牽牛花
「夏だ! 休みだ! 合宿だ!!」
そんな、体育会系の部長か、あるいは学生旅行のパンフレットにしか載らなくなったような台詞を吐いたのは、ご存じクラスのムードメーカー、穂村那央子である。
時は七月。期末テスト明けの、あるまったりとした午後の事だった。
『えええええええええ』
当然のごとく挙がる、クラスメイトからの野次。
「何で合宿なんだよ」
「大体、俺らにも予定ってもんがあんだよ、なぁ?」
「ねー」
がり勉から、クラス公認のバカップルまで、タイプは様々だったが、その言い分は同じだった。要するに。
《何で自由を謳歌できる夏休みに、クラスの奴等と一緒に合宿なんかに行かなきゃいけないんだ!》
という訳である。
別に、これは我がクラスの中の悪さを反映しているという訳ではない。ただ単に、合宿というなんとも面倒くさそうな響きが、行く気を削いでいるだけである。しかも、
「合宿、いいじゃん♪」
我が担任がノリノリなのも、皆のやる気を奪っている元凶なのかもしれない。
まぁ、そんなこんなで。思い思いが勝手に意見という名の主張をし、自体は一向に執着する気配を見せない。こんな時、頼りになる存在と言えば、
「ねぇ、委員長。委員長はどう思う?」
クラスの学級委員長様である。決して、担任ではない。決して。
「え、私? ……そうね、良いんじゃないかしら」
『え!?』
驚く面々。それは反対していたクラスメイト達だけではなく、穂村や先生にまで広がっていた。おかしいな、僕の個人的な質問だったはずなんだけど。まぁいいか。それだけ委員長の発言力が大きい、という事であろう。
「だって、こんなに穂村が頑張って計画立ててくれているんだもん。予定が合わない人は仕方ないにしても、まずは話だけでも聞いてあげましょうよ」
うん、流石委員長。陰の担任(実質、表でも良い気がする)である。彼女の言葉と慈悲深い笑顔に皆納得して、大人しく穂村の話を聞く態勢に入る。教壇でぽかんとしていた当人も、長い髪をがしがしとかきながら、
「じゃ、じゃあ、説明させていただきます……」
いつもの強気な姿勢もどこへやら、おずおずと、借りてきた猫のように話し始めた。それによると、行き先はとある海辺の町。何でも、そこに穂村の知り合いが経営するペンションがあるらしいのだが、何故かは語られなかったがものすっごい寂れているらしく、海が近くにある割には夏だというのに人が来ないらしい。それを聞いた彼女は、
“それなら友達連れて今度遊びに行くよ!”
と安請け合いをしてしまったんだとか。いかにも穂村らしい話だ。
それで、どうせなら人数が多いほうが良いだろうという事で、僕らも巻き込む事にしたのである。
「……まぁ、そういう訳で。経営難の私の知り合いを助けると思って。勿論、費用はなるべく抑えるし、絶対後悔はさせないから!」
最終的には、いつもの強気な口調に戻り、そう締めくくった。それはともかくとしても。
「何だ。案外楽しそうじゃん」
「合宿っていうから、なんかこう、もっと厳しいもんだと思った」
「普通に旅行じゃん。それならそうと、早く言ってくれれば良かったのに~」
皆の雰囲気が目に見えて良くなったのが分かる。流石、人を説得することにかけては、彼女の右に出る者はいない。実際、割と面倒くさがりな僕もそれなら行っても良いかなと思い始めていたし、相当面倒くさがりな僕の親友、鈴笠も、
「安いんだったら、いいんじゃないか? どーせ、一泊二日ぐらいだろ」
と、乗り気になるほど。そして更に調子に乗って来た穂村は、宣伝文句を列挙する。
「勿論、そこで勉強したってトレーニングに励んでもらったって一向に構わないけど、私の目的はあくまでも、皆に息抜きをしてもらう事だから! 日程は皆の邪魔にならないように一泊二日、そのペンションはここから一時間ぐらいの場所にあるから、移動に時間もお金もそんなにかからないわ。今度地図を出すけど、駅の近くなのでそこに集合という形にしようと思います。ここまでで、何か意見ある人ー?」
……何だ。そこまで考えてあったのか。じゃあもう文句は言うまい。でも、何か引っかかるんだよな。そこを解決してくれたのは、やっぱり委員長だった。
「はい。いえ、ここまでは別に異論もないし、よく考えてあると思うんだけど、この合宿の目的って何? 一体、何をするの?」
『あ』
確かに。素晴らしいプランに目がくらみ、肝心な部分を聞いていなかった。どうせ穂村の事だから、また何か考えているのだとは思うけど。そんな僕らの期待と不安を知ってか知らずか、本人は笑顔でこう答えた。
「それはー、私に一任してほしいな☆」
その後、当然“え~”というクラスメイトからの不満は挙がったものの、我が担任の
「はっはっはっ。まぁ、いいんじゃない?」
との、何とも適当な、失礼、生徒を信頼しきったお言葉により、その場は収束した。
というか、先生。貴方も行く気ですね?
