奇苦
2014/06/28 改変
この半年間、いろんな事があった。セゾンと初めてニアミスした校外学習、穂村プロデュースの林間学校、そして文化祭。高校に入学してから、本当に毎日毎日騒がしいほどに、目まぐるしく日常が過ぎ去っていく。大切な事さえ、忘れてしまうぐらいに。
「……そういえば、最近リュウさんの姿を見てないな」
それは、予感。何となくだけど、何故か胸騒ぎがした。彼の身に何かが起こったんじゃないか、って。
後に、僕はそれが当たっていた事を、知る事となる。
*
月明かりまぶしい、雲一つない夜。
時は満ちた、とばかりに俺は家を出た。誰にも気付かれず、何にも悟られないよう、忍び足で。
思えば、今年の春“怪盗セゾン”が久々に姿を現してから、俺はずっと真帆さんや潤にも隠れて、奴について調べていた。今日という日の為に。
最初におかしいと思ったのは、奴が潤の策にまんまとひっかかった事である。いや、確かにあれは相手の意表をつく良い作戦だった。それは間違いない。だから、負け惜しみなどでは決してない。しかし……。もし虎季なら、そんなもの一目で見抜き、本物を苦もなく盗みだしたはずだ。それぐらい、彼の目は優れている。それに、薄れゆく記憶の中で見た、あの人影……。
まぁ、この事に気付いているのは、俺ぐらいのものだろう。警察の方や真帆さんなんかは、わざわざ予告状を送りつけ、運を味方につけた神業的な盗み方だけに目を奪われているのだから。でも、セゾンの、虎季のやり方はそうではない。それだけではない、というべきか。
彼がどうして、悪いイメージがつきまとう“怪盗”という名を掲げていても、新聞でとりあげられるぐらい皆に愛されているのか。そして、憎むべき立場であるはずの俺が、ある種の敬意を抱いているのかと言えば、彼の美学による所が大きい。
虎季は闇ルートの美術品や、政治家の汚い金だけを標的とし、その手口はまさに圧巻。今まで一度だけ、好敵手を助ける為に自ら牢に入った事はあったものの、それ以外は逮捕されず、それどころか我々に姿も見せず、その上、被害は必要最小限に留めた。殺しもせず、人を無闇に傷付ける事も一切ない。だから怪盗セゾンは、虎季の時に一躍、スターの座を射止めたのだ。
だがしかし、どんなに崇高な理想を掲げていても、盗みは盗み、犯罪には変わりない。彼が犯罪者である事に、変わりはないのだ。
*
気持ちが焦っているからだろうか。考えがまとまらないうちに、問題の建物に着いてしまった。そこは昔、虎季が盗みに入った事で倒産した宝石商の跡地。栄華を極めた後、廃墟になってしまったビルであった。
正面から入るのは流石に気がひけたので、裏口から入ることにした。廃墟とはいえ、勝手に中に入らないよう申し訳程度にはフェンスで囲われている。所々ひしゃげたそれをひょいと跳び越え、錆付いた外つけの階段を上がる。多分、彼がいるとしたら屋上だ。
カツン、カツン、カツン。
実は俺自身、まだどうしたら良いのか、よく分かっていなかった。根拠は言わずもがな、確証もある。けれども、否定されてしまえばそれは絵空事。ただの妄想と化してしまう。しかし探偵として、真実を闇に葬り去る事だけはしたくなかった。あの人の事だから、僕の推理が間違っていなければ、どういう形であれ認めてくれるだろう。そういう人だ。それより心配なのは、果たして彼がまだ来ているかどうかである。少なくとも三年前、忽然と姿を消すまでは、毎月のように来ていたはずなのだが……。まぁいい。職業柄、空振りには慣れている。いなかったら、また別の可能性をつぶしに行けば良い。
“探偵とは、そういうものさ”
昔、彼にそう教わった事を思い出す。
気持ちを切り替えた所で、目的地である最上階に着いた。そして、今までの葛藤や杞憂をあざ笑うかのように、彼はいた。器用にも転落防止用のフェンスの上に、胡坐をかいて座っている。
「よぉ、虎季」
俺は後ろから声をかけた。憧れてやまなかった、その背中に。
「龍貴か。久しぶりだね。あの時以来だから……、もう三年になるかな? 少しは成長したみたいだね。ふふ、そろそろ来るんじゃないかと思っていたよ」
よっこらせ、と緩慢な動作で降りてくると、ようやく俺と向かい合う形になった。久々に見た彼は少し髪が伸びているようで、地毛にしては明るすぎる茶髪を赤いゴムでくくっている。しかしそれ以外は、俺の知るそのままのようだ。
「待っていたにしては、随分と注意散漫なんだな。普通、誰か近づいてきたら後ろぐらい振り向くだろ?」
