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昔のジャッキー映画の新作を考える

作者: AKTY
掲載日:2026/03/04

 高校の同級生の香田が交通事故で入院しているという話が風の噂で流れてきて、さっそく見舞いにやってきた。


 情報はかなり錯綜している。死にかけたという話から、そうたいしたことでもないらしいというものまで様々だった。共通しているのは誰一人深刻には捉えていないということで、私もちょっと顔でも見てやるかくらいの軽い気持ちで来ていた。それでももう二週間以上は入院しているそうなので、ひどい怪我だったことは間違いないだろう。


 受付で確認してから部屋へ向かう。大部屋の窓際のベッドのようだ。入院患者はそれほど多くないみたいで、半分以上のベッドが空いている。よおと声をかけると香田はとくに返事もせずにこちらを向いて頷いた。少し痩せたような気がするが、病院というシチュエーションがそう見せているだけかもしれない。なにせもうずいぶん長いこと会っていなかった。こういう機会がなければその期間はさらに延びていただろう。


「久しぶりだな。死にかけたって聞いて見物に来たよ」私はベッド脇のパイプ椅子に腰掛けながら声をかける。


「いや死にかけてねえわ。誰だよそんなこと言ってんの」意外と力強いツッコミ。


「矢野だけど。乗ってた車グシャグシャだって言ってたぞ」


「ああそれはほんとだわ。車体に足挟まれてボキボキボキって複雑骨折だよ。死んだなとは思ったよ。手術やらなにやら大変だった」そう言ってギブスで固定された足を顎で示す。


「まあまあ死にかけてんじゃねえか。とりあえず無事でよかったよ」


「まあな、おかげでのんびり入院生活やれてるよ」そう言うと力なく笑った。


「そうそう、見舞いになに持ってきたらいいか分かんなかったからさ、刃牙の最新刊買ってきたよ」


「いやさすがにもう刃牙追ってねえよ。なんだよ『らへん』って」


「え?お前の入院中に出た巻だから喜ぶと思ったのに。じゃあどこから買ってくればよかったんだよ?」


「刃牙は確定なんだな。たしか親子喧嘩終わったとこまでは読んだよ」


「じゃあ今度『刃牙道』の一巻買ってくるよ」


「せっかくなら全巻買ってこいよ」


 長いことブランクがあった割にはスムーズに会話が続く。こういうところが同級生の強みだなと、嬉しくなった。この手のやりとり自体久しぶりな気がする。私も含め、みなすでにそれぞれの家庭があり、それを維持・運営することが人生の第一義になっているのだ。


「入院はまだ続きそうか?」そう言いながら「快気祝い」という単語が頭をよぎる。こいつの怪我をダシにみんなで集まる口実が作れそうだな。このタイミングを逃す手はない。


「ああ、まだ一、二週間ほどはかかるんじゃないかな」うんざりした様子で応える。「退院した後のリハビリがまた長いらしいんだよ。半年以上はかかるってさ」


 半年か⋯⋯私の中の熱が急速に冷めていく感覚を覚えた。そんなに先じゃ難しいだろうな。日々の生活に飲み込まれて、その内その内と順送りになってしまうのが容易に想像できた。


「それじゃあ、まあ、ぼちぼちやってくしかねえな。でも退屈だろ、いつもなにやってんだ?」


「最初はさ、気になってた小説でも読もうと思って、嫁に買ってきてもらったんだけどね。もうダメだわ、ぜんぜん集中できないの。目もなんか霞むしさ、たぶん事故の後遺症だろうね。つれえわ」目を覆うように手をやって首を振る。


「いや、ただの老化だろ」


「それでな、もう暇で暇でしょうがないから、病院内をあちこちウロウロしてさ」


「なんだ、もうけっこう動けたりするんだ?」


「ああ。知ってるか?いまってリハビリ、手術の翌日からもう始まるんだぜ」


「翌日はさすがに嘘だろ。動けるわけねえじゃん」


 狙い通りの反応を引き出せたのか、香田はニヤリと笑って話を続ける。


「そりゃ足は動かせないけどさ、動かせる部位をできるだけ動かすわけよ。そうした方が復帰が早いんだって」


「へえ〜、そういうもんなんだ」


「わりと早いうちに松葉杖で歩けるようになるしさ、どんどん歩くことを推奨されるのね。俺入院とか初めてだからさあ、寝たきり患者のイメージしかなかったからビックリだよ」


 たしかに病棟に来てすぐ感じたことだが、どことなく活気があるような気がした。もちろんそれは対象とする患者の種類によって違ってくるのだろうが。


「それで美人看護婦さんの後を付きまとったりしてるわけだ?」


「してねえわ!」声がでかい。


 こいつ相変わらずこの手の話題が苦手なのか。顔も少し赤くなっている。頬を染めるんじゃない、いい歳して気持ち悪い。


「でもよ、病院探索っつってもそんなの三日ももたねえだろ」


「まあたしかに行くとこはすぐなくなったんだけどさ、今は新しい趣味っていうか、楽しみを見つけてね」表情が明るくなる。


「のぞきとか盗撮か?」追加の一撃。


 香田は私のくすぐりにはもう乗ってこず、完全に無視して話を続けた。


「この病院ちょっと広い中庭があるんだけどさあ、そこのベンチでけっこう長いこと過ごすんだよね」


「やっぱのぞきだろ?」諦めない心。


「そこにね、芝生の部分があるんだけどね、鳥がやってくんの、ハトとかスズメとか。それを観察するのが楽しくってさあ」なんとなく目が輝いている。これが童心に返るというやつなのか。


「バードウォッチングってやつだ」


「なんかね、どこかの婆さんがさ、パン屑かなんかエサ巻きにくるんだよね。コソコソと。たぶんだけど、あの婆さんの旦那さんかなんかがあそこの周りにある病室のどこかに入院しててさ、楽しみにしてるんじゃないかなあ」