そんな訳で。魔のテスト週間が終わり、校長先生のありがたーい長ーいお話を聞き、要らないなぁと思いつつも通知表をいただき、ようやく夏休みがやってきた。僕達は予定通り、合宿という名の避暑旅行――いや、後にこれも間違っている事に気が付くのだが――に来たのである。
結局、なんやかんやクラス全員で来る事になり、ペンションのマスターは大喜び。家族総出で僕達を温かく迎え入れてくれた。
「いらっしゃい! ゆっくりして行ってね!」
『うわぁ~』
経営難のペンションというから、てっきり寂れた、古ぼけた建物だと思っていたのに、そこは予想していたよりも広く、小奇麗な所だった。エントランスは花や絵画に囲まれて華やかだし、掃除も行きとどいていて不快感は全くしない。何だ、普通に良いお宿ではないか。友人達もその外観に見惚れ、次々に賞賛する。ところが。
「うーん。惜しいな……」
我が担任だけは納得がいかなかったらしい。
「何がです?」
一応、最も近くにいた僕が生徒を代表して尋ねる。
「ここにはもっと暖色系の絵画を置いた方が華やかになる気がする。それと、やっぱり玄関にはオブジェの一つぐらい」
「さぁ、部屋割り決めるよー」
『おー』
全員一致団結の、見事なまでのスルーだった。
穂村が用意してきたくじにより、スムーズに部屋を決めると、早速各自部屋に荷物を置きにいく。部屋もエントランスと同じく、洋風で掃除の行き届いた、素敵なところだった。惜しむらくは、ベッドの幅がやや小さめなところだろうか。けれども、このペンション一番の問題点は他にあったことを、僕らはこの時初めて気付いたのであった。
「しっかし暑いな。窓開けていいか?」
「そうだね。ちょっと空気入れ替えしようか」
何故か昼間なのに閉まっていたカーテンを開けると、
『・・・』
そこには一面の、やや荒れ果てた森林が広がっていた。成程。このペンションが何故流行らないのか、分かった気がする。だって、折角海辺の町なのに、窓から見える景色が海でもなく山でもなく雑木林って。
「……エアコンにしようか」
「ま、まぁ、どうせこのあとすぐ何かあるだろうし、いいんじゃないか?」
「そのとーり!」
『穂村!』
「荷物置いたらちゃっちゃと下に集合。これからが本番よん♪」
穂村の先導の元、何も聞かされないままたどり着いたのは、宿からほど近くにある浜辺。そこで待ち受けていたのが、
「よう来たな! 元気娘」
ねじり鉢巻きに長靴をはいた、いかにもな漁師さんだった。ということで、
「お世話になりまーす。ということで、皆。最初のメニューは地引網体験だー!」
『おおー』
人生初体験、地引網を引くことになった。まったく、どこで話をつけてきたのだか。
「じゃあみんな、適当に配置についてーロープもってー」
『せーのっ!』
網は案外重く、なかなか引き上がらない。一時間後、ようやく陸に上がって来たその中には、大量の魚がびちびちと跳ねていた。自然とわき上がる歓声。昼食はとれたてぴちぴち、新鮮なお魚を漁師さんたちがさばいてくれた。いわゆる、漁師飯というやつである。
「うまい!」
――こんなに美味しい魚を食べたのは久しぶりだ……。
自分で苦労して捕ったのと、皆でわいわい食べるという楽しさもあいまって、更に美味しく感じる。おかわりをする者まで現れ、心もおなかも満たされた。
食後は自由時間。室内で休むもよし、海岸でビーチバレーをするもよし、海に入って遠泳をするもよし。皆それぞれ思い思いに、ゆったりとした楽しい時を過ごした。
――そういえば、去年は必死になって勉強していたからな。というか、僕の場合はそうでもしないと落ち着かなかっただけか……。
木陰で本を読みながら、そんな感傷に浸っていると、
「おい、潤! 全員集まれってよ!」
友人に呼ばれ、僕は現実に戻ることが出来た。
ペンションに隣接しているバーベキュー場に集められると、そこには何やら見慣れた道具達――給食のおばちゃんが使っていそうな大鍋と、飯ごう、調理台の上にはニンジン、ジャガイモ、タマネギ、それにお肉が置かれていた。って、まさか!?
