牛丼食べよう
「へ?あんた、あのイケメンと同棲でもするんか?」
なぜそうなる?
「そんなわけないでしょ!!?」
「"仕事の関係で"しばらく家をあける」と伝えて返ってきた言葉だ。
「なんか…急に研修が入ったんだよね」
「…ふぅん?」
母はもの問いたげに視線を寄越す。善哉さんはおかんのタイプなんだろう。
ええ歳の娘へ、母は無意識にプレッシャーを掛けてくる。
視線を避けるようにお風呂場へ行き、スキンケアグッズを巾着袋へまとめて入れた。
2階へ行き、自分の部屋で滞在仕度を始めた。
一週間分くらいの着替えを旅行カバンに詰め込むと、カバンはパンパンになった。
旅行カバンはこれしか持っていない。
その他スマホの充電器や化粧道具を手提げカバンに入れた。
外では、善哉さんが待っている。
忘れ物がないように、一旦落ち着こう。
深く息をつく。
見慣れた部屋を見渡す。
なんだか、センチメンタルな気分になった。
毎日当たり前のように帰る、私の部屋。
駅から車で送ってもらっている道中、
「しばらくって、どのくらいになるんですかね?」
と善哉さんに聞くと、「わからない」との事だった。
「最善を尽くすけど、絹代さんの身の安全が第一になる。だから、もし長くなっても了承してほしい」
事務所で寝泊まりか…
会社で寝るなんて社畜の極みやないか…。
まぁ事情が…納期に間に合わなくて徹夜するわけじゃないし。
命に関わる事だから仕方がないんだけども。
本当に、信じられない出来事ばかり。
今までとは何もかもが違って、毎日がおとぎ話の中に居るみたい。
服は特にこだわりはないけど、寝るのが好きで寝具は自然素材で揃えている。
麻素材のベッドシーツをなでて、自室のどこへともなく「行ってくるね」と呟いた。
立ち上がり、部屋から出て階段を下りた。
事務所の扉を開くと、此代さんが青い顔をして目の前に居た。
「きぬちゃん!!!」
此代さんは私を見るなり、ハグをした。
「此代さん…」
此代さんの体温がじんわり伝わり、少し心が落ち着いた。
「良かった…!!無事で」
そう言うと同時に、身体を離した。
「類、留守番ありがとな。何もなかったか?」
善哉さんの柔らかな声が、私の後ろから此代さんに届いた。
「はい、こっちは異常なしでした。本当に、良かったです…」
此代さんは少しウルウルした目で善哉さんへうなづいた。
つられて、私も涙目になる。
一番奥のソファー部屋へ移動した。
私はあまり入る機会がない部屋だ。
谷崎さんにヒーリングを受けた日以来に入る。
壁につけられた棚には本や資料がぎっしり詰まっている。
窓は扉と向かい側にあり、日中はレースのカーテンがしてあり少し暗い。
善哉さんや此代さんが調べものをしたり、休憩する時にうたた寝する場所だと思っている。
2つあるソファーの内、1つはソファーベッドだったみたいだ。
此代さんがソファーの背もたれを倒し、その上に善哉さんが帰り道で買ってくれた布団一式を置いた。
「ここ、今から絹代さんの部屋だと思って過ごして。内側から鍵がかけられるから、基本鍵をして欲しい。俺か類が本や資料を取りに入りたい時は、ノックするから。」
「分かりました」
荷物を床に置くと、善哉さんが開いた扉の前に立ち、手招きした。
ついて行くと、給湯室奥のシャワールームへ通された。
「狭いけど、シャワーはここを使って。」
「はい」
使っている所を見た事がないけど、綺麗だ。
ホコリも見当たらない。
掃除してくれたのかな?
次に此代さんが給湯室の冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫の中にはお茶やりんごジュース等の飲み物が入っていた。
「一応買ってきといたから、自由に飲んで。俺らはこの冷蔵庫あんまり使わないけど。自分ちみたいに勝手に使ってね」
冷蔵庫に手をかけたまましゃがんでいる此代さんは、くりくりのお目目でこちらを見上げた。
「ありがとうございます」
ペコリと会釈して返事をした。
「こんにちはー!!」
突然、扉の開く音と威勢のいい声が響き、
びっくりして肩が飛び上がった。
「あっ。出前頼んどきました!はーい!!」
此代さんが返事をして、玄関へ小走りで向かった。
「…」
善哉さんはにこりともせずに、私を見下ろした。
「あの…すみません」
布団まで用意してもらって、出前まで…。
「謝るのはこっちの方だ。」
善哉さんは少し眉をひそめた。
「何と言えばいいのか…」
そこまで言いかけると、美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐった。
「善哉さん、きぬちゃん!!あったかい内に食べましょう♪」
此代さんが牛丼屋の袋を両手に持ち、にっこり微笑んだ。
「そうだな」
そう言って、善哉さんは冷蔵庫を開けてペットボトルのお茶を3本を取り、給湯室から出た。