「なるほどね。ありそうな話だ」寝たきりの夫と介護する妻、老夫婦の穏やかな光景が像を結ぶ。あらあらおとうさん、今日もスズメがたくさん来てますよ、そうかそうか声が聞こえるねえ、なんて会話をするのだろう。小津映画の空気感だ。


「朝と昼のだいたい決まった時間にエサやりに来るからさあ、そのあたりの時間になると、中庭に木があるんだけどね、そこにスズメがズラーッと並んで待ってんの。ハトはもう少し離れたとこにいるんだろうな。ホーホーいう鳴き声だけ聞こえる」


「はあ~、時間とか分かってんだな。小さいのに意外と賢いじゃん」


「そうそう、それで俺はそんな鳥たちを見たくていっしょに待ってるってわけだ」いたずらっぽく笑う。中年男が実に楽しそうである。


「鳥とかそんなに気にして見たことないなあ」


「そこら辺にいるメジャーな鳥だけどさ、よく見てると新しい発見もあるんだよ。例えばね⋯⋯」香田は視線を上に向けて記憶を検索する。「ハトの親子喧嘩、見たことねえだろ」


「親子喧嘩ねえ、それってほんとに親子なの?」


「いやまあ、俺が勝手にそう判定しているだけなんだけどな」自信なさそうに応える。「たぶん親子なんだよ。大きいのが二羽とそれよりひと回り小さいのが一羽。大きい二羽がいつも同時にやって来てさ、小さいのがそれを追ってくるの。それで大きい二羽にトコトコ寄っていくんだけどさ、そしたら一番大きな一羽が羽をバサーってやって威嚇するの。こっち来んなーみたいな。声もポーッポーッって、マイケル・ジャクソンかジャイアント馬場かって感じでさ」


「へえ〜、なに?自立を促す的な?」


「そうそう、そんな感じだと思うんだよね。たぶん小さいのはまだまだ子ども気分で寄ってくんだよ。ママーママーって。それを厳しい父親が追い払うんだね。『野生の王国』って感じだよね」


「対象の動物がめっちゃ地味だけどな」


「そういえばこの前見たのはすごかったなあ」


 香田はまだまだ話したいことがたくさんあるようだ。よっぽどこの入院生活でたまっているんだろう。この男は普段はそう饒舌な方でもない。人見知りする性格で、基本的には一人でいることを好んだ。私みたいな古くから親しんでいる者が相手だとここまでご覧の通りだが、これはごく限られた仲間内にのみなのだ。私はこうなったらとことん話を聞いてやろうと決めた。


「なんだよ、まだあるのかよ?」


「そうそう、あれはちょっと驚いたね。あんなことあるんだなあってさ」香田は嬉しそうに話を続ける。


「勿体ぶってないでさっさと言えよ」


「あのな、この前見てた時さ、スズメがなんか大きいパン屑みたいなの咥えてたの。それでさ、そのまま電線にピューッと飛んでったわけ。あんなもん一口で飲み込めるわけないんだから、上に持ってってどうすんだよって見てたらさ、その電線に、先にとまってたスズメがいてさ、そいつの横にとまって、エサを渡したんだよ」


「へえ〜、親子かな?巣立ちの後も面倒見たりするんだね」


「そうだよな、俺もそれでまず驚いたんだけどさ、それだけじゃないんだ」キラキラとした瞳。「親にも大きなパン屑だよ。当然その子は持て余すわけよ。そりゃ落とすよ、ポロッとね。そしたらさ、そのエサを与えた親鳥がさ、シュッと飛び出して空中でキャッチするわけ」


 両手でその動きを再現しながら熱心に話す香田。さっきからツバもビュンビュン飛んでいる。鳥はいい歳をした中年男をここまで興奮させるものなのだろうか?話はまだ続く。


「それでまた、子にそのエサ渡すんだよ。親の愛だ。でもエサのサイズは変わらないからね、子はやっぱり落としちゃうんだ。そしたらさ、今度は俺の視界の外にいた別のスズメがさ、空中でかっさらってそのまま飛んでった」そこで少し悲しそうな顔をする。子スズメに感情移入しているのだろう。


「スズメも意外と俊敏なんだな。ぜんぜんそんなイメージなかったよ」


「だろ?俺もそうなんだよ。正直スズメのこと侮ってたわ」そう言って少し考えるような仕草をしてから話を続ける。「俺はね、やっぱ野生ってすごいんだなって思ったんだよ。あんなスズメでもさ、人間では及びもつかない空間認識能力というかね、そういうの持ってんだ」


 なんだなんだ、今度はなんの話だと身構える。さっきまでとは香田の声のトーンが違っていた。なにかよく考えたことを話そうとしているようだ。


「人間だったらさ、戦闘機のパイロットとかさ、そういう人たちでなければ到達できない領域をあの鳥たちは生まれながらに持ってるんだと思うんだ」


「ああ、うん⋯⋯まあそうだろうな」


「中国拳法に象形拳ってあるだろ?」


「ん?」


「動物の動きを真似てできた拳法だよ。蟷螂拳とかさ」


「ああ、関根勤がやってるやつね」


 香田はそれは違うよという目で私を見たが口に出して否定はしなかった。いやお前そこはちゃんとツッコめよと私は内心イラッとした。


「とにかくさ、ああいう野生の力を取り入れようって考え方がさ、ストンと腑に落ちたっていうか⋯⋯」


 そういえばこいつ昔『拳児』にハマってたなあと思い出す。香田は昔からそういう格闘技ものの漫画やら映画やらを好んでいた。現実の格闘競技も好きだったはずだ。たしか『格闘技通信』とかいう雑誌を読んでる姿をよく見かけた。つまり香田は格闘技オタクってやつなのだ。


「俺さあ、それからずっと考えてたんだよね。あのスズメの動きを模倣した拳法なんてあったら面白いなって」


 なんて馬鹿な妄想を、とは思わない。私にはすぐピンとくるものがあった。高校時代のちょっとしたエピソードだ。


 当時我が校の文化祭にはクイズ大会のコーナーがあった。我々の担任はそういうお祭りごとが大好きで、彼自ら企画したものだった。私たちも大いに乗り気で、積極的に手伝いをした。その中の一つとして、映像クイズ用のビデオ撮影があった。


