ボケとツッコミの社会問題会議 ・生活保護編
あるマンションの自治会室。マンションの住人以外にも解放されていて、誰でも借りられるその場所に、複数の人間が集まっていた。
目的は会議をする為。インターネット全盛のこのご時勢、会議の内容を発表して世の中に訴えられるのは、専門家や芸能人ばかりじゃないと、なんとなくの流れであるネット・コミュニティのグループが、社会問題会議を開く運びになったのだった。ただし、普通の会議じゃつまらない。できるだけなら、面白い方が良い。それで、その会議はボケとツッコミ奨励で行われる事になったのだった。
名付けて、『ボケとツッコミの社会問題会議』。上手く行くかどうかは分かりません(書いてる本人も)。
「今回は、第一回目という事もあって、できるだけ話し易い軽いテーマからいくわよ」
と、議長の立石望がまずは口を開いた。
「議題は、ずばり“生活保護”!」
「重いわよ!」と、そこでいきなりツッコミが入る。
「そのテーマのどこかどう、話し易いのよ?」
そして、その声の主は、続けてそう当然の疑問をぶつけた。その発言に対して、立石は言う。
「なによ、沙世。まだ、会議が始まっていないのに、勝手に口開くんじゃないわよ」
「自分の役割を果たしただけよ」
と、そう沙世と言われた女性は返す。彼女はメンバーの一人の長谷川沙世。基本はツッコミだけど、ボケもします。しかもやや天然で。因みに、議長の立石望はボケ志向ですが、責任感の強さからツッコミになりがち。
「どうどう。場外乱闘はご遠慮願います」
と、そこで違った声がした。その声の主は、久谷かえで。彼女はまた口を開く。
「因みにわたしは、解説及びにレフリーの久谷です。よろしく」
それに対し、「レフリー?」と、沙世。
「レフリー」と、久谷。
因みに、久谷はボケです。淡々とボケます。それから久谷は今回のテーマについて説明をし始めた。
「さて、今回のテーマの“生活保護”。これは、経済的に困窮している国民に対して、政府・自治体が援助をし、最低限度の生活を保障する制度です。
古くから実施されている制度ですが、近年になって不況などに伴い、その受給者の伸び率が激しい。その規模は、2010年度で、200万人を超え、予算規模も3兆円以上と膨大。財政難が続く日本にとっては重い負担になっています。また、生活能力があるのにも拘らず受給を受ける、不正受給のケースがある一方で、役所の門前払いなど、本来は受給を受けるべき人が受けられないケースがあり、一筋縄ではいかない問題点が多々存在する制度でもあります」
説明が終わると、それを引き継ぐように立石が口を開いた。
「という訳で、話し合ってもらいたいのだけど、その前に、参加メンバーの制度に対する考え方とか立場だとかを明確にする為に、自己紹介も兼ねて、一人ずつ言っていってもらいましょうか?
まずは、村上君からね」
そう言われた男、村上アキは、少し照れたように笑った。それから、「いきなり話を振られたから、少しびっくりしたよ」と言い、その後で少し真面目な顔になると続ける。
「中には制度を全否定すような声もあるけど、セーフティ・ネットとして社会の荒廃を防ぐ意味合いからも、必要な制度である点は否定できないと思う。だけど、それでも制度疲労が激しい点は認めなくちゃいけない。財政問題も考えて、どう改善していけるかが焦点になると僕は思うね」
それを聞いて立石は、「おー、流石、村上君ね。まともだわ」と言った。もっとも、本来、村上アキはボケなのですが。ツッコミもしますけれども。
それを受けて、アキはこう言う。笑いながら。
「なんとなく、ボケにくくてさ」
立石はそれに「分かるけどね」と返し、「じゃ、次、沙世」と言った。それを受けて、長谷川沙世は口を開く。
「わたしは、難しい事はよく分からないから、自分の考えを言えと言われても困るのだけど……」
「何しに来た、この女」と、立石。それに答えるように沙世は続ける。
