木蓮花
五月某日。俺は、ある寺を訪れた。時刻は朝の五時ジャスト。普段なら誰もいないはず。だが……。
「おはようございます、リュウさん」
階段を上り、しんとした墓地の中を散策していると、整った顔立ちの少年に声を掛けられる。やはり、彼の方が早かったようだ。
「はよ、潤」
それで、それだけで、会話は終わった。何故なら、詳しい事情を話す必要なんて無いからである。
俺達は人を“視る”事が宿命なのだから。
俺は神城龍貴。訳あって、三件のバイトを掛け持ちしながら、日々の生計を立てているフリーターだ。そんな俺が今日、大事な収入源の一つである新聞配達のバイトを休んでまで墓地に来たのは、従妹の塚田花音の月命日だったからだ。目の前にいる黒髪の美少年――参道潤は、花音の幼馴染である。だから、彼も墓参りに訪れたのだろう。
神という奴は理不尽だ。
どうして、俺より先に、まだ中学生の花音が、あの世に逝ってしまったのか。
全ては一カ月前、ある中学校で起こった悲しい事件から始まる。
*
四月某日。俺はいつものように新聞配達を済ませると、その足で次のバイト先であるコンビニへ向かった。その日は良い天気で、青い空と白い雲を眺めながら、ついのんびりと歩いてしまった。……案の定、バイトに遅刻。店長にこってり絞られた。
そんな訳で、俺はいつもの倍のペースで在庫整理をやらされていた。たった三分遅れただけなのに。そう、溜息をつきかけた時、
「龍貴――!」
店長が叫びながらこちらへやって来た。また説教か。今度はなんだろう。ふうと息を吐いて立ち上がると、店長の様子がおかしいことに気が付いた。怒りに震えているとは思えないほど、彼女の顔は、真っ青だった。
「ど、どうしたんですか、店長」
俺はおそるおそる聞いてみた。何故だかとてつもなく、嫌な予感がしたからである。すると、店長は唇を震わせるだけで、何を言っているのか分からなかった。そんなに、何かとんでもないことを俺はしてしまったのだろうか。辛抱強く待っていると、徐々に文字が形作られていき、最初に聞き取れた単語が、
「か、花音ちゃん……が」
だった。それだけで、俺を動かすには充分である。店長の言葉を最後まで聞かずに、一目散に店を飛び出した。花音の居る中学校は、店から目と鼻の先。程なくして、俺は中学校へ到着した。すると、何やら人だかりが出来ている。
「すみません、ちょっと通して……」
人をかき分け、ようやく辿り着いたその先に、ロープを首に軋ませながら揺れている花音がいた。ロープは木にしっかりと結わえつけられていて、警察が必死になって外そうとしている最中だ。けれども、いつもはほんのり薄桃色の、健康的な頬は青白く、だらんと腕は伸びきっており、もう彼女に命が残されていないことは、誰の目にも明白だった。
「花音……」
隣で声がする。耳慣れた声に振り向くと、そこにいたのは真っ青な顔をした少年だった。潤は、彼女から目を離せなくなっており、カタカタと小刻みに震えている。
「潤、大丈夫か」
「りゅ、リュウさん、花音が……」
そう言い終るや否や、彼はその場で倒れた。
「潤、潤!」
花音のことも勿論放ってはおけないが、それよりもまず、潤を落ち着かせなければ。騒ぎになる前に俺は彼を抱きかかえ、一先ず俺の家で休ませる事にした。
「うっ……」
「潤、俺だ。龍貴だ。分かるか」
「リュウさん……」
一時間後。潤はようやく、目を覚ました。
「まだ無理しなくていい」
起き上がろうとする彼を制し、同時に観察を行う。まだ万全とはいえないようだが、頬には赤みが差し始めており、とりあえず大丈夫そうだった。
「何が、あったんだ?」
「僕にもよくは解りません……。朝来たら人だかりが出来てて、それで……」
悔しそうに、悲しそうに唇をかみしめる潤。目には涙があふれている。これ以上聞いても、傷を広げるだけかもしれない。
