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Seasons  作者: 殊月隼士
2/14

八仙花

第一幕:過去

 彼女と出逢ったのは、僕が中学生一年生の、ある雨の日。

 あの日――僕はいつものように、神社の境内を突っ切っていた。塾から家に帰る時の近道なのである。時間も遅いし疲れているし雨はうざいしで、僕はすごく、憂鬱な気分だった。

――せめて、雨だけでも止まないかなぁ……。

 僕は雨が大嫌いだった。濡れるし、じめじめするし、気分まで暗くなる。けれども、僕はあの時、傘を忘れてしまっていた。だから余計に、絶え間なく降り注ぐ水滴がうざったくなって、しとしととしたたかに雫を落とす鼠色した憎い奴を睨みつけてやろうと――いや、流石にそれで雨が止むとは思わなかったが、何となく文句でも言ってやりたい気持ちになって――顔を上げた時、

僕の瞳の中に、何やら赤いものが映り込む。

 雨で霞んで雲で曇って日が暮れて暗い景色の中に、突然、目に鮮やかな原色が現れたので、僕は驚いて思わず足を止めてしまった。

ジャリ

 その音で、彼女もこちらに気が付いたらしい。今までこの神社の精花の前に佇んで、ぼーっと眺めていたようなのだが、すっとこちらへ顔を向けた。

――綺麗だ。

 その人は、今まで気が付かなかったのが可笑しいぐらいに、美しい人だった。長い黒髪を後ろでまとめ、赤い着物を着たその姿は、まるで日本人形のような上品で妖艶な麗しさを持っている。精花の白と空の灰色、それがかえって彼女の美しさを一層際立てていて、そう、まるでそれは一枚の絵画のようだった。

 僕は不覚にもしばらく見惚れてしまい、声を出すのも、目線をそらすのも忘れて、彼女を見つめ続けてしまう。

 しかし、はっと我に返った時、ばっちりと目が合ってしまった。それを誤魔化す為に、

「あの、寒くないんですか?」

と若干場違いな質問をしてしまった僕を、責めないでやってほしい。そして、そんな間抜けな問いかけにもかかわらず、

「ええ、大丈夫ですよ。私、雨が大好きだから」

満面の笑顔で返してくれた彼女は、僕より随分と大人だったと思う。声が返ってきた事に対してほっとしたのは、紛れもない事実だった。

「へ、へぇ。そうなんですか……」

 それにしても、雨が好きだとは。世の中には変わった人もいるものだ。すると、彼女は僕の心を見透かしたように、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「ふふ。私、変わってるでしょ?」

 僕はぎくりとして、

「そ、そんな事、ないですよ!」

そう取り繕うのが精一杯だった。動揺丸出しの台詞である。

――あーあ。やっちゃった……。

 折角、こんな子供に親切に答えてくれた人に対して、何たる無礼だろう。そう思い、僕は落ち込み、肩を落とす。穴があったら入りたい。話し下手にも、人見知りにも程がある。

 だが、彼女の方は全く気に留めなかったようで、

「じゃあ、また二日後に」

という言葉が聞こえた。

「え?」

 振り向くともうすでに、彼女の姿は見えなくなっていた。


 それにしても、何故僕がここを通る日を、彼女は知っていたのだろうか?

時刻は八時十三分。仮に、ここの近くに住んでいる人でも、この薄暗い境内の中を動く物がそうはっきりと見えるとは思えない。では、何故……。

 次に彼女に出会うまで、二日間丸丸考えて、僕はようやく答えらしきものに辿り着いた。

 何故こんな簡単な事に気が付かなかったのだろう……。しかし、何かこう、引っかかる物がある事もまた、事実ではあった。

 けれども、これ以上考えても埒が明かないので、僕は彼女に直接聞いてみる事にした。



「もしかして、ここの神社の方ですか?」

「えぇ、そうですよ」

 僕の思った通り、彼女はこの神社の関係者の人だった。大方、神主さんかなにかの娘さんで、見周りの時にでも僕の事を見かけていたのだろう。そう思って、僕はあえてそれ以上の追及をしなかった。解りきった事を聞いても、彼女に失礼だと思ったからだ。