「だから、アキ君のツッコミ中心で、いこうかな?って」
立石はその返答に呆れた声を上げた。
「だから、さっきボケにくいって、村上君は言ったでしょうが! あんたはツッコミなのに天然ボケなんだから……」
「なによ、ツッコミで天然ボケだったら、ドランクドラゴンの鈴木さんとか、いるじゃない!」
「あんたは、ドランクドラゴンの鈴木になりたいのか?!」
「そんな訳ないでしょう!」
(ごめんなさい… 鈴木さん)
そこにアキがフォローを入れた。
「まぁ、まぁ、今回、沙世ちゃんは質問役で良いのじゃないかな?」
「村上君は、この子に甘すぎなのよ」
立石の言葉に、沙世は反論するように言う。
「甘すぎって何よ? ちゃんと、ツッコミ役やってるじゃない!」
しかし、立石はそれを無視、あるいは否定するように言う。
「ハイ。あんたは、今回、天然ボケ役に決定ね。次」
しかし、と言ったところで、立石は固まったのだった。
「何よ、これ?」
と、言う。戸惑った声。
「たまご野郎さんです」
と、答えたのは久谷だった。立石が固まるのも無理はない。そこには、卵のような卵に擬態した何かのような、奇妙な物体が鎮座していたのだから。一応、目と口と手足はある。
「道を歩いていて見つけまして、スカウトしました。今回のゲストといったところでしょうか?」
そう説明した久谷に、立石は訊く。
「これ、何なの?」
「分かりません」
「なんで、こんなのスカウトしたの?」
「インパクトがあったので。時代はインパクトですよ」
「てきとーでしょう?」
「てきとーです」
「あんたね……」
その掛け合いの後で、声が響いた。
「おい、こら。なに、漫才やってるんだよ?」
その声の主は、話題の中心のたまご野郎その人(人じゃねぇけど)だった。その声に、立石はギョッとした表情を見せる。
「これ、喋るの?」
「もちろん。じゃなきゃ、会議できないじゃないですか」
それに対し、たまご野郎は口を開く。
「だから、漫才やってるんじゃねぇって言ってるんだよ。黙っていれば、さっきからおれを無視しやがって。順番的に、おれが何か言うところだろうが?」
それに、「失礼しました」と久谷が応える。立石はまた固まった。
「おれの生活保護に対する意見はただ一つだな。働かざるもの食うべからず。つまり、働け!だ。
そもそも、国におんぶでだっこで甘えて生活していこうって態度が気に入らねぇ」
それを聞いて、固まったままの顔で、立石は久谷にこう訊いた。
「このたまご、働いているの?」
「いえ、働いてないはずです。飼い主(?)さんによると、家事手伝い等も一切していないそうです」
久谷の返答が終わると、反射的に立石は反応した。
「ちょっと、このたまご、あなた、自分は働いてないくせに、よくそんな事が言えるわね!」
すると、たまご野郎はキッと立石を睨む。
「ああん? 何言ってるんだ、お前? 子供は普通、労働が免除されているもんだろうが! しかもおれの場合は、子供どころか、その前段階のたまごだ! 働いてなくても一切、問題がねぇ!
それにだ。おれはいるだけで、周りの人間に“何が生まれるのだろう?”というワクワク感を与えている。それが、どれだけ癒しになっているか。いわば、おれはいるだけで働いているようなもんなワケよ」
その説明に立石は引きつった顔を見せる。久谷に顔を向けると言った。
「こいつ、大丈夫なの?」
「大丈夫です。飼い主(?)さんも、いざとなったら、スクランブル・エッグにしてくれて構わない、と言っていましたから。安心してください」
「その発言のどこにどう、安心すれば良いのよ!」
その立石のツッコミの後で、久谷は言う。
「しかし、困りましたね。このたまご野郎さんが、反生活保護論者とは。働いていない立場だから、擁護するかと」
「何の話?」
「いえ、会議のバランスを考えて、生活保護全面擁護の人をいれたつもりだったのですよ」
「人って… あんたは、このたまごに何を期待しているのよ?」