「そうか……。分かった。俺はこれから、ちょっと調べてみる。お前は」
「僕も」
俺の言葉をさえぎり、目を腕で乱暴にこすりながら、潤は言う。
「僕も行きます。手伝わせて下さい」
その瞳にはまだ憂いが残っていた。が、その真剣さとまっすぐさは、痛いほど伝わってくる。
そうだ。潤だって、俺と同じ気持ちなのだ。花音がどうして、こんな目に合ってしまったのかを知りたい。そんな心情を、汲み取ってやれなかったなんて……。それに、いつまでもうじうじしているのは、彼にとっても良くないだろう。そうと決まれば、善は急げだ。
「そうだな。じゃあ、とりあえず、お前は学校に戻って、生徒から事情を聞いてみてくれ」
「わかりました。どうせ、今日は授業ないでしょうから、聞く時間は沢山あると思います。終わったら……隣、事務所に行きましょうか」
「悪いな。俺もなるべく、早く戻るから」
「はい。了解しました」
念のため潤を学校に送り届けた後、俺は行動を開始した。
コンビニに戻って店長や同僚の店員、学校近くの商店街のおばちゃん、野次馬のおっさん、などなど。手あたり次第、いろんな人に話を聞いて回る。 しかし、その結果得られた情報は、
“塚田花音という少女は決して自殺をするような子ではない”
という、解りきったものだけだった。
確かに、現場の状況から見て、花音の死は自殺と断定されてもおかしくはないだろう。実際、鞄や靴、踏み台は勿論、彼女を死に至らしめたロープの袋まで、そこには残されていた。
だが、花音を知る人間ならば、彼女のことをよく知っている人間ほど、彼女が自殺したとは思わないはずだ。
何故なら彼女は、困難には真正面から立ち向かい、逆境なんてなんのその、スポーツ万能、成績優秀、サッカー部のマネージャーのかたわら、学級委員まで見事に勤めあげるという俺としても鼻高々な、人間として完璧な女子中学生だったからである。
いや、これだけでは、“そういう人だからこそ、思い悩む事もあったのではないか”と考える人もいるかもしれない。けれども、花音はそういう人間では決してない。そりゃあ、彼女もまだ中学生だから、友達ともめたり、先生と折が合わなかったり、日々様々なトラブルを抱えていた。でもそれをものともせず、時には友達と殴り合いの喧嘩をしたり、先生と納得いくまで議論したり、家族や俺や潤に愚痴をぶちまけたりして、そうやって乗り越えている。
だから、そんな姿を間近で見てきたからこそ、俺達は調べているのだ。
花音を自殺に見せかけて殺害した犯人を、この手で捕まえる為に……。
大した収穫はなかったが、あんまり潤を待たせても悪いと思ったので、俺も事務所に向かう事にした。……別に、今朝寝坊したために朝食を食べ損ね、おなかが空いてたまらなかったからとか、そんなわけではない。
事務所はコンビニから徒歩二十分ぐらい。俺の住むアパートの一室にある。というより、ここの大家でもあり、事務所所長でもある成田真帆さんのご厚意により、格安で住まわせてもらっている、と言った方が正確かもしれない。
さて、その事務所とは何を隠そう、探偵事務所の事である。従って、俺も探偵のはしくれという事になる訳だが……。まぁ、そこは置いておこう。あ、あれだ。名乗るほどのものではござらんというか、まだ新米なので名乗るのがおこがましいのである。
慣れた足取りで階段を上り、チャイムも押さずノックもせずにドアを開ける。ガチャ。
「こんにちはー」
「おかえりなさい。……潤君、奥で待ってるわよ。あ、今何か作るわね」
突然の訪問にもかかわらず、真帆さんは笑顔で出迎えてくれる。彼女はこちらが何も言わなくても、見ただけでその人の置かれた状況などが解ってしまうという、いわゆる安楽椅子探偵だ。まぁ、今回は先に潤が訪ねているから、俺が来ることも分かっていたのだろうが。それにしても、何故人が腹ペコだということまで分かるのか。
