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前触れ

 夜が明け、ひとりの女性がレムの教会に訪れていた。

 朝かなり早いということもあってか、教会前は非常に静まり返っており、いるのも修道女が一人だけだった。

「あら、お祈りでしょうか?」

 扉前の掃除をしていた修道女が来訪客に気付き、手を止めると道具を一旦脇に置いて、訪れた女性に近寄った。

 女性は、白の服に銀の胸当てという、少々変わった格好をしており、横には汚れのない白一色の馬を連れていた。一瞬修道女を驚かせたが、すぐにその正体を理解できると、修道女は笑顔を浮かべた。

「これは……わざわざ遠いところからお疲れ様です。何もない粗末な場所で申し訳ありませんが……」

「いえいえ、非常に手入れの行き届いた良い場所だと思います」

 僅か恐縮した修道女に対して、女性はそう答えた。

 非常に穏やかな雰囲気と柔らかい物腰を持ちながらも、どこか凛々しさを兼ね備えているその女性は、講堂を見回した。

「そう言ってもらえると助かります。掃除だけは毎日欠かさず行なっている、というのが、この教会唯一の長所なので」

「それはそれは……ところで、朝早くから申し訳ありませんが、お祈りをさせてもらっても構いませんでしょうか?」

「えぇ、喜んで。シルヴァラントの天馬騎士様のお祈りならば、むしろこちらがお願いしたいところです」

「そんな大層なものではありませんよ? 私もまだまだ未熟者なので、祈りにも大した価値は無いと思います……それに単なる日課なので」

 頬に手を当てながら女性騎士は少し照れた様子で答えた。大人の女性らしい、しなやかでありながら僅か傷跡の残っている指は、同じ女性である修道女でも見蕩れてしまうほど美しかった。

 隠す素振りも、見せつける印象も微塵もなかった。

 ただ、その傷すらも誇らしげにする女性騎士の凛然たる姿に、修道女は見蕩れたのだった。

「日課、ですか。誰かご家族にご病気の方でも……っと、余計な詮索ですね」

「いえ、行方不明になっている弟の無事を祈っているだけです。今も無事に生きていれば、もうすぐ二十くらいで……」

 瞬間、女性の表情が暗くなった。

 何があったかをおぼろげにながら悟った修道女は、黙って扉を開き、少しずれて女性に道を譲った。

「どうぞ、お祈りください。真摯しんしなる願いならば、きっとしゅはお答えになってくれるでしょう」

「では、失礼します」

 軽く会釈をすると、そのまま女性は神像の前に膝を着き、手を合わせて祈りを捧げた。その姿に、堂内にいた男の修道士たちは目を奪われかけ、手を止めそうになったが、先程女性騎士と話をした修道女が気遣って二人を連れてその場から音も立てずに立ち去った。

