夕暮れの三幕
ここで初の『魔導』という言葉が出てきましたが……自然の力を操作するものと考えてください。
物を浮かばせるなどといった便利魔法ではないということだけご理解いただければ幸いです。
……外で小さな騒動が起こっている頃。
「……? 何かあったのかしら?」
窓の外から野次馬の声が聞こえると、フィリアは椅子から体を起こして視線をそちらの方へ向けた。
だが、窓から少し身を乗り出しても、騒ぎが起こっているのは建物の影に隠れてしまっており、彼女が見ることは一切できなかった。
「……何をやっているんだろう……」
そうして、彼女は再び体を元の場所に戻した。
……ギドの話を聞いてから、彼女の調子はあまり良いとは言えなかった。
内容が内容だけに、充分に考える必要があることは分かっているのだが、あまりにも突然で、かつ大きな話であったため、現実感が追いついていないのだった。
しかし、ただひたすらに考え事をする、というのは案外難しいものである。
途中で集中力が切れた時には、道具や剣の整備をしたり、両親からもらった首飾りをいじったりして気分を変えていた。
だが、それも長時間となれば効果も薄くなる。
その他にも、部屋の調度品の位置を正したり、ベッドのシーツを直したりと小さなことにまで手を出すようにまでなっていた。
「……お祖父さん……か」
……彼女を悩ませているのは、このことだった。
生まれてから一度も顔を合わせていない、唯一の肉親。
話を聞く限りでは、喧嘩別れではないことは明らかであるが、だからと言って顔を知っている両親がいない状態で(ギドがいるとはいえ)突然会いに行っても取り合ってもらえるかはわからない。
もしそこで受け入れてもらえなければ、間違いなく自身の心は大きく傷付く。
だからこそ、彼女はギドの話をすぐに了承することができなかったのだ。
「……こんな状態じゃいけないことは分かっているけど……」
「……ただいま」
悩み、独り言を零していると、静かな声が響いた。
フィリアが入口を向けば、アーエスが少しだけ疲れたような表情をしてそこに居た。
「あ、お帰りなさい」
「……ん、フィリアだけ?」
帰って早々、彼女はベッドの上で横になり、体を伸ばしていた。
……ローブによって隠れているが、その伸びをした際に彼女の身体のラインが少しだけ露わになったのだが、布地越しでも分かる豊かな胸と対称的に細い腰が見えた。
普通なら嫉妬や羨望のまなざしを送るのが正しい反応ではあるのだが、幸い彼女はそういった関係のことにはあまり馴染みが無いため、精々自分より少し大きい、くらいの感想しか抱かなかった。
「えぇ。なんでも、少し歩き回ってみるだとか……」
「……残念」
言葉通り残念そうに、アーエスは枕に顔をうずめながら(気に入ったらしい)言った。帰ってきてからゆっくりと振っていた尻尾は、心なしか小さくうなだれた。
「まぁ、あっちにも都合はあるでしょうから……けど、アーエスは今まで一体どうしていたのかしら? 随分と疲れているようだけど……」
「……人混み、嫌い。でも、何とかなりそうになった」
「? 何とか……って?」
フィリアが思わず尋ねると、アーエスは自分でも言葉足らずだったと理解できたのか、少しだけ考える仕草を見せた。
「……えっと、私でも受けられる仕事を見つけた。だから、食べ物も何とかなると思う」
「そう。良かったわね」
「ん。でも、すぐに出発しなくちゃいけない……だから、二人とは多分お別れ」
……枕に顔をうずめたままではあったが、声の調子と尻尾の勢いが僅かに下がっていた。
そして、気持ちとしてはフィリアも似たようなものだった。
折角旅の途中で、しかも獣人という初めての友人に出会いながら、すぐに別れてしまう、というのが、少しだけ悲しかった。
けれども、アーエスはその道を行くと決めた以上、それ以上口を出すのもためらった。
「……えぇ、少し寂しいけど、ね」
「……」
