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Vtuberの見た目と魂は一致しないらしい ―後編―



                    6



 ―僕の一日はスマホの写真フォルダを眺めるところから始まる。

どれも選りすぐりの一品で、どの写真にも愛しいあの子が映っている。

 あの子の笑顔、後ろ姿、ぽーっと待つ様子、そして恐怖に歪んだ顔、怯えながら辺りを警戒する表情、その全てをこのレンズを通して収めてきた。

 そしてそれらの写真たちを見返す度、写真を収めた場所やその日の空気や状況などをありありと思い出して浸れる。それが僕の数少ない人生の彩りだった。


 本当はこんな形ではなかったはずなのに。とは我ながら思う。

 いつからこんな風に歪んでしまったのか。もう僕には分からなかった。

 不運にも職を失い鬱屈とした日々を過ごしていた時、なかなか寝付けず睡眠導入剤代わりに見始めた配信で僕の人生は再び色づいたんだ。


 壁にいくつも貼られた彼女の写真を見ながら朝食を適当に済ませる。

「今日も可愛いなぁ…。リズムちゃん」

 そうして笑顔のまま保存されている彼女に昨日あったことを話す。それが俺のモーニングルーティーンだった。


 あの子の名前は魔ノ宮リズム。FPSが上手で歌が好きで話が面白い女の子だった。

 ドハマリした僕は食い入るように彼女の配信を見た。活動を追った。明るくてウィットに富んだジョークと飛ばし、軽快なトークでコメント欄を沸かせる。そんな彼女に気づけば夢中だった。

 冗談抜きで僕の自由時間は彼女に注がれた。といっても職を失ってからもう一年以上経つ。彼女の活動を追うのは無限に時間のある僕からしたら容易だった。

 オフイベントでちょっとだけやらかしてしまって出禁になってしまったが、その頃にはもう別方向に興味が湧いていた。


 そう僕はふと思ってしまったのだ。この子の素顔が見たいと。


 思い立ったその瞬間に僕は動き出した。なんせ暇を持て余して配信ばっかり見ていた僕にとってここまでの衝動は久しいものだったからだ。元より浪費しない性格もあってか働いていた頃の貯金だってたんまりとあった。

 まずはファンレターの送り先から事務所を推定。ようやくしっかりとした事務所を構えることが出来たらしい、そのオフィスを見つけるのは簡単なことだった。

 きっと事務所での打ち合わせやら収録やらで、タレントが足を運ぶだろうと見越して刑事ドラマさながら事務所前に張り込んだ。

 タレント同士で事務所に来たり、事務所から外出したりと道端で聞こえる彼女たちの会話から誰が誰なのか判別するのも容易だった。

「…あの子がリズムちゃんか…」

彼女を見つけた時、笑顔が止まらなかった。

 リズムちゃんと実際の彼女では雰囲気こそ違ったがそれでも愛おしく思えた。

 ―だって僕はリズムちゃんのことが大好きだから。

お目当てのリズムちゃん本人を特定し、彼女の後を尾行するのが日課になったある日、インターネットの最下層にて同じ趣味を持つ同士たちと出会い、意気投合した僕たちは、自分の行動を示し合うように尾行対象の姿を盗撮し共有しあった。

 色づき始めた日常により鮮明な彩りが加わった。

 僕の人生がこんなにも歓喜に満ち溢れていたのかと、どんどん尾行に熱中していく。

 ただそう上手く続くはずもなく、恐らく彼女に気づかれたのだろう。尾行していても撒かれることが増えていった。

 でも寧ろそれがより一層、僕の人生に刺激を与えた。リズムちゃんの脳裏に僕の姿が焼き付いているのかなと思うと興奮して仕方なかった。彼女の脳内の一部を占有しているのは、どのオタク共でもなくこの僕なんだ。と思うと堪らなかった。

 残念なことに魔ノ宮リズムの活動は辞めてしまったようだが、もうそんなこと僕はどうだって良かった。俺と彼女は深い関係で繋がっているのだから。


 と思っていたのだが活動終了から、彼女の姿を追うのは困難になった。

 よく考えたら彼女の最寄り駅すら知らない、埼玉方面に向かうことだけしか知らなかった事実に深く絶望した。

 でも幸いにも僕には同士がいた。アングラなインターネットには情報通がいて、尾行し続けた自分ですら知らない情報を得ることが出来た。どうやら彼女の会話の節々から、さいたま新都心駅付近に住んでいるのではないか。と推察されているらしい。

「…リズムちゃん。待っててね」

 僕はここでも即決でさいたま新都心駅周辺の安いアパートに移り住んだ。定職についておらず審査に困るかと思ったがすんなりと通った。

 それから毎日、コクーンにて張り込むようになった。途中で貯金も尽きてきたのでコンビニバイトする羽目になったが、それすら彼女へ捧げる想いの欠片にすら感じた。


 そして凍てつくような冬を越え五月を迎えたある日曜日、運命の日を迎えた。

 そう!彼女を見つけたのだ!まさに僥倖。来る日も来る日も待った甲斐があった!