 そして、扉が閉められ一人になった講堂に、女性の声だけが響いた。

御座おわします神々よ、我が祈りが届くならば、弟であるゲイル・アーウィングに祝福を……」

 流れるように、祈りの言葉が紡がれる。

 どれだけの間、そのまま祈り続けただろうか。

 祈り終えた女性が立ち上がろうとした瞬間、教会の扉が勢い良く開かれたのだった。

「た、大変です、シルヴィア隊長!」

「どうかしましたか?」

 駆け込んできたのは、シルヴィアと呼ばれた女性とほぼ同じ格好をした女性だった。額には汗を浮かべ、教会の扉の向こうには息を荒くした天馬がいた。

「り、リリアーヌ様のお姿が見えなくなりました!」

「……え……?」

 その言葉にシルヴィアと呼ばれた女性は驚きを隠せなかった。だが、相当焦っている女性はそれも構わず言葉を続けた。

「つい先程、リリアーヌ様の寝室を訪ねたのですが、もぬけの殻で……それで城の者に聞いたところ、町の方へ出かけていったのを見た、という証言が……」

「だ、誰も止めなかったのですか!?」

「いえ、兵士が声をかけたそうですが、リリアーヌ様が私たちを護衛につけると言うと、その言葉を疑わなかったようです」

 女性騎士が言い終わると同時、シルヴィアはふらついた。

 寸でのところで踏みとどまったが、それ以上に彼女は対処を考えることに必死で、安堵する余裕も無かった。

「……あなたはすぐにでも城に戻り、他の隊員たちにこのことを伝えてリリアーヌ様の捜索を! ただし、天馬に乗るのは一人か二人に留めるように!」

「わ、分かりました!」

 命令を受けると女性騎士は急いで教会の外へと飛び出し、再び天馬にまたがるとそのまま空へと駆け出していった。

 ……動かす天馬の数を限定したのには彼女なりに理由ある。

 現在、このクロニア大陸の各地で魔物が出現するのは前述の通りである。

 そして同時に、大陸の各国では警戒態勢が強まっており、それを受けて市民も不安を覚えるようになっている。国によっては有事に備え、軍備を増強しているところも存在する。

 その最たるのがレムから一番近い国家『スラストバール』である。

 もし、天馬が多くレムの町を飛び交う理由を『魔物が多く出現した』と言ったように受け取られてしまえば、町は一気に混乱に陥ってしまうだろう。

 それによって町をいたずらに疲弊させてしまえば、ただならぬ損害を出すのは火を見るよりも明らかである。

 だからこその、妥協案だった。

 リリアーヌという人物の迅速な発見、そしてスラストバールとレムへの影響を最小限にするという目的を両立するための、彼女が即座に導き出した答えだった。

「……ご無事で!」

 そして、シルヴィアも自身の愛馬に跨り、ようやく明けた空へと駆け出していった。


「おはよう、よく眠れたか?」

 早朝。

 フィルが昨日とほとんど同じ時間に起きると、ゲイルも同様顔の汗を拭いていた。さすがにここで上半身裸になるようなことはなく、袖を落としたような服を着ていた。

「えぇ。少しベッドが柔らかい気もしたけど、何とか」

「……普通はベッドが硬いと言われることの方が多いのだが……その様子だとしっかり休めたようで安心した」

「……えっと、おはよう?」

 すると、フィルに続いてアーエスが姿を現した。

 こちらも疲れた様子は全く無いが、人の視線が気になるのか周囲を気にしている様子だった。フードを被っているので多少の注目を集めてはいるが、だからといって彼女の本当の姿がバレている様子ではなかった。

「大丈夫だ、アーエス。室内で被り物をする女性は少なくない。だから、堂々とするように。あまり不審な行動をしていればそれこそ危険だ」

「……ん、わかった」

 小声でゲイルがなだめると、彼女はようやく安堵したように警戒を解いた。

「……しかし、そう言った被り物などをしなくとも耳や尾は隠せると聞いたことがあるが……違うのだろうか?」

「……できる。けど、凄く疲れるから……あまり使わない」

「そうか。それは初めて知ったな」

 アーエスは肯定、否定と忙しく首を振り、それが何故かフィルを笑わせていた。その様子から、昨晩の間で大分打ち解けているようだった。

「そういえば、ゲイルは昨日どこで寝たのかしら?」

 ふと、フィルが気になったようでそんなことを尋ねた。

「俺か? 俺はそこの椅子を借りて寝ていたが……」

「ちょっと待って。そんなところで寝て大丈夫なの?」

「岩の上で寝るよりは数十倍マシだったな。毛布も貸してもらえたから大分快適だぞ」

 予想外の返答にフィルは一瞬焦りを見せたが、それも大したことはないと言わんばかりにゲイルは言った。

 フィルはそこで、ゲイルは相当旅慣れているのだと思い、ここではそれ以上は深く考えないことにしたのだった。

 同時、彼女は今後同行する上では、もう少し配慮していこうと決心した。

 そんな中、アーエスの腹の虫が鳴き、彼女は二人の顔を伺った。フィルは即座に彼女の意図を読み取って話題を変えた。

「それじゃあ、朝食はどうするの?」

「別に外で食べても構わないが……一応俺が用意したものもあるぞ?」

「フィル、早くこっちに座る」

 ゲイルが言い切ると同時、アーエスは席に座り、隣にフィルも座るよう勧めていた。

「分かっているわよ。でも食事は逃げないから安心してもいいと思うわよ?」

「そんなことは、ない……ゲイルのご飯は美味しい。だから、すぐになくなるかもしれない……」

「それに関しては気にしなくても大丈夫だ。朝市で材料が相当安かったので、多目に買ってきたからな。昨日の二倍までなら持つだろう」

 言いながらゲイルはいつの間に用意したのだろうか、料理を乗せた皿を次々と並べていった。スープにブレッド(パン)、色とりどりのサラダにスライスした鶏肉を炒めたものといった、非常に(一般人の中では)豪華な食事だった。