「このままでは、一方的な話になって面白くないですね。何しろ、最後の一人は火田さんですから」
久谷がそう言うと、火田と呼ばれたその男が口を開いた。
「なんだよ。なんで、俺が反生活保護論者だって決め付けてんだよ?」
多少、苛立った口調。彼のフルネームは火田修平。やや性格がきつく多少ながら過激な論調が目に付くタイプだ。
「違うの? まさか、生活保護を全面的に認めているとか?」と、立石。
すると、「はっ んな訳ねー!」と、彼は返す(なんだ、こいつ?)。
「もっとも、別に全面否定するつもりもないぜ? しかし、モラルハザードや、受給の増え過ぎは捨てておけない問題だろう。
それと、働ける能力と立場にいる奴で、生活保護制度をいつまでも利用し続けているのは、馬鹿だと思う。考えてもみろ、これだけ利用者数が増えているのだから、いつかは働ける奴は切られる。その時は、自力で生きなくちゃならない。そしてそうなったら、ブランクのお陰で能力は下がっているだろうし、生活保護で暮らしていたなんて履歴じゃ就職もし難い。下手すりゃ野垂れ死にだ。上手くいってもかなり辛い生活だろうな。
つまり、生活保護に甘えていつまでも社会復帰しないのは、本人にとっても社会にとっても不幸って事だ」
そう火田が言い終えると、たまご野郎が言った。
「お前、なかなか分かっているじゃねぇか」
「絶対、このたまご、ここまでは考えてなかったわよね」
と、それに立石がツッコミを入れる。因みに、たまご野郎はボケで、火田はボケもツッコミもやります。
その後で、久谷が言う。
「うーん。困りましたね。これじゃ、会議が面白くない」
その久谷の様子を見かねてか、村上アキが言った。手を上げながら。
「あの…、じゃ、僕が、擁護派に回ろうか?」
「あら、いいの?」と立石が。
それを聞くと、火田は笑った。
「ほーぅ、村上アキよ。なかなか、いい度胸じゃないか。本心に反しての意見なんかで、この俺を論破するつもりか?」
村上はやや困り気味な顔で、「あははは。まぁ、行き過ぎたら、止めるぞ。くらいの心構えですけどね」と応える。間髪入れずに、その後で久谷が言った。
「ありがとうございます、村上さん。じゃ、早速さっきの火田さんの意見に反論してやってください!
GOGO! 村上!」
「さっきの?」
「ほら、生活保護受給者がいつまでも社会復帰しないのは駄目だという意見です」
しかし、それを聞くとアキは困ったように笑った。
「ああ、あれ? 無理」と言う。
「ヲイ」
と、そこに沙世がツッコミを入れた。
「いきなり前言撤回? アキ君」
「フハハハ。そうだろう、反論なんかできねぇだろ」と、たまご野郎が言う。
そのたまご野郎の発言は無視して、沙世に顔を向け、やはり困ったように笑いながら、アキはこう返す。
「違うよ、沙世ちゃん。生活保護受給者が常に社会復帰を目指すっていうのは、受給者の義務なんだ。
“能力に応じて勤労に励んだり支出の節約を図るなどして、生活の維持・向上に努めなければならない”
……という生活上の義務なのだけど。
生活保護制度を肯定する以上、その義務も含めなくちゃいけないから、火田さんのさっきの意見は否定できないんだな」
それに火田はこう返す。
「分かってるじゃなぇか、村上」
そのタイミングで立石が言う。
「ちょっと待って。わたし、ネット上で、自称生活保護受給者が、昼夜逆転の暮らしをして、お酒を飲んで暮らしているって日記を見かけた事があるのだけど、なら、あれはその義務に違反しているって事?」
「うん。まぁそうだね」と、アキがそれに返す。続けて火田が、
「義務に違反しているのだから、確か不正受給と考えてもいいはずだ。これがつまりは、モラルハザード問題だな。道徳観念の崩壊。ただ、不正受給と言っても、恐らくは、金銭の誤魔化しじゃなければ、受給費の返還を求められたり、詐欺罪になったりまではしないだろうとは思うが。
普通はそういう輩には、行政指導なりなんなりが行われるのが筋だが、役所の怠慢か…または、そこまで手が回らないかで、放置されているのが現実だ」