「そういえば、まだ名前を言っていませんでしたね」

 一通りの事情を話し終えた後、彼女はふと思い出したように切り出した。

「私、ウヅキミナっていうの。貴方は?」

 普段なら絶対に“知らない人には名前を教えない主義”の僕ではあったが、彼女が自分から名乗った事と、何となく悪い人にも見えなかった事とで、僕も正直に名乗る。

「えっと、サンドウ、サンドウジュンです。ウヅキさん」

「ミナで良いわ、ジュン君。そうそう、よく解りましたね」

 最初は彼女が何を指しているのかが解らなかったが、称賛されるようなことと言ったら僕が彼女の正体を見抜いた事ぐらいだった。だから、あのぐらいは普通に分かるんじゃないかなと思いつつも、褒められた事は普通に嬉しかったので、若干照れながらも言葉を返す。

「あぁ、あれは、その……日頃から考える癖をつけていて。あの、僕、探偵になるのが夢なんです。だから……」

 そこまで言って、僕は自分の頬が火照っていくのを感じた。

――しまった。何でそんな事まで……。

 僕は自分の夢を今まで誰にも話した事はなかった。だって、そんな事言っても反対されるか、馬鹿にされるだけだと思っていたから。それなのに、どうして。ほとんど初対面の人にそんなプライベートな事を話せるほど、僕のコミュニケーション能力は高くないはずなのに。

 彼女も少し、驚いたようで、

「そっかぁ。探偵かぁ」

などと、うんうんとわざとらしく、まるで子供に突飛な事を言われ、答えに困った保護者のように、頷いていた。

――やっぱり、理解しろっていう方が無理だよな。

 そう思い、フォローの言葉を入れようとしたら、

「では、未来の探偵さんに問題です♪」

と、さっきとは打って変わって、明るい口調で彼女は言葉を続けてくれた。僕にはそれが、一番良い、僕が望んでいた対応のように思えた。

――この人は、何か他の人達とは違うかもしれない。

 それは僕の心を開くのに充分だった。

「はい、何でしょう?」

 僕も笑顔で、彼女に答える。

「私の、ウヅキミナという名前は漢字ではどう書くでしょうか?」

「えー! うーん……ヒントは?」

「そうねぇ。今の“季節”かしら? ちなみに、君は“参”るに“道”に“潤”う、ね? そうでしょ? 参道潤君」

「!?」

――当たっている。確かに、僕の名前は参道潤だ。でも何で? ん? 待てよ……。あ!

「ミナさん、僕の鞄、見たでしょ?」

 僕の鞄のど真ん中。学校の指定のものなので仕方なく、それにしてはでかでかと“参道潤”と書いてある。

「あ、ばれちゃった? でも、私の名前は教えないわよ。次に会う時までに考えておいてね」

「えーっ!」

カラン

 その時、屋根の上の方から、乾いた音が聞こえた。まぁ、おそらく鳥か何かが瓦を鳴らしたのだろう。耳慣れない音に気を取られているうちに、彼女はもう立ち去っていた。

 文句の一つでも言ってやろうと思ったのに。暗闇に雨音だけが、静かにしんしんと響いていた。


 それからというもの、僕は彼女に会う度に名前を当てようとしたのだが、いくら考えても全く分からなかった。どうやら、一般に使われている漢字ではないらしい。

 そればかりか、僕が今まで秘密にしてきた事のほとんど――学校、家族、友達の事――を、彼女に話してしまった。それは、僕が何を話しても、彼女が笑顔で聞いてくれたからだろう。僕の下手な、おちもまとまりもない話に、彼女は誠実に耳を傾け続けてくれた。

 彼女と話していると、不思議と気分が和らぎ、自然と頬が緩む。

 僕はそんな彼女に、だんだん惹かれていった。

 しかし、その反面――彼女と居れば居るほど、疑問に感じる事も出てきた。

一つ目。彼女がいつも赤い着物を着ている事。“着物を着る”という行為自体は、まぁそれほど可笑しい事ではないし、実際彼女によく似合っているのでよいのだろう。彼女が神社の関係者となれば、尚更だ。だが、それにしても若い女性が着物ばかり着る物なのだろうか? しかも、柄は違えど、いつもいつも赤色だけ……。

