第三章 隠されたレシピ
小章① 裏切りのイースト菌
嫌がらせはエスカレートした。 事務所への無言電話は昼夜を問わず鳴り響き、ネット掲示板には「御子柴弁護士は恐喝常習犯」「反社と繋がりがある」といった事実無根の書き込みが溢れた。 原告団(被害者の会)のメンバーにも同様の手が伸びていた。自宅に頼んでもいない寿司が大量に届いたり、職場に誹謗中傷のFAXが送りつけられたりした。 二十名いた原告のうち、三名が「もう耐えられない」と脱落した。九条が裏で手を回し、示談金と引き換えに訴訟の取り下げを迫ったのだ。
八月某日。 御子柴は、都内のファミリーレストランの隅の席にいた。 向かいに座っているのは、帽子を目深に被った中年の男だ。 相原 茂。『二ブス・フード・リンク』の元商品開発部長である。 調査員の矢沢が、「権藤社長と対立してクビになった男がいる」と探し出してきたのだ。
「……話というのは?」
御子柴が切り出すと、相原は周囲を警戒しながら、ボイスレコーダーをテーブルに置いた。
「俺は、あのパンを作るのが怖くなったんです」
相原は震える手で水を飲んだ。
「『白雪』の食パンは、『北海道産高級小麦100%使用』『天然酵母』『無添加』が売り文句です。パンフレットにも、ウェブサイトにもそう書いてある」
「ええ。それがブランド価値ですからね」
「全部、嘘です」
相原は吐き捨てるように言った。
「使っているのは、輸入物の最安値の小麦粉です。カナダ産とオーストラリア産のブレンド。キロあたりの単価は国産の三分の1以下だ。それに、発酵を早めるために大量のイーストフード(添加物)をぶち込んでいる。あの『ふわふわ感』も『甘み』も、全部化学的な添加物と、大量の安物マーガリンで作られた味なんです」
御子柴は目を細めた。 原価率が高いのは、高級食材を使っているからだと思われていた。だが実態は、安物を高級品と偽って、加盟店に法外な値段で売りつけていたのだ。 これは単なる契約トラブルではない。消費者をも欺く、大規模な産地偽装(詐欺)だ。
「証拠はありますか?」
「これが、本当の『レシピ(配合表)』と、仕入れ伝票のコピーです。小麦粉の袋を詰め替える工場の写真もあります」
相原は分厚い封筒を差し出した。 決定的だ。
「なぜ、これを私に?」
「……飯田さんのニュースを見ました。あそこまで追い詰められるオーナーを見るのは、もうたくさんだ。俺も加害者の一人ですが……せめてもの償いです」
小章② メディア・スクラム
御子柴は動いた。 法廷で戦う前に、まずは世論という外堀を埋める必要がある。 彼は旧知のテレビ局ディレクターに、相原から得た資料を持ち込んだ。 タイトルは『行列のできる食パン店の光と影』。 ディレクターは最初は及び腰だったが、産地偽装の証拠を見るなり目の色を変えた。
二週間後。 夕方のニュース番組で、特集が放送された。 モザイクのかかった元オーナーたちの悲痛な叫び。自殺した飯田健一の遺書。そして、元社員による産地偽装の告発。 「高級」の皮を被ったハリボテの実態が、お茶の間に流れた。
放送終了後、ネットは大炎上した。 『白雪』の公式SNSには批判が殺到し、店舗の前には客ではなく、マスコミが詰めかけた。 権藤社長は沈黙を守ったままだが、株価(二ブス・フード・リンクは新興市場に上場していた)は急落した。
「これで風向きが変わる」
御子柴は事務所のテレビを見ながら呟いた。 だが、九条弁護士はまだカードを隠し持っているはずだ。 本当の戦いは、法廷という密室で始まる。




