燕子花
このお話から第二章、現在編に突入です。
高校生になった潤のお話です。
(2014/06/14 改変)
長い長い、冬だった。
それをやっと乗り越えて。
落ち込んだ心に鞭打って、必死に勉強して。
そしてついに。僕は無事、第一志望の学校に合格する事が出来た。
その高校に進学したのは、つい先月の事。
“初めての場所”、というのは緊張感漂い、新鮮な感じがするものであるが、一日二日、一週間一月と経つにつれて、そんな感覚は徐々に薄れ、全ては“日常”と化していく。
所謂、“慣れ”という奴である。
僕もその定説に漏れることなく、ある意味すこぶる順調に高校生活を送っていた。
また退屈な日々が始まるのか、と若干憂鬱になりながらも。
だが、そんな杞憂を打ち晴らすかのように、あれは突然僕の目の前に現れた。
空想の産物が初めて実体となって、具現化したあの瞬間。
あの日から、僕の日常は退屈を忘れたのだった――
*
「はい、という訳で、今年も校外学習という名の遠足の季節がやってまいりましたー。ぱちぱちぱちー」
授業も終わり、だらだらとだらけたムードとテンションの低さ漂うホームルームの時間。けれどもそんな空気は意に介さず、我が担任教師は妙に浮足立ったご様子で、教室に入るが否やそう切り出した。
……うん、この担任だけには慣れたくないな。
いきなり始まった先生の一人劇場に取り残された観客はただ、ぽかーん、と口を開けてそれを眺める事しか出来なかった。
「うん? どうした? ……嗚呼、皆は一年生だからまだ知らなかったか」
一応観客の事を気にする道化だったらしく、先生はつらつらと説明し始めた。
うちの高校はそりゃあもう、進学校には珍しいぐらいに行事がある事。
その一つが各クラスばらばらに行く校外学習である事。
そしてその行き先は先生がもう決めてしまった事。
要約すればその三点に収まる内容を、先生はありとあらゆる話法を駆使して、何と三十分もとうとうと語った。
そしてその行き先とは――
「……美術教師が美術館を勧めるって、どーよ?」
友人がぼそっともらしたように、そこは隣の市にある、県内随一の広さを誇る美術館だった。
なんでも、先生はその美術館の設計か、いや、たかが高校教師がそんな大それたことが出来る訳がないから、きっと作品か何かを寄贈したのだろう。とにかく、そこに貢献したとかなんやらで、ちまっとした個展をその美術館で、しかも常設でやらせてもらえる事になっているんだとか。
まぁ要するに、自分の作品を生徒に見せつけたかったのである。ただそれだけの為に、彼は学校の行事でさえも(毎年)利用しているのだった。どこぞの独裁者も吃驚の手法だ。まだ空き地のオンステージが可愛く見える……。
「まぁ、タダで入れるってのは嬉しいけどね」
確かに。それだけが唯一の救いと言えよう。
まぁ、学級委員なんかは
「先生、この校外学習は生徒が自主的に、目的からきちんと話し合って決めて主体的に学ぶ場だと聞いていますが……」
等と、眼鏡をくいっと上げながら反論していたけれども。しかしそれは、クラスのムードメーカーによって
「まぁいいんじゃん? 先生が折角決めてくれたんだし」
と一蹴されていた(その後彼女は、「で、先生。行き先はそこで良いけど、その後は何しても自由だよね?」と先生まで丸めこみ、午前中美術館、午後公園でドッヂボール大会という無茶苦茶な計画を打ち出した。むしろ、こいつが一番上手なのだろうか)。
そんなこんなで。僕達は今美術館に居る。
皆、適当に散らばって、ぼんやりと作品を眺めている。ここは見る人を選ぶような作品もそんなに入ってないし、今は有名な彫刻家の作品が一時展示してあるので、一時間程度であればそこそこ、普通ぐらいには楽しめるのだ。これは計画を立てた彼女のナイス作戦によるところも大きいだろう。
しかし、その一方で、何故か僕だけ担任に
「お前は来てくれるよな?」
と攫われて、プレハブというにもお粗末な、美術館と辛うじて繋がっている仮設テントっぽいものの中に居る。そこで先生の個展はこじんまりと、ちんまりと行われていた。
「わぁ……」
