第三話 それが『三人』の秘密です。
放課後。帰りの挨拶も終え、今週は掃除も無いから帰るかと席を立つ。と、教室の入り口から
聞き慣れた声がした。
「こんにちは。月峰君、いらっしゃいますか?」
ただしその口調は、何度聞いても慣れない、優しげで穏やかなもの。教室の入り口に立つ『彼女』の問いに、応対していたクラスメイトは首肯しながら俺を見る。
「月峰ー、愛しの高崎さんが呼んでるぞ」
「愛しのって……別にそういう関係じゃないんだけどなぁ」
嘆息しながら、俺はのんびりと歩み寄った。走り寄ることが出来ないのは『彼女』も分かっているため、急かしはしない。そして『彼女』の前に着くと、クラスメイトはにやりと笑う。
「照れるなって。今日もまた放課後一緒なんだろ? 爆発しろ」
「だから違うって。じゃ、また明日ー」
教室内に声をかけると、残っている生徒からぱらぱらと声が返ってくる。その声を背に受けて廊下に出ながら、俺は『彼女』を見る。
「ツインテール……ってことは、琴音か」
「ご名答、です」
ぺろりと悪戯っぽく舌を出す彼女は、文音や雪音と全く同じ顔。それだけを聴けば、三つ子だと誰もが思うだろう。だが、違う。
「よく分かりましたねぇ、月峰さん。『今日は』私だって」
「髪型で。……まぁ、琴音は髪を見なくても分かるかな。『美絵』のとき、楽そうだから」
「あはは、まぁ文音や雪音よりは楽ですねー。そこまで口調変わりませんからねー!」
心底楽しそうに笑う琴音。しかしそこで廊下の端から数人の生徒が現れ、琴音は一瞬表情を硬くする。しかしすぐにその表情は、さっきまで浮かべていた穏やかな笑顔に変わった。
「でさぁー……あっ、みーちゃん! 今帰り?」
そんな琴音の変化にも気付かず、歩いてきた女生徒たちの一人が琴音に声をかける。みーちゃん、と、彼女の本名に掠りもしない名を呼んで。
しかし琴音は気にした様子も無く、にっこりと。
「いいえ、月峰君にお勉強を教えてもらおうと思って。どこか空いている教室、ありませんか?」
「それだったら向こうの選択教室空いてたよー」
「ありがとうございます」
微笑む琴音に対し、女生徒は何か含みのある笑顔で首を振る。
「いいっていいって。それよりさ、みーちゃんもうまく考えるよねー」
「あ、それ私も思った! 美絵だって凄く頭良いくせにねー」
「……何のこと、ですか?」
笑顔のまま首を傾げる琴音に対し、彼女たちはなおも盛り上がる。
「放課後に勉強教えてもらうって、凄くいい口実よねー! 流石みーちゃんだわ」
「月峰君だって格好良いしモテるし、ほんとお似合いだよね!」
ここまで来て、ようやく俺は彼女たちの言っていることを理解する。
……こっちでも、か。
「何度も言ってるけど、俺たち別にそういう関係じゃ」
「月峰君も、照れない照れない。照れたら美絵に悪いでしょ!」
「いや、だから……」
嘆息する俺を見て、くすりと面白そうに、しかし優雅に笑う琴音。
「残念ですが、本当に勉強を教えてもらうだけなのですよ。私がなかなか理解しないから、毎日のように付き合って頂くことになってしまって……月峰君の教え方が上手なので、ついつい欲張ってしまうんですよね」
困りました、と苦笑する琴音に対し、女生徒たちも頷く。
「分かる分かる、月峰君って教えるの上手そうだよねー」
「良いなー美絵、あたしも教えてもらいたぁーい」
「あんたは彼氏がいないでしょー」
「うっさいなー月峰君の話をしてるの! じゃ、二人とも頑張ってねー!」
嵐のように去っていく彼女たち。その姿が見えなくなるまで見送って、琴音は大きく息を吐いた。
「はー……疲れました」
「お疲れ、美絵」
「本気でやめてください月峰さん怒りますよー!」
きっ、と俺を睨む琴音に、俺は苦笑を返す。
「ごめんごめん。それにしても、お前らも大変だな。いっそ全部打ち明けちゃえば良いのに」
「……月峰さんみたいにふーんで済ませちゃう奇特な人、そうそういないですよー。普通は頭おかしいって思われるものです。三重人格なんて」
不意に、琴音の声が低くなった。俺はしまった、と僅かに後悔するが、その程度で引いていては俺たちの関係は――互いに爆弾を抱えていて、会話の中でうっかり触れてしまうような危うい関係は成り立たないから。
彼女……高崎美絵は、三重人格者である。彼女の中には常に、『長女』である文音、『次女』である雪音、そして『三女』である琴音の三人がいた。
周りに知られている、人当たりの良いお嬢様である『美絵』の人格は、彼女たちが意識して作り上げたもの。自分の家族、そして俺以外の前では、彼女は『美絵』として暮らしていた。
「俺は面白いと思うけどなぁ」
「だからぁー、そういう変人は珍しいんですってば! ……っとと」
再び通りかかる生徒に、琴音は一瞬で『美絵』の表情を浮かべる。
「……とりあえず、空き教室に行こうか。早く勉強始めなきゃいけないし」
「そうですね、月峰君」
俺にとっては違和感バリバリの『美絵』を連れて空き教室に辿り着くと、琴音に戻った彼女は再び嘆息。