 よく覚えている。あれは香田発案で、『燃えよドラゴン』の冒頭シーンのパロディだった。ブルース・リー役をクラス一ガリガリの松本君、サモ・ハン・キンポー役を太めの香田、そして私が撮影したのだった。問題自体は簡単だ。この後のブルース・リーの台詞は?というもの。しかしこの撮影は思いのほか難航したのだった。どれもこれも、すべては香田の異常にこだわった演技指導によって。


 そう、香田は香港のカンフー映画をこよなく愛している。そんな香田が拳法を考えたのならつまりはこういうことだ。


「スズメの拳法で雀拳ってか。昔のジャッキー映画みたいでいいじゃん」


 私の言葉にひときわ目を輝かせる香田。これはクリティカルだろう。私は香田の求める言葉でヤツのハートを完璧に射抜いてみせた。


「だろ?雀拳、いいよな。読みはジャンケンな」


「悟空の技じゃん」


「ああ、たしかに。『ドラゴンボール』でもじゃん拳てあったよな。あっちはグーチョキパーのジャンケンだけど」ケラケラと笑う。


「俺はもうお前が何を考えているか分かったよ。お前あれだろ?映画のプロット考えてんだろ?主演はもちろんあの頃のジャッキーだよな」


 今日一番の笑顔を見せる香田。だがその気持ちは私にも分かる。架空のジャッキー映画を考える、こんなに胸が躍ることが他にあるだろうか。


「よし、いいよ。それじゃあその映画『雀拳』を検討しようぜ。まずそもそもさ、雀拳ってどういう動きをする拳法なんだ?」


「そりゃお前スズメみたいに動くんだよ。手をこうやって」と指先を尖らせ、手首を曲げた構えを見せる。


「蛇拳じゃん」


「え?」


「いやそれ蛇拳じゃん。ジャッキーが映画でやってたやつじゃん」


「いや違うって、この指の感じがクチバシでさ。こう、チュンチュンって目潰しすんの」手を素早く前後に動かす。


「それ鎌首もたげたヘビじゃん。蛇拳じゃん」


 私たちがそうやって熱心に拳法の動きについて話し合っていると、病室の入り口の方から声がした。


「あれ、小田嶋じゃんよ。お前も見舞いか?」


 それは高校の同級生の花岡だった。脇になにか小さな紙袋のようなものを挟んでいる。全体の印象は当時とあまり変わらない、というよりむしろ当時より精悍な感じがする。髪の毛だけが少し薄くなっているようだが。


「おう、花岡も来たのか」私は手をあげて応える。


 花岡は軽く頷いてから香田の方を見てニコッと笑った。


「なんだ、死にかけたって話だったから心配してたけど、けっこう元気そうじゃん」


「だから死にかけてねえわ。誰が言ってんだよ?」


「矢野だけど」


「また矢野かよ」香田は憤慨する。「あいつなんなんだよ、変な噂ばっか流してよお。だいたい死にかけたと思ってるなら、なんであいつ見舞いにも来ねえんだよ」


「まあまあ、あいつもなんやかやと忙しいんだよ」と私は一応フォローを入れる。


「そうそう、俺たちもういい歳だからな」と花岡。それから脇の紙袋を手渡す。「これお見舞いね。退屈しているだろうと思って買ってきた」


「おっ、ありがとな。なんだろう?」とすぐに開封しようとする。


「刃牙の最新刊だよ。まだ読んでないだろ?」


「また刃牙かよ。俺そんなに刃牙刃牙言ってるイメージだったか?」


「そうだよ」「そうだけど」


 私と花岡の声がシンクロする。私たちは互いの顔を見て、だよな?とアイコンタクトする。


「まあまあ、今度来る時は『刃牙道』にしとくから」私はそうとりなした。


「それで?なに話してたんだ?なんか廊下まで盛り上がってる声が聞こえてたぞ」


「あー、マジか、ちょっとまずかったかな」私は周囲を見回す。


「ちょっとジャッキー映画についてな」と香田。


「なになに、ジャッキーの話なの?」と花岡は乗ってくる。


 そういえば花岡ともカンフー映画の話をした記憶があった。たしか文化祭の時の撮影を見物していたはずだ。あの学年の時はクラスが違っていたから手伝いはしなかったけど。そこでここまでの経緯をざっと花岡に説明した。花岡はフンフンとおとなしく聞いている。


「なるほど、分かった。そういうことなら俺に任せとけよ」と妙に自信ありげに言う。「お前ら相変わらず面白いことやってんじゃんよお」


「任せろってなにをだよ?別に映画撮ったりとかするわけじゃねえぞ」私はそう牽制する。花岡はなにを考えているかわからない男だ。あまり自由にさせとくと、こちらにもとばっちりがやってくる。


「だから中国拳法だろ。象形拳?っていうの、俺もいっしょに考えてやるよ。俺得意なんだぜ、そういうの」


 やはり花岡だ。なにやらおかしなことを言い出した。得意とはどういうことだろうか?こいつは高校の頃から特にスポーツなどはやっていなかったはずだ。


「得意って、まさかお前中国拳法やってるとか?」香田が期待感をにじませながら尋ねる。


「いやそういうのはやってないけどさ、俺って今ほぼほぼ毎日エクササイズやってんだよね。その中にアニマルフローってのがあるんだよ」と胸を張る。


「アニマルフロー?なにそれ?」と私。


「知ってる」なぜか香田は興奮した声を出す。「山本KIDがやってる映像見たことある。あれだろ?ワニみたいに動いたりするやつ」


「そうそう、それそれ。あれってけっこういい運動になるんだぜ」花岡はボディビルダーのポージングみたいな動きで己の肉体を誇示する。


 なるほど、精悍な感じがしたのはそれか。花岡のことだ、きっと女にモテようとか、そういう邪な理由で始めたんだろうが、自慢するだけあってなかなかいい身体をしている。我が身と比べると羨望の気持ちがふつふつとわいてきた。