そこには、作品と言って良いんだかよく分からない品々が、所狭しと並んでいた。その中にいくつか、ちらほらと点在する、まともな作品。有名な作品のレプリカたちだ。絵画や彫刻、オブジェなど、形態はばらばらだったが、一応、この担任教師、出来る奴らしい。そこそこ普通に見られる程度、いやそれ以上。もしかしたら本物を見た事のない人なら普通に騙せるんじゃないか、そのぐらいのレベルだった。
普段とのギャップに驚き、なんだちゃんとした人なんじゃないかとほんの少し褒めたら、担任は目を輝かせていつもの倍のペースで長々と解説を始めてしまった。まずったなぁそろそろ戻りたいなぁ、と思ったその時、
「おい、何だこれ」
「ほら、あれじゃない? 例の……」
にわかに本館(?)の方が騒がしくなり、僕は逃げる口実を見い出すことに成功した。
小走りで戻ると、そこには色めき立つ皆の姿があった。一体何があったのだろう。
「おい、参道! 見ろよ! 予告状だってよ!」
状況が分からないでいる僕に、人だかりの最前列にいた友人が大声で教えてくれた。彼に近づくように人波をかき分けると、そこには確かにまごうことなき、所謂犯行予告というやつがあった。
「俺こんなの初めて見るよー、なぁ?」
「うん」
……初めてじゃなかったら、むしろそっちのが驚きだ。まぁそこはおいといて。
改めて周りを見渡すと、皆それぞれに驚きを表現している。そのほとんどは、隣ではしゃいでいる友人同様、面白半分やっかみ半分。目を輝かせて、ここが美術館である事もすっかり忘れてきゃいきゃい騒いでいるだけだったが。
予告状ははがきくらいの大きさの紙で、よくある新聞の切り抜きではなく、印刷された文字が並んでいた。どうやら、今世間を騒がせている怪盗の仕業のようだ。
“いや、この時代に怪盗?”とか思ったそこのあなた。そちらの世界にはいないかもしれないけど、実は見えていないだけで、どの時代にでも間違いなく彼らは存在する。我が街にはたまたま根付いている、というか昔からいるから、違和感がないだけだ。
更に近づいて、念の為携帯で写真を撮ってから、全文に目を通す。
「ご機嫌麗しゅう館長殿。貴殿の趣向は大変素晴らしく、私は常に感服している。この度も上質な作品を提供していただき、誠に感謝している。貴殿が所有されている“天使の嘆き”を頂戴に、今宵丑三つ時に参上する。 怪盗セゾン」
――いつも思うんだけど、この怪盗、自分の良いように物事を捉え過ぎだよね。
“天使の嘆き”というのは、さっきも言った有名な彫刻家の最新作で、どうしてこんな田舎の美術館にあるのかが解らないぐらい、価値のある作品だ。そういえば、昔にもここは怪盗に入られた事があったような気がする。その時はまんまと作品を盗まれてしまい、信用はがた落ち。警備を強化して、街の小学校の展覧会や市の美術コンクールなど、地域貢献を精力的に行い、何とか元通り普通の美術品を扱えるようになったというのに。その矢先にこれでは、館長も気の毒だ。
という訳で。その後は美術鑑賞なんて出来るはずもなく、騒ぎを聞きつけた館長がパニックを起こしたり、妙に冷静な副館長が警察に連絡、けたたましいサイレンと共に県警が飛んで来たり、ミーハーな警備員が小躍りしたりで、辺りは騒然となった。しかも、僕達は予告状を見つけた当事者として、警察の人から事情聴取される羽目になる。
初事情聴取は見つけた場所や時間など簡単なものだったが、何せ一クラスとはいえ、四十人近くの人数がいるのだ。全員が解放されたのは午後三時。当然、これから公園レクをやろうなんて言い出すような人は僕たちの中にはいない。校外学習の予定終了時刻だったこともあり、一人名残惜し気に居残ろうとする担任を説得し、皆大人しく帰宅することになった。
友人達とともに駅の方へ歩き出そうとしたとき、規制線の張られた中に知り合いの姿が見えた気がした。そこで、忘れ物をしたと下手な嘘で彼らと別れ、こっそりとそちらに向かう。
「リュウさーん」
リュウさんは警察の人と何やら難しい顔で話をしていたが、僕の姿を認めると話を切り上げ、こちらに近づいて来てくれた。やはり、見間違いではなかったようだ。
「おお、潤。……もしかして、第一発見者ってお前の学校か」
「はい。えっと、リュウさんは何故?」
すると、すごく微妙な、強いて言うなら苦虫を噛み潰したような、そんな顔で、吐き捨てるようにこう言った。
「……あんまりこういうの、言いたかないんだけどさ。まぁ所謂“因縁”ってやつなんだ。俺とセゾンは」
――……。マジ?