フィリアの返事を受けると、アーエスは考え込むようにうなり、しばらくするとベッドから降り、その足でフィリアに近寄った。
フィリアは行動の意図が読めず、身動きせずにいると彼女はフィリアに顔を近づけた。
「え……ちょ、ちょっと?」
フィリアの制止を聞かず、アーエスは静かに鼻を鳴らしていた。
顔から足元までかけて満遍なく。
「や、やめっ……く、くすぐったい!」
思わず抵抗して彼女の頭を押さえたフィリアだったが、アーエスは平然と押し返し、時には舌で優しく舐められた。
「ひゃう!?」
思いもよらない感触に驚きの声を上げずにはいられなかったようで、思わず脱力してしまった。
ゲイルの言っていた通り、今の彼女では獣人の力には及ばない、ということがこんな形で理解された。
……が、フィリアの脱力と同時、アーエスは体をゆっくりと離した。
「……ごめんなさい。でも、これで『覚えた』」
「……え? お、覚えた……って?」
僅か荒れた息を整えながら、フィリアが尋ねた。顔は僅かに(恥ずかしさの為か)上気しており、無意識的に体を丸めていた。
「……多分わかっていると思うけど……私は鼻が良い……一度しっかりと覚えれば、絶対に忘れない」
「……?」
「……これで、フィルがすぐに見つけられる……離れていても、大丈夫」
「……」
言葉は不器用ながらも、アーエスの気遣いはよく伝わった。
同時、フィリアはようやく思い至った。
自分が否定されるのを恐れて、足踏みをしていたことが、どれだけ損なことかということを。アーエスはフィリアに押し返されながらも、繋がりを少しでも強めようと、一歩踏み出した。
「……ありがとう。おかげで色々と決心がついたわ」
そういったフィリアは、柔らかい笑みを浮かべた。
「? ……分からないけど、どういたしまして」
アーエスは彼女が笑う理由が分からないながらも、表情を変えずに答えた。
「けど、ああいったことは止めておいたほうが良いかもしれないわね。される方としてもかなり恥ずかしかったし……」
「……じゃあ、ゲイルにやるのは……?」
「絶対にダメ!」
……少し肩の荷が降りたのか、フィリアはしばらくアーエスと軽い雑談をして時間を過ごした。
「あ、お帰りなさい」
「ん、お帰り……」
陽が大分暮れた頃になってようやくゲイルは宿に姿を現した。
「……ただいま。随分と久しぶりの言葉が出たものだ」
部屋で迎えの挨拶をしたフィルとアーエスだったが、朝に比べるとフィルの表情は幾らかしっかりとしたものになっていた。
「……どうするか、大体決まったようだな」
「えぇ。迷惑をかけてごめんなさい」
「……構わない。それで、フィルの考えを聞かせてもらえるか?」
椅子に腰をかけると、ゲイルは静かに話を勧めた。
「……正直、公女としての立場とか、後継者とかの話は興味がないわ」
「……なら、ギドの話は無かった事に、というわけか?」
「いいえ。私が興味無いのは、領土や権利だけ」
ゲイルの問いに、彼女は首を振った。
「ただ、私にも知らない家族がいるなら、一度でいいから会ってみたい……だから、ハイルに行こうと思っているわ」
「……そうか」
「だから、ごめんなさい……ゲイルとは多分ここでお別れに……」
「? なぜその結論に至った?」
俯きながら呟いた彼女の言葉に、ゲイルは首を傾げた。
「え……? だ、だって、ゲイルは目的があって……人を探しているから旅をしているって言って……」
「確かにそうは言ったが、宛てどころか手がかりすらもない旅だ。それに一応大陸全土を渡るつもりだったから、遅かれ早かれハイル領には足を運んでいた……それが単純に今になったという話だ」
予想外の返答に戸惑うフィルに対し、ゲイルは迷うことなく言葉を続けた。
「役に立てるかどうか分からないが……それでも、恩人の、相棒の目標の手助けくらいはしてみせよう」
……フィルの心に陰っていた不安は、彼の言葉によって吹き飛ばされていた。
「……あ、ありがとう」
「それはまだ早いと思うぞ……ただ、アーエスは……」
