第五話 小火騒ぎ-5
「学校は?っと、野暮な質問だったかな」
安斎はそう言ってペットボトルから注いだ麦茶の入ったコップを夕映の前に置いた。
殺風景な部屋だった。
真ん中に机、壁際に小さなテレビが置いてある以外は特に何もない。
横はすぐキッチン……というか、流しにつながっていてそこにもあまり大きくない冷蔵庫が鎮座しているくらいだ。
「学校行ってる場合じゃないので。……行けたら行こうとは思ってましたけど」
望み薄だな、と夕映は思った。
安斎が机を挟んで夕映の向かいに座る。
黒いツナギの青年は黙って安斎の側の壁に寄りかかって座っていた。
見張られている気がして落ち着かなかったので、安斎が間に座ってくれて少し落ち着いた。
ちらりと青年を見るが、青年は夕映を見るというよりは空中をぼんやりと見ているだけみたいだったが。
その目の闇も少しぼやけていた。
眠そうな猫のようである。
「土屋那由多だ」
広げた手で青年を示して安斎は言う。
「俺は安斎忠」
存外にこやかに安斎は言った。
わずかに警戒しながら夕映は言う。
「俺は天野夕映です」
「うん、それで」
ごくりと安斎は麦茶を飲んだ。
「何の用かな?那由多、お茶は?」
那由多は首を振った。
「話したいことがありまして」
夕映は鞄を開けて中に入れてあった印刷した紙を机に広げた。
「これはあなたですよね?安斎さん」
一枚の写真の、端を指差す。
「ここも、ここも、ここもだ」
いくつもの写真。そこに全て安斎が映っている。
「どういうことですか。これは全てこの街の火が関連する事件が起こった場所です」
「これは参ったな」
曇った顔で安斎は言った。
「……君は、俺が放火犯だと思っている?」
「確証はないですが。何かは知っていると」
夕映はそう言った。
「一応俺は放火犯ではないよ。違うと弁解しておくけど、もし俺が犯罪者だったら君はどうするつもりだったんだ?」
「大丈夫です」
ポケットから手を出す。
緊急通報ボタンを示した。
「いざとなったらこれを押して逃げるつもりでしたから」
「そう」
安斎の手が伸びた。
夕映の手を掴むとだん、とテーブルに打ちつける。
「遅いよ。俺が犯罪者だったらもう君は死んでいる」
「そうでしょうか」
安斎の手首から血が吹き出た。
袖口からカッターの刃を取り出し、夕映は見せた。
「いろいろ仕込んでますんで。すみません、急に来たのでとっさに手加減ができませんでした」
「やれやれ」
安斎は腰を落とした。
「最近の高校生は怖いな」
その時、安斎の横を影が駆け抜けた。
夕映の首を掴むと、那由多は壁に叩きつけて締め上げる。
夕映の顔が白くなった。
もがくが、那由多は力を緩めない。
「那由多」
安斎が言った。
「やめなさい」
渋々と言った顔で那由多は手を離す。
夕映は盛大にむせた。
「全く。子どもが大人を試すもんじゃないよと言いたいところだけど、先に手を出したのはこっちだからね。悪かったね、天野くん」
「……いえ」
那由多は安斎の横に寄ると手首を掴んだ。
手首からはまだ出血している。存外深く切れたようだ。
「大丈夫だから」
安斎はそう言う。
ふいに那由多は安斎の手首を口に含んだ。
獣が水を啜るようにそれをゆっくり舌で舐める。
ぽんぽんと安斎がその頭を軽く撫でる。
夕映が唖然としているとどこか気まずい顔で安斎は言った。
「あー大丈夫だから気にしないで。えっとどこまで話したっけ」
「俺が事件の現場にいたのは、捜査していたからだよ」
器用に腕の包帯を巻きながら、安斎が言う。
最初は那由多が巻こうとしていたが不器用なようで、絡まったり変な結び目ができたりでうまく巻けなかったので結局安斎が自分で巻いていた。
「そうは言ってもこれは正式な仕事ではない。独自で調査している理由は、そうだね」
安斎は那由多をじっと見た。
そして立ち上がると隣の部屋に行って、なぜか蝋燭を持ってきた。