 なんとなく見に来た映画館にて彼女の姿を捉えた瞬間、神に何度も感謝した。

 なにやら今から映画を見るようで手にはポップコーンやらポテトやホットドッグやらこんもりと盛られていた。久しぶりに見た彼女はどことなく痩せているようだったが、相変わらず沢山食べるんだな。とホッコリする。

しかし彼女の手元にはジュースが二つあることに気づいた。


思考が巡る。

どうやら彼女は誰かと映画を見に来ているらしい。ということは、今は一人だが後に誰かと合流するということ。

更に思考が巡る。

つまりこのタイミングを逃したら彼女と話せなくなる。

―どうやら僕はリズムちゃんとお話したかったようだ。

そう思った時には体は動いていた。彼女に最大限の慈愛を込めて笑顔で話しかける。

「だ、誰ですか?」

 不意に発せられた彼女の言葉に俺も驚く。どうやら彼女は僕のことを認知していなかったらしい。

 思考は遥か彼方まで巡る。

 ―おかしい。なんで僕のことを認知してないんだ…?

 僕と彼女は深い関係で結ばれているはずなのに。

 許せない。

 許せない許せない。

許せない許せない許せない。

 沸々と湧いてくる怒りと暗い失望。衝動が抑えきれない。

「き、君がリズムちゃんなんだよね!僕のこと知ってるよね?」

「ちょ、ちょっと、だから知らないですっ」

 ―引きつった表情でも可愛いんだな。と他人事のように思う。

 でも許せなかった。彼女の記憶に、海馬に僕の姿を刻みこみたい。

「そ、そんなこと言わないでってば、僕知ってるんだよ?君のこと」。

「だ、だから私、知らないです。そ、そんな名前の人」

 彼女の華奢な肩を掴み声を荒らげて言う。

「ほんっとそういうのはもういいから。ずっと探してたんだからさぁ…。本当に疲れたんだよ?君のためにわざわざこっちまで住んでさ、君と出会うために僕は…ここまで苦労してきたんだよ?」

「さ、さっきから、な、なんなんですか!あ、貴方は!」

「あれまだ知らないフリする気?まあいいや。僕、知ってるんだよ?」

 僕は言い放つ。最高の笑顔を添えて。

「―君が魔ノ宮リズムだってことを。ずっと君のことを追っかけてきたんだからさ」

 顔の女の表情が恐怖に染まる。恐怖にグニャリと歪む。

その時だった。思わぬ方向から声が。

「あの、どちら様でしょうか―」

 リズムちゃんとの間に割って入ったのはどこにでもいるような普通の大学生だった。

―誰だコイツ。兄弟か?いや彼女は一人っ子なはず。

 明確な敵意を持って眼前の男を睨みつける。

「彼女、怖がっていますから。とにかくその手どけてくれませんか」

「あー面倒くさいなぁ…。誰なんだよホントに…」

 瞬間。男が俺の腕を払い除け、彼女を連れて走り去っていく。

「サクラさん、行きましょう!」

「おい!待て!」

 彼女を追って駅へ。恐らく彼女が乗ったであろう電車に飛び込む。しかしどこにも彼女の姿は見えない。そのまま閉まるドア。完全に見失ってしまったようだ。

「…なんなんだ。あの男は…」

 唇を噛み締めながら虚空を睨みつけた。


 あれから俺は気が狂ったようにコクーンに通い詰めた。リズムちゃんに会いたいという気持ちもあるが、それよりも俺の邪魔をしたあの男のことが許せなかった。

「‥チッ。なんで俺がこんな思いしなきゃならないんだよ」

 そうして一週間ほど経ったある日だった。

 目端で捉えた人影を僕が見逃すはずがなかった。あのいけ好かない男が改札口で待っていて、それもあからさまに人を待っているようで頻りに辺りを窺っていた。

やはりあの男が待っていたのはリズムちゃんだった。

 僕は今までの経験を活かし、二人はコクーンのモール内へ向かう二人を追った。まさか僕に追跡されているなんて思いもしないような笑顔を浮かべる二人。リズムちゃんが今まで僕たちファンに向けてきたはずの表情が、あの印象の薄い男一人に向けられている。そう思うだけで虫唾が走った。