「いつもすみません。真帆さん」
彼女に礼を言ってから奥に入ると、そこでは潤がふくれっ面をしながら待っていた。
「リュウさん遅ーい。僕、一時間も待ってたんですよ」
朝のあの表情とは打って変わって、比較的明るい、落ち着いた表情をしていた。
……これは、彼にとって、果たしてどうなのだろう。心配にはなったが、今はその事を考えている余裕はない。俺はそれを、頭の隅に追いやった。
「悪い悪い。悪いついでに、ごめん。あんまり収穫もないんだ……」
「そうですか……。でも、それは仕方ないですよ。学校側がかなり口止めをしたみたいですし。記者会見も、原因がはっきりするまではやらないとか」
「そうか。じゃあ、結局解らずじまいか……」
自分の無力さに、肩を落としたその時、
「たっちゃん、潤君をなめちゃあ、いけませんよ?」
どん、と真帆さんが、山盛りのナポリタンと珈琲を持ってきてくれた。ケチャップの焦げた良い匂いがする。今すぐにでも頬張りたいくらいだ。しかし。
「真帆さん、今なんて」
「潤君、何か掴んできたみたいですよ」
フォークを置き、含みと微笑みを残し、彼女は引っ込んでいった。
「そうなのか? 潤」
「え? えぇ、まぁ……。関係はないかもしれませんが」
対照的に、歯切れの悪い潤。だが、あの真帆さんが言うのだ。何かあるはず。
成田真帆。年こそ俺の五つ上、二十四とまだ若いが、安楽椅子探偵としてこの業界では知らぬ者のいない有名人だ。この事務所も、彼女が二十歳になった時に、彼女の父であり俺の尊敬する探偵でもある成田賢吾さんが任せたものである。その彼女が言うのだ。
「それでもいい。話してくれ」
兎に角、手掛かりが欲しい。その気持ちは潤にも伝わったらしい。ぽつりぽつりと話し始めてくれた。
「はい。では……。あくまでも噂なんですけど、うちの学校って、進学校だし部活動も盛んですから、勉強についていけなくて、それを苦に自殺する人がたまにいるんですよ。それで、花音もその口だと思われていたみたいなんです」
「成程。だから存外、警察や学校側の対応が早かったのか……」
「そうみたいです」
こんなご時世だ。いつ何が起きてもおかしくはない。とはいえ、中学生が死んでいるのだ。もう少し騒ぎになるかと思ったのだが、食べながらで行儀が悪いことには目をつぶり、夕刊を拝借して地方欄を見ても、そんなニュースは載っていない。ひょこっと頭を出し、ネットサーフィン中だった真帆さんに確認をとってみるも、どうやらネット上にも出回っていないようだ。対処が冷静かつ的確すぎる。でもそれも、過去に何度も起こったことだから、と考えれば理解できなくはなかった。
「それから、それとは別に、最近誰かが自殺すると、学校で飼っている動物が何かしら一緒に死んでいるらしいんです」
「ほう」
「それで、今回も鶏が野犬に食い殺されたみたいに、ばらばらにされているのが見つかったんです」
これは初耳だった。もし、これが長い期間にわたって続いているのだとしたら、同一犯による犯行の可能性が出てくる。つまり、花音は最初の被害者ですらなくなり、過去の自殺にも事件性が出てくることになる。
「……確かに、偶然とするには出来過ぎている気がする。少し、その辺調べてみるか」
「は、はい!」
手がかりは、この小さな少年によって見つかった。俺は残りのナポリタンをかきこむように胃に収め、意気揚々と事務所を後にしようとした。
「たっちゃーん。ちょっと来てー」
その時、奥に行ったはずの真帆さんに呼び止められる。
『?』
「今回だけ、特別よ♡」
「……さっきっから何か、カタカタ音がすると思ったら……」
そこには、潤の中学で起こった、自殺と判断された事件の全ての資料が揃っていた。流石としか言いようがない。でも、これ、明らかに警察のものと思われる捜査資料もあるのだけれども。一体どうやって……?