「だからさ、動物の動きと言えば俺じゃねえの?任せとけって、やってやるって」


 私は花岡の勢いに少し気圧されながら香田の様子をうかがう。香田は素直に嬉しそうだ。


「じゃ、とりあえずさ、スズメを見に行こうぜ。中庭だろ?」花岡が言う。


「今からだと⋯⋯」言いながら香田は壁の時計を確認する。「婆さんがエサやってから少し時間経ってるだろうから、いるかは微妙だよ?」


「いいのいいの、とりあえず現場を見てからだろ」花岡は退かない。「それにあんまりここでドタバタやんのもまずいだろ?」


 花岡らしからぬ気遣いに私はハッとした。こいつはこいつでちゃんと大人になってるんだなあ。


「じゃあまあ、行くか」私は腰を上げる。ついでにベッドの縁に立てかけてあった松葉杖を取って、香田が立ち上がるのをサポートする。さすがに毎日やってるだけあって、特に手伝いは必要なかったようだ。


 我々三人は香田の歩く速度にあわせてゆっくりと病院の中庭へと向かった。

 


 午後も少し遅くなって、中庭の三分の一ほどはすでに影を落としている。しかしベンチのところはいまだ日向で、ぽかぽかとした春の陽気が心地良い。まずは香田を座らせて、私がその隣。花岡はまったく躊躇せずに香田の斜め前の地面に直に腰を下ろす。香田はちょうど正面の木の手前、ひらけた芝生を指差して言う。


「あの辺りにエサをまいてあってさ、鳥たちがやってくるんだ」


 残念ながら指差した先に鳥はいなかった。


「ああ、いねえな。まあいいや、話してりゃ来るかもだし」花岡はこだわらずにそう言った。


「とりあえず雀拳だよ。どう動くか考えないと始まらない」香田は外に出てさらにやる気になったようだ。


「じゃあさ」私は提案する。「まず花岡がさ、向こうの病棟の屋上からダダダダダーって外壁を駆け降りてきてくれない?」


「いやできねえよ。なんだよそれ、ジャッキースタントじゃん」


「どうしてもやってほしいんだけどな。これに映画のすべてがかかってるんだ」


「いやいや、要求が高度すぎるだろ。そんなのジャッキー本人が周りに止められながらもやっちゃうやつじゃん。できねえって」


 香田はカラカラ笑っている。しばらくその調子で話が弾む。


「あっ、あれじゃない?」私は気づいて指差した。スズメが二羽静かに地面に降り立って、首を上げ下げしながらトントンと跳ねている。


「ああ、来たねえ」香田は優しい目で見つめている。


「なるほど、あのピョンピョンって跳ねる感じはコミカルでいいな。こう、相手の攻撃をしゃがんでかわす」花岡はやにわに立ち上がって実演を始める。後ろのスズメはそれに驚いて飛び去ってしまった。花岡は素早く足を揃えてしゃがみ込み、ウサギ跳びの要領で前進しながら、クチバシに見立てた指先で突く動作をする。


「ああいいね、そんな感じ」香田は満足気だ。「あの、餌をついばむ時に頭下げるだろ?そのタイミングで足を跳ね上げて、後方の敵を蹴っ飛ばすってのはどうよ?」


「こんな感じか?」言いながら花岡はしゃがんだ状態から頭を下げ、両手をつくと同時に足を後方へ跳ね上げる。


 言うだけのことはあるようだ。花岡は一般の中年男性には難しい動きをやすやすとやってみせた。


「これスコーピオンの動きね。アニマルフローにあんだよ」花岡はこともなげに言う。


 香田はお〜と言いながら手を叩いて喜んでいる。


「いいね、その感じの動きにさ、ジャッキーおなじみの、そこらの物とか人を利用した殺陣を組み合わせてさ、なんかアクションシーンのイメージができるよね」


 おや?なんだかやけにあっさりOKが出たぞと私は不思議に思った。文化祭の時のあの演技指導を思えば、こんなに簡単に納得するなんておかしい。笑顔でやりとりする香田と花岡を見ながらしばらく考える。ああそうか、と割とすんなり答えが出た。


 結局香田はオタクではあるがただの会社員なのだ。文化祭の『燃えよドラゴン』パロディーのように、基になる完成形があれば、それを目指してあれこれこだわりもするだろうが、これはオリジナルの拳法だ。きっと香田の中のイメージもフワフワしていて、こだわろうにもこだわりようがないのだ。


 正直この話を持ち出してから、下手をするとこれからしばらくは付き合わされる可能性も考慮していたのだが、そんなことにはならないだろうという安堵で少し肩が軽くなったような気がした。


「じゃあまずオープニングだ。あの書家が書いたような勢いある文字で出演者とかのテロップが流れる」私は早速切り出した。


「そうそう」香田が乗ってくる。「やっぱその背景ではジャッキーが雀拳の演武をやっててほしいよね。こうキレのある動きで」言いながらまた手を嘴に見立てて前後に動かす。


「それやっぱ蛇拳じゃん」


 香田は私を無視して続ける。


「それでBGMはやっぱあの俺らには意味が分からない中国語の歌がいいよな。古臭さが逆にかっこいいみたいなアレ」


「分かる分かる。なんかカッコいいやつな」花岡も同調する。


「じゃあそのオープニングが終わった、はい、そこからまずどのシーンが来る?」私が仕切る。


「やっぱあれじゃない?ジャッキーが道場でイジメられてるの」と花岡。


「ああ、そうね。やっぱジャッキーは道場の下っ端だよね。兄弟子たちにバカにされてるからろくに教えてもらえずに、掃除とか下働きばっかやらされてんの」私も続ける。「こう床の雑巾がけしながら、兄弟子たちの稽古を盗み見て真似してやってみたりね」