 それから何を思ったのか、リズムちゃんとクソ男は毎日コクーンを訪れ、同じ店を巡りいくつか買い物をして帰るのを繰り返すようになった。まるでこの前の事なんて覚えていないのか、幸せを周囲に振り撒きながら過ごす彼女らを見つけるのも追いかけるのも容易だった。

しかし大宮駅でいつの間にか姿を見失ってしまう。そうして大きな収穫が得られないまま気づけば五月の下旬に差しかかっていた。


 いつものように改札口がよく見えるベンチに腰掛ける。ここからだと距離もあり、他にも座って誰かを待つ人が大勢いるため紛れるのにうってつけであった。

 そして変わらずリズムちゃんとあの男はコクーンを巡った後、帰路に着く。

 ただ今日はいつものと違った。

男に用事があるのか改札口で二人は別れたのだ。少し寂しそうに彼の後ろ姿を見つめた彼女は改札口へと吸い込まれていき、いつもとは逆方向の電車に乗り込む。彼女

の後を追って北浦和駅で降り、そのまま閑静な住宅街へ。

 ―もしかしたら、このまま追えば彼女の家に辿りつけるのでは。

 思いがけない僥倖だった。やはり神様は僕のことを見捨てていなかった。押さえつけていた欲望が、屈折した願望が今にも体から溢れ出しそうで、堰き止めるのに必死であった。恐らく口角は人生で一番上がっていることであろう。


 ふと、眼前の彼女が二階建てのアパートの前で足を止めた。今まで軽快な足取りから一転、その場で凍りついたかのように静止した彼女。急いで物陰に隠れる。

「…ねえ。ずっと私のこと追いかけてきたのは貴方なんでしょ?」

 そう呟き後ろを振り返った彼女の目には僕が写っていた。

 ―僕を意識してくれた。その事実だけで身が震えるようだった。

 電柱の物陰からゆっくりと出て彼女と向かい合う。チラリと辺りを確認したが、あの男の姿はなかった。

「リ、リズムちゃん…。よ、ようやく僕のこと思い出してくれたんだね?」

 ―どうやら僕のことを脳裏の片隅に置いていてくれたらしい。

 となると。今度は別の欲望が渦巻き始める。元より蓋をしていた欲望が零れそうになっているのだ。泉のようにどんどん湧き上がってくる。

 今度は彼女を僕のものにしたくなった。彼女の意識が、記憶が、全てが僕で埋め尽くされてほしくて堪らない。衝動で脳の思考回路が焼き切れそうだった。

 鋭い眼光をその目に宿した彼女は応える。

「ええ。私、確かに貴方のこと思い出したわ。私になんでつきまとうの」

 ―そんなの愚問じゃないか。

「…なんでって、そりゃ君のことが大好きだからだよ?だって僕は君に希望を貰ったんだ、どん底だった人生にまた彩りを与えてくれた、僕を幸せにしてくれた!そんな人を好きにならない道理なんてないだろ?僕は君に恋したんだ。それに愛しい人の近くにはいつだって居たいだろ?君は僕の事を幸せにしてくれたんだ。だったら今度は僕が幸せにしてあげないとね。そのためにもまず君のことを深く深く知る必要があった。たったそれだけのことじゃないか。少々強引な方法だったなとは自分でも思っているけど、でもいずれ必要だった過程を一気に纏めてやった方が効率もいいし、二人の時間なんて使わないだろ?ならそっちの方がいいじゃないか。ねえそうでしょう?」

 思ったよりも口が回ってしまった。これがオタク特有の早口と言われる奴か。

「…。ふーん。それで?」

 僕の感情そのものを捻り出したというのに、彼女は眉一つ動かしていなかった。

「…そ、それで?ってな、なんだよ!ぼ、僕は君のために毎日頑張って君を探してたのに、僕の努力も知らな―」

「―貴方の努力って、私の事をずっとストーカーしてたこと?」

 差し込まれる一言には重みがあった。

 彼女の目には前に見せた恐怖の色はなかった。キッと此方を睨む眼力に一瞬圧倒されたが負けじと一歩踏み込み言い放つ。

「僕が君を知悉しようとする崇高な過程をそんな低俗な言葉で纏めるな!」

「いいえ。貴方がやっているのは立派な犯罪行為。ストーキングよ」

 彼女は懐から一枚の紙を取り出し読み上げる。

「『ストーカー規制法 第2条第1項第1号。つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校、その他その現に所在する場所若しくは通常所在する場所(以下「住居等」という。)の付近において見張りをし、住居等に押し掛け、又は住居等の付近をみだりにうろつくこと。』って法律には載っているけど?」