……まぁ、いいか。気にしない気にしない。気にしたらいけないやつだ、きっと。
「ありがとうございます。えーと、なになに……」
俺は早速、真帆さんから提供された資料を、一通り頭に入れる事にした。潤も俺に習い、資料に目を通す。
それによると、ここ十年で自殺した生徒は七名。勿論、起こった期間に偏りはあるものの、これだけの若者が死んでいるのだ。どうして同じ地域に住んでいるはずなのに今まで事件の存在を知らなかったのか、不思議で仕方ない。うち、動物が同じ日に死んでいるのが、記録に残っているだけで三名、しかも全員ここ数年で死亡した生徒だった。
安藤翔/屋上から飛び降り、転落死。
井川優子/トリカブトを飲み、中毒死。
橋本拓人/プールに飛び込み、溺死。
「どうやら、花音の死も怪しくなってきたな……」
だが、死亡した当時の年齢及び日時、性別、出身地、部活動及び委員会活動、担任の教師。彼らにこれと言った共通項はない。やはり、単なる偶然なのだろうか。
「……」
俺が頭を抱えていると、潤が何やら思いついたような、だが確信のないような、そんな微妙な顔をしていた。何でもいい、何かヒントになれば、そう思って俺は潤に尋ねる。
「どうした、潤」
「いや……この、橋本って人。昔新聞で見たような……。そうだ。確か何かの、数学か、理科だったと思うんですけど、そんな大会で優勝したって」
「!? 本当か」
「え? 何でそんなに驚くんですか?」
確か、この中の安藤って奴も俺の一つ下の学年だが、化学かなんかで有名だった気がする。そうだ、ロボコンで入賞して、表彰されたんだったか。井川という少女は分からないが、花音も理系科目は大の得意だったはず。こりゃ、ひょっとすると……。
「リュウさん? どうしたんですか」
「潤。今の理科の担当教師は、誰だ」
「え? なんで急に」
「いいから。誰がいるんだ」
俺の推理が正しければ、この事件を解く鍵は教師。しかも理科担当の中にいるはずだ。理由は分からないが、亡くなった生徒の大半が理科好きだったというのは、見逃せない一致である。
気迫に押されたのか、突然の投げかけにもかかわらず、潤は応じてくれた。
「えっと、物理の金山先生、化学の新條先生。あとは生物の……あ!」
「どうしたんだ」
「そういえばこの前、花音、丹代先生ともめてた……」
「?! 丹代って、あの丹代か」
「リュウさん知ってるんですか?」
「ああ、まぁ、な」
そこまで親しい仲ではないが、俺が三年の時に入って来た先生だったはずだ。流石に移ってきたばかりということもあり、直接の担当ではなかったが、実験などで世話になった覚えがある。
「それだったら、話は早いですね。実は花音、丹代先生と大喧嘩したんですよ。それも授業中に」
「……」
あまりにも花音らしい話で、俺は思わず苦笑した。
俺の記憶が正しければ、丹代は化学を専門とする教師で、実験関連を主に取り仕切っていたはずである。ベテランなのに(多分今年で定年ぐらいの年齢だったと思う)常におどおどしていて、説明もとぎれとぎれ、用語は忘れるし、計算ミスはする、というお世辞にもあまり良い教師とは言えない人だった。だが、一度実験器具を扱わせればその腕前はなかなかのもので、普段の行動からは予測も出来ない鮮やかな手さばきが、俺は結構好きだったのだが……。いかんせん、そこに行き着くまでにミスが多すぎるので、生徒からは若干なめられていたのが、玉にきずである。
「でも、そんな事で先生が生徒を手にかけたりするんでしょうか……」
「解らん。が、可能性はなくもない。とりあえず、丹代に話を聞きに行こう」
「はい……って、え?」
「だーいじょーぶ、俺は被害者遺族だぜ? それに……」
数十分後。俺と潤は難なく、正面から中学校に潜り込み、丹代から話を聞ける手はずを整えた。
「……まさか、トラ丸の飼い主が校長先生だなんて……」
校長室を出ると、ぼそりと潤はそう言った。