「いやいや、これでも歓迎しているんだよ? それに、お前以外来ないと思ったからこそ、僕はこうしてのんびりしていたんじゃないか。いわば、信頼の証だよ」
相変わらずの減らず口と、マイペースさに、俺は思わず苦笑する。だが、笑ってばかりもいられない。
「ちょっと、お前に聞きたい事があってな」
「ほう、そうかいそうかい。僕に聞きたい事か。昔とは言え、可愛い後輩の為だからね。何でも答えてあげるよ。でもね」
そこで、目の色が変わった。いや、目から光が消えた、というべきだろう。いずれにせよ、優男の風貌は一転し、獲物を狙うハンターのようになった。この眼を最初に見たのも、やはり三年前だったか。
「その前に、君がどれほど強くなったのか、見たいなぁ……?」
言い方こそ違えど、こういう態度は昔とちっとも変わらない。他人の成長具合を見て適切なアドバイスをし、才能を伸ばす。その点においては、真帆さんよりも上手かった。何より彼自身が、それを楽しんでいる節があった。もっとも、今となっては、それが演技だったのかまでは定かではないけれど。
「ほら、やっぱり先輩としては、後輩の成長よりも喜ばしい事はないからね」
にたぁ、と一見すると人懐っこい笑みを浮かべる虎季。
しかし、その笑顔の裏に隠された彼の強さは、俺が一番よく知っている。その恐ろしさも、狡猾さも。それでも。
「……決着をつけようぜ、虎季、先輩」
真っ向から、正々堂々ぶつかっていく。俺にはそれしか、思いつかなかった。己の正しさを証明し、彼に認めてもらう為にも。
例えそれがかつての仲間でも、今の宿敵に変わりはないのだから。
*
先程の会話からも分かる通り、虎季は俺の先輩だった。学校の、ではない。探偵の、だ。
そう。何を隠そう、虎季は探偵だった。しかも、あの安楽椅子探偵、真帆さんに認められた、優秀な探偵だったのである。彼は、俺が事務所に入った頃にはすでに第一線で活躍し、そこそこ名も知られていた。
だからあの時は、まさか彼が、世間を賑わせている怪盗一族焔家の末裔にして、歴代で最も美しく、最も民衆に慕われた、七代目“セゾン”だとは知らなかった。知らずに懐き、慕っていたのである。今になって思えば、俺が虎季に惹かれたのは、彼がセゾンだったから、かもしれないけれど。
この時点で、本来は気付くべきだったのだ。だがしかし、俺にそう思わせなかったのは、彼がいた場所が、他ならぬ真帆さん――人の心を見抜く事に関しては右にでる者はいない名探偵――の事務所だったからである。彼女が認めた人間が、そんな犯罪者であるはずがない。誰だってそう思う。だから俺は、彼から多くの事を学び、自分で言うのもなんだが、どんどん成長していった。虎季でなければきっと、俺はここまで高みに登ることはできなかっただろう。
けれども、一人前になり、本格的にセゾンについて調べられるようになってからしばらくして、俺はセゾンの正体を知る事となる。いや、この場合は俺に“知らせた”と言った方が適切か。先にも述べたように、唯一の好敵手を助け出す為だけに、彼は捕まる事を選んだ。しかも、俺に捕まる事を。そして、虎季が俺に捕まえさせた場所こそが、ここだった、という訳である。
*
「はぁ、はぁ、はぁ……。くそっ。何で当たんねぇんだよ……」
先につっこんでいったのは俺だったが、優勢なのは虎季だった。リーチの差でもない、互いに武器を持っている訳でもない。それに、彼の方からは、一発も仕掛けてすら来ない。それでも、俺の渾身の攻撃は、全てあっさりとかわされた。蹴りもパンチも、捨て身のタックルでさえ、かすりもしないのだ。これだけ華麗に避けられると、こちらの気分まで萎えてくる。
「そりゃあ、お前。くぐってきた修羅場の数が違うからなぁ。むしろ、僕とお前が互角だったら、そっちの方が恐ろしいわ~」
虎季は微笑みをたたえながら、風のように柳のように、ゆらりふらり、のらりくらり、と決して遅くはないスピードで放たれる連続蹴りを、全て受け流す。
「まぁ、昔よりは強くなったかね。お前、事務所に入りたての頃は、酷かったからなぁ。闘志が無いというか、相手を傷付けたくないんだか、そこら辺は俺にもよく分からなかったけど。兎に角、人に怪我させることを何よりも恐れてた。それがお前の良い所でもあった訳だが。しかしだ。今日のお前は一味違うな。僕を殴ってやろう、倒してやろう、超えてやろう! って意志が、よく伝わってくるよ。一体何があったんだかね。でも、それでこそ我が愛弟子だ。