と言った。アキがそれに続ける。
「生活保護受給者に対して、態度が厳しい公務員って多いみたいですけどね。それが問題にもなっているのだけど。
ただ、お役所仕事の問題点は、色々指摘されているけど、この点に関しては、僕は同情しますよ。生活保護受給の審査って物凄く難しそうじゃないですか。明確な判断基準がない上に、判断を誤って人死にでも出られたらと思うと、リスクが高くて審査で落とし難い。なのに、節税の為にはある程度は落とす必要性にも迫られている。もしも僕が審査しろって言われたら絶対に嫌だな。既に審査が通った人だと、対象者が多過ぎて再審査や行政指導の時間もないだろうし」
そこで久谷が抗議の声を上げた。
「ちょっとちょっと。仲良く話し合っちゃてるじゃないですか。討論してくださいよ」
「と言ってもね」
と、アキはそれに困った顔を見せる。そこで沙世が手を上げた。
「あの… ちょっと質問があるのだけど」
「何よ、沙世?」と、立石が訊く。
「そもそも、審査って誰がするの? 国の公務員?」
「違うね。地方自治体の公務員」と、答えたのはアキだった。
「どうやって、審査するの?」
「うん。生活の最後のセーフティ・ネットだから、家族に頼れないとか、本当に他に収入がないとか、色々条件はあるのだけど、なんだか曖昧なものなんだ。だから、各自治体がそれぞれの基準で審査しているっていうのが実情みたい。
これのお陰で、申請者が多い地域だと審査が簡単になったりと、各地域で審査の厳しさに大きな差があるんだ」
それに対し、沙世はこう感想を言う。
「へぇ。世の中、ままならないわね。でも、という事は、審査の甘い所に引っ越して、生活保護申請すれば良いのじゃ?とか、思っちゃう」
それを聞くと、火田が言った。
「実際に起こってるぜ。そういう事」
「へ?」と、不思議そうな顔で沙世。それに火田は言う。
「だから、実際に審査の甘い所に引っ越して、生活保護を受ける連中もいるって言ってるんだ」
「どういう事?」と、立石がそう尋ねた。それにアキがこう説明する。
「有名な例だと、大阪市だね。かつて大阪市は、生活保護の審査が甘い事が全国、どころか世界中に知られて、生活保護申請者を集めてしまったんだ。それで、生活保護にかかる費用が膨大になり、財政破綻するかもしれないと言われている。
もっとも、今は厳しいよ。流石に、そんな事情じゃ審査も厳しくなる」
火田がそれに続けた。
「生活保護のモラルハザード問題の好例が大阪市だ。因みに、大阪市じゃ、生活保護申請を世話する代わりに、代金を受け取るような闇のビジネスがあったそうだ。今もあるのかどうか、そこまでは詳しくないが。しかも、それにはヤクザが関わっているとか言われてもいるな。ヤクザが関わっているのは大阪市の場合だけじゃないみたいけどな。
闇賭博が摘発された事があったんだが、その利用者の八割が生活保護受給者だった、なんて事もあった。
俺が生活保護に対して否定的な理由が、これで分かるだろう?」
「分かるだろう?」と、そう続けたのはたまご野郎だった。もっとも、全員がスルーしましたが。
そう火田が言い終えると、「はぁ」と溜息を漏らしてから、アキが口を開いた。
「でも、僕はそうやって、否定し過ぎると、別の問題も発生すると思う。そういう点に過剰に反応するのが人間の常だから」
「どういう事ですか?」と、質問したのは久谷だった。やっとアキが反論してくれそうなので、喜んでいるようだ。
「まず、生活保護制度がどうして必要なのか、その点から述べようと思う。これが明確じゃなければ、説得力がないから。
デフレ・スパイラルって知ってるかな? これは経済用語なのだけど、まぁ、不景気が不景気を呼んで、経済が萎縮し続ける現象を言うんだ。