「ああ。でも、ここの中学に転任してくるとは思ってなかったけどな。ま、これも一つの縁ってもんだ」
トラ丸、とはこの界隈では有名な迷子にゃんこである。前に仕事で探した事があり、それ以来校長とはちょっとした仲になっていた。
「そんな事より、さっさと行こうぜ」
タイムリミットは明日の正午。それが、校長が引き延ばしてくれた、記者会見の開始時刻だった。それまでに、決着をつけなければ。
トントン。
「はい、どうぞ」
『失礼します』
「やぁ、龍貴君じゃないか。元気かね?」
奴の根城、実験準備室に入ると、丹代は笑顔で俺達を迎えた。
「こんちは、丹代先生」
「一体、何の用だい? 突然訪ねてきて……。それに、参道じゃないか。何だ、二人して?」
「実は……今日亡くなった塚田花音は、俺の従妹でして」
単刀直入、本題に入る。すると一瞬、奴の顔がゆがんだように見えた。けれどもすぐに“被害者遺族を憐れむ顔”に表情を変更し、彼は続ける。
「そう、だったのか。それは……お気の毒に」
「それで、昨日その現場を見た人がいないかと思って、探しているんです」
「成程……。でも私は見ていないな。塚田君なんて」
「そうですか……」
「力になれなくてすまんな。だが、あれは仕方がない。彼女にも何か悩みがあったんだろうな。だからあんな真似を……」
しらじらしい、と思った。全体的に芝居がかっているし、何よりいつもより饒舌だ。でも証拠らしいものは何一つない。これでカマを掛けるのは、心許なかった。
「さ、用が済んだなら、もう帰りなさい。龍貴君はともかく、参道が出歩くにはもう遅い」
「はい……」
収穫なし、か。せめて何かヒントをつかめないものかと、試しに話を引き延ばしてみる。
「そういえば先生。今は生物を教えていらっしゃるそうですね」
「!? そ、それが何か、問題でも、あ、あるのかね」
軽い気持ちで振った話題だったのだが、何故か丹代は大いにうろたえた。俺が花音の従兄だと告げたときよりも、である。これは何かある。そう思ったものの、これ以上広げられるほど駒を持っていなかった。
「いえいえ。先生の化学の授業、面白かったんで、後輩たちが聞けないのが残念だなと思っただけですよ」
「そ、そうか……。さ、さぁ、世間話も終わりだ。帰りなさい」
鍵とはいえないものの、気がかりな点はいくつか出てきた。戻ってから調べて、改めて来よう。そう思った時、今まで黙っていた潤が、おもむろに口を開いた。
「あの、先生。あそこって、今空いてるんですか」
『?』
潤が指さした方向には、まだ何も埋まっていない花壇があった。
「か、花壇がどうかしたのかね?」
「いえ……。ただ、花音に花を贈ってやりたくて。あいつ、花が好きだったんで。もしあそこが空いているようだったら、何か植えようと思いまして……」
「わ、悪いが、あ、あそこは昔から、実験動物の遺体を弔う場所と決まっているんだ……悪いが……」
「え? でも、何か植えてあるじゃないっすか。あそこ」
確かに、花壇と思しきプランターの列にはほとんど植物はなく、何やら札がささっているだけだった。多分、動物の名前なんかが書いてあるのだろう。だが、一番端の列に、何やら緑色をした一角があるのを俺は見逃さなかった。
「ああ、あれはきっと、ほら、あれだ。雑草だよ、今度草むしりしとかんとな!」
「でしたら、僕やっておきますよ。園芸委員ですし」
「!? いや、あそこの担当は僕だからね、僕がやっておくよ。さ、そういう事だからね、早く、さっさと帰りなさい」
丹代は今度こそ、俺たちを追い帰したかったようで、実験室から外に追いやると、勢いよく扉を閉めた。
バタンッ
「……お前」
見事なカマのかけ方だったが、年長者として、俺は一応、潤をたしなめておく。カマをかける、という行為は存外危険な事なのだ。
「あ……ごめんなさい。つい」
「ったく……。まぁ、お陰であいつが黒な事ははっきりした、が」
「……動き、ますかね?」