「ごめんなさい。私はここでお別れ」
話を向けてみれば、少しだけ残念そうに彼女は断った。
「……今日町に出たら、私でも受けられる仕事があった。それで、すぐにでもここを離れなくちゃいけなくて……だから、あなた達にはついていけない……助けてもらいながら、何もできなくて……」
「いや、謝ることはない。それよりもおめでとう、とでも言っておこうか。大変だろうが、頑張れよ」
「……ん、ありがとう……」
そう答えた彼女の表情は、どこか柔らかかった。
彼女は彼の顔を見ていたが、しばらくすると僅か身をかがめて頭を突き出した。
「……?」
ゲイルはその行動の意味が分からず反応できず、その状態が続くと耐え切れなくなったのか、アーエスは彼の手に頭を押し付けた。
「……ん」
それだけやられれば、ゲイルも彼女が何を求めているかをおぼろげながらに理解して、その手をゆっくりと動かした。
……撫でるように、優しく。
「……♪」
すると、それが正解だったのか、彼女は少しではあるが表情を柔らかくした。
しばらくすると、満足したのかアーエスは自分から離れてフードを被った。
「……それじゃあ……フィルも、頑張って……」
「ありがとう、アーエス……またどこかで逢えたら良いわね」
「……ん。それじゃあ……」
そう言うと、部屋の隅に置いてあった彼女の荷物を抱え、そのまま部屋の外へと出て行ってしまった。
扉を閉める直前、深々と頭を下げていたのは、彼女なりの最大の礼儀なのだろう。
足音が遠くなったことを確認すると、フィルも静かに立ち上がった。
「それじゃあ、ギドに話をしてくるわ」
「……っと、その前にフィルに渡しておきたいものがある」
呼び止められて彼女が振り返ると、目の前には一振りの剣が差し出されていた。
「……? これは、剣、よね?」
「あぁ。昨日の戦いを見て、今フィルが持っている剣は身体に不釣合いだと思って見つけてきた。少し長さは短くなるだろうが、多分丁度良いとは思う」
「け、けど……これは受け取れないわ。こんな高価そうなのは……」
彼女自身、剣の道を歩んでいるため、差し出された剣の価値はなんとなくではあるが理解できていたようで、僅かに恐縮したように首を横に振った。
「なに、旅の門出を記念した、俺からの贈り物だ。そんなことは気にしなくても構わない」
しかし、彼も負けじと剣を彼女に差し出したままだった。しばらくの間戸惑っていたフィリアを見て、ゲイルは同時に買った剣を一振り見せた。
「それに、だ。これは兄弟剣というものがあり、一方の持ち主が無事ならもう一方の持ち主も無事であるという呪いがある。真偽の程は定かではないが、フィルの無事を祈っての贈りものだ……受け取ってもらえるか?」
「……」
そこまで真剣に言われては、彼女も断る理由が見つからなかった。
拒否すれば彼の心遣いを全て否定してしまうことになる。だから、彼女は一つ頷いて静かにそれを受け取った。
柄を握ると、驚く程手に良く馴染み、軽く抜いて刀身を見れば、鏡面の如き輝かしさを覗かせた。
「……凄い……これって、私でも分かるほどの名剣じゃ……? とても手に馴染む……」
「いや、握りに関しては俺が少し修正しておいた。布の劣化が激しく、触れるだけで崩れるほどだったから、できる限り丁寧に直したが、気に入ったなら何よりだ」
「……もしかして、今日はこれを探して?」
「それもあるが、他にもいくつか理由はあった……が、それはフィルが同行することを伝えてから話すとしよう……少しばかり休ませてもらう。さすがに疲れが……」
そう言うとゲイルは部屋のベッドに勢い良く倒れ込み、間も無く寝息を立てて、動きを見せなくなった。
「……ありがとう」
聞こえるか聞こえないか分からない、小さな声で彼女は礼を述べた。
時間を昼までさかのぼる。
その日のとある城の一室で、座を並べる者がいた。
一人はそばに若き女性騎士を置いた女性、もう一方は老年の重装騎士を置いた男性だった。