そう、人間誰にでも、やらなければならない時がある。自分の信念を貫き通さなければいけない時がある。そんな時には、プライドなんてかなぐり捨てて、ただ己の信じた方に進めばいいのさ。それが、世間一般に言う、悪の道だとしても、ね」
相変わらずよく回る口だ。これで俺の攻撃を避け続けているのが、不思議で仕方が無い。
「でも、僕とやるにはもう少ーし、経験を積んできた方が良かったかな。毎月この日にここに来ている事ぐらい、お前なら知っていただろうに。もっと後に先延ばしにした方が、良かったんじゃないのかなぁ。
……嗚呼、そうか。さっき聞きたい事がある、と言っていたね。やっぱり、勘づくとしたらお前だとは思ったが……。まだ内容を聞いていないから、何とも言えないんだけどね。うーん、参ったなぁ。
でもまぁ、仕方ないよね。若い芽をつぶすのは忍びないけど、ここで鼻っ柱折っとかないと、ややこしい事になりかねないから、っと!」
わざと派手にローキックをおみまいする。案の定、当たりはしなかったものの、一旦距離をとり、尚且つ黙らせる事には成功した。流石に、日々鍛錬しているとはいえ、これだけ当たらないとなれば、気力も体力も殺がれる。ちょうど、さっき聞き捨てならない言葉があったので、反論しておく必要もあった。
「おいおい、もう終わりか?」
虎季お得意の茶化しも、今は耳に入らない。
「……今日の俺には意志がある、って言ったよな? その理由、教えてやるよ」
「ほう。……良い目に、なったな」
俺の雰囲気が変わった事を感じ取ったのだろう。またほんの少し、目に力が宿った。だがそれは、今から俺が言う事を予期していたのだろうか。何となく、身構えたようにも見えた。しかし俺は、そんな事を気にも留めず、ただ怒りに任せて想いをぶつける。それが、自分の首を絞める事になるとも知らずに。
「お前、何故、真帆さんを裏切った!」
そう。俺自身は別に、彼が怪盗である事に関しては、何とも思っていない。セゾンに対する見方が違うからだ。むしろ、元々尊敬していた相手に直々に指導してもらって、嬉しいぐらいである。そんな事、口が裂けても言えやしないけれど。
だが、真帆さんは違う。彼女が虎季の正体を知っていたのか否かは、俺にも分からない。そのぐらい、知らぬ存ぜぬ気にせず、いつも通りにふるまっていた。だが、仮にも俺は、真帆さんの弟子だ。悲しんでいる事ぐらい、自分を責めている事ぐらいは分かる。それに、あの一件以来、成田探偵事務所の評判が落ちたのもまた、事実だった。自分の弟子から犯罪者を出したのだから、当然と言えば当然だけれども。しかし、俺はどこかで、虎季ならそんな事をしないと信じていた。だから、そこだけが心残りで、悔しかったのである。
俺がここに来たもう一つの目的は、それだった。
「……裏切った、だと……?」
この言葉は、彼の地雷を踏んだらしい。より一層、目が鋭くなる。しかし、それに怯む事なく、俺は続けた。
「ああ、そうだよ! お前、あの後真帆さんがどうなったと思う! それぐらい分かるだろ? 俺はお前を尊敬していたのに、何で、何で! あんなに慕っていた真帆さんの事を裏切った!」
感情に任せ過ぎて、俺は自分でも何を言っているのか、よく分からなかった。でも、俺の想いは、しっかり虎季に届いてしまったらしい。
「お前に何が分かる! お前に、お前に……。俺の何が分かるって言うんだあああああ!」
それから、怒涛の猛反撃が始まった。否、反撃というにはあまりにも手ぬるい。それは、なぶり殺しにも近いような、圧倒的な暴力だった。体力の消耗もあっただろうが、それ以上に虎季はすさまじく強く、今まではかなり手加減してくれた事を体感する。俺は避けるどころか、軌道を変える事すらままならず、ただ急所を守りながらじっと、受け続けた。自分の弱さが招いた、制裁を。
もし俺が、質問の順序を変えていたら、もう少し穏便に話は進んだのかもしれない。ここまで酷い有様になることは、なかったのかもしれない。それでも、話し合いだけでは済まなかっただろうが。
途中、ぽたりと何かが俺の顔に落ちた。が、その頃にはもう視界は怪しく、それが何なのかは分からなかった。……多分、虎季は泣いていたのだろう。そう気が付いたのは、少し後の事。
「……フィナーレと、いこうか」
機械的なまでに俺を打ちのめした後、絞り出すように、彼は言った。もはや痛みすら、麻痺して感じなくなっていた。そんな俺の目に映っていたのは、楽しかった頃の、仲が良かった頃の、虎季との思い出。