「解らん。でも、待ってみる価値はある。……校長に会ってこよう」
―
パタン、パタン、パタン……
「……。ふぅ、行った。か?」
目聡い餓鬼だ。しかし、あそこを嗅ぎまわられたら。いや、いくら彼らでもそこまではしないだろう。だが……。
プルルルル、プルルルル。
「!? ……何だ、電話か」
私は反射的に受話器を取ろうとして、しかし少し思いとどまった。もしかしたら、さっきの奴らかもしれない。深呼吸をし、動揺を悟られないようにしてから、今度こそ受話器を取った。
「はい、もしもし……」
〈もしもし。丹代先生?〉
聞こえてきたのは、なんと校長の声だった。
「校長!? ……どうされました」
〈ああ、そんなに大した事ではないんだがね。あのー、君が管理している花壇があっただろう。あんな事件があったので、すっかり伝えるのを忘れてしまっていたのだが、近々その周辺の道路の工事をやるんだ。それで、ちょっとあの辺いじる事になってしまったんだが……良いかね?〉
「!? え、ええ。勿論。構いませんよ」
〈すまんな、こんな時に。だが、工事は待ってくれんのでな。では、そういう事で〉
ガチャ。ツーツーツー。
「まずい、まずいぞ……」
今あれが見つかったら、私は終わりだ。これまでのこともすべて、白日の下にさらされてしまう。そうしたら、私は、私は……。
「仕方ない……」
私は装備を整えるために、一度家に戻ることにした。
深夜。誰もいないことを確認して、学校に忍び込む。行先は勿論、例の花壇だ。ヘッドライトの明かりを頼りに、用意してきたスコップで、土をえぐり始める。
ザク、ザク、ザク……。
大丈夫、園芸委員会顧問でもある私なら、例えどんな植物を栽培していたって、例え夜遅くに土を掘っていたって怪しまれる事はない。実際、それで今まで上手くいってきたんだ。大丈夫。何も不思議な事はない。あれはどう考えたって、誰がどう見たって自殺だ。警察だって、そう処理してきたんだ。
ザシュ
ようやく、目当てのものを掘り出すことに成功した。早く、早くこれを処分しなければ。はやる気持ちは裏腹に、手は焦りからか上手く動かない。やっとの思いで鞄に詰め込むと、私は地面に腰を落ち着けた。あとは、家に帰ってこれを処分するだけ。そうすれば、誰もあれが殺人事件だとは思わない。あいつらが殺されたなどと思う輩はいなくなる。
そう、あいつらは自殺したんだ。
「はっ、はっはっはっ」
安心して、思わず笑ってしまった。その時である。
「そんなに、おかしいんですか」
後ろに――注意していたはずなのに、いつの間にか龍貴君と参道、校長、教頭が私を取り囲むようにして、立っていた。
―
「そんなに、おかしいんですか」
臆病者の丹代のことだ。動くなら今日中だと思った。だから、俺たちは校長に協力してもらい、罠を仕掛けたのである。そして今、まんまと引っかかったドブネズミを前に、俺は問う。
答えによっては、俺が、俺自身が殺人犯になってしまうかもしれない、危ない問題を。
「……そんなに、生徒を殺して、邪魔者がいなくなった事が、そんなに嬉しいんですか?」
「な、何だね、いきなり。それに、校長、教頭まで……」
あくまでも白を切るらしい彼に、今度は潤が言う。
「じゃあ、その手に持っている鞄を渡して下さい」
それはいつものあどけなさが残る少年の声とは違い、かなり落ち着いた低い声だった。先程までは無邪気に笑っていたりしていたので、それが何だか、逆に恐ろしい。
「これは……」
にらんだ通り、あの鞄の中身が動かぬ証拠というやつなのだろう。黙りこくる彼に耐えかねて、校長が俺に尋ねる。
「神城君、やはり、丹代先生が犯人なのかね?」
「はい。あの袋の中身が、その証拠です。多分、クロロホルムやロープの余り、ハンカチ、手袋。そんなものでしょう」
「そんな……」
「何故……」
同じ教育者である彼らは、丹代の行動が理解できないといった表情で、彼をにらみ続ける。
「こ、校長、それに教頭まで……。あ、あの子達は自殺でしょう?」