……ちなみに、この場にはいないが、城の主は二者の会談を了承してはいた。だが、実を言えば内心穏やかなものではなく、現在も執務を行っているが、会談を行なっている四人の様子が気になって気がそぞろだった。
何かあれば責任を問われ、下手をすればこの世に存在することができなくなるかもしれないのだから当然だろう。
「絶対に不審者を侵入させるな。私に用がある、などという者がいれば詰所にでも留めておくように。市井の者であろうとも私が直接出向くので、決して城内に入れるな」
このように、門番の一兵士に対しても直接言い渡すほどであることから、訪れている人々の重要性が伺える。
……そんなことは(騎士二人を除き)露知らず、青年と少女は話を始めた。
「本日はお忙しい中このような場を設けていただき、感謝します」
「いえ、必要とあらば、父の代理とは言え、いくらでも話し合いの場を設けさせていただきます。ですが、こちらの都合で遠路はるばる来ていただいたのはありがたいのですが……旅の疲れなどはありませんか、リリアーヌ様」
男性……というには少しばかり若い、少年と言って問題ないような男が静かに尋ねた。赤みのかかった髪と精悍な顔つきは、静かに揺らめく炎を連想させた。
対する少女は、金色の長い髪と透き通るような青い瞳を持ち、女性特有の丸みを付け始めたその身体……どれをとっても見るもの全てを虜にしそうなほど美しかった。
「問題ありません。活気のあるこの町を見ると、私も自然と元気をもらった気分になりまして……レムは本当に良い町ですね」
挨拶を終えたリリアーヌは、非常に柔らかい表情で答えた。
来る前に起こったことを思い出したシルヴィアは、僅かだが彼女に視線をやった。
「ふむ。シルヴィア嬢も大分苦労をしているようで」
その様子を見ていたのか、男性の後方で控えていた老騎士が楽しそうに口を開いた。
「……えぇ。何があったか、については黙秘させてもらいますが……」
「仕方なかろうに。その年で見慣れぬものがあれば興味を持つのはむしろ自然のこと。アゼル様も少し前までは周りを慌てさせることを得意としておりましたよ」
「ジェラルド、さすがにそれをここで暴露するのは勘弁して欲しかったな……」
「あら、やはりアゼル様も外の世界にご興味が?」
「え、えぇまぁ……と言っても、ついこの間父に厳しく叱られたばかりなので、自粛はしていますね」
そう言ってアゼルと呼ばれた男性は照れたように笑いながら答えた。
線の細い、端正な顔立ちをしてはいるが、身体はそれなりに鍛えているのだろう、金属を主とした鎧を身に纏っていながらも、平然とした様子をしていた。
「ハッハッハ! あの時アゼル様は綺麗に空を舞いましたからね。アークライト卿があれほどまでに怒りを露わにしたのも、非常に少ないのでよーく覚えておりますとも」
「デュ、ジェラルド! そのことは黙ってくれと……!」
大声で老騎士を制そうと試みたが、時すでに遅く、話を聞いたリリアーヌは口元を抑えて非常に楽しそうに笑っていた。
「……も、申し訳ありません……アゼル様が意外と子供っぽいことに思わず……フフフッ……!」
「……リリアーヌ様。一応念を押しておきますが、会議が長引けばこの後の散策の時間が無くなることをお忘れなく」
耳元でシルヴィアが小さく囁くと、彼女は突如表情を変え、深呼吸を二三度繰り返すと姿勢を正した。
「コホン……失礼しました。では、お話の方に移ってもらっても構いませんか?」
見事なまでの変わりようにアゼルは驚き(ジェラルド・シルヴィア両名に大した動揺は見られず)、釣られて姿勢を正した。
「……では、世間話もここまでにしておきましょう。この度この場を設けたのは、数ヵ月前からおかしな動向を見せているハイル領と、その周辺国についてです」
「たしか……ハイルと言えば昨年、フロスト卿の第二公子・ジスク公がお亡くなりになったと聞いていますが……」