 花岡は然りといった顔で頷いていたが、ここで香田が異議を申し立てる。


「おいおい、待て待て、ちょっと急ぎすぎだって。オープニング終わって、まずは敵の存在を匂わせるのがいいんじゃないか?原っぱで拳法家が二人、向かい合って勝負を始めるんだ。腕の立ちそうな中年の、たぶんどこかの師範とか道場主と、いかにも悪そうな顔をした謎の男」


「ああ、はいはい。なんとなく分かるわ。師範がまずガーッと攻めるけど、相手は涼しい顔でそれをさばいていくんだな」全身で相手の攻撃をかわすような動作を見せながら花岡が応じる。


「ああそうだな、まずすごく強そうな敵の存在を出しておいて、そこからどうってことない町道場に場面が転換するんだな」と私も香田の意見を認める。


「悪者はあっさり師範を退ける。殺される時の師範の苦しむ表情と悪者の決め顔がドーンと大きく映る。そこから悪者が分かりやすく決意表明してもいい。この街のすべての拳法家を葬ってやるぞーみたいな」香田は同意を求めるように我々の目を見る。


 私たちにもまったく異論はない。たしかにそのシーンは必要だという気になっていた。


「で、さっき話した町道場だな。これは問題ないだろ?」花岡がお伺いを立てる。


「ああ、あの感じでいいよ。それで道場主か師範が偉そうに弟子たちに教えをたれる。こうやるんだって実演して見せてさ、それでジャッキーを呼ぶんだ」香田が語る。


「ああ、分かった。ジャッキーを稽古台にして技を見せるんだな。一方的にボコボコにされるジャッキーだ」私はその様子を思い浮かべながら言った。


「そうそう、ジャッキーもムカーって顔一瞬見せるけど、あとが怖いからされるがままで我慢するんだ。道場主ははっきり言って、さっきの悪者に比べると滑稽なくらいの腕なんだけど、弟子たちは尊敬してるの」


「それで落ち込んで街に飛び出すのかな?やっぱ雀拳の老師ってあの人だよな?」と花岡。


「ああ、あの人ね。分かるわー」私の頭にその人物の像が浮かび上がった。


「ああ、ユエン・シャオティエンね」さすがは香田、さらっと役者の名前が出てくる。


「分かんねえけど、たぶんその人。この映画でジャッキーと老師だけは他で替えがきかないよな」と私。


「落ち込んで街をさまよってる時にジャッキーと老師が出会うんだ。どう出会うかね?」と花岡は首を傾げながら言う。


 三人でしばらく考えていると、やはり香田が最初に案を思いついた。


「じゃあこういうのはどう?」と私たちを見る。「ジャッキーはさっきボコボコにされて裏で休んでる。でも兄弟子たちはそんなゆとりは与えてくれないんだなあ。饅頭を買ってこいとパシらされる。ジャッキーはふらふらしながら街に出て、紙袋にいっぱいの饅頭を胸に抱いて帰路につく。その途中で橋があってさ、ジャッキーは基本ワンパクだから、さっと欄干に飛び乗るんだ。いつもの癖でね。でも今日はダメージが残ってるからバランスを崩す。饅頭がいくつかポロポロっとこぼれる。そこで老師が登場よ」


 香田やるじゃないか、と私は思った。こいつなかなか聴かせる話を考えやがる。香田の話からそのシーンが容易に浮かび上がってきた。


「老師は偶然その瞬間にすれ違うんだ」と香田は続ける。「それで落ちた饅頭を空中でキャッチして橋の欄干へジャンプ。一つを自分の口の中へ。もう一つをジャッキーの口へ。他はすべて袋に収めてしまう」


「ああ、なるほど。お前のスズメの観察がここで活かされるわけだ」私は心底感心していた。「親スズメが老師で子スズメがジャッキーだ。ほんとよくできてるわ」


 香田は満足げに頷いた。花岡も納得の表情だ。


「それで助かるんだけどさ、ジャッキーとしたらパシリの饅頭だからね。二つも減っちゃあまずいわけだ。それでジャッキーは苦情を言うんだな。おい、爺さん困るよーって。でもお人好しだからね。まあしょうがないかで、あのジャッキースマイルを見せて別れる。ここで互いが互いのことを印象に刻む」


「ん?ここですぐ知り合うってわけじゃないんだ」私が質問する。


「そう、まだ知り合わない。次の日もまた使いに出されるジャッキー。でもジャッキーは昨日パシリを失敗してるからね、兄弟子たちは昨日もちゃんとお仕置きしたけど、もっといじめてやろうとあとをつけてくる」


「お〜、引っ張りやがるなあこの野郎」花岡が野次る。


「使いの用事を済ませて建物から出てくるジャッキー。手には受け取った品かなにか包みを持っている。兄弟子たちはジャッキーの前に立ち塞がり、その包みを取り上げる。取り返そうとするジャッキーに対して殴る蹴る、苛烈な暴行だ」


「そこで老師がやってくるんだな。やったぜ!」花岡のテンションが上がる。


 私も聞きながらその展開に胸が熱くなっていた。ベタベタのベタだが、それがいい。今や香田の語りにすっかり引き込まれていた。日頃無口なこの男だが、胸の内では様々なことを考えているのだろう。そうやってたまっていったものが、今こうやって創作という形で発露しているのではないか。


「たまたま通りがかった老師はリンチされているのが昨日の若者だと気づく。やめなさい、と穏やかに声を掛ける。兄弟子たちはもちろんやめない。なんだこのジジイと突っかかっていく。そして⋯⋯」十分にタメを作ったあと、香田は私たちに頷いた。「さあ、アクションシーンのスタートだ」


 私たち三人は斜め上に視線を向ける。おそらく三人が想像している老師の動きはどれも似たようなものじゃないだろうか。とりあえず私が口火を切ってみる。


「あのさ、老師は達人だからさ、たぶんこんな三下どもに直接手を下すことはしないよね」みなの表情がそうだと言っていた。「老師はジャッキーにまず寄り添って、立ち上がらせると思うんだ。それからジャッキーの身体を操るみたいにして、兄弟子たちを退治していく」