それでもなお、しらばっくれようとする彼に、俺は追い打ちをかける。
「それが、警察からの報告で、花音の体内から睡眠薬の成分が検出されました。他の子ども達については解りませんが、少なくともこれで花音の死については、他殺である可能性が出てきました」
「これで警察もようやく、きちんと捜査してくれます」
「そんな……」
通常、自殺者は不審な点がない限り、解剖なんて滅多にされない。だから丹代も、油断していたのだろう。
……勿論、それは今回も例外ではなかった。被害者遺族とはいえ、小僧の意見など聞き入れてはもらえなかったのだ。だから、完全なブラフではあったが、今の彼を落とすには十分だったようだ。
「それに、先生。あそこに植えてある植物って、トリカブト、ですよね?」
『え!?』
潤がさらに、畳みかけるように言ったその言葉には、流石に一同、驚きを隠せなかった。臆病で慎重な丹代のことだから、きっと複数の手段を用意しているに違いないとは思っていた。でも、まさかそんな危険な毒物を栽培していたとは。
後から潤に聞いたのだが、トリカブトは見た目が案外普通の植物で、花も可愛らしいので、何気に園芸店などで売られていたりもするらしい。伊達に、園芸委員なんてやってないという事か。
「……そんな、私はただ、花屋に勧められて買っただけだ。そんな事……知らない」
「複数の先生から夜中や早朝に、あなたがこの辺りで穴を掘る姿が目撃されています」
「調べれば解る事なんですよ? それでもまだ、しらを切りますか」
丹代は、そこでようやく黙った。少し、悩んでいるようにも見える。俺はどうにかこれで自首してくれれば、と願った。そうでなければ、俺はともかく、潤が……。
だが、そんな俺の期待とは裏腹に、奴は開き直ったように続けた。
「何の事だか、私にはさっぱり。心当たりすらないよ。それに、教師の私が、どうして彼等生徒を殺さなければいけないんだい」
「……花音達が先生に反抗したから、でしょう?」
ふざけた態度にも潤は一切ひるむことなく、先程からの攻めの姿勢を変えずに続ける。おそらく、これで決着をつける気なのだろう。
「先生はプライドの高い人だ。だから、僕達みたいなガキに文句言われるのが、許せなかった、そうなんでしょう……?」
声は荒立つどころか、冷静そのものだ。だが、それだけに内面の怒りが露わとなっているように、俺には聞こえた。
ここでようやく、先ほどまでの明るく振舞っていた潤は、演技だということに気付く。俺と一緒に、犯人捜しをする為に、彼は必死だったのだ。でも、これは花音の弔い合戦。犯人を見つけて、証拠まで揃っていたら、追い詰めて裁くのが自然だ。解ってはいた。というか、むしろそれが当然のことで、俺も前まで――成田さん親子に出逢うまで――だったら、そうしていただろう。だが、違うのだ。それでは何も変わらない。俺はそれを知った。だから、潤にも教えてやらなきゃいけない、そう思っている。でも、騙された。あまりにも、あまりにも彼が自然に接するから。……いや、幼馴染が死んだ割には冷静すぎると、俺は最初に思ったはずだ。それなのに、俺はその不自然さを頭の隅に押しやってしまった。何だ、結局俺の所為か。俺がいながら、何て様だろう。
俺が自分の浅はかさに気付いた頃、潤の怒りが彼の気に障ったのか、あるいは図星をつかれた所為なのか、丹代は急に態度を豹変させ、狂ったように語り始めた。
「……あぁ、そうさ。あいつらが生意気なのが悪いんだ。俺に教えてもらえなきゃ、なーんにも解らないくせによう。ちょーっと他より賢いからって、調子に乗りやがって。どいつもこいつも……。大体てめぇらが」
「よくも……この!」
「丹代先生」
潤が丹代に飛びかかる前にその気配を察知した俺は、潤を制するとともに、その場に割って入った。俺にだって、言い分はある。それに、ここで潤を暴走させる訳にはいかなかった。それは探偵の先輩として、そして何より花音の従妹として。それに、これは俺のミスでもある。だから、自分の落とし前ぐらいは自分でつけたかった。
