鬱金花
(2014/07/13 改変)
僕だけがぽつんと、闇と同化してしまった屋上にとり残された。しばらくは、彼女達を見送るように、まるで何かを名残惜しんでいるようにその場から動けなかったが、いつまでもそうしていられる訳ではない。僕は重い足取りで、事務所へ向かう。とてもではないが、家に帰る気にはなれなかった。それに、こんな夜遅くにこんな姿で帰ったら、親に何を言われるか分からない。顔色が悪いであろう事は、容易に想像がついていた。
しかし、本当はどこにも行きたくなかった。正確には、誰とも会いたくはなかった。
僕は、セゾンの正体を見破りたかっただけなのに。犯罪を解き明かしたかった、ただ、それだけなのに。どうして、こんな事になってしまったのだろう。あまりにも沢山の事が、身体の中を渦巻いていた。くるくるぐるぐる、巡っては駆け抜けていく。それらは僕に整理する時間を与えず、混乱する様を嘲笑っているようかのようだった。
ガチャリ。
ノックもせずに、傾れ込むように中に入る。
「潤君! 大丈夫? ねぇ、潤君!」
突然帰ってきたのにもかかわらず、倒れかかった僕を、真帆さんは受け止めてくれた。あんなに、とぼとぼと歩くともいえない速度で足を動かしていたはずなのに。それでも、事務所に辿り着く方が、混乱から覚めるよりも早かったようである。
「おい、一体何があったんだ! セゾンはどうした!?」
「ちょっと、潤君。しっかりして!」
まるで話す事を忘れてしまったように、もしくは喉の奥でつっかえてしまったかのように、言葉が出てこなかった。
靴を脱がされ、抱え込まれて部屋の中に入れられるとすぐさま、二人の手によってソファーに寝かされた。いきなり倒れたのだ。どこか怪我している、もしくは具合が悪いのだと考えても、不思議ではないだろう。しかし、目立った外傷が見当たらないのと、彼らと目も合わせられない僕の様子を見て、察してくれたらしい。最初のうちこそ事情を問われたものの、やがて放っておいてくれた。今は、それがありがたかった。
結局、折角追い詰めた犯人を取り逃がしただなんて、自分の口からは言い出せなかった。
その後、当然のごとく真帆さんから両親に連絡がいき、僕は家へと強制連行された。彼らの前でも生返事しか出来なかった為、翌日は、というかそれからしばらく、学校を休んでいる。もしかしたら、真帆さんやリュウさんが気を利かせて、親を説得してくれたのかもしれない。
僕が欠席している間に、委員長と穂村は“転校”する事になった、と鈴笠から連絡が来た。お別れ会にはいけない事を告げると、残念そうな声が返ってきた。宝生からも体調を心配してメールが届いていたが、素っ気なく返す。申し訳ないとは思ったが、あんな事があったのだ。彼女達と平気な顔して会う事は、少なくとも今は出来ないだろう。それに、向こうだって、僕とそういう形で顔を合わせるのはごめんだろうし。
そういう訳で、しばらく一人になれる時間が出来た。ようやく、きちんと自分の心と相対する時が来たのである。
落ち着いてよくよく考えてみると、彼女達とのやり取りで、何かがごっそり抜け落ちたように、心の中にぽかんと一カ所、穴が開いているような気がした。皆に懸念されるほど抜け殻になっていたのは、その所為だろう。……その穴の名が“後悔”であるという事を、この時の僕はまだ知らない。
だがそれにしては、やけにすっきりした気分であるのもまた、事実である。怪我の功名、という奴なのだろうか。
確かに彼女の言う通り、僕はあいつの事から目を背け続けていた。だから、その点に関してだけは、逃げていたと言われても仕方が無い。ただ。
向き合って、結論を出したからにはもう、逃げも隠れもしない。せいぜい、堂々と正面切って対峙してやる。もう、立ち留まるのは止めにしよう。
とまぁ、何にせよ。
「今度会った時は敵同士。そうだね、今度こそ、君達を捕まえるよ」
決意を新たに、僕は再び歩き出す。
*
「じゃ、新しい学校でも元気でやるんだぞ」
「先生こそ、お元気で」
一年間通った学校を、“転校”という形で離れる手続きを終えた。新しく通う学校や理由をでっちあげるのは大変だったが、これでとうとう、この地を立ち退く事が出来る。事務員や他の教員は挨拶の際に何故突然、と不思議がっていたが、担任の戸川先生だけは、何も言わず笑顔で見送ってくれた。なんだかんだ、最後まで謎の多い人である。
もうここには戻れない事が、現実味を帯びたからだろうか。その帰りの道中、那央子が私に聞く。
「ねぇ、このは。本当にあれで良かったの?」
――言える訳ないじゃない。本当の事なんて。
そう、あの時。私がまだ人の心を操る事に慣れていなくて、その練習にと中学校の教師に嫌がらせをしていた頃。もっと言うなら、その教師を追いこみすぎてしまって、無関係な女の子を犠牲にしてしまったあの不幸な事件で。少女の無残な姿を目の当たりにし、青ざめた少年が倒れる所を、野次馬に紛れて偶然見た。
いや、正確にはその前から、私は彼の存在を知っていた。