 それにもう一つ。僕は彼女に出逢ってからというもの、全く濡れないのだ。思えば、彼女に初めて会った時も、僕は傘を持ってはいなかった。それなのに、家に帰ると、服や靴、さらには鞄に至るまで、何一つ濡れてはいない。小降りとはいえ、一晩中降っていたのだ。少しぐらい濡れていてもおかしくない、いや、濡れていなければおかしいのに。まるで僕の周りだけ見えないバリアーでも張られているかのように、水滴の落ちた形跡すら見当たらない。でも、そのおかげで僕は、この鬱陶しい雨の中を快適に過ごす事が出来たのだけれど。

 いつもは長く感じるはずの二週間は、彼女と話すという楽しみも相まって、あっという間に過ぎていった。



 塾も終わり、僕はいつものように彼女の居る神社に向かった。

 すると、普段なら必ず同じ場所にいるはずの彼女の姿がない。何か嫌か予感がして、僕は少し辺りを捜索してみた。程なくして、賽銭箱の近くに手紙が置いてあるのを見つけ、僕はすぐに封を開く。そこには美しい筆文字が、ところどころ滲んで染みを作りながら、涙のように並んでいた。

「潤君へ。いつも塾帰りに寄ってくれて、ありがとう。とっても楽しかったわ。でも、それももう終わり。私は戻らなければいけません。明日の朝、ここで待っています。少し遠回りになってしまうけど、学校に行く途中で、出来れば寄って行って下さい。ミナ」

――何故、今頃急に。変わった事なんて、何一つ……。まさか! まさか……な。

 僕はある一つの結論に辿り着いた。だがそれは、到底信じられるようなものではない。でもそう考えてしまえば、今までの事が全て納得できる、腑に落ちる気がした。

 とにかく、明日の朝、またここに来てみよう。

 例え、どんな結末になろうとも。


 その日の夜、僕はなかなか寝付けなかった。



 次の日、僕は朝早くに家を出た。彼女に、いや、ミナに会う為に。僕は深く息を吸うと、一心不乱に走り出した。居ても立ってもいられない。一刻も早くミナに会いたかった。

 境内のいつもの場所に、ミナは立っていた。

「ミナさん……」

 息を切らしながら境内に入ってきた僕を見て、彼女は少し驚いたようだった。しかし、すぐに、少し悲しそうな顔で言葉を紡ぐ。それは、普段見せる笑顔の彼女からは想像もしえないような、淋しそうな顔だった。

 僕は、自分の考えが当たってしまった事を悟った。

「潤君……。ごめんなさいね。でも、私、戻らなきゃ、この子の為に」

 ミナの視線の先には、この神社の精花があった。そういえば、彼女は初めて会ったあの時も、ここに居たんだっけ。

「やっぱり、ミナさん。貴女は……。だとすると、貴女、いや、君の名前は」

「ふふ。解ったみたいね。それじゃあ、もう、行くね。……ありがとう。楽しかった」

 水無が微笑んだその瞬間、雨が一層強く吹き付けた。思わず目を閉じ、そして、再び開くと、長く長く降り続いた雨は上がり、そこには澄んだ青い空と、日の光に照らされた赤い紫陽花があった。

 僕はしばらく、その場所から動く事が出来なかった。



 あれから、少し日が経った。季節は夏に向かっていて、神社の精花であり、いつの間にか赤く色づいた紫陽花も、もうしおれかけている。その前に――彼女の居た所に――立って、僕はぽつりと呟いた。

「ありがとう。また会おうね」

 水たまりが太陽の光に反射して、僕にはまぶし過ぎるほどにきらきらと輝いている。

――うん。僕はもう、大丈夫だよ、水無。

 君と過ごした事を忘れる事なんて出来ないし、実際、まだ僕は、塾帰りはおろか学校の帰りにもここを訪れている訳だけれども、でも、大丈夫。だから、見ていて。

『頑張ってね、潤君』

 そんな声が、聞こえた気がした。




僕にとって、彼女は、限りなく温かい太陽のような人だった。

僕は一生、この梅雨の合間の出来事を忘れる事は出来ないだろう。

僕に勇気をくれた、大切な僕の友人。雨月水無。

君の事は、僕がちゃんと覚えている。だから、来年もまた、綺麗に咲いておくれ。

僕も、頑張るからさ。



 六月。それは、僕の一番好きな季節。



実はこの話だけ、ちょっと作風が違います。

が、あんまり気にしないで下さい。


探偵サイド、参道潤の過去でした。

(2014/05/28 改変)

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