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第一話 色々と事情があるのです。

 呆気無く失った夢は、俺の日常を大幅に変えてしまっただけであって、それから何年経とうと世界は何事も無かったかのように回っていた。当事者である俺もまた、空いてしまった穴から目を逸らすように、それまでの日々を繰り返そうとした。

 けれど、どう足掻こうと戻らないものは戻らない。柱を失えば後は倒れるだけで、俺もまたゆっくりと、けれど確実に、壊れようとしていた。


 そんな時に、俺は彼女に出会ったのだ。

 いや――正しくは、『彼女たち』に。


 ***


「いいか、理数科目というものがこの世に存在することがそもそもの間違いなのだよ。分かるだろう?」

「いや、全然」


 即答すると、彼女……文音あやねは呆れるように首を横に振った。


「分かっていないな、君は。理科も数学も、一体人生のどこで使うというのかね? 君は買い物をするときにわざわざ因数分解をするのか? 普通はしないだろう、個数を数えたいのなら小学校の加減乗除で十分事足りる。暗算が苦手なら電卓も携帯もある。私たち自身が機械になる必要はどこにもないだろう。それに君は、何かを見るたびにいちいちその原理を思い浮かべるのか? 林檎が木から落ちた、それは地球には重力があるからだ。なるほど、それを解明するのは確かに大事なことだろう。だがそれは私たちが知るべきことなのか? 例えばその林檎が欲しかったのだとして、林檎を手に入れるために必要なのは『林檎が木から落ちた』という事実だろう。重力の存在など知らずとも人は生きていける、それは遥か昔に生きた人々が証明している。ならばそんな無駄なことを覚えずとも、私たちには他にやるべきことがあるのではないか!」

「勉強することそのものが大事なんだ、とかよく言わないか?」


 半眼で突っ込むと、彼女は鼻を鳴らす。


「役に立たないことを勉強することのどこが大事なのかね」

「将来役に立つかもしれないだろ、思わぬところで」

「ふん、流石学年トップ様は余裕だな」

「何も捻くれなくても……」


 嘆息すると、不機嫌そうだった文音はくすりと笑った。


「捻くれてなどいないさ、褒めているだけだ」

「その口調は絶対褒めてない」

「む……ばれたか」


 真っ直ぐ伸びた黒髪はポニーテールで、制服はきっちり真面目に着こなして。無駄に男らしい口調で、しかしばつが悪そうに頬を赤らめる姿は、どこからどう見ても可愛らしい少女である。

 ……文音は、なぁ。黙ってさえ、いればなぁ。


「今、とてつも無く失礼なことを思わなかったか? 涼夜りょうや

「いや、別に?」


 表情を変えずに肩を竦め、俺は話を元に戻す。


「でも文音だって、別に成績悪いわけじゃないだろ? 現国も古典も九十九点。英語は九十八点、倫理は九十七点。理系科目だって、雪音ゆきねに理系脳を持って行かれたとはいえ平均は取れてるし……どこが不満なんだよ」

「強いて言うならば、全教科満点の君にそれを言われることが激しく不満だな。この化物め」


 今度は向こうが半眼。……いや、うん。


「……事実だから何も言い返せないけどさ。でも、取れるものは取れるんだから仕方ないだろ」

「嫌味か貴様っ!」

「はいはい、突然キレない」


 冷静そうに見えて、何気に三姉妹の中で一番短気なのが文音である。クラスこそ別だが、二か月も一緒に過ごしていると俺もすっかり慣れてしまって、この程度のことでは動じない。


「顔に出ているぞ、涼夜。言っておくが君のその冷静さはいくらなんでも異常だ。それで、絶対記憶能力だったか? 君が持っているのは」

「そんな大層なものじゃないけどな」

「む、そうなのか?」


 首を傾げる文音に、苦笑を返す。俺の場合はちょっと人より記憶力が良いだけであって、見ただけで完璧に暗記出来るレベルではない。……前に説明した気がするんだけどな。いや、あれは文音じゃなかったか? 同じ顔だからややこしいよなぁ。


「俺はそこまで凄くないよ。その証拠に、中学時代はせいぜい学年で三番くらいだったし、百点も全部じゃなかったし」

「まずは基準がおかしいことに気づけ。だが、なら何故高校になって急にトップを死守するようになったのかね? 記憶力が急に進化でもしたのか?」

「するか馬鹿。……色々あったんだよ、俺にも」


 必死に打ち込んでいたものが突然消えて、俺に出来ることと言ったら勉強くらいになってしまったから。自分が存在する意味を見失いたくなくて、自分に期待する人にこれ以上失望されるのが怖くて、必死だったのだ。

 そんな、言いようのない感情が顔に出てしまったのか……文音が気まずそうに俯く。


「……すまない」

「何で謝るんだよ」


 対し、俺は苦笑。


「おかげでここに合格出来たし、悪いことばかりじゃないよ。だろ?」

「つまり、悪いこともあったのだろう」

「あー…………」


 ますます俯く文音。俺もそれ以上言い訳は出来ず、目を逸らしかけ……彼女の瞳の端に、静かに留まり光る雫に気づいた。


「あーもう、何で文音が泣くんだ」

「な、泣いてなど……いない」

「ダウト。声震えてる」


 突っ込むと、文音は諦めたのか、隠すのを止めて顔を上げる。


「だって……私は、知っていたのに」

「え?」


 その言葉に、俺は目を見開いた。


「あれ? 俺、文音に話したっけ」

「他の二人は恐らく知らないが、私には一度話してくれただろう。出会ってすぐの、君がやさぐれていた時期に」

「まだ俺がお前らの見分け方を知らなかった頃、か。……そっか。あれ、文音だったのか」


 何とも言えない感情に襲われ、俺は目を閉じる。

 ある意味、文音で良かったと言うべきだろうか。話をした相手がこいつの妹たち――雪音や琴音ことねであったとしたら、俺は恐らく余すところなく語らなければいけなかっただろう。傷口を押し広げて。それはそれで荒療治にもなったかもしれないが、それにしても荒すぎる。

 その点、文音は優しい。彼女は何も訊かないでいてくれた。俺が感情のまま吐き出した言葉、それだけを真剣に聴いていてくれた。そのくせ何か他人の辛さ、他人の痛みだけは共有出来てしまって、そうして他人のために泣くのだ。見方によっては短所とも取れる、まったく損な性格である。

 だが、それに助けられたのもまた、事実だったから。


 何か言おう、と口を開く。けれど言葉が見つからず、閉じる。互いにそれを数回繰り返したせいで、嫌では無いが居心地の悪い、妙な沈黙が流れていた。

 それを破ったのは、ぽつん、という水の音。


「あ……ほら、文音が泣くから雨降ってきた」

「それは私のせいなのかね、君っ」


 僅かに赤くなった目で、文音は上目遣いに俺を睨む。

 けれどその直後、彼女はまるで花が咲くように、嬉しそうに微笑んだのだった。



 そこまでお久しぶり、でも無いでしょうか。初めましての方は初めまして。高良あくあです。

 メイン連載である『幸福の在り処』の執筆もしなければいけないというのに、勢いで新作を始めてしまいました。


 というわけで、『俺と彼女の四重奏』です。あらすじにもありますが、『四重奏』と書いて『カルテット』と読みます。

 この第一話は若干シリアス寄りですが、説明回である二話・三話を乗り越えたら後はひたすらコメディ時々シリアスでやっていこうと思います。楽しんで頂けたら幸いです。

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