いやいやいや。いくら尊敬して止まないリュウさんと言えども! 僕の探偵の先輩である神城龍貴さんと言えども! 黒髪短髪好青年である事を差し引いても! それは! あまりにも! ベタ過ぎる! 探偵と怪盗の因果関係なんて! 使い古されたらい回しにされ最近では若干敬遠され始めてきたにも程がある!
そんな僕のこれまた微妙な表情を見て、目をそらしつつ耳を赤らめながら、リュウさんは声を裏返しながらも極めて明るくふるまった。
「と、兎に角。この天使像を守らなきゃな!」
……っと、そうだった。その為にわざわざ声を掛けたんだった。
「そのことなんですけど、僕も参加させてください」
「え。お前が、か……? うーん」
あれ。いつもなら二つ返事で“ああ、いいよ。でも危険な真似はするなよ”と言ってくれるリュウさんが、珍しく悩んでいる。どうしてだろう。
その理由はあまりにも単純で、どうして僕は思い至らなかったのかが不思議なくらいだった。
「いや。それがな、今回の予告時間、夜中、それも深夜なんだよ」
……嗚呼。成程。そういえば、丑三つ時にとか、書いてあったっけ。
僕は世間的にもまだ十五歳。そんな子どもをそんな夜遅くまで連れまわす事は、あまり、というかかなり宜しくない。現実はどこぞの小学探偵のようにはいかない、という訳だ。
うーん。
「でも、折角の機会ですし、何か僕にもお手伝いさせて下さい」
「そうだな……。じゃあとりあえず、この美術館の簡単な見取り図と、今回の警備の説明だけするわ。……実はな、ここだけの話、俺にも警察側にも勿論美術館の関係者にも真帆さんにさえも、これといって良い作戦がないんだよ」
「はぁ……って、え!?真帆さんにも!?」
「そうなんだ。正直、猫の手、いや失礼、潤の手も借りたいぐらいだ」
成田真帆さん。安楽椅子探偵としてこの世界では知らない人のいない、超有名な美人探偵。その彼女にさえも策が思いつかないなんて。一体どれだけすごいんだ、その怪盗セゾンって奴は。
「奴には赤外線のトラップも、警察の厳重な警備も通用しない。いつの間にか現れ、そしてお宝と共に去っていく。お前も、聞いた事ぐらいはあるだろ?」
そういえば……。怪盗セゾンって、どんな強固な守りでも突破して盗みを働く、文字通り狙った獲物は逃さない怪盗だったっけ。正直、奴が栄華を極めていたのは二、三年前くらいのことで、今回のはその模倣犯だと思い込んでいたから、あんまり情報を仕入れていなかったのだ。けれども自称(?)セゾンの因縁のライバルであるリュウさんが、セゾンの犯行とみているのだ。こりゃ、昔の事件からきちんと整理しておく必要がありそうだ。
リュウさんはその後、過去に起こった事件のあらましを簡単に説明し、奴がどれだけ泥棒として優秀であるかを話してくれた。そして最後に、困った顔でこう告げる。
「そんな奴相手に、一体どうすりゃ美術品を守りきれるんだか、俺達には見当もつかないって訳。せめて、今日いきなりじゃなければ、もうちょいまともに準備が出来るんだがな。それでも、最低限今出来る策は全て巡らしたつもりなんだが。何か見落としてるもんがあるかもしれないし、もしかしたらもっと良い策が浮かぶかもしれん。その辺、ちょいと一緒に考えてくれると俺達としてもありがたいんだが……」
「はい……」
でも、考えるって言っても、僕に思いつける事は限られているだろう。というよりも、僕が考えつくような事ならもう、作戦の中に組み込まれていておかしくはない。果たして僕なんかで、役に立てることがあるだろうか。
ここでうだうだ考えても埒が明かないので、一応、リュウさんの説明を一通り聞かせてもらう事にした。
元々ある設備として、監視カメラと赤外線。館内にけたたましい音を鳴り響かせる、警報装置。
そして厳重な、ありの這い出る隙間もない、人海戦術の警備網。