会社が従業員をクビにするでしょう? すると、そのクビにされた人はお金がなくなる。もちろん、お金がないと何かを買う事が、つまり、消費活動ができないね。すると、個人消費が減る。ところが、会社の収入は誰かの消費によって支えられているから、当然、会社の収入が減ってしまう。すると、会社はまた従業員を減らす。すると、また消費が減る… というような連鎖を繰り返して、経済が萎縮し続けてしまう。これがデフレ・スパイラル。これは、所得格差が激しくなれば起こる現象とも言えるのだけど、生活保護制度は、これが起こるのを防いでくれるんだ。
もちろん、こんな状況になれば死者が溢れるだろうし、犯罪も多くなる。つまりは、社会が荒廃してしまうのだね。がちょーんって感じでしょう? だから、生活保護みたいな制度が必要なんだ」
アキの説明が終わると、久谷は火田を見た。火田は何も反応をしない。腕組している。同じ様にたまご野郎も腕組していたが、これは見なかった事にした。しばらくの間の後で、久谷は叫ぶ。
「ファイッ!」
「レフリーかよ!」と、沙世がツッコミを。
「レフリーです」と、久谷。
何も動きがないのを見て、立石がこう口を開いた。
「村上君。生活保護制度が必要だってのは、分かったけど、火田さんの意見の何が問題なの? 火田さんの意見は意見で、正しいと思うけど」
アキは頷く。
「うん。意見自体は正しいと思う。しかし、さっきも言った通りに、人間は過剰反応してしまうものだから、別の問題点が発生する可能性もあると思うんだ。これもさっき言ったけど、一部の公務員は妙に生活保護受給者が嫌いでね。中には、明確に敵視しているような人までいるから」
そうアキが言うと、久谷が続けた。
「好例が、“住所がなければ生活保護は受けられない”と公務員が申請を断ってしまうケースですかね? 誤った風聞が広まってしまっていますが、実は住所がなくても、生活保護は受けられます。もしも住所なしが理由で断られたら違法です。他にも、公務員に就職口が見つかったと言えと強要されて、支給を打ち切られ、餓死してしまったケースや、年老いた両親の世話の為に仕事ができない、と申請を出して断れ、やむなく殺してしまったようなケースも存在します」
それを聞くと、立石が言った。
「あんた、知識あるんじゃない!」
「レフリーなので、会議が面白くなるように黙ってますが、ありますよ」
「いや、レフリーってそんな立場じゃないでしょう?」
「わたしのプロデュース魂を舐めないでください!」
「答えになってない!」
その掛け合いが終わると、沙世が口を開いた。
「アキ君の主張も分かるけど、なら、制度の見直しをすれば良いのじゃない? 問題点を洗い出して、解決案を提示。能力のある人に対しては、新制度を立てるとか。別にセーフティ・ネットの役割を果たすのが、生活保護じゃなくても良いのだろうし」
それに火田が言った。
「そこだな。俺も沙世ちゃんに同意見だ」
続けて、たまご野郎も「おれもだ」と。それはスルーして、火田は続ける。
「そもそも一年以上も受給し続けるなんてのは、生活保護の理念に反するんだよ。もしも、それが必要なら、それに代わる制度を立てる必要があるはずだ」
「生活保護の理念って?」と立石。
「救貧法だ。これには、一生を通じて国が養い続けるなんて理念はなくてな、飽くまで一時的な回避手段なんだよ。
それにな。実は今だって、生活保護に頼らなくても利用すれば乗り越えられるかもしれないって他の制度はあるんだよ。あまり知られてはいないが、“教育訓練給付制度”という。受けるのに三年以上失業保険に加入していた等、ある程度の条件は必要だが、受給者の何%かはこの制度を受けられるはずだ」
「その制度は、どんな制度なの?」
「訓練にかかった費用の80%ほどを、ハローワークから受け取れるって制度だな。これを利用すれば、アルバイトをしながら技術を身に付けられる。もっとも、それでも仕事先がなければどうにもならないから、不充分な点は否めない」
そこでアキが手を上げた。言う。
「それって、その人に新しい技術を身に付けさせて再就職させ易くするって考え方ですよね?