「だから、疲れるならやらなければいいのに」
「そういう問題じゃないんですぅ……大体、『美絵』は十年以上やり続けていることですから、疲れたりしないんですよ! 切り替えが疲れるんです! まったく、本来なら月峰さんの前でも『美絵』でいるはずだったのに!」
「まぁそれについては雪音と琴音が悪い」
初めて会ったときの『彼女』は、完璧に『美絵』だった。あれが三人の内誰だったのかは、今も知らない。クラスが違ったからもう会うことは無いだろうと、あったとしても廊下ですれ違う程度だろうと、気にも止めていなかった。
しばらくして再会したのは、『美絵』として振る舞う文音だった。一昨日の会話の通り、当時はまだやさぐれていた俺は文音に八つ当たりし、自分の身に起きた出来事を全て打ち明けてしまった。
その後、休日に町の中で出会ったのが雪音だった。『美絵』ではない彼女は、迷ってしまったと苦笑しながら俺に道を訊ねてきた。学校とはまるで違う彼女に驚きながらも、俺は見て見ぬふりをした。
そして学校に行くと、そこには『美絵』の皮を被る雪音がいた。見ているうちに、俺はぼんやりと気付いてしまったのだ。
別人だ、と。俺が過去を話した彼女と、休日に出会った彼女と、そして今見ている彼女は……完璧に別人であると。
それからは早かった。『美絵』を呼び出し、訊ねたのだ。責める気も、他の生徒に話す気も無かった。ただ、知りたくて。
俺の話を聴いた彼女は、『美絵』とは違う微笑みを浮かべて、ゆっくりと頷いたのだ。
『凄い観察力ねー、貴方。その通りよ~』
そうして雪音は語った。自分たちは『高崎美絵』の身体に宿った、それぞれ別の人格であると。
彼女たちは眠るたびに入れ替わり、次に表に出る人格は目覚めるまで彼女たち自身にすら分からない。眠っている間だけ会話が出来る彼女たちは、その間に『美絵』を作り上げたのだ。
「月峰さん? 何をぼんやりしてるんですかー!」
そんな琴音の声で、俺は現実に引き戻された。
「いや、俺が何でここにいるのか回想を」
「そんなの良いからさっさと教えてください! 二次関数苦手なんです私」
「口実じゃなかったのか……大体、琴音は文理ともそこそこ出来るだろ」
そこそこ、どころか全教科八十点台は取れているレベルである。テストの日は琴音が出ていると一番安全らしい。逆に一番危ないのは雪音が出た時で、その時は文系科目の点数が壊滅的になるためテスト前日は三人で恐怖しているらしい。アホだこいつら。
「ところで私思うんですけど、部室一つ奪いません?」
「そこ、日常会話の延長のように自然な口調で物騒なことを言わない。大体何部だよ」
「部活動まででっち上げる必要はありませんよ、各所を脅して部室だけ貰えれば。だって放課後の度に空き教室探すの面倒じゃないですかー」
「お前らが俺を拘束しなければ済む話なんだけどな」
「だって見張ってなきゃいけないじゃないですか!」
そう。雪音に全て聴いた翌日、俺の前に現れるなり問答無用で人のいない教室に拉致したのが、他でもない琴音である。
『秘密を知られたからには生かしてはおけません! と言いたいところですけど、私は優しいので監視程度で許してあげます! 放課後の貴方に自由は無いと思ってください!』
そんなわけのわからない理由から、素に戻った三人と毎日駄弁る日々が始まったのだ。話を聴いた雪音は何故か琴音以上に乗り気。唯一の良心たる文音すら、反対はしなかった。
「別に見張らなくても、お前らのことは言わないって。言っても俺にメリット無いし」
「メリットがあったら言うんですか!」
「割と」
「やっぱり駄目です見張ります! 卒業まで見張ってやります!」
叫ぶ琴音を見ながら、俺は嘆息した。
文音も雪音も、琴音も嫌いではないけれど。
……それでも彼女と噂が立つことを好ましく思わない俺が、確かにいるのを感じながら。
ここまで来てやっとプロローグが終わった感じでしょうか。
というわけで、軽く人物の説明・解説などしておきましょう。
月峰涼夜
主人公。語り手。高校一年生。
天才的な頭脳を持つ、どこか冷めたところのある少年です。その洞察力や観察力から『美絵』の三姉妹に目をつけられてしまい、共に放課後を過ごす仲になります。
基本的に冷静であまり叫ばない彼に、果たしてツッコミが務まるのでしょうか。
高崎美絵
文音・雪音・琴音の三姉妹が他の生徒の前で出す、『表』の人格。常に敬語で柔らかな笑顔を浮かべる、人当たりの良い『お嬢様』な性格。
文音
『美絵』の長女。真面目だけど短気。文系。理数滅べ。
雪音
『美絵』の次女。おっとり腹黒。理系。文系滅べ。
琴音
『美絵』の三女。ハイテンション敬語。文理ともいける劣化版涼夜。
……説明が酷いですがまぁそこは気にしない。
というわけで、ここからは涼夜と三人の内誰か一人がひたすら雑談を繰り広げるコメディ多めなお話となります。たまにシリアスもあるけれども!
次回もなるべく早くお届けできるよう頑張りますので、たのしみにしていただければ幸いです。
ではでは。