 唖然とする。僕の知っているリズムちゃんじゃなかった。

 彼女はもっと僕たちに優しくて、辛い時寄り添ってくれて、僕たちを笑顔にしてくれる存在だったのに。僕のことを睨みつけるはずなんてなかった。突き放すような声色を向けることなんてなかった。そんな彼女の振る舞いは、僕たちのリズムちゃんを汚されたようにまで感じた。

「なんで貴方は…。こんな事するの?」

 彼女の問いを聞いた途端、感情が怒りに塗り替わっていく。この女にはちゃんと教えなければならない。乱れる呼吸を宥めながら思考し、今やるべき最善策に辿りつく。

「ぼ、僕は君のためならなんだって出来た。でもそれじゃ足りなかった」

 沈みゆく夕日に照らされ、伸びた足元の影を見つめながら続ける。

「だから僕は君のヒーローになりたい、君の力になりたいって思ったんだ。でも現実は非情だった。僕なんて数多にいるリスナーのうちの一人でしかないからね」

 彼女は無言で此方を見つめる。独白は止まらない。

「…僕だけに視線が向けばいいと思った、だから他の奴らが邪魔でしかなかった」

 口が今日はよく回る。夕暮れの薄暗さ、人の気配がない路上、そして懐に忍ばせている小型ナイフの存在。その全てが僕を安心させてくれるからだろう。

「手始めに僕は仲間を集めた。簡単だったよ。Vtuberにはアンチが付き物だからね」

 掲示板で仲間を集め、配信を荒らす。根も葉もない虚偽の事実を垂れ流す。

Vtuberというコンテンツ自体に嫌悪感を抱く層はごまんといる。そいつらの目につくように騒げば後は勝手に動いてくれる。僕は最初に小さな風を起こしただけだ。

「僕だって君が傷ついていくのを見るのは辛かったよ」

 淀んでいく配信の空気感。日に日に耐えきれず減っていくリスナー。邪魔者がどんどん減っていくのを見て愉悦感に浸りながらも僕は優しく肯定コメントを打ち続けた。

 見えない恐怖と孤独にじわじわと蝕まれて平気でいられるはずもない。そんな弱った彼女に手を差し伸べるのが僕。思い描いた絵図のように事が進んでいった。

「…でも君は僕を選ばなかった」

 脳裏に過るのはあのいけ好かないガキの姿。どこにでもいるようなしょーもない男に引っかかってしまったのなら、奴の魔の手から僕が救い出してあげるしかない。

 ―そのためなら、どんな手だって使う。それが僕の覚悟だった。

「ね、ねえ…。リズムちゃん、なんで僕を見てくれなかったの…?」

 懐から鈍色に光る手のひらサイズのナイフを取り出す。細身の刀身に陽の光が反射しキラリと凶器が光る。

ナイフを見せた途端、彼女の表情が凍りついた。一歩踏み出す度に彼女の顔に恐怖が滲みだしていく。先程まで綺麗な瞳に湛えていた熱は既に霧散していた。

「僕は悪くない…。君が悪い…」


―僕を選ばなかった彼女が悪い。これは罰だ。そうだ罰なんだ。



                    7



 ――それは、鈍色に光るナイフであった。

 一突きで人命を奪えるだけの暴力性を孕んだ物を持った男が眼前に迫る。

「ち、近づかないで!」

「黙れ!」

 虚勢張って言ってみるものの男の放つ大声に呆気なく掻き消される。

 夕暮れに照らされ赤熱したアスファルトがじわりじわりと黒い影に飲まれ、急速に熱を失っていく。太陽を背にした男の口角は歪に釣り上がっていた。


 ドロリとした漆黒の恐怖が全身を支配していく。じんわりと脂汗が滲み、視線は男の持つナイフに注がれ、肺は空気を取り込むのを拒み、指先は小さく震え、脚は言う事を聞かず逃げ出すことも出来なかった。

