第26話 そのご褒美は誰のため?
――新学期が始まって早や一ヶ月が経ちました。
あのピンク頭エリー・シルフラ男爵令嬢との邂逅から警戒しておりましたが、今のところお嬢様に変わった様子は見受けられません。
ただ、お嬢様は韜晦の達人。特に悪巧みを隠すのは誰よりもお得意ですので油断なりません。
なんせ前回の婚約破棄事件の例もありますからね。
ここは気を引き締めて学園の情報を収集しましょう。いつ何時お嬢様の身に災難が降りかかっても、すぐさま推参してお助けできるようにせねば。なんせ私は優秀なマリーンお嬢様の専属侍女なのですから。
ですが、今は学園よりも目の前の状況に対応する方が先ですね。
「マリーン、お前の瞳は海より青く美しい」
ヴァルト殿下がお嬢様の顎を軽く持ち上げ、瞳を覗き込むように迫っておられます。さすが強引な殿下。顎クイですか。なかなかの破壊力ですね。並の令嬢なら一発で堕とされていたことでしょう。
「あら、我が国には海などありませんわよ」
まあ、マリーンお嬢様には通用しませんけど。
殿下の手からするりと抜け出し、さっと距離を取るあしらい方はさすがです。サスオジョ、サスオジョ。
これがどういう状況かと申しますと、学園の休日にヴァルト殿下が屋敷を訪れてマリーンお嬢様を絶賛口説き中なのです。
あの婚約破棄騒動から半年、ヴァルト殿下は足繁くマリーンお嬢様の元を尋ねられておられます。このアトランテ家の庭園にある四阿で幾度となくお嬢様に愛を囁かれたことか。
「いい加減、俺の申し出を受けてはくれても良いと思うんだが?」
今日も今日とてヴァルト殿下はマリーンお嬢様に求婚なさっておられます。
「ヴァルト様、そんなに急がれずとも。私はまだ二年生に進級したばかりですわ」
ですが、お嬢様はにべもなし。
「せめて婚約だけでも結んでくれないか?」
「そんながっつく余裕のない殿方は嫌われますわよ」
あゝ、初めの頃は殿下の殺し文句に真っ赤になってわたわたして可愛らしかったのに。耐性ができたらしく、お嬢様は殿下をあしらう術を身につけてしまわれました。
うううっ、初々しかったマリーンお嬢様はもういないのですね。殿下はやり過ぎたのです。
「マリーンは俺が嫌いなのか?」
「ヴァルト様はとても素敵な方だと思っておりますわ」
さすがに殿下も心が折れかけていらっしゃるのでしょうか。それに対してお嬢様はにっこり笑って曖昧に返しております。なんて生殺し。ちょっと殿下が可哀想になってきましたよ。
「ですが、先ほども申し上げましたとおり、私もまだまだ世間知らずな未熟者ゆえ婚約は早いと思いますの」
「そんな受け答えをするマリーンは十分すれていると思うのだが……」
これには私も殿下に同意見でございます。いったいこれ以上お嬢様は何を学ばれようとなさっているのか。
「これはもう脈なしと思うべきなのか」
これは他の女になびくぞとの脅しでしょうか。いつまでも焦らすマリーンお嬢様に痺れを切らせたのでしょうね。
「俺も周囲からせっつかれて、これ以上は抑え込めん」
多少強引な恋の駆け引きにも思えますが、ヴァルト殿下のお立場では致し方ないのかもしれません。殿下は王位を継承しない第二王子とはいえ、いつまでも婚約者不在のままではいられないでしょうから。
「残念だがマリーンにその気がないのなら仕方がない」
「もう少しだけお待ちいただくわけにはまいりませんの?」
それに対しマリーンお嬢様は顔の前で両手の指を合わせると、上目づかいで可愛くおねだり。これには殿下もうぐっと言葉を詰まらせてしまわれました。
分かります。凶悪にあざと可愛いですもんねぇ。かく言う私も流れ弾を食らって胸を抑えて蹲っております。くっかわ!
「私は年相応にヴァルト様と恋愛を楽しみたいと思っているだけですのに」
なんという鬼畜なお預け!
これは酷い、酷すぎます!
だけど、殿下は諦めたように大きなため息を吐き出して堪えました。
「……分かった。もう少しだけ先延ばしにしよう」
惚れた弱味ですね。
疲れた様子で「今日はもう帰る」と残して去っていくヴァルト殿下の背中には哀愁が漂っておりました。男です、殿下。素晴らしすぎます。私、もう涙が止まりません。
「ふふふ、これが恋愛ゲームの駆け引きなのかしら」
殿下を見送ったマリーンお嬢様が笑いながら嘯いておられます。さすがにそれはあまりにあんまりじゃありませんか?
「お嬢様、あまりお預けばかりは殿下がお可哀想ですよ」
「あら、殿方ならこれくらい耐えるのは当然ではないかしら」
私としましては常にお嬢様の味方でありたい。ですが、お預けを食らう苦しみは私にもよーく分かります。ついついヴァルト殿下に同情心が湧いてしまうのは仕方のないことでしょう。
「ですが、このままですと殿下のお心もお嬢様から離れてしまわれるかもしれませんよ?」
「その時はその時よ」
お諌めしてもお嬢様はどこ吹く風。
「ヴァルト様もそこまでのお方だったってことでしょ」
「お嬢様だってヴァルト殿下のことを憎からず想っていらっしゃるくせに」
「さあ、それはどうかしら」
堂々と嘯きやがりますねぇ。
「後悔しても知りませんよ」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
「時にはご褒美をお与えになられてはいかがです?」
「あら、ご褒美を欲しいのはヴァルト様なのかしら?」
クスッと小悪魔みたく笑って、お嬢様が後ろ髪をかき上げシナを作る。ウホッ、まだ十六歳なのになんつー色香。
「そんなこと言って、ホントはシーナがご褒美を欲しいんでしょ?」
「くッ、私はその程度で満足するような安い女ではありませんよ」
「あらあら、シーナが望むなら、もーっといいご褒美あげても良いのに」
も、もっと?……ごくり……いえいえダメですよシーナ・サウス!
「わ、私がワイロで靡く女だと思われるのは心外です」
「それは残念ねぇ」
くッ、頬に片手を当てて可愛くポーズを作っても無駄です。いつもいつも私がそんな手で誤魔化されると思わないでください。
どんな報酬を用意しても懐柔なんてされないんですからね。キリッ!
「シーナになら、あーんなことや、こーんなこともすっごいご褒美あげようかなって思ってたのに」
す、すっごい……それって制服ハスハスよりも?
ま、まさか、お嬢様の下着ハスハスですか!?
なんて悪魔的誘惑をしてくるんですか。
「ふーん、いらないんだ」
あーん、お嬢様の白魚のように細い指で顎をなぞらないでぇ。背筋がゾクッとして私のリビドーが爆発しそうですぅ。
悪女です! ここにとんでもない悪女がいます!
いけません。私の本能が告げています。お嬢様は何か良からぬことを企んでいるに違いありません。私はマリーンお嬢様の専属侍女。ここで屈してはなりません……屈しては……
「シーナが欲しくないって言うなら仕方ないわねぇ」
「欲しいです!」
屈します!
「それじゃあ、口答えはなしよ」
「イエスマァム!」
これはもう私には抗えません。
「返事が違うんじゃない?」
「わんわん!」
だって、私はお嬢様の忠実な犬なのですから。