「『蛇拳』のやつだよな。老師がジャッキーの膝を足で折るとジャッキーのバランスが崩れて相手の攻撃が空を切る。それでまた元に戻すとその反動でジャッキーの身体が伸びてそれが相手にヒットする、みたいな」香田が細かく描写する。


「そうそう、俺もそれイメージしたわ」と花岡が同意する。


「老師がジャッキーのズボンを下げると、ジャッキーが慌ててそれも引っ張り上げようとする。それでお辞儀するような形になって相手が仕掛けた頭部を狙った攻撃をかわし、そして引っ張り上げて身体が真っ直ぐになった時に、ちょうど攻撃かわされて体勢崩した相手に頭突きが当たる」香田がさらに続ける。


 花岡はそのシーンを思い出しながら再現を試みている。ズボンを下げて、引き上げる動作をやってみて――もちろん実際にパンツを出したりはしないが――こちらを向いてニヤリと笑う。


「あれこそジャッキーアクションの真髄って感じだよなあ。コミカルで笑えるんだけど、なんとなく説得力もあってさ」私がサラッとまとめる。「この映画のアクションもあの感じでいいよね。俺たちはああいうアクションを観たいんだから」


「まあ、まったく同じってわけにはいかんだろうけど、概ねあの感じだよな。意地悪な兄弟子たちはそれで蹴散らされて逃げていく」


「それで老師の技に感激したジャッキーは弟子入りを志願するんだな」花岡があとを引き取る。「でさ、たぶん老師はすぐには引き受けないんだよな。ジャッキーが頼み込むけどなかなかうんと言わない」


「ああ、そうだろうな。すんなりOK出たらなんか違うもんな」と私。


「そこで俺もアイデアあるんだけどさ、俺『少林寺木人拳』にさ、好きなシーンあるんだよね」花岡も意外と知識があるようだ。「あれって洞窟かなんかで鎖に繋がれてる人が師匠じゃん?ジャッキーは喋れない役でさ、酒とか持っていって、教えてくれってお願いするの」


「ああ、そうそう、そんなだった」朧気ながらそういうシーンがあった気がする。


「それでね、饅頭食わせようとするんだけど、ジャッキーが落としちゃってるから泥で汚れてんだよ。それでジャッキーはその饅頭の薄皮を剥がして自分で食ってさ、きれいになった真ん中を師匠にあげるわけ」花岡はその様子を頭に浮かべているのか目を細めて遠くを見ている。「俺あそこ大好きでさあ。それ子どもの時テレビで見てからさ、肉まんとか食う時マネして、薄皮まず剥がしてから食ってたんだ」


「ああいうジャッキーの優しさを表現するシーンいいよな」香田も目を細める。「ただ強いだけじゃない。優しさも同居してるのがジャッキーだよな」


「この映画の老師との出会いも饅頭がきっかけなわけでしょ?だからジャッキーは有り金はたいて饅頭を毎日届けるんだよ。老師は断るつもりだからわざとすげなくしてそれを放ったりしてさ、ジャッキーは汚れた饅頭の皮を食べて老師にきれいな部分を渡すんだ。それでだんだん老師もほだされていってさ」


「ああ、いいんじゃない。そのアイデア採用しよう」香田総監督のお許しが出た。


 私は花岡からこのアイデアが出たことに驚いていた。私の知る彼はこういう作業から最も遠いところにいるおちゃらけ野郎だ。ノリと勢いだけで世の中を渡る――それでなぜかつまずくことなくスイスイ渡るちょっとムカつくところもある男。それが花岡だった。架空のジャッキー映画を考えるという行為が、そんな花岡の脳にすら刺激を与えて、創作意欲を掻き立てている。私は信じられないものを見たという気がした。


「弟子入りを許されたジャッキー、ということはみんな大好き修行シーンだな」と私は先を促す。


「ああ、修行シーンもいいよね。超大事」と香田が引き継ぐ。「やっぱこのクチバシで突く攻撃がメインだから指先を鍛えたいね」


「鍋に砂入れて火にかけて、それを指で突くんだろ?」


「ああなんかそれ知ってんな。なんだろ?」と花岡。


「『闘将!!拉麵男』じゃねえか?」と私はなんとなくいい加減なイメージで応える。


「いや、あれは毒手だろ」と香田のツッコミ。「でも俺もよくわかんねえなあ。とにかくカンフー映画で見たような気がするけど、どうだろね」


「まあいいや。カンフー映画っぽさは大事だからこれ採用でいいだろ」私はあまりこだわらずそう言った。


「まあ異議はねえな」花岡も賛成する。


 香田はまだ思い出そうと自分の記憶を探っている様子だったが、結局諦めて納得したようだった。


「あとさ、老師がジャッキーの上に乗って重しになるシーンはいるだろ?」


「そうそうそれな」香田は気を取り直して同意した。「上でキセル吹かしてたりするんだよな」


「ああ、分かる分かる」と花岡。


「ちょっと花岡さ、やって見せてよ。とりあえずこのベンチに足乗せて、腕立て伏せやってくれよ。俺乗っかるから」私が提案する。


「お、やっちゃう?」花岡は自信があるのかやる気だ。


 花岡は袖を捲り上げるとベンチに足を乗せ、腕立て伏せを始めた。なんかすごい勢いだ。


「まあ、待てよ、俺が乗らなきゃ意味ねえだろ」


「あ、そっか」ととぼけたことを言う。


 私は恐る恐る花岡の背中に乗った。腕がプルプル震えていて安定感がない。


「よし、いいぞ。腕立てやってみろ」


 花岡はなんとか一回身体を沈ませた。そしてん~と歯を食いしばりながら持ち上げる。


「お〜、すげえすげえ」と香田は喜んでいる。


「よおし、じゃあもう一回、がんばれー」と私は檄を飛ばす。


「ちょっと、ちょっと待って、降りて、無理」花岡はすでに限界だったようですぐに音を上げた。


「なんだよ、意外とだらしねえなあ。その筋肉は張り子か?」からかう私。


「いや、俺ウェイトはあんまやんないから。目指すはアスリート体型だから」と花岡はバツが悪そうに言い訳する。「だいたいお前さ、なんか重たいよね。ダイエットしろよ」


「ああ考えとくよ」と私は適当に返す。


「まあ、その老師が乗っかるやつを、腹と背中で二つはいけるな。それと老師とジャッキーの組手をやって、修行はまあこんなもんだろ」香田はハアハア息を切らしている花岡のことは冷静に流して勘定した。どうやら香田は満足したようだった。