「……凄いけど、これだけの量を作ったなら相当早く起きたんじゃ……」

「そうでもないぞ。基本的には切って並べるだけだったからな。鶏肉もスープも昨日のうちにある程度準備をしておいたから、時間も思うほどかかって……ん?」

 説明を始めようとしかけたところ、不意にゲイルは服の裾を引っ張られていることに気付いた。見てみれば、既に辛抱ならないといった雰囲気を漂わせているアーエスが上目遣いで彼を見上げていたのだった。

「…………」

「そうだな。早く食べなければ料理が冷める……というわけで、早速いただくとするか」

「そうね。折角だし出来立てで食べたほうが美味しいでしょうから……ってアーエス! 焦らなくても取りはしないわよ?!」

 そんな風に、宿の食堂の一角で三人は騒がしく食事を始めたのだった。

「……うん、予想はしていたけど、本当に美味しいわね、これ……」

「……そこで何故沈む?」

 テンポよく食べていくアーエスに対して、フィリアは少しばかり悔しそうに料理を口に運んでいった。

「だって、私もそれなりに料理はしてきたけど……ここまでうまくはできなかったから」

「ふむ……どれくらいの間だろうか?」

「えっと……かれこれ三年は……ほとんど自分流だけど」

「それなら仕方ないだろう。俺は五歳の時には母親の手伝いをしていたからな。一人で作れるようになったのは八歳の頃だったが」

「……おかわり」

 タイミングを見計らってアーエスがスープの皿をそっと出した。大きめの器だったが、それでも彼女には足りなかったようで、テーブルの下から僅かに覗いている尻尾が元気よく揺れていた。

「……すまない。それは今あるものが全てで、おかわりは無しだ」

「……!!?」

 ゲイルの言葉を受け、アーエスは目に見えて落胆した。

 フードの上からでも耳が伏せたのが分かり、先程まで揺れていた尻尾も完全に動きを止めてしまった。

「……冗談だ。まだ量は相当あるから、遠慮はしなくて良いぞ」

「……ひどい」

「済まない。少し興味本位で言ってみただけだったが……まさかそこまで落ち込むとは思わなくてな」

「……むぅ」

 このやり取りをしているとき、心なしかフィリアがむくれていた。

「……しかし、鍋をこっちに持ってきておいて正解だったな」

 言いながらゲイルは脇に置いておいた鍋からスープを多くよそって彼女に渡した。

「……♪」

 差し出されたものを見て、アーエスは表情をほころばせ、また黙々と食事を始めた。

「フィルは?」

「……もらっておくわ」

 むくれた様子は隠していたつもりだろうが、雰囲気で彼女が不機嫌であるのはゲイルもわかった。それを察した彼は、一つの行動を取った。

「……そうだな……フィル、食事を終えたら昨日話したとおり町を案内してもらえるか?」

「……良いけど、そこまで詳しくないわよ?」

「構わない。一緒に歩くだけでも、大分異なるだろうからな」

「……ん、分かった」

 フィルの声の調子は変わらなかったが、まとう雰囲気は少しばかり柔らかくなった。

 それから、時間にして大体三十分くらい経過した頃。三人が雑談をしている中、男性が二人歩み寄ってきた。

「もし……話の最中失礼だが、お尋ねしてもよろしいだろうか?」

「? え、えっと、どうかしましたか?」

 現れたのは、髪同様白黒入り混じった髭を蓄えた老人と、ゲイルと同い年かそれ以上だと思われる男性だった。話しかけてきた老人は見た目およそ五十でありながらも、腕は丸太のように太く、そこらの腕自慢も裸足で逃げ出しそうな体格をし、質素ながらもよく整えられた鎧を着ていた。