「いや、丹代さん。子どもが何も知らないのは、当り前の事じゃないですか。だから、教師がいるんでしょう? そりゃ、彼等はまだ子どもですから、分からない事があれば先生を責めたくなったりもしますよ。でもいつか、大人になって先生から教わった事が役に立った時、そこで初めて、先生に感謝したり、教育のありがたみってヤツが解ったりするんじゃないでしょうか? それが、教師ってものじゃないんですか?」
「……」
丹代は静かに、俺の話を受け止めてくれたようだ。
そして、ダメ押しをするように、校長はゆっくりと語った。
「丹代先生、神城君の言うとおりです。私達は、子ども達に“与える”事はしても、“奪う”事だけは決して、してはいけないんですよ」
「こ、校長……」
実に重みのある、教師としての心得のような、そんな格言的な良い台詞だった。その一言は、彼の心に大きなダメージを与えたようだった。
「わ、私は、私は……」
「さ、行きましょう。教頭先生、お願いします」
「はい」
「……俺はただ、化学が教えたかっただけなのに」
去り際の言葉に、彼の本音が透けて見えたような気がした。
「神城君、ありがとう」
「いや、別に……。というか、最後においしいところ、校長に持っていかれましたしね」
折角、俺が決めようと思っていたのに。まぁ、潤ならばともかく、丹代には校長からの言葉の方が効くだろう。
「あぁ。まぁ、あれはいいじゃないか。……しかし、まさか殺人の証拠をまさかこんな所に埋めておくとは……」
「ま、“灯台下暗し”ってやつですよ。実際、今まで見つからなかったんだし」
「そうだね……。さて、じゃあ私はこれで。本当にありがとう。参道君も」
「いえ。何か、その、すみませんでした」
潤の毒気はすっかり抜けたようだった。それを校長は目を細めて、温かいまなざしで見つめている。そして彼の頭の上に手を乗せて、
「気にする事はないさ。……私は私に出来る事をするよ」
ぽんぽん、と二回優しく叩くと、校長はそのまま、丹代と教頭を追って立ち去った。
その日、記者会見が開かれ、正式に丹代が犯人だと発表された。
*
一カ月ぶりに会った潤は、少したくましくなったようである。
「そういや、潤」
「何ですか」
今引き止めなければ、この話は二度と出来ないと思った。だからこそ俺は、言うなれば蛇の足のような、後日談を語り始める。
「丹代のやつ、俺がいた頃は、ちゃんと化学教えてたんだぜ」
「そうなんですか」
「それが、前の生物の担当が定年退職したから、生物になったんだと。まぁ、よくある話だけどな」
「そうですね」
潤は相槌こそうつものの、普段よりずっと素っ気なかった。違う。俺が聞きたいのはそんな声じゃない。そんな気持ちも相まって、ほんの少しだけ、感情が言葉に乗る。
「でもな、昔は本当、生き生きとしてたぜ。なんで、あんな……」
「……だからと言って、僕は許す気はないですよ」
やっと、彼の心に触れることが出来たように感じる。それは熱く熱く燃える、蒼い炎のようで。
「勿論。俺もだ」
火傷はいいが、焦げるのは御免だ。共に燃えてしまっては、意味がない。
「なら、良かった」
潤は先に立ち去った。
俺は花音にいくつか話しかけた後、帰り際に持参した花を供えようと、足元を見る。そして、その時、初めて潤の持ってきた花に気が付いた。
その花は、俺の持ってきたものと同じもので、
花音が一番好きだと言っていた花でもあって、
そして奇しくも、花音が吊るされた木でもあった。
その花は春に咲き、白や薄紅、紫の美しい色で私達を和ませる。
若者たちよ、どうか、せめて、安らかに――。
若干ご都合主義な感がありますが、ご容赦ください。
これにはこれで意味がある…はずなのです。
そして、今回で過去編は終わりです。次から第二幕となります。
(2014/06/08 改変)