「それじゃあいよいよ物語が動くところだな。例の悪者が道場破りにやってくる」


「そうだな、もういいだろうな」と香田。「まず噂が先にやってくるんじゃないかな。街の道場が次々と道場破りにあっている。そろそろうちにも来るんじゃないかと道場生たちが噂している」


「そこにあの男がバァーンと登場だ」花岡が付け足す。


「ジャッキーは修行中だからもちろんいない。まず跳ねっ返りの兄弟子たちが取り囲むが、相手の実力を嗅ぎ取ってか、すぐに怯んだ様子を見せる。そこで道場主が出てくるけど、ビビっちゃってろくに動けない」


「それで男にババァーンとぶっ飛ばされるんだ」とまた花岡。


「道場生たちは怯みながらも意を決して一斉に襲いかかる。でも悪者は余裕でさばいて、バッタバッタと蹴散らしていく」


「ああいいね。それっぽい」私は同調する。「それで修業を終えて戻ってきたジャッキーが惨状を目の当たりにするわけだ」


「ジャッキーはイジメられたりしてて、決して良い感情を持っているわけじゃないのに、それでも許せなくって本気で怒るんだな。かっこいいわ」うっとりとした表情を見せる香田。


「ジャッキーはほうぼう巡って仇を探す。これどうしようか?聞き込みパートとか?」


「あんまりそういうのは要らないんじゃない?もうシンプルにさ、まだ襲われてない道場の近くで張り込んどけばさ」シンプルな男・花岡が応じる。


「まあそんなんでいいか。どうですか監督?」


「ん~、ま〜、いいかな〜」香田は少し納得してない様子だが一応同意したようだ。


「よし!じゃあいよいよクライマックス、最後の敵と激突だ」私は気合を入れ直す。


「あ、ちょっと待てよ」花岡が遮った。しばらく黙考し、口の中でなにやらブツブツ呟いた後、話し出す。「なんかこのままじゃさ、ジャッキーが修行でどれだけ強くなったのか分かんねえじゃん。まずジャッキーが成長したんだっていうエピソードを入れて、その後でラスボス戦にした方がいいんじゃねえの?」


 なるほど、それは一理あると思った。今のプロットでは最終決戦がジャッキーの成長を示す唯一の機会になってしまう。その前に成長したジャッキーの姿を提示して、そして最後の闘いへ、とした方が、物語として分かりやすいだろう。


「じゃあどうする?ここで悪者の手下とか出して戦わせるか?」私が尋ねる。


「ん~、それでもいいけど⋯⋯それよりさ、やっぱ兄弟子より強くなったんだーって話を入れたくね?」


「ああそうだな、あれだけいじめられていたジャッキーが兄弟子たちに勝つと気持ちいいよな」


「ならさ、道場破りが来る前にさ」香田が案を出す。「修行途中で買い出しかなんかで街に出たジャッキーが、また兄弟子たちに囲まれるって場面を入れたらいいんじゃないかな?前の時はボコられて老師に助けられたけど、今度はジャッキー独りで切り抜ける」


「お〜、いいね~」花岡が膝を打つ。


「それならさ、前の時の老師みたいにジャッキーは直接手を出さないことにしない?」と私。「ジャッキーは拳法をむやみに使用することを老師に禁じられててさ、だから自分から手は出さないの。間合いとステップ、あと街にあるハシゴとか荷車とか、そういう障害物を利用して攻撃をさばいていく」


「いいね。ジャッキーのコミカルな殺陣だ」香田が引き取る。「兄弟子たちはカーッとなって次々襲いかかっていくんだけど、ジャッキーはおちょくるみたいに避けまくるんだな。結局兄弟子たちが勝手にヘロヘロになって全員一箇所に集まってぐでんと尻をつく。暴力的でなくジャッキーの強さをアピールできるいいシーンだね」


 花岡が称賛するようにヤンヤヤンヤと手を叩く。自分の考えがまた採用されてかなり喜んでいるようだ。


「よし!じゃあ今度こそクライマックスの場面だな。ジャッキーvs兄弟子のあと、道場が壊滅してジャッキーは仇討ちを決意する。別の道場を張り込んで、ついに悪者が道場破りにやってくる」私がざっとまとめる。


「そういえばさ俺たちのジャッキーは雀拳じゃん?じゃあさ、悪者の拳法ってなんなの?」また花岡のくせになかなか鋭いことを言う。花岡の成長が著しい。


「そういえばそうだなあ。ラスボスもなんかの象形拳の使い手で、雀拳vsなんとか拳ってやったほうが座りがいいよな」


 全員でしばらく頭を捻る。さすがにラスボスの拳法までオリジナルというわけにはいかないよな。それを考えるだけの余裕はもうない。ぶっちゃけめんどくさい。ウ~ンと唸りながら鳥のことを思う。鳥の敵ってなんだろう?犬?猫?もっとデカい鳥とか?ああそうだ、と思いつく。


