第35話 その裏の顔は誰のため?
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
馬車を降りたマリーンお嬢様に深々と腰を折って最敬礼。
「うん……」
返事にいつもの覇気がありません。校舎へ向かって力なく歩く背中にも哀愁が漂っております。あまりの痛ましさに私の胸がきゅっと締めつけられました。
先日のヴァルト殿下との一件以来、お嬢様は元気がありません。ケンカしたこともですが、あれから一度も殿下がお屋敷を訪ねてくれないのがショックのようです。
「なんておいたわしい」
「あっしはあんま心配する必要はねぇって思いやすがねぇ」
御者め、自分の主人を気にかけないとは何たる不忠。
「いい加減、お嬢様のことを理解なすった方が良いんじゃねぇですかい?」
「お嬢様の専属侍女である私に説教ですか」
誰よりもマリーンお嬢様を理解しているのは、このシーナ・サウスですよ。
「もはや、お嬢様のお味方は私一人なのですね」
どいつもこいつも役に立ちません。もう誰の手も借りません。お嬢様をお救いするため、私自らいつもの早着替えで男装し学園に潜入しますよ。
さーて、ビクトリア様はどこに……
「シーナ様!」
目的の人物は探すまでもなく、すぐ見つかりました。というより、向こうからやってきました。
「これはビクトリア様、今日もとても麗しい」
「まあ、シーナ様ったら、いつも冗談ばっかり」
ビクトリア様の頬が赤く染まる。はにかむ姿が可愛いですねぇ。
「いえいえ、全て本心ですよ。あなたの婚約者が羨ましい」
「そんな……ロン様は私のことを嫌っておいでですし……」
うーん、こんな可愛い婚約者を嫌う意味が分からん。一度、ヒューロン王子も偵察した方が良いかもしれませんね。
「あなたを嫌うなど考えられません。勘違いではありませんか?」
「そんなことありません。現にエリー様と親しくされておられますし……」
うーん、確かに当初はヒューロン王子とエリー様の噂を耳にしておりました。ですが、ここのところエリー様がヴァルト殿下にちょっかいをかけている噂の方が大きいようです。
だから、ヒューロン王子がエリー様にゾッコンというのは、どうにも眉唾くさいんですよね。
「噂は噂でしかありません。本当にヒューロン王子がエリー様と親密か確かめてみませんか?」
「確かめるまでもありませんわ。だって、ここは『乙女ゲーム』ですもの」
ん?
「攻略対象がヒロインに惹かれるのは決まっていることなんですから」
いま、ビクトリア様の口から不穏な単語が聞こえませんでした?
「ビクトリア様はヒューロン王子をお慕いなさっておられるのですよね?」
「それは……」
「ビクトリア様は誰よりも素敵なレディですのに、どうして自信をお持ちになれないのです?」
「シーナ様には分からないのです。初めから敗れると分かっている恋の苦しさが」
ヒューロン王子の話題になると、いつもビクトリア様の顔に複雑な感情が浮かびます。
恐らくビクトリア様はヒューロン王子との婚約を嫌がってはおられないのだと思います……が、どうにも躊躇いのような、不安のような気持ちが汲み取れるのです。
「ビクトリア様、あなたならヒューロン王子のお心を繋ぎ止められます」
「そういう問題ではないのです」
「では、何が問題なのですか?」
「シーナ様にはご理解できません。このままロン様と婚約を続けていたら、私は断罪されてしまうのです」
涙を溜めた青い瞳が私を見上げる。それはビクトリア様の悲しみで染まり、それだけに儚く美しい雫でした。
苦悩が増すほどにビクトリア様の美しさも増していくのは神の皮肉なのでしょうか。今のビクトリア様をご覧になれば、ヒューロン王子は間違いなく魂までも奪われることでしょう。
「だって、私は『悪役令嬢』なんですもの」
やはり、ビクトリア様もエリー様やマシュー氏と同じ転生者?