「その認識で間違いありません。では、お二人は……というよりも、シルヴァラントはその次の後継者について争いが起こっている、ということはご存知でしょうか?」
ジェラルドの問いに、リリアーヌは首を横に振った。
本来ならそのような動きは王女としてはあまり好ましくないのだが、アゼル側二名は別段気にすることなく話を続けた。
「……どのような経緯があり、その結果にまで至ったかは、詳細が判明していないので省かせていただきます。問題は、その後継者の一人であるトルエン公から周辺の領主や隣接国へ応援要請が出されている、ということです」
「……? 領内での後継者争いならば、外部からの協力は求めるべきではないはずではありませんか?」
「リリアーヌ様の疑問はごもっともです。ですが、実際問題、アークライト卿の元にも兵を暗に求める文面の書を送ってきております。当然、卿は丁重にお断りしましたが……恐らく送られた者の中には報酬に目がくらんで助力を出しているものも存在するでしょう」
「報酬、とは聞き捨てなりませんね」
アゼルの言葉を受けて、シルヴィアが思わず口を開いた。
一瞬だけ「しまった」といった表情をしたが、それもアゼルは気にすることなく話を続けた。
「……その報酬というものが、あまり公にしてはいませんが……他国侵略成功の際に領土をいくらか配分する、というものなのです」
「そ、それはあまりにも確約性のないものなのでは? しかも、ハイル領に近い他国といえばアッサムとスラストバール、あとは……」
「そうです。ハイル領の北に位置するシルヴァラント、です」
「で、でしたら、アッサムの方にもこのことを……!」
「すでにお伝えしました……が、向こうは大陸随一の魔導国家。『単独で一領軍の進行は防ぐことができる。逆に攻め返すこともやぶさかではない』とお答えになり、今回の話し合いにも参加せず、といった具合です」
「そ、そうですか……」
リリアーヌは思いついた案をすでに実行しているアゼルの手腕の良さに感心しながら、上げかけた腰を下ろした。同時、自身の身分不相応の行動に恥ずかしさを覚えている様子でもあった。
「……しかし、アッサムではありませんが、ハイル領に一国を攻め落とすほどの軍事力は存在しようが無いと思えますが?」
少し困惑の色を滲み出しているリリアーヌに代わってシルヴィアが尋ねた。
確かに彼女の言うとおり、ハイル領は草原に囲まれた領地であるため、一般的な領土と比べれば圧倒的に広いが、だからと言って一国に勝るほどの兵や軍備を抱えることは不可能である。
そして、先程挙げられた国々は、大陸でも有力な国家であるのだ。
まず、この会議を設けた南方の国『スラストバール公国』。
各領地に有力な騎士団を有しており、有事の際は即座に召集が可能、平時は農作の協力などを行っているなどの要因があり、非常に豊かな国力を持つ。
また、大陸一で最も港や堺町を持っているため、外部国との交流もそれなりにある。結果、『スラストバールの危機は大陸半土の危機』という言葉が生まれるほどにまでなっている。
次にリリアーヌとシルヴィアの故郷である、北方に位置する『シルヴァラント王国』。
こちらはスラストバールに比べると土地はあまり豊かではなく、国土の四割が山岳地帯である。また、一年の平均気温も常に他国家に比べると低く、冬の季節が長く厳しい環境であるなどということもあって人口もどちらかと言えば少ない部類に入る。
ただ、その厳しい環境に適応した人々の基礎能力は非常に高く、また北方でしか繁殖しない『天馬』という翼を持つ馬を多く保有する。
そして、最大の特徴は大陸唯一の『天馬騎士団』である。
空も大地も駆け回ることができる天馬による機動力は、点在する騎士団の中でも群を抜いており、少数でも大軍に匹敵するといわれている。
現在はスラストバールと友好な関係を築いているため、唯一の欠点である『食料』などといった問題はほぼ完全に解消されている。
最後に、この場には属するもののいない『アッサム皇国』。