なら、難しいと思います。だって、今の生活保護受給者の大半は、高齢者だから。無年金の」
「そうなの?」と、沙世。
「うん。国民保険に加入していなくて、生活できない高齢者が増加の中心。不況の影響で若者も増えているらしいけど、それでも中心は高齢者だね」
と、アキはそれに返す。それに火田は淡々とこう反論した。
「それでも、働いてもらわなくちゃ駄目だろう。それ以外に手はない。何故なら、そもそも制度維持自体が困難な状況下に既に陥っているからだ。
日本は国家破産も危惧されるほどの財政難だ。先の大阪市がいい例だが、何とかして支給額を減らさなけりゃ、生活保護制度は破綻する。身体面や、扶養家族の問題がない限り積極的に働いてもらわなくちゃならない」
「お年寄りに?」と沙世。それに火田はこう説明する。
「そうだよ。安心しろ、世間には70歳を過ぎても社会の負担にはなりたくないと言って、年金を貰わずに働いている人がいるくらいだ。それに、欧米では日本よりも働いている高齢者はずっと多い。そうじゃないと生活できないからだが。働けはするんだよ。高齢者でも」
そこに立石が尋ねた。
「でも、そもそも仕事がないから、生活保護を申請したのでしょう? どうやって、働いてもらうの? 高齢者に」
「策ならあるぜ」
そう火田が言うと、アキは面白そうな表情を見せた。
「どんなのですか?」
「今の生活保護受給額と同額分は、国が給与を支給し、後の足りない分は企業に出してもらって働いてもらう。
って、制度はどうだ? 労働支援型生活保護(仮名)とでも呼ぶか。給与は合計、十万~十三万くらいあれば良いだろう。その他、足りない分も企業に出してもらう。交通費だとか。保険はどうなるか分からないが」
それを聞くと、アキは少し考えてからこう言った。
「でも、それだと、他の人の仕事を奪っちゃいませんか? 失業者を新たに発生させるなら意味がありませんよ」
「そうだな。だから、仕事は限定するんだよ。例えば、資源リサイクル。日本の廃棄物には資源が大量に埋まっている。世界有数の天然鉱山なみの資源量らしい。それで、都市鉱山と呼ばれいる。そして、近年の経済発展を阻害する要因には資源不足があって、資源の国際価格も上がっているんだ。つまり、都市鉱山のリサイクルによる活用はかなり有望なんだよ。
しかし、日本は人件費が高く資源リサイクルが進んでいない。が、生活保護受給者にこの仕事をやってもらうのなら、実現できそうじゃないか。新たな分野を開拓するのだから、失業者も出さないさ。それどころか、経済効果のお陰で、失業者は減る。海外からの資源輸入は減るが、資源不足問題が改善するから、国際的にも歓迎される可能性の方が大きい。その他、自然エネルギーでも良い。俺は自然エネルギー推進派なんだが」
「ちょっと待って」と、そこまでを火田が説明したところで、沙世が口を開いた。
「生活保護受給者には、結局、国がお金を払うのでしょう? なら、結局税金を節約する事にはならないのじゃない?」
「支出は変わらないかもしれないな。しかし、税収は増える。リサイクルする為の設備投資だとか企業の日本における経済活動が増えるし、海外からの資源輸入が減った分、国内のGDPが上がるからだ。
簡単に言えば、経済成長するって事だな。当然、税収も上がる。ただ生活保護費を支給するよりも、ずっと建設的だと俺は思うが」
それを聞くと沙世は「うーん」と言った。そして、こう続ける。
「でも、わたしは何だか腑に落ちないな。働く人の大半は高齢者になるのでしょう? その話によると。やっぱり、体力的についていけない人も出てくるのじゃない?」
「もちろん、労働時間に制約は設けるべきだろうな。労働賃金も少ない訳だし。9時~17時を厳守ってのはどうだ? もう少し融通を利かせて、自由に時間を選べるなんてのもいいかもしれない。こういう事をすると、人権問題が必ず起こるから、他にも先手を打っておく必要もありそうだな。だが、さっきも言ったが、別に高齢者だからって働けない訳じゃない。それに、働いてもらわなくちゃいくら何でも不公平だ。何しろ、生活保護の支給額は今(2011年5月現在)、国民年金よりも多いんだから」
それに対し、「あははは。そんな馬鹿な」と沙世は笑った。
「火田さんが、そういうノリのボケをするのって珍しいですね」
と、続けて沙世はそう言う。それを聞いて、言い難そうにしながら、アキが言った。