「まぁ、臨海学校と言ったらカレーでしょー」
という事で、夕飯は皆で作る事になった。そして、なんとなく予想していた通り、これは臨海学校だったことが今更になって本人の口から明らかにされた。
時間もないので適当に分かれ、各々調理にとりかかる。ところが……
「痛っ」
言い出した本人が、めちゃくちゃ不器用だった。いつもは下ろしている髪を、気合十分、ポニテにして臨んでいたというのに……。残念過ぎる。他の皆は割かし普通に、ジャガイモの皮をむいたり、玉ねぎを炒めたりしているというのに。そんな彼女は、あまりにも情けない様を見かねた委員長に
「ほら、貸して」
と、やんわりと皮むき班を追い出され、お皿を出したりスプーンを用意したり、と雑用係を任されていた。
一方、僕はというと。
「おっ、潤。なかなかやるじゃん」
「えへへ」
料理の名人でもある真帆さんに仕込まれているので、腕はなかなかのものである。次々と渡される野菜たちを、いとも簡単にむいていった。
「ま、俺の伊紀ほどじゃないけどな」
「もう、知景ったら」
「はいはい」
このバカップルの惚気には、皆大分慣れている。まぁ実際、彼女――太谷さんの腕前はなかなかのものだったので、反論はしなかった。
「はい、皮むき一丁上がり!」
『おぉ~』
煮込み班である鈴笠に言っただけなのに、何故か沸きあがる歓声。そんなんで注目すな! と若干照れながらも、僕は楽しく調理をしていた。
「……やるわね」
この様子を穂村が見ていた事に、調子に乗っていた僕は気付かなかった。
その後、カレーは無事完成し、大きな机を皆で囲んで、夕食タイムと相成った。
「お。何これうまっ」
「委員長の味付けが良かったんだよ~」
「いや、俺は潤の手際の良さだと思うね!」
パクパクムシャムシャ。
BGMは皆のおしゃべり。こんなに大勢で過ごす事はほとんどなかったので、初めは違和感があったが、今ではもうそれが心地良くなっていた。
――そっか、明日にはもう帰っちゃうのか……
そんなことを、考えてしまうほどに。
「なぁ、花火やろーぜ!」
「良いねぇ~」
「食後にスイカはいかがかな?」
『わーい』
パチパチ、わー、どこっ、わー。
食後は浜辺で腹ごなし。僕も鈴笠と、線香花火の灯りに癒されながら、スイカ割りの様子を見物する。
そんな、のんびりと、まったりとした時間を過ごしていたら、
「参道君」
「?」
「ちょっと、良い?」
穂村に呼び出された。
「……ねぇ」
「何?」
「器用さを認められたのは良いけど、それで何故お化け役なの……」
「ま、まぁ、乗りかかった船だと思って」
「そもそもチケットすら買ってないよ?」
「い、良いじゃないの☆」
「・・・」
“臨海学校”のしめと言えば、やはり肝試しである。
今回も例外にはもれず、ペンションの裏手の雑木林――オーナー曰く絶好の肝試しスポット――を使用させていただき、林を抜けた先、墓地を通り抜け、山奥の寺にろうそくを置いて帰ってくる、というオーソドックスなものをやる事になった。しかし、いつも思うのだが、どうしていつも良い位置に神社やお墓があるのだろうか……。
そして、さっきの会話ですでにお分かりかとも思うが、何故か僕は器用さ(?)を認められ、穂村と、それに委員長、僕の隣にいたからというただそれだけの理由で鈴原も一緒に(あれ? むしろ彼が一番の貧乏くじ?)、裏方のおどかし役をする事になった。
――まぁ、良いけどね。僕、お化け屋敷とか苦手だし。
彼女が用意したグッズは、割かし普通、というか一般的な、こんにゃくやシーツ、釣竿つきの火の玉などだった。僕達はそれを持って、手分けして配置につく。ポイントは二カ所だったので、公正で公平なるじゃんけんの結果、僕と穂村、委員長と鈴笠がペアになり、それぞれ墓と林の中で配置につく。そして、
「わー!」
『きゃー』
「うらめしやー」
『あ、おつー』