国土はお世辞にも広いとは言えず、そもそも騎士団というものが存在していない稀有な国家である。
しかし、それに代わると同時、騎士団を越えるものが組織されている。
それが『魔導師団』である。
アッサムは大陸の魔導を全て集約したような国家であり、首都であるルインは『魔導都市』と呼ばれ、大陸唯一の魔導師を育成する魔導学院が存在するほどである。
大陸に存在する魔導師の半分はこのアッサムの出身であり、有名どころは九割を占める程にまで達している。そういった根拠を持って、それだけの大言を吐いているのだった。
……他にも『ガドス帝国』『クシュラ』といった力ある国も多々存在するが、ハイル領から相当距離もあり、また関係もほとんど存在しないためここでの説明は省略する。
それ故、シルヴィアの疑問は的を射ている。
だが、その当然の疑問に、アゼルは当然の答えを返すことができなかった。
「それが……文面には『アッサム含む他国、恐るに足らず』といった解釈のできる文も記載されていました。儂も一度お会いしたことがありますが、現後継者候補のトルエン公は非常に慎重な性格をしているように見えました……とてもではありませんが、何の根拠もなしにそんな大言を吐くとは思えませぬ」
「……そうですか。何を隠し持っているか分からないので、警戒しておいておかしくない、ということでしょうか?」
「話のご理解に感謝します」
リリアーヌの確認に、アゼルは頭を下げた。
「いえ、こちらもこの話がなければ警戒を怠っていたかもしれません。なので、そこまでする必要はありません」
「分かりました。それでは、どこまで受け入れられるかどうか分かりませんが、母……王妃にはこのことを詳細にお伝えします」
「我ら天馬騎士団も警戒を厳重にします。我が国の魔導師部隊にも話をして迅速に対応するよう心がけます」
「ありがとうございます。こちらからの公の話は以上になりますが……他にご質問はありますか? できる限りではありますが、必要なことであればお答えしますが……」
「でしたら、確認したいことが一つあるのですが、よろしいでしょうか?」
「え、えぇ。どのようなことでしょうか?」
アゼルの言葉を聞いて、リリアーヌは嬉々とした声を上げた。その理由が分からない彼は、僅かに警戒しながら彼女の質問を受けた。
「実は話が大きく変わるのですが……つい先程、私が困っているところを助けていただいたお方がおりまして。できれば改めて御礼をしたいのですが、名前を聞きそびれてしまいましたので……」
「えっと……その人物を探して欲しい、ということでしょうか?」
「いえ、特徴をお伝えするので、そのお方に心当たりが無いかだけをお尋ねしようと……多分、槍に関して腕に覚えがあるお方だと思うのですが……」
「ふむ……リリアーヌ様がそう言うということは、相当できる人物と見て間違いないでしょうか?」
話を聞いたジェラルドが、蓄えた髭を撫でながら尋ねた。
非常に興味を持っているようで、記録係の男性に別の羊皮紙を用意させ、それに彼女がこれから言うであろう特徴をしっかり書くよう指示していた。
「申し訳ありません。私は武芸に関しては素人なので、良く分かりませんが……とにかく、三人を、しかも一人は不意打ちをしたにもかかわらず非常にうまく立ち回っておりました」
「はっはっは! それは非常に興味深い! それで、その者の特徴をお伝え願えますか? 探すための手がかりにさせていただきたいのですが……」
「あ……失礼しました。そのお方は、銀色の髪をもっておりまして……」
「ふむ。ということは、儂のような老体、ということでしょうか?」
「いえ、短い時間ではありましたが……そうですね、アゼルさんより少し年上、では無いでしょうか?」
「えっ……!?」
リリアーヌの言葉にシルヴィアが反応を示した。
それまでどのような話を聞いても冷静だった彼女の反応は、アゼル側二人だけでなく、リリアーヌをも驚かせた。
「……? どうかしましたか、シルヴィア?」