もうひとりの男性は、老人の体格を引き締めたような体格をしており、顔には傷跡が横一直線に走っていた。こちらは老人とは異なり、なめした革に鉄の板を縫い付けたヘッドギアやショルダーガードといった軽装だった。

「……いや、嬢さんの服装が草原の民のものだったので尋ねるが……シンもしくはミディア、と言う名前に聞き覚えは無いだろうか?」

「……えっ!?」

 老人の問いに、フィルは勢い良く立ち上がった。その反応が予想外だったのか、老人は驚き僅かに身を逸らした。

「知っているようなら、どこにいるかを教えていただきたいのだが……」

「……シンとミディアは私の両親の名前です」

「な、そ……それは本当か? だとすれば……貴女は……」

「娘のフィリア、です」

「では、それが事実かどうか……シン様の首飾りはあるだろうか?」

「え、えぇ……これになります」

 迫る老人に気圧されながらも、彼女は懐から首飾りを取り出し、それを見せた。

「……少しだけ、拝借させてもらう」

 言うと老人も脇にぶら下げていた革袋から小さな宝石のようなものを取り出した。落としてしまえば見失いそうなほど小さなそれを、老人は慎重に首飾りのくぼみにあてがい、そのまま押し込んだ。

 すると、それは小さな音と共に、見事にはまり込んだのだった。

「おぉ、間違いない! まさかこれほど早く見つかるとは……」

「あ、あの……ところであなたは……?」

「これは失礼、名乗り遅れた。儂はフロスト近衛騎士団副団長のギド。そしてこれは……」

「騎士団雇われの傭兵・ジードだ。よろしく頼む」

「この度、儂はシン様とミディア様をお迎えに上がった。なので、あなたと共にお連れしたいのだが……お二人の下へ案内していただけるだろうか?」

 嬉々として語る老人・ギドに対して、フィリアの表情は暗かった。その変化を悟ったのか、ジードはギドの肩を叩いてそれを知らせた。

「……両親は、二年前に魔物によって……」

 ギドがそれを感じ取るよりも先に、フィルはそう声を振り絞った。

「何と……! それはお二人の連絡が届いてからすぐ、ということか……!?」

 覗いていた希望が、存在していなかったと知ったギドは、衝撃のあまり身体をふらつかせた。幸い、後方で構えていたジードによって支えられたため、大事にはならなかった。

「では、フィリア様はそれまで……この二人と?」

「いえ。二人とも、つい最近出会ったばかりで……ゲイルには偶然魔物に遭遇したところを助けられて……」

「……よくぞ、ご無事で……!」

 話を聞いているうちに、老人は声を震わせていた。

「フィリア様を助けていただき、感謝する。お二人が亡くなった上、フィリア様にまで何かあれば、フロスト様にどうお伝えすれば良かったか!」

「そ、その……さっきから言っているフロストって、もしかして……ハイル領を統治している、あの?」

「そのとおり。そして、シン様はその第三子息であり、ミディア様はその奥方なので、フィリア様はフロスト様の令孫れいそんに当たるというわけだ」

 その突き付けられた事実に、フィルは衝撃を受けずにはいられなかった。

 続く言葉が見つからず、同様するフィルに代わってゲイルが口を開いた。

「……しかし、なぜ今頃になってフィリアを……いえ、正確にはフィリアの父を探そうと?」

「……恥ずかしながら、これにはアーカイツ家の後継問題が関わっておる」

 周囲に気を払ってギドは小声で答えた。幸い、まだ朝早い時間帯であるため、他の宿泊者は起きていないため静まり返っていた。

「……場所を変えたほうが良いだろうか?」

「そうじゃな。この宿の応接間でも借りられれば良いのじゃが……」

「分かった。少しここの責任者と話をつけてくる」

 ギドが願望を言うと、即座にゲイルは動き出した。

 そしてすぐに彼は宿受付の奥からそれほど時間もかからないうちに戻ってきた。

「大丈夫だそうだ。と言っても、精々一時間が限度らしいが……」