「沙世ちゃん。残念ながら、事実だよ。ボケじゃない。かなり酷い話だけど、そこまで国民年金は低いんだ。それに対して、共済年金と一部の厚生年金は高すぎる。因みに、共済年金は公務員の年金制度で、厚生年金は一般のサラリーマンのもの。国民年金はそれ以外の人達が加入している制度だね。農家とか、自由業。厚生年金は大企業の場合は、支給額は高いけど、中小企業や途中でリストラされた人なんかもいるから、平均すると、大体17万くらいで、共済年金だと21万円~23万円ほどだと言われている。しかも、共済年金は遺族年金の支給を受けられるケースも多くて、夫婦で公務員だと老後に働かなくて、50万円も貰っているなんて事も。
これに対して、国民年金はたったの六万円とちょっと。少し酷過ぎるね。個人的には、共済年金と一部の厚生年金の支給額を減らして、国民年金に回すべきだと思うけど」
そこまでをアキが語ると、
「ピーッピッピッ!」
と、久谷が口で言った。
「少し話が逸れ始めましたよ。議題は生活保護です。因みに、高齢者に支給される生活保護は、地域によって差があるものの、大体、7万円~8万円くらいだそうです。もちろん、条件によって、支給額は変わるのですが」
やり取りが終わると、立石が言った。
「沙世の天然ボケが炸裂したわね。私は分かったわよ、ボケじゃないって」
その後で、火田が続ける。
「ま、何にせよ。国民保険料を払わないで生活をし続けてきた人の収入が、真面目に払っていた人よりも多いなんてのは、ない話だ。見捨てるのは有り得ないにしても、労働なしで収入を得るなんてのは許されないだろう。そして、さっき言ったように、仕事は創れば、ある。当然、低賃金になるがな」
それを聞いた後で、アキが口を開いた。疑問と言うよりは、不安に近い声質で。
「話を聞いていて思ったのですが、少し賃金が低すぎる気もするのですが。子供を育てる必要のある人だと、それでも足らないかも。それに、通勤できる距離に生活保護受給者が偶然、いるかどうかも分かりません」
火田は応える。
「ふむ。なら、寮でも作ってもらうか。企業の方にな。会社寮でスケールメリットを活かせば低賃金でも生活できるし、通勤問題も解決する。それに、集団生活にすればお互いを支えあえもするだろう。輪番制にして、誰かが子供の面倒を見れば、養育問題から生活保護を受けている人でも働ける。誰か一人がまとめて子供の世話をすれば良いんだ。もしかしたら、介護が必要な人でも働けるかもな。なかなか、いい案かもしれないぞ、これは。ブレイン・ストーミング的な流れで面白い話になったじゃないか」
火田は楽しそうな顔で、そう言い終えた。しかしアキはそれに難しい顔を浮かべる。
「でも、そうすると、企業の負担が増えますよね? 仮に制度がスタートしたとして、名乗り出る企業は現れますかね?
全てではないにしろ、高齢者が多くて、若い人の場合でも、生活保護を利用し続けていたとくれば、労働力としての魅力は恐らくは低いと思います。中には働きに出てこない人もいるかもしれない。メリットが低賃金だけってのなら、企業負担が増えた時点で、制度を利用してくれる企業が現れない可能性もあるのじゃないか?と」
「なるほどな。確かにそうだ。なら、こんなのはどうだ? この制度に名乗り出てもらった企業は、法人税を引き下げる。
もちろん、まずは最初の案で、アンケートを取って、名乗り出る企業少なかったらって感じでもいいかもしれないが」
それを聞くと、沙世が手を上げた。
「あの… 法人税って、つまりは企業にかかる税金ですよね? それを引き下げちゃったら、税収は減るのじゃないですか? 財政負担は変わらない事に」
「確かにそうだが、それは引き下げる額に拠るな。
それと、実はこの制度があろうがなかろうが法人税引き下げは必要だと言われているんだよ。何故なら、そうしなければ、他の国に企業を奪われるからだ。日本から、どんどん企業が撤退していってるのは知っているか? 日本での雇用を減らして、外国から人を大量に雇うってのがここ最近の大企業の風潮だ。
もちろん、法人税引き下げに反対している人達もいるんだが、そういう人達の主な主張は法人税を引き下げても、企業が金を使うようになるとは限らないってものだ。この場合、金を使う企業に対して減税するのだから、問題はない」
その後で、アキが言った。
「んー 話を聞いている内に、なんだか僕もいいような気がしてきましたよ。ま、実施したら、上手くいくケースもいかないケースも出てきそうですが」
それを受けて、立石が言う。
「おお、なんだかいい感じに話がまとまった気がするわね。初めてにしては、上出来じゃないかしら?
