれば普段と変わりない動きができるようになっていた。
「ありがとうございます、これで私たちも……って、え?」
礼を述べようとゲイルの方を見て、ユバは絶句した。
先程まで何事も無かったゲイルが、胸を抑えて僅かに苦しそうにしていたのだ。それだけでなく、左腕が誰の目から見ても危険だと思うほどに曲がっていたのだった。
「……駄目、だ。四人は危険だから……下がっているように」
「い、いえ、ですが……それよりもその……!」
驚き、ユバが大声を出そうとしたところ、ゲイルはその口に手を当てて言葉を遮った。
「さっきも、言ったはず、だ。何があっても声を、出さないように、と……フィルたちにこれを悟られて、動揺……させるわけにも、いかないから、な」
「……!!?」
そこでようやく四人は、先程の言葉の意味を理解できた。
ゲイルの状態は先程までのユバそのものであり、一つの推測が頭をよぎった。
―彼が、ユバの傷を全て取り込んだのではないか?―
折れた左腕も、痛みで押さえている胸も、どれも四人に見覚えのあるものである。
「で、ですが……その傷では何もできませんよ!? 一体……」
それは、先程までその傷の持ち主だったユバが一番理解している。
呼吸することすら難しい上に、二本しかない腕のうち片方が激痛で使い物にならないのだ。意識を保つどころか、命を繋ぎ留めることすら難しいのは身をもって味わっている。
「……なに、剣はまだ振れないだろうが……手段がないわけではない」
そう言ってゲイルは、深く呼吸を繰り返す。
途中息詰まり、血を吐き出したが、それでもそれを繰り返すうちに顔色が徐々に元通りになっていった。
「十数秒……それだけあれば、何とかなる……だから……」
ある程度呼吸が元通りになったところで、彼は一瞬だけ後方を振り返った。
「フィル、ギド、ジード! あと数秒だけ耐えてくれ! そうすれば、その魔物を一撃で葬る!」
僅か血で詰まりかけた声ではあったが、魔物の相手をしている三人には感じ取れない差であり、ユバたちはその気迫に恐怖に近い『何か』を抱いた。
「できるのか!?」
振り下ろされる一撃を受け止めながら、ジードが声を上げた。いとも容易く大剣を振り回し、気迫あるその姿は魔物にとっても驚異に感じたようで、とにかく彼を集中的に攻め続けていた。
だが、それも僅かに厄介と思った表情をするだけで、ジードは押し負けるということは無く、均衡状態を保ち続けていた。
「見て分かるだろうが、こいつはとにかく皮が厚い。その上、異様な回復力もある所為で多少の攻撃では意味を成さん! それでも出来ると言うか?!」
「……出来る」
ギドの問いに、ゲイルは強く断言した。
絶対の確信を持った、力強い言葉だった。
「ならやって見せてやろう! ジード、そのままそいつの気を引け! 儂とフィリア様でとにかく削る! フィリア様は危険だと感じたら即座に退いてくだされ!」
ギドは声を高らかに、その槍を全力で振るった。
皮が厚いと言いながらも、矛先は必ずその皮を貫き、少なからず魔物に損傷を与えた。手にしている槍は、それなりの物であるが、名槍ではない。にも関わらず、ギドは魔物の足を、腕を突いて傷を付けていった。
「やっ!」
フィリアも負けじと、魔物の足元を走り回り、すれ違いざまに斬りつけるような攻撃を繰り返していった。巨体の魔物にとって小柄なフィルは小さな的のようで、その上、手の届きにくい場所を動き回れてはどうしようも無いようで、ただ攻撃を受け続けることしかできなかった。
「ゲイル! ユバ小父さんは……」
一瞬、彼女は小父の様子が気になったのか、五人のいる方向へと顔を向けようとした。だが、ゲイルの傷は未だ完治していないため、彼は声を張り上げた。
「戦いに集中しろ! 傷は全て治した! 後はそいつを片付けるだけだ! それまで気を張り続けろ!」
「……! わ、分かったわ!」
初めて聞いた彼の怒声に、思わずフィルは素直に受け入れ、そのまま意識を魔物の方へと戻した。
「……カハッ……!」
しかし、肺が傷付いた状態で叫んだせいで、ゲイルは再び血を吐いた。
けれども、目に光は宿したまま、絶え絶えな息で呪文を唱えていた。
《風よ集え 魔を穿て》
「……? その呪文は?」
ユバの疑問の声にも答えず、ゲイルはただ必死に口を動かした。
手を魔物に向けてかざし、慎重にその照準を合わせていった。
そして、ゲイルの腕を中心に風が渦巻いた。
後ろにいる四人にも感じられる程に大気が歪み、徐々にその形を成していった。
……形を成してはいる、が、どれだけ目を凝らそうとも、ユバたちがそれを視認する事はできなかった。
「……三人とも、今すぐその場から下がれ!」
「わ、分かったわ! ギド、ジード!」
「承知!」
「了解!」
ゲイルの声を受けて、フィリアはすぐさま二人に声をかけた。それを受けた二人は、即座に魔物から距離を取った。
《ゲァ?》
突然攻撃が止んだことに疑問を覚えたのか、魔物は首を傾げたが、すぐにその原因を感じ取り、勢い良くゲイルの方へと向いた。
「……避けられるのならば避けてみろ。魔導術式最速の一撃、甘くは無いぞ!」
しかし、ゲイルは既に左腕を、何かを握るようにしながら後ろに大きく回し、全身のバネを使って『それ』を振りかぶった。
《―ウルド・ガランズ―》
……ゲイルの手から放たれた、見えない『それ』は、空を穿ちながら、大地を削りながら走った。
しかし音は一つもなく。
そして、魔物の上半身を消し飛ばした。
「「……は?」」
剣を、槍を手にした男たちは呆気ない声を出した。
先程まで傷一つ付けるにも苦戦していた相手が、一瞬のうちに戦闘不能に陥ったのだから、当然だろう。
「……な、何だ、今のは……?」
「……魔導に疎い儂が知るわけ無いだろうが……」
そんなことを話しているうちに、残された両腕は地に落ち、両足は上体を吹き飛ばされたために支える事を忘れ、大音を立てて倒れた。
「……でも、これをやった、ってことは……ユバ小父さんは!」
その意味を理解したフィリアは嬉々として、その方を見た。
……瞬間、想像していたものと、想像していなかったものが同時に視界に飛び込んだ。
「……え?」
「ふぃ、フィリアちゃん! この人が……突然『血まみれになって』倒れて……!」
「……な、なんで……?」
目に入ったのは、怪我なく叫ぶ小父とその家族、そして全身を血で赤く染めたゲイルがうつ伏せになって倒れているという光景だった。
「何があったかは分からぬが、とにかく傷の手当を! 残っている包帯全部使ってでも血を止めろ! 足りなければ儂の衣服を使っても構わん!」
「わ、分かりました!」
駆けつけたギドが、困惑しながらも的確な指示を出し、微塵も動かなくなったゲイルを担ぎ、唯一無事であるゲルに運び込んだ。