――どうして、こんな事になっちまったのかな。
俺はただ、虎季に謝ってほしかった。自分が何をしたのか、誰を傷付けたのか。それを認めてほしかった、それだけなのに。きっと、虎季にも自覚はあったのだろう。今まで悩み続けていたのだろう。だからこそ俺の言葉は、無神経に響いてしまったのだ。
ざっ、と踏み込む音が聞こえる。本当に、最後の一発を喰らわすようだ。
――嗚呼、ここで死ぬのか。
その時だった。
バァンッ
「そこまでよ」
屋上に入るには、二つのルートがある。一つは、俺が上がってきた非常階段。おそらく、こちらから俺が来るとふんでいたのだろう、こちらには鍵も何も存在しなかった。しかし、もう一つのルート、屋内から続く階段の方には、南京錠が二重にかけられていた。こちらはこのビルを管理する、不動産会社によって施されたものだろう。にもかかわらず、そんなものは意にも介さず、むしろ扉の方を半壊させて、一人の女性が派手に登場した。
「真帆、さん……」
何を隠そう、成田探偵事務所所長、成田真帆さんその人だった。
「真帆姉……」
流石の虎季も、彼女の登場は予想できなかったようだ。
「ど、どうして……」
「私を誰だと思っているの? 仮にも、安楽椅子探偵よ? 弟子の挙動一つ疑ってかからないで、何が探偵だと言うのかしら」
やはり、どんなに注意していても、彼女の目は誤魔化せなかったらしい。全てはお見通し、という訳か。それにしては時間がかかったのはきっと、正面から堂々と入ってきたからだろう。あちこち鍵がかかっていたであろう建物内を、どう進んできたのかは……、考えない事にしよう。
真帆さんは、すんでのところで止められた虎季の足と、ぼろぼろになっている俺を一瞥してから、間に割って入った。俺を、かばうようにして。
「虎季。これ以上やるって言うなら、私が相手になるわ」
そして、いつもの温和な、柔らかい眼差しからは想像もつかない、鋭くとがった刃のような眼で、彼を睨む。
「……身内に甘い所も、相変わらずだね」
予期せぬ事態に、彼の心は多少落ち着きを取り戻したのだろう。少しだけ、目から邪気がとれた。
「そうね。だからこそ、落とし前は自分で着ける」
流石の真帆さんでも、俺が一方的に嬲られている所しか見ていなければ、まぁ勘違いするのも無理はないだろう。だがしかし、俺達にそんな気はなかった。少し、歯車が狂っただけ。だから、一旦止まってしまえば、もうそれで終わり。当初の約束を、ようやく思い出す時が来たのである。
「おお、恐い恐い。折角の美人が台無しだよ?
……まぁ、もう僕に龍貴を痛めつける気はないからね。大人しく退散させてもらうよ。さて、龍貴。お前の意識が怪しくなる前に、聞きたかった事、とやらを聞こうか?」
「いや、もういいよ……。お前じゃない事ははっきりしたから」
そう、俺の目的は、最初に手合わせした――つまりは、俺を傷付けないようにふるまっていた――時にはもう、すでに達成されていた。
彼は、俺の知る虎季のままだった。ならばもう、疑いの余地はない。
「今世間を騒がせている奴、あれ、お前じゃないんだろ?」
「なん、ですって……?」
驚く真帆さん。それもそのはず。この事は誰にも言ってはいなかったのだから。
「ほう、気が付いたのか。というか……何か掴んだのかな。
いずれにせよ、だからこそ、僕達の出る幕はもうないのさ。後は、若い世代に、ってね」
じゃ、そういう事で。
今まで風なんか吹いていやしなかったのに、彼がそう言い放つのと同時に、煌々と照らしていた月を雲が覆う。その一瞬の闇に乗じて、虎季は姿を消した。音も無く、気配も残さず。
それが唯一、怪盗らしい所だった。
追いかけても無駄な事を悟ったのか、真帆さんはその場を動こうとはしなかった。
「たっちゃん、今のってどういう……」
その代わり、先程の俺の発言を追求しようとした。しかし。流石に、少しやられ過ぎたらしい。奴が消えると同時に、俺は意識を失っていく。呼びかける真帆さんの声が遠くなっていくのを実感しながら、俺は半年前の事を思い出していた。催眠ガスで薄れゆく視界の中で見た、あの人影を。流れるように美しい、長い黒髪を。見間違いかと思ったが、彼の口ぶりがそれを裏付けた。
つまり……。
今回の収穫としての結論を胸に抱いて、俺はしばしの眠りに着いた。
――セゾンは、潤の近くにいる。
ようやく、佳境に入って参りました。
残すところ本編もあと4話です。
どうぞ、宜しくお願いします。