恐がらせているというよりはむしろ一種のお約束のように、童心に帰って楽しんだ。うん、すげえ夏休みっぽい。
全ての生徒が無事に通過し、おどかしグッズを片付けて、そろそろ引き上げようと帰り出した時――
「あ、迷った……」
事件、というか事故、は起こった。
「ええええええええええええええええええ」
ちょ、ま。主催者が道に迷うって! 何それ聞いてない。
そもそも、こっちの方が近道だからと、穂村は皆が通った道じゃない方、つまりは整備されていない、雑木林の中の獣道をルートとして選んだ。歩き出した瞬間、迷いそうな所だなとは思ったのだけれど、穂村が自信満々にずんずんどかどか奥に入っていくから、てっきり道は知り尽くしているものだと思っていたのに。
「だ、大丈夫よ! ほら、あっちに明かりが見えるから、その方向に進んでいけばきっと辿り着くって!」
「……明かり、向こうにもあるんだけど?」
「え?」
「っていうか、そこかしこにあるんだけど?」
「え、ええええええええええええええええええええええええええ!」
僕らの学校からそう遠くない位置にあるという事は、大して田舎の方にある訳ではない。裏を返せば、まだここは都心部に、住宅街に近いという訳だ。当然、明かりなんかそこかしこにある。僕はてっきり、それが担任の気に障ったのかと思ったぐらいだった。
まぁ、そんな訳で。
「携帯は?」
「ここ圏外」
「なん、だと……」
「下見に来た時、そのくらいは確認してる! だから、てっきり田舎なのかと……」
成程。そりゃあ、今日電波が届かない場所があったら、辺鄙な場所だと思い込んでも仕方ない。その点に関しては謝らなければならないかもしれないが、だったら尚更、普通に帰れば良かったじゃないか……
でも、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。
「どうするよ……?」
「最悪、このまま、野宿?」
「か……」
迷った、という言葉からも表されるように、ここは林の真っただ中。ただでさえ薄暗いであろう中を夜動くよりは、朝、明るくなるのを待って動いた方が、効率的にも安全的にも良い事は明白である。だが。
「野宿……」
「ほ、ほら、シーツもあるよ?」
「それは布団の上に引いてほしかった……」
『はぁ~』
――最後にして、どうしてこう間が抜けているのかな……。
計画は大胆かつ繊細。言い出したのは急だったが、全ての交渉事をきっちりこなし、この旅行の費用を一泊二日、三食付(地引網体験、移動費含む)で一万円ぽっきりに収め、遊ぶときには遊び、休むときには休むという細やかな配慮までなされていた。
だが、ちょいちょい間の抜けたとこ――手先が不器用だったり、帰り道を忘れたり――も垣間見えた。それが、彼女の良さであり、同時に悪いところでもあるのだろう。
今日という一日で、僕は“穂村那央子”という、クラスのムードメーカーについて、いろいろ分かった気がする――
そんな感慨にふけっていたら、
「潤ー、穂村ー!」
神の声が聞こえた。否、近づいてきたらそれは神ではなく、
「!? 鈴笠? それに委員長も」
僕の友人たちだった。
「あんまり帰りが遅いから、迎えに来たの」
「流石委員長! 助かった……」
「このは! 助かったわー。ありがと」
穂村もほっと、胸をなでおろす。
「さぁ、帰りましょう」
こうして、穂村プロデュース、臨海学校“皆の交流を深めちゃおう!”(後から彼女に聞いたら、実はそういう狙いもあったらしい。どうも、この前の遠足でレクが出来なかった事を気にしていたらしいのだ。別に穂村のせいじゃないのに)は幕を閉じた。
僕の高校生最初の夏は、そんな普通の、楽しい日々だった。
今回は夏休み、という事で比較的明るめに、楽しい感じにしてみました。
僕の夏休みはまだこないので、彼らには十分遊んで行ってもらいたいものです。
(2014/06/14 改変)