「い、いえ……な、なんでもありません。話を遮って申し訳ありません」
尋ねられたことで平常心を取り戻したのか、シルヴィアは乗り出しかけた身を引いた。
(……それはもしや……いえ、憶測で語って混乱させるわけにも……)
心の中でそうつぶやきながら、彼女は胸にしまっておいたペンダントを取り出し、強く握った。
ペンダントは羽を付けた馬……つまり天馬を象っており、拙さはあれど、どこか心のこもった優しい作りだった。
その間に二者間で情報のやり取りを終え、ジェラルドが確認に入っていた。
「……若年で銀髪、剣を持っているが兵士の類ではない。そしてシルヴァラントの事を少なからず知っていた、と……今のところ分かるのはこれでよろしいでしょうか」
「はい。非常に少ない手がかりではありますが、改めて御礼をしたいので、どうかよろしくお願いします」
「承知しました……しかしこの者、よく一目でリリアーヌ様をシルヴァラントのお方だとわかりましたな……確か、そのお姿は他国にはあまり知られていないはずですが……」
「えぇ。もしかしたら祖国に何かしら関係があるかもしれませんので、戻り次第こちらでも調べてみます」
「分かりました。ですが、魔導の修行と平行して調べるのは大変なのでは?」
「大丈夫です。修行でしたら最近一段落してきたので、時間はそれなりに余裕がありますので」
アゼルの問いに対してリリアーヌは笑顔で答えた。その表情から嘘偽りは全く感じられないことから恐らく本当のことなのだろうとアゼル、ジェラルドは判断した。
「そうですか。やはり基本四魔導に加え真祖二大魔導の片方を習得したお方は言う事が異なりますな!」
「いえ、それほどでは……政治を行なっている兄様や姉様たちに比べれば、大したことはありません」
ジェラルドの言葉を受け、彼女は僅かに表情を曇らせて答えた。が、それがほんの些細な変化だったため、この場にいる誰もが気付く事ができなかった。
ちなみに基本四魔導とは『炎』『氷』『雷』『土』の四種、高度二魔導とは『光』と『闇』のことである。
どれも素質がなければ習得することができず、更に言えば一つを極めるためには十年単位の相当な時間をかけて鍛え上げなければならない。
また、『光』『闇』と分類される真祖二大魔導に関しては、扱える素質を持つ者自体が非常に少なく、その才覚があると分かった時点で非常に丁重に扱われる、というのが大陸の現状である。(高度魔導を習得できるほどの才覚があれば、基本四魔導も容易く習得できるため)
そんな中、非常に短い期間でその才覚を持った少女が現れた。
それが、今アゼルたちの目の前にいる、リリアーヌ王女である。
十という若さで基本四魔導を極め、現在では真祖二大魔導の一つ『光』を修めており、そう遠くないうちに歴代賢者(いくつもの魔導を極めた者に与えられる称号)に匹敵する能力を身につけるだろうと言われている。
「ご謙遜を。年も大して変わらないアゼル様はようやく最近領主の後継者として自覚し始めている頃だというのに、聞けばリリアーヌ様は時折執務の手伝いをしているとか」
「だから、僕を話に持ち出すのは止めてほしいと……それは確かに、父上には何度も迷惑をかけたとは思っているが……」
「でしたら、今後は黙って城下に出かけるのは自粛してくだされ。我ら騎士団は迷子探しを得意としておりませんので」
「…………」
その言葉は、何故かアゼルだけではない誰かの胸を痛ませた。
「リリアーヌ様からも、何か一言もらえませんでしょうか? 見本となる方のお言葉があれば、恐らく効果もありましょうから」
「え、えっと……そ、そうですね」
話を振られた彼女は、少しだけ困惑しながらも言葉を探した。
ふと、隣にいる女性騎士に視線を向ければ『言うからにはご自身も良く戒めてください』と言わんばかりに目で語っていた。
「……そ、そうですね。何か起こってからでは遅いので、今後外へお出かけになる際は、ジェラルド様のように信頼できるお方に護衛していただく、というのはどうでしょうか?」