「ビクトリア様、もしかしてあなたは……」
その時、にわかに周囲が騒がしくなりました。
「まあ、ご覧になって」
「ビクトリア様がまた『麗しの漆黒』様と親しげになさって」
麗しの漆黒とは私の学園での通り名らしいです。去年の婚約破棄事件で私もずいぶん人気者になってしまいました。
「キーッ、漆黒様を独占するなんて悔しー!」
「ヒューロン殿下という素敵な婚約者がいらっしゃるのに何てふしだらなのかしら」
お陰で今や私は有名人。そのせいで男装して潜入すると、女生徒の注目を浴びてしまうんですよね。
ビクトリア様とこっそり逢引きしようと思っておりましたが、お会いしているのが既に噂になってしまっているようです。
うーん、これはまずかったでしょうか?
「そこで何をしている!」
しかも、さらにまずい展開が追加です。
「ロン様!?」
「これはどういうことなんだ」
険しい顔で私を睨む美少年。
「ロン様、どうしてここに」
その美少年を見てビクトリア様が丸い目をして驚いています。どうやら彼が我がオーシャン王国の第三王子、ヒューロン・オーシャンのようですね。
どことなくヴァルト殿下の面影があります。ただ、線はずっと細く、ちょっとなよっとしております。
「エリー様のところにおられたのではなかったのですか?」
「エリーは兄上と一緒だ」
ヒューロン王子はぶっきらぼうに返答なさいました。浮気相手をヴァルト殿下に奪われ機嫌が悪いのでしょうか?
「くそっ、これじゃあ上手くトーリと婚約破棄が……」
よほどイラついておられるのでしょう。何やらボソッと悪態をついておられます。
「今はエリーではなくトーリのことだ」
トーリとはビクトリア様の愛称のようです。ビクトリア様とヒューロン王子は険悪そうに見えますが、未だに愛称で呼び合っておられるのですか。
「最近、君が怪しい男と密会していると聞いて来てみれば……この男はいったい誰だ!」
そう言ってヒューロン王子が私に厳しい視線を向けてきました。
あぁん?なにガン飛ばしてるんですか。王家の三男坊ごときが。くびり殺しますよ。私が王家の権力にひれ伏すとでも思ってるんですか。私が尻尾を振るのはマリーンお嬢様ただ一人ですよ。
「トーリ、君は浮気していたのか!」
「痛っ!?」
ヒューロン王子がガシッとビクトリア様の両肩を乱暴に掴みました。痛みにビクトリア様の顔が歪んでおります。
これはいけません。ヒューロン王子が理性を失いかけているようです。ビクトリア様の美しい肌に痣が残ったらどうするんですか!
「そのように余裕のない態度では女性から嫌われますよ」
私はビクトリア様を庇うように二人の間に割って入りました。
「きゃーっ、漆黒様ぁ!」
「素敵ぃ!」
「私も守ってぇ!」
周囲のご令嬢から黄色い悲鳴が上がりました。
「ちっ、すかしやがって」
その状況にヒューロン王子はご自分の不利を悟ったようです。距離を取って忌々しそうに顔をむっと歪められました。
「今日のところはこれくらいで勘弁してやる」
そのまま去るのかと思いましたが、ヒューロン王子は振り返るとビシッとビクトリア様を指差されました。
「トーリ、この不貞行為については後で問いただすからな」
ご自分はエリー様と浮気をしておいて、なんて言い草なんでしょう。ビクトリア様はこんな男を愛しておられるのですか?
ああ、繊細なビクトリア様のことです。どれほどお心を痛められたか……
「ふふふ、私は完全な浮気者になったみたいですね」
「ビクトリア様?」
さっきまでの悲痛な涙を浮かべていたビクトリア様がクスッと笑みをこぼされました。それは今までの清純な彼女からは想像もできないほど妖しい微笑み。
「これでロン様との婚約が解消できるかもしれませんね」
「それは……どういう意味なのですか?」
私の前にいるのは本当にビクトリア様なのでしょうか?
あれほど純真そうだった彼女とは同一人物とは思えず、私は呆然としてしまいました。
「ごめんなさい、シーナ様……」
そんな私に悲しげな瞳を向けられるビクトリア様。それは最初にお会いした優しげな令嬢のもの。
「あなたを利用するようなマネをして」
どっちの顔がビクトリア様の真実なのでしょう?