「那由多、やってくれるかい」
那由多は無表情に安斎を見つめる。
「加減してね」
蝋燭を見ると那由多はうなずいた。
すっと手を上げて、蝋燭を指差す。
瞬間、蝋燭が突然燃え上がった。
夕映は驚いたがやはり、と思った。
「発火能力」
「そう。那由多は念じることでものを燃やすことができる」
ふっと息を吹きかけて安斎は炎を消す。
「じゃあ街で起こっている事件は……」
「あれは、那由多じゃないよ」
夕映の思考を先回りするように安斎は言う。
「俺はそれを証明するために、事件を捜査しているんだ」
「その、なぜ那由多さんが犯人じゃないとわかるんですか」
「発火事件が起こるときに俺と一緒にいることがほとんどだからね」
それだって、那由多の行動を全部把握しているわけではないだろう。
そもそもこの二人はどういう関係なんだ。
兄弟には見えないし、見た目からいってもちろん親子でもないだろう。
「那由多は自分のために発火能力を使うことはほとんどない。もちろん自衛のためには使うけどね」
「昨日のあれは」
「あれは俺が頼んだ」
後悔、悩んでいるような表情で安斎は言った。
「正しかったのか、今でも考える。だけど、俺は止める手段がなかった。射程距離内だったから那由多に頼んだ」
息を吐く。
「殺すことになってしまったのには残念だけど。あの男は普通じゃなかった」
那由多はひたすら無表情にそれを聞いていた。
夕映も、考える。
俺も止めることができなかったと。
止める手段があったなら、俺もそうしていたかもしれない。
「それでも、人殺しなことに変わりはない」
夕映は言った。
「でも誰も那由多を裁くことはできないよ」
能力者の扱いはそこが微妙なのだ。
存在は容認され確認されているが法律、規定が整備されていない。
「それでも喋るつもりなら」
「喋りませんよ。そのかわり」
夕映は言った。
「やってほしいことがあります」
「脅しかい?」
「いえ、協力してほしいなと。そちらの利益にもつながることでしょうし」
夕映と安斎は見つめあった。
先に根負けしたのは安斎のほうだった。
「いいよ。話を聞こう」
「この事件、俺は犯人にある程度アタリをつけています」
「それはそれは」
うなずいて、安斎は言う。
「君の言っているものと重なるかはわからないけど、俺も心当たりはある」
「きな臭いのは、街にいる自警団です」
夕映は最初に結論を言った。
「その根拠は?」
「やつらはやたら街を歩いて不審者……、彼らが言うところの怪しいものを補導していますがそのほとんどは無実だ」
夕映は言って俯いた。
「無実だというその根拠は」
「根拠はありません。あなたと同じで」
夕映は言う。
「捕まったのは俺と同じクラスの友人でした。真面目とは言わないまでも、急にそんなことをするとは思わない。それに、放火は複数の場所で起こっている。これは個人的な反抗というよりはもっと組織的な何かが裏に絡んでいると思うんです。それで、事件と同じ頃に現れたのがあの自警団だ」
「なるほど」
安斎はうなずく。
「俺の意見もほぼ同じだ。あの集団はどうもきな臭い」
立ち上がると、カーテンを開けて外を見る。
夕映も立ち上がって見ると黒服の集団が列をなして歩いている。
まるで餌を求めて行進する蟻のようだ。
あるいは、兵隊。
そんな言葉が夕映の頭に浮かんだ。
「街の治安を守るというのは表向きの理由だと思うんです。本当の理由は……」
「騒ぎを起こすこと」
表情を消して安斎は言う。
普段は無邪気に見える顔はいくぶん年相応に見えた。
思慮深い大人の顔だ。
「協力しよう。君が俺たちのやることに反発しない限りね」
「ありがとうございます」
夕映は頭を下げる。
「那由多もいいね」
安斎を見つめると那由多はうなずいた。
「言うまでもないか」
安斎は苦笑する。
「さて、これからどうしようね」
安斎は腕を組んだ。
夕映も次の一手を考える。