……どこかで聞いたような提案を、リリアーヌは口にした。
その言葉に、彼女の後ろで控える女性騎士は口元を抑えて笑いをこらえていたが、ジェラルドはそれに気付かず感心したような声を出した。
「ふむ……それなら、いざ何かが起こった際にも対処できますな。ご助言、感謝致します」
「い、いえ、お役に立てたのなら光栄です……」
変わらず柔らかい笑みを浮かべている彼女ではあるが、内心では自身の事を振り返り悶えていた。
「ですが、私も未熟な点は多くありますよ?」
「ほう……参考までにお聞かせ願えますか?」
リリアーヌの言葉に、ジェラルドは興味深げに尋ねた。
「実は、私が魔導を極めつつある、という話が出ているようではありますが……ここだけの話、私では手も足もでない魔導が存在するのです」
「……リリアーヌ様でも?」
何故かシルヴィアが反応した。
これは彼女も予想外だったのか、少し姿勢を改めて聞く体勢へと移っていた。
「……それが『古代魔導』です」
「……聞いたことがありませんな」
「そうでしょう。これは我が先祖から代々伝えられてはおりますが、クラウディア家の誰一人として使いこなせた方は存在しない、と言われております」
「……魔導の名家としても名高いクラウディア家が?」
アゼルの問いに、リリアーヌは静かに頷いた。
「私も興味本位で習得しようと試みましたが……全く使うどころか、反応すらしない始末でした」
「……それは……」
彼女の言葉に、誰もが言葉を失った。
市井には『神童』とまで歌われた魔導の申し子ですら扱えない魔導。
その存在が受け入れられないのか、疑問を抱いているようにも見えた。
「しかし、だとしたらなぜそんなものが代々伝わっているのでしょうか?」
ジェラルドがそのような疑問を抱えるのも至極当然だろう。
使う方法も分からない魔導を伝える、というのは必要のないことだと思われる。
「……それは私にも、それどころか母……王妃も詳しくは分からないようです。ただ、それがどのような魔導であったか、だけが伝えられているようで……」
「ふむ……よろしければお聞かせ願えるでしょうか?」
「……伝えられているのは、現存六魔導の極意と、既に使い手のいなくなった最強の魔導『風』、と言われています」
「……? 六魔導の極意は分かりますが……風、と言われますと……そよ風や突風といった、あの?」
ジェラルドが訝しげに尋ねると、リリアーヌはしっかりと頷き返した。だが、彼はどこか納得いかないようだった。
「……確かに、突風や嵐はいかなる障害よりも厄介なものではありますが……しかし、人が扱うとなる以上、威力もそれほどではないのでは?」
「……それは分かりません。何しろ、私も母からの言い伝えを聞いただけで、実際に目の当たりにしたことは……どのようなものであったかも詳しく伝えられていませんから」
至極真っ当な返答だった。
現存すらしていない、しかも曖昧な情報だけでその価値を判断する……それがどれだけ愚かなことであったか、ジェラルドは理解していた。
「失礼、門外漢ながら知ったような口を利いてしまいました」
「お気になさらず」
彼の謝罪に対してリリアーヌはやんわりと答えた。
「……では、アゼル様、ジェラルド様。私たちはこれで。少しばかり済ませねばならぬことがありますので」
「おぉ。長々とお引き止めして申し訳ない」
シルヴィアが長かった話を終えようとすると、ジェラルドは快くそれを受け入れた。
「それでは、トルエン卿の動向には充分に気をつけてください」
「貴重なお話をしていただき、ありがとうございます」
主役である二人は互いに礼をして、その場はそれで終了となった。
……その後、シルヴィアは部下の一部を情報収集に当たらせ、残った人数でリリアーヌの護衛に当たり、レムの町の散策に同行した。
銀髪の青年についての情報は、その翌日に入った。
―それらしき人物は、早朝に町を出た、という情報が。