あれは私が中学生の時、虎兄と那央子と共に訪れた寺社での事であっただろうか。あの頃はよく修行だ、といって美術館やデパートなどに連れ出される事が多かったのだ。二人がその宝物庫に忍び込み偵察している間、私は屋根の上に座り、足を外に投げ出して、ぼーっとしていた。邪魔にならないよう、下見の時はそうしている事が多かったのである。その際、一人で楽しそうに、まるで誰かと会話をするように、喋っている男の子が目に入った。正直、変わった子だなと感じた。だからだろうか。卒倒した彼を見て、ただちに思い至ったのは。一度しか見ていない少年の事を、すぐに思い出せたのは。
何の因果か、私は彼を、彼の大切な人を巻き込んでしまった。人と人は繋がって生きている、という事を改めて実感させられる。
しかし、その事で私を責める事は、おそらく出来ない。だって、私がしていた事と言えばせいぜい、物の配置を微妙に変えたり、テスト用紙をびしょぬれにしたり、窓を開けっ放しにしたり、神経質な彼の気を逆なでするような事ぐらいだったのだから。別に、私が彼に彼女を殺すように仕向けた、という訳ではないのだ。偶然、彼女がその標的となってしまっただけで。もっとも、丹代が昔から、気に入らない生徒をその手にかけていた、という事を調べていれば、そんな事は防げたのだろうが。……その点でも、私はやはりこの性格に足元をすくわれている。
だからこそ、気の所為と言えば気の所為。気にし過ぎと言えば気にし過ぎなのだろう。
でも、あの光景を思い出す度に、私は考えてしまうのだ。
“彼には前を向いて生きてほしい”
その為なら自分は、悪に染まろう。喜んで、彼の恨みを受け止めよう、と。それがきっと、私に出来る唯一の罪滅ぼしなのだ。いや、その為に罪を重ねるのは、流石にどうかとは思うのだが。でも、私に出来るのは盗む事、それだけだ。
……私も、根っからの怪盗だ、という事なのだろう。
さぁ、そろそろ終わりにしよう。これは本来、語られるはずの無い話。懺悔とも後悔ともつかない、ただの独り言、なのだから。
だからこんな事、言える訳が無いのだ。
“これで、彼とずっと追いかけっこが出来る”
互いの運命をかけたいたちごっこ。それを楽しみにしているなんて、とてもとても。
……言う、訳が無いじゃないか。
*
「うん、いいのよ」
まだ未練たらたらなのかと思いきや、存外晴れ晴れとした顔で言うこのはを見て、私は少し意外に思った。
「ふーん……」
彼女の目的を知っている私としては、何だか腑に落ちない所もある、が。このはの性格まで考慮に入れれば、これはある意味、当然の結果なのかもしれない。引きずらないし、顧みる事もしない。過去ではなく、常に前を見据えたその姿勢ならば。もっとも、それは両刃の剣でもあるのだが。
そんな事を考えながら、私は通い慣れた道を彼女の後ろについて歩く。なんだかんだ愛着のある場所だったので、もうクラスメイトにも会えなくなるかと思うと一抹の寂しさを覚えたりもするのだが、致し方無いだろう。別れには、慣れている。
それにしても……。彼――参道君は大丈夫だろうか。まぁ、私達の前に現れないであろう事は予測していた。学校を休んでいる理由が、それだけだと良いのだが。流石に一週間も来なかったとなると、少し心配になってくる。伊紀の話では、彼から返信されたメールの文章も、何だか元気のない感じだったらしいし。あんなに一気に責めたてられて、意気消沈していたりしないだろうか。最悪、道を踏み外してしまう事も……。
全く。もう少し穏便なやり方は、いくらでもあったろうに。本当、目的の為には手段を選ばない、というか。遠回りした方が人生は楽しいというのに。まぁ、そのまっすぐな所が、このはの良い所でもあるのだが。私はそこに惚れ込んだんだし。
「やぁ、片は付いたのかい?」
家に戻ると、虎兄がそう、出迎えてくれた。
「ええ。大丈夫よ」
それだけ告げると、このはは奥へ吸い込まれるように入っていった。何だろう、置き忘れた物でもあったのだろうか。朝のうちに、荷物は全て玄関に運んでおくようにするはずだったのに。
「那央子も、忘れ物はないかい? もうここには戻って来ないぞ?」
「やだなー。もう子どもじゃないんだよ。問題なし、首尾は上々。完璧よん」
「よし、じゃあ新居に向かおう」
すでに大きな家具類は運び終えている。あとは、各自手荷物を持っていけば良いだけだった。
「このはー、何してるのー? そろそろ行くよー」
「え、えぇ。今行くわ」
遠くの方から、早足で階段を下りてくる音がする。大方、二階の窓からこの街を眺めていたりしていたのだろう。頭を左右に振り、気持ちを切り替えようとしている様子を見れば、物想いにふけっていた事は明らかだった。口では強がっているが、本当は辛い、という事か。
「さーて、じゃあしゅっぱーつ!」
虎兄が無邪気に、先頭をきる。次いで、このは、私。
ここでも、彼女はちらりと振り返り、わずかに目を伏せてから前を向いた。一人でなんでも抱え込むのは、彼女の悪い癖である。そのくせ、誰にも気を使わせないよう、悟られないのが上手いのだ。もっとも、私にはお見通しだったが。
――まぁ、そういうつもりなら別に良いけどね。でも、このままで終わると思ったら、それは大間違いよ。ううん。私が、このままじゃ終わらせない。
前を行く少女に悟られないよう、くすりと微笑んで、彼女の謀は暗躍する。
この話は、11話の後、潤・時葉・那央子のそれぞれの後日談を描いたものです。
これで、Seasons本編は終了となり、次のエピローグで完結になります。
最後に意味深に残した発言も、一応回収する予定ですので、お楽しみに。
ではでは。