「いや、それだけあれば充分だ。手間をかけさせたな」

「気にしなくていい。ただ、俺も事情は聞かせてもらうぞ」

「構わんよ。世話になった相手を除け者にするわけにもいかんからな……そこの嬢さんは……」

「……私は、いい。少し、外を回ってる……調べたい事もあるから」

 アーエスは静かに立ち上がると、素早く外へと出て行ってしまった。

「……ず、随分とマイペースな嬢さんだな」

「悪気はないだろうから多目に見てもらえると助かる」

 そうゲイルがフォローしたあと、四人は場所を変えた。

 宿の応接室で、ゲイルとフィルが、ギドと向かい合う形で座った。ジードは警戒のために部屋の外で待機しているため、ここには居なかった。

「……さて、連れ戻しにきた理由についてだが……」

「そ、それよりも一つ聞いていい?」

 いざ話し始めようといったところでフィルが声を上げた。

「? 儂で答えられることであれば……」

「……その、父と母は、どうしてフロストのお爺さまと離れて暮らしたのかが気になって……」

「……聞いていないのか?」

 ギドの疑問にフィルは小さく頷いた。

 それを受けて、彼は数秒考えたあと、髭で隠れそうな口を開いた。

「……フロスト様は、お二人を批難の声から遠ざけるために、表向きは草原の民と結ばれたということで領外追放をしたのだが……」

「批難?」

 フィルのオウム返しに彼は頷いた。

「……当時、アーカイツ家が統治するハイル領では草原の民を下賤の者とする差別が残っていたのでな。ミディア様に惹かれたシン様が『下賤の者を取り込むような男は後継者に相応しくない』などといった声があがったのだ」

「…………」

「最初は抵抗を覚えていたフロスト様だったが、実際にミディア様と接してみれば礼儀正しく、器量の良い女性だということが分かり、互いに心底惹かれ合っていると分かると、相当お悩みになったのだ……しかし、領民がそう簡単にフロスト様の言葉を受け入れることができず、非難の声は酷くなる一方だったのだ」

「……それで?」

「幸い、フロスト様の第二子・ジスク様に継承させれば問題ないと判断し……第一子であるシン様を表向きに追放する形で、その時は事なきを得たのだ……が、一年前に問題が起こった」

「……確か……そのジスク……叔父さんが急遽した、のよね?」

 フィルの問いに、ギドは深く頷いた。

 叔父と呼ぶ際に、フィルが僅かにためらったのは、顔も知らない親類をどう呼べば良いのかが分からなかったようで、それで合っているかどうか不安そうにゲイルを見た。

 そこでなぜゲイルなのか、は分からなかったが、彼は静かに頷き、ギドの方へと向き直るよう彼女に促した。

「……ジスク様が亡くなり、シン様は追放となれば、自然第三子であるトルエン様に権利が移るのだが……この男には何かと芳しくない問題を抱えているのだ」

「問題?」

「あぁ……この男は非常に好戦的で、独占欲が非常に強い。それだけならまだ良いが……ここ最近は他国の人間と通じているようでな」

「……失礼するが」

 そこで、この部屋に来てから今まで黙り通していたゲイルが初めて口を開いた。

「その相手の国は分かっているのだろうか?」

「……それは分からぬ。ただ、信頼できる兵の一部が『ジスクが見知らぬ男と隠れるように話していた』という事を言っていたのだ」

「……そうか。話を遮って済まない。続けてくれ」

 言ってゲイルは身を引いた。

 フィルは先程の言葉に何かしらの意味があるのかと考えたが、すぐに思い至るようなことはなく、同時話を続けようとするギドがいたため、それ以上考えることはできなかった。

「……健康そのものだったジスク様の急遽は、トルエン様の陰謀だ、という話まであがっておる。もしこれまでの話が全て事実だとすれば、この男を領主にしてしまうと相当な混乱を起こしかねない……そのために、一度は追放したシン様を呼び戻そうと、儂が向かった次第、というわけだ」