「蛇拳でいいんじゃない?ヘビって鳥を食べるでしょ」


「ああ、今度は蛇拳が悪側の拳法になるのか。いいかもしれない」と香田。


「雀拳vs蛇拳かあ、なんかだいぶ分が悪そうだなあ」花岡が指摘する。


「いや、いいんじゃない?弱そうなのが苦戦しながらも最後は勝つってのがいいんじゃん」と私は返す。


「ああ、そういえばそうだな。俺そのシチュエーション大好物だわ」花岡はすんなり納得する。


「じゃあジャッキーが張ってる道場についに悪者がやってくる。どうする?そこの道場のやつと一戦やらせてからジャッキー登場にする?」


「いや、ジャッキーの性格だとそれは待たないでしょ」と香田が応える。「噂の悪者が現れて、道場の全員が尻込みしているところにジャッキーが飛び込んでくるってのでどうかな?」


「よくも俺の道場を潰してくれたな。みんなの仇討ちだーで勝負開始」花岡はノっている。


「そうだ」ピコーンと私は思いつく。「ジャッキーと悪者が同時に構えるわけじゃん?そしたら二人、構えが似てるわけよ。手の形がさ。それで悪者が問うんだ、同門か?って。ジャッキーはよく分からないから、お前の流派は?と問い返す。蛇拳だ。じゃあ違う、俺は雀拳だ!」


 そう言いながら私は手で構えを作る。すると花岡が応じて蛇拳の構え。ここで龍虎ならぬ雀蛇相搏つ。ボルテージが上がっていく。


「じゃあその感じで対決が始まって何合か渡り合う」香田は緊張感にまったく無頓着に話を続ける。「だんだん押されていくジャッキー。技はまだ相手が上だ。さあどう勝つ?」


「それはやっぱり気合と根性で」脳筋花岡の解答。


「相手が上なんだからさ、舐めてかかってくんだよ。自惚れも強いだろうし」私の解答。


 香田は分かりやすく考えるポーズを取る。我々は香田の裁定を静かに待った。


「どっちもだろな」


 香田の言葉に私は内心ずっこける。こいつほんとに考えていたのか?ポーズだけか?問題出してきたくせに自分の考えはないんかい。私の冷ややかな視線をものともせず香田は続ける。


「何合かやりあって悪者は勝てるとふむわけだよ。それで余裕を出してジャッキーの技をさばいていくんだ。でもジャッキーは諦めない。厳しい修行でスタミナは十分。相手は徐々に体力を削られていく。苦し紛れに大振りの攻撃。そこに例のしゃがんでピョンと跳ねてクチバシで突く雀拳の基本ムーブだ。何度も繰り返した基本技」そこで香田はなにか思いついたような仕草を見せる。「修行シーンでさ、これ入れとかなきゃな。長時間雀拳の基本姿勢をキープする修行」


「それめっちゃキツいな。花岡、やってみて」


「まかせとけ」花岡はすぐ足をそろえて中腰になり、手でクチバシを作る。一分ほど頑張っただろうか。花岡は前のめりに倒れていった。


「その修業で鍛えた基本技がカウンターで相手の股間に突き刺さる」香田は倒れる花岡をいささかも気にすることなく続ける。「相手の動きがガクッと落ちて、その隙に連続攻撃を叩き込む。最後はクチバシが相手の喉を貫いて勝負あり、だ」


「終劇ってわけだ」私も続く。ジャーンというBGMが頭の中で鳴っている。互いの目を見交わして、そして深く頷いた。

 


 日はもうすっかり傾いていて、ベンチのところまで影が近づいている。さっきまで心地よかった日光も弱まって、冷たい風がスッと頬を撫でた。


「なんか冷えてきたな」あたりを見回しながら花岡が言う。「ウ~ン、ションベンだ、ションベンがしたい」


 己の欲求に忠実な花岡の言葉が全員の膀胱を刺激する。私たちはお互いの顔を見る。


「ションベン行くか」言いながら立ち上がる。


 香田も松葉杖を取ってゆっくり立ち上がった。それを見て花岡が声をかける。


「お前もションベン?」


「ああ」


「お前ションベンできるの?尿瓶とかいる?」


「いや、できるわ。立って歩いてんだからできるに決まってんだろ」


 たぶん香田はいま、花岡の頭をどつきたいだろうなと思った。そこで代わりに思いっきりどついてやった。香田はその様子を見てうんうんと頷いた。


「なにすんだよ、いってえなあ」花岡は頭をさすりながら言う。特に怒ってはいないようだ。


 三人は病棟に入るとそのままトイレに直行した。三人並んで用を足す。真ん中の花岡は両サイドを覗き込もうとする。実にめんどくさい。


 そのまま病室に戻り、香田はベッドに横になった。もう少ししたら病院の早い夕飯が運ばれてくるのだろう。どことなくバタバタと慌ただしい雰囲気が感じられた。私はそろそろ帰ろうかと花岡にアイコンタクトを送る。


「じゃあ、俺たちそろそろ帰るわ」


 花岡も隣で頷いている。


「ああ、そうか。今日はいろいろありがとな。久しぶりで楽しかったよ」香田が応える。


「まあ、もうしばらく頑張れよ」花岡は軽い調子で声をかける。「退院したら飲みに行こうぜ」


 私が躊躇してしまう誘いを、花岡はいとも容易く口にする。せっかくなのでその言葉に乗っかることにする。


「そうだな、元気になったら快気祝いでもやろうぜ。みんな誘ってさ」


 香田はニッコリと微笑んだ。


「じゃあな、また予定があけば退院するまでに見舞いに来るからさ。今度は『刃牙道』の一巻持って」


「いや、だからそこは全巻持ってこいよ。ブックオフでいいから」


 そう軽口を叩きながら病室をあとにした。花岡とも病院の門のところで別れた。また今度飲みに誘うからと言って、なぜか駆け足で、私とは逆方向へと去っていった。

 


 さっきまで三人ワイワイやっていただけに、夕暮れの道はしんとして寂しかった。歩きながら考えた。私は『刃牙道』を持っていくだろうか?持っていかないような気がした。でも持っていきたい気もしていた。やっぱり一巻だけ持って、また病室を訪ねるか。きっと香田はいつもの調子でツッコんでくれるだろう。


 了



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