勿論、美術品は鍵のかかったガラスケースの中に安置。原始的であるが、見えないところに鈴を取り付け、さらには無理矢理ケースがこじ開けられた場合には、蛍光マーカーが発射されるようになっている。
これだけやってれば、普通のコソ泥ならば充分だと思う。それ以上の事は僕には思いつけそうもなかった。さて、どうしたら良いのだろう。
「……何とか、あの天使像だけでも守りたいんだがな」
考え込む僕を見て、半笑いで少し寂しそうに言うリュウさん。確かに。もし仮に入られてしまっても、何とか美術品だけ守る方法は、何かないのだろうか。ん? 待てよ……。
「あの……」
「ん? 何だ?」
「要は、美術品を守れば良いんですよね」
「あ、あぁ」
「だったら、僕に考えがあります」
盗むなら 盗ませてやれ 好きなだけ
その作戦はあまりにも簡単でお粗末なものだったが、だからこそ僕にしか考えのよらないもののように思えた。実際、その事を思いつけそうな館長でさえ、忘却の彼方にやってしまったみたいで、僕の策を聞いた時、懐かしむような表情をしていた。
「確かに。突然の事だからそんな物ないと思っていたが……。そうか、それなら行けるかもしれない。でかしたぞ! 潤」
これにはリュウさんも、大賛成してくれ、さらには真帆さんにも、
「成程ね。試す価値はあるわ。やってみましょう」
とお墨付きをもらった。
急ごしらえではあるが、一応、僕の策は採用され、警察の厳戒態勢との二面作戦で怪盗を迎えることとなった。らしい。というのも、僕はその後すぐに帰されてしまったので、詳しい事は知らないのだ。
後からリュウさんに聞いたところ、怪盗は律儀にも、その日の真夜中、深夜二時きっかりにやってきたんだとか。何でも、急に電気が消えたかと思ったら、気が付いた時にはもう天使像の姿はなかったらしい。
「犯人の姿とか、見なかったんですか?」
「おぼろげに……。いや、でも、催眠ガスで眠らされる間際に見たことだから」
「そうですか……」
ちなみに、きちんと配電盤の所にも刑事は配置されていたし、出入口共に封鎖はしていた。けれども、全員声を上げる間もなく、眠らされていたんだとか。
まさに神業。たまたま誰かが催眠ガスの届かない位置にいて、無線で連絡することができたなら、すぐ逮捕されてしまいそうな、綱渡りのような策だ。怪盗は、運も味方につけているらしい。
まぁ、それでも。勝ったのは僕なんだけど。
*
一方、とある怪盗のアジトでは。
「さってと、ではでは今回のお宝を拝見しましょうかねぇ」
ごそごそごそ。いやぁ、今回の仕事も簡単だった。ちょろいちょろい、と鼻歌交じりで笑いながら、上機嫌で盗んだお宝を取り出す怪盗。だが、像の後ろ側を見た途端、一瞬顔が青ざめる。そして、怪盗はにやりと微笑みながら、こう呟いた。
「なかなかやるじゃん。参道潤君」
怪盗の目線の先には、小さく“と”と書いてあった。
ちなみに。潤の担任教師の名は、“戸川”と言う。
*
「いやぁ、今回はお手柄だったなぁ、潤!」
「いえいえ。僕はただ運が良かっただけですよ」
成田探偵事務所にて。今日は、今回の僕の働きに対するささやかなパーティーが行われていた。
「うん、でもすごいと思うな。潤君、段々探偵っぽくなってきましたねー」
真帆さんから褒められると本当に嬉しくなる。
実際、僕はその時有頂天だった。
だって、巷で話題の怪盗セゾンを出し抜いたのだ。この僕が。一介の高校生にすぎないこの僕が。成田さんも警察の人もリュウさんも差し置いて、この僕が!
本当に嬉しくて仕方がなかった。
でも、その時僕は知らなかった。
実は自分が最も嫌悪しているはずの“事件”と言う奴を、僕は求めるようになってしまった、という事実を。
それどころか、それを自らの手で解決し、人を出し抜く事に快感を覚えてしまった現実を。
犯罪を愛するようになってしまう未来を。
僕はまだ、知らずにいた――