「………………事情は、よく、分かりました」

 ギドが話し終えると、フィリアは絞り出すような声でそう答えた。

 顔は俯き、表情も陰っていた。仕方のないことだろう、突然自身の本当の身分を明かされ、知らないうちに大事に巻き込まれかねないのだから。

「……では……」

「……ごめんなさい。いきなりのことだから、少しだけ心の整理をさせてくれる? 今夜までには答えを出しておくから……」

「……かしこまりました。ですが、事は急を要することだけ、お心に留めておいてもらえますでしょうか?」

 念を押すギドだったが、フィリアはそれに首で答えるだけで返事はなかった。

 覚束無い足取りで部屋を出ると、そのまま階段を上って自室に入っていくのを、音だけで確認すると、ギドは深く溜め息を吐いた。

「……全く、損な役回りになったものだ」

「……いくつか尋ねても良いだろうか?」

「ん、儂で答えられることならば」

 残された二人は、向き合った状態を保ちながら話を続けた。

「では。はじめに、フィリアがこの話を断った場合は、どうするつもりなのか?」

「……その時は、申し訳ないがフロスト様にそのことを進言した上で、ジスク様の奥方であるイサドラ様に一時的ではあるが治めてもらうことを考えておる。血のつながりはないだろうが、血統的には良いお方なので、民も納得してもらえるだろう」

 本当にそれは最終手段なのだろう、ギドは苦虫を噛み潰したような表情で答えた。

「……次に、フィリアの護衛はあなた方二人だけだろうか? 後継者の護衛にしては少しばかり少ないように思えるが……」

「……それに関しては、フィリア様に話してはいないが、事情があるのだ」

「……事情?」

「面倒なことに、さっき話したジスクが、イサドラって人が最有力候補だと分かると、反旗を翻しやがったんだよ。大分昔から準備をしていたのか、相当な数の兵が動員されてな」

 ギドに代わってジードが答えた。フィルが部屋を出て行ったことを確認してから、扉を空けて彼女と入れ替わるように入ってきた。

 予想外の方向から答えが出てきたことに驚きながらも、ゲイルは彼に話を続けるように勧めた。

「それが無視できないほどの規模のもんだから、騎士団全てをフィリアの嬢ちゃん探しに回せず、唯一自由な爺さんだけが動いていたってことだ。それで、それだけじゃ難しいからってことで俺も雇われた……流れとしてはこんなものか?」

「……軽々しく話をするな、若造が」

 軽い調子で話すジードに対して、ギドは鋭く睨んだ。

 が、彼にとってそれもどこ吹く風といった様子だった。

「けど、話しておかないと理解もされないだろ? それに、爺さんは腐っても騎士団副団長だから、おいそれと内部事情は話せねぇからな。俺はつい『うっかり』口を滑らせただけだ」

「……まぁ、良いだろう」

 ギドの忠告はそれだけで終わった。

 その様子からジードの言葉に間違いはないようで、怒りよりむしろ安堵に近い表情をしていたのだった。

「……自分のような部外者への話、感謝する」

「ゲイル殿……だったか? そちらは今後の方針などは……?」

「ほとんど決まっていない、という状態だ。精々、ここから一番近いスラストバールに寄ろうかと考えているところだが」

「……そのことを、フィリア様は?」

「話していない。そもそも、自分の旅自体目的が非常に曖昧なものなので、行き先も行き当たりばったりにならざるを得ないので……」

 言ってゲイルは一つ深い溜め息を吐いて、静かに立ち上がった。

「……それでは、フィリアもあの状態なので、自分は旅支度でもさせていただきたいのですが、失礼してもよろしいでしょうか?」

「構わん。色々と足止めして済まなかったな」

「いえ、一領土の一大事となれば、仕方のないことだろう」

 ギドの謝罪に対して、ゲイルは小さく首を振って、外へ出た。

 そのままの足で、昨日用意された部屋の前にまで移動したが、ゲイルはそこで立ち止まり、部屋の前から声をかけた。

「フィル。俺は町を歩き回ってくる。少し帰りが遅くなるかもしれないが、それまで気を落ち着かせておくように」

「……ん」

 部屋の奥から、小さく聞こえた返事を受け、彼はそのまま立ち去ろうとした。

「……ごめんなさい。案内するって言っておきながら、この調子で……」

 謝罪の声を耳にして、ゲイルは足を止めた。

「気にするな。それよりも、ゆっくり考えろ。自分に正直になって、悔いの無い道を選ぶように……俺から言えるのはそれだけだ」

 それだけ言うと、彼は返事を待たずして階段を降りていった。


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