今回は、この辺りで良いのじゃない?」
久谷も満足そうな顔でこう言う。
「そうかもしれません。もう少しバトル・トークがあってもいいと思いましたが」
「あんた、バトル・トーク好きよね。役に立つ意見って、そういうのじゃない議論から生まれる場合が多そうだけど」
そう立石が言うと、
「ま、つまりは、“働け!”っていうおれの主張が正しかったってワケだよな?」
と、たまご野郎が言った。
“……むかつく”
その場にいた全員が、そう思う。
それから少し経って、何も意見がないのを確認すると、立石は言った。
「ただ、今回の会議で大きな問題点が一つあったわ」
「何?」と、沙世。
「ボケ志向のわたしが、ほとんどボケられてないのよ! ツッコミに回りたくないのにツッコミ入れてるし!」
「いや、それ、問題点?」
「確かに問題ですね」と、久谷。
「問題なんだ」
その掛け合いが終わると、火田が言った。
「そんな問題点があったにしろ、良い案は出たじゃないか」
「問題点として認めちゃった…」と、沙世がツッコミを入れる。
「もっとも、日本の政治家は後手に回るって性質があるから、生活保護支給費の影響で大阪市が破綻するまで、抜本的な改革に乗り出したりしないかもしれないが」
立石がそれにこう言う。
「後手に回る性質… 笑えないけど、笑うしかないわね。でも、確か大阪市が破綻するって言われているのは、4~5年後よね? その前に国家破産したりして」
「その方が笑えないわよ、立石」と沙世。その後でアキが続ける。
「ま、そうならないように、今回の案があるって事で。今回の案なら、真面目に働けば社員に格上げなんてケースも考えられるから、いいと思う。若い人なら特に」
それを聞くと、「若い人もいるの?」と沙世が。「もちろん、いるよ。高齢者が多いって言っても半分くらいだったはずだし」と、アキは答える。すると、
「ふーん、でも、結局働かなくちゃいけないとなると、若い人が制度利用を止めてアルバイトでもし始めるかもしれないから、それはそれで問題よね」
と、沙世は返した。その発言に一同は固まる。“働き始めるのなら、別に問題はないのじゃ?”と。
立石は思う。
“最後の最後に沙世のでかい天然ボケが出たわね。でも、ツッコミは入れない。これ以上、ツッコミに回って堪るもんですか!”
久谷は思う。
“これは、想定外のボケですね。なんと返せばいいのか分からない”
アキは思う。
“マジボケだよね? ツッコミにくい。傷つけちゃうかもしれないし”
火田は思う。
“ここはスルーだな。動いた方が負けだ”
そして、たまご野郎が…、
「お前、馬鹿か? アルバイトし始めるんなら何の問題もねぇ。働き始めるんだから」
と、ツッコミを入れた。
“――たまご野郎のツッコミで終わったぁ!”
それを受けて、全員がそう思った。
もちろん、沙世は落ち込んでいた。
“たまごにツッコミ入れられた…”
……さてさて。
最後に簡単に話をまとめてみます。
今現在(2011年5月)、生活保護受給者が激増していて、財政を圧迫しています。
これを解決する為には、受給者を減らすという観点よりも、経済を活性化させ税収を増やす方が現実的(経済が活性化すれば、受給者も減りますが)。なので、税収アップを目指して、支給額分を国が負担し、企業に雇ってもらう制度を立てます。
その際の仕事は、労働者の職を奪わないように、また新たな産業を興すために、まだまだ日本では少ない資源リサイクルや自然エネルギー利用にします(これなら、資源不足解消という効果もある)。また、それでも企業側の負担が大きくなるようなら、法人税減税という優遇措置を取り、利用し易くします。
上手くいけば、経済成長により、税収がアップして、状況は改善します(いくつも壁はありそうですから、社会全体の努力が必要)。
もちろん、これは一意見。一つの提案に過ぎません。それに、僕が見落としている点もあるかもしれないし、僕の判断が間違っている点もあるかもしれない。
それを踏まえた上で、参考にしていただければ、嬉しいと思っています。では。
ボケとツッコミが寒かったら、どうしよう?
いきなり登場人物が多く出てきて(会議だから、仕方ないのだけど)、読んでいる人が混乱したらどうしよう?
などと不安に思いながら、書きました。
因みに、具体的に数値も出している部分がありますが、資料によって差がありますので、気を付けて下さい(多分、その原因は単なる勘違いや、どういう基準によって、数値を求めるかによる差だと考えられます)。
ただ、全体の傾向としては正しいだろうと思われる辺りを、採用しているつもりではいますが。