 ―私は誰かを笑顔にすることを生業にしてきたはずなのに。

 まさか誰かを幸せするために費やしてきた時間が、大きな不幸となって自らの身に降り注ぐなんて微塵も思いもしないだろう。


ふと、こういうシーン小さい頃に見た特撮ドラマであったな。と他人事の様に思う。どうやら人は、窮地に追いやられると俯瞰して自分を見てしまうらしい。

―それはヒロインが凶悪な怪人に襲われ、窮地に追い詰められた時と同じ光景だった。

 あまりにも場違いな空想を走らせながら、男からは視線を外さず、一定の距離を保ち続ける。


「どうしてそんなに逃げるんだい?」

 背中にザラリとした感触。気づけば壁際まで追い詰められていて、腕を伸ばせば簡単に届く距離に男は迫っていた。

 男はニタリと嗤いながら歩みを進める。

「こ、来ないで!」

 必死の思いで吐き出された小さな拒絶を示す声は、真っ赤に染まった空に吸い込まれ消えた。

 衝動と怒気と愛憎が渦巻いた目をした男はナイフを突きつけて言う。

「僕は悪くない。君が悪い。そうだ!君がこれは僕を裏切った罰なんだあぁぁぁ!」

 振り下ろされる鈍色の暴力が描く軌道を見て、私は必死に思い出す。


 そんな物語の続きは――。


「うがぁぁあっ!」

 ドスッという鈍い打撃音と男の呻き声。私に振り降ろされるはずだった刃は軌道を大きく逸しそのまま、カツーンと軽い音を立てて地面に転がった。


 ―物語の続きはこうだ。


 ヒロインにピンチが迫り、あと一歩のところで敵に殺される。そんな時、大好きなヒーローはどこからとも無くキックで突っ込んでくるのだ。

 目の前がじわりと滲む。胸が熱くなる。怖かった。泣き出したかった。

―でも彼が来てくれることを信じていた。

「いってててて…。あー、柄にもないことするんじゃなかった…脚痛え…」

 その姿を見るだけで心の底から安堵する。

「大丈夫ですか。白葉さん」

 差し伸べられた手を掴む。優しい熱が私の体の震えを和らげてくれる。

「…もう春矢遅いよぉ…。本当に怖かったんだからぁ…」

 ポロポロと涙が溢れる。暖かい雫が路上に落ちる。

「もう大丈夫です。白葉さん、下がっていてください」

 そう優しく言って私の前に立つ。

 ちょっと頼りがいの無い彼の背中を見て思う。

 ―やっぱりヒーローのキックで胸が熱くならない人間なんていないのだ。

 まあ、彼のキックはヒーローにしては、だいぶ不格好だったけど。



  ◇



「…ううっ!な、なにしやがるんだ!てめえ…!」

 俺に蹴られた脇腹を擦りながら威嚇するストーカー男。念のため、足元に転がるナイフを遠くに蹴飛ばしてから彼に言う。

「久しぶりだな。随分と元気そうじゃないか」

「き、貴様…この前の…」

 わなわなと肩を震わせるストーカー男と激しく睨み合う。

「貴様だなぁ!僕たちのリズムちゃんを汚したのは!」

「汚した…?俺にはなんのことだかサッパリだな‥。汚されたと思ってますか?」

 そう俺の背に隠れる白葉さんに訊いてみると、小さく首を横に振ってノーを示す。

 ぐぬぬぬ…。と悔しげに漏らす奴からそっと距離を取る。

「お前、彼女に何をした?」

「な、なにって…。て、てか貴様が何故ここにいる!」

「質問を質問で返すな。疑問文には疑問文で答えろと学校で教えているのか?」

 腹の底から湧き上がる怒りを静かに込めて言う。

「なんで貴様はいつも僕の邪魔ばかりを…。第一!貴様は一体どの立場で言ってるんだ?親か?友達か?それとも事務所のクソスタッフかぁ?」

 ―どうやら疑問文には疑問文で答えろと学校で教わっているらしい。

「別にそんなこと関係ないだろ…?お前に答える義理があると思っているのか?」

「じゃあ!他所から口を挟まないでほしいもんだね!これは僕と彼女の問題だ!」

「…その彼女が俺の後ろで助けを求めているようだが?」

 背中に伝わる微かな振動。紛れもなく彼女が恐怖して生じている震えだった。

「…さっきの話聞かせてもらった」

 その言葉を聴いて奴は眉根を寄せる。

「お前はどうして彼女に付きまとう?」

「はぁ?そんなの決まっているだろう?僕は彼女を愛している。それだけだよ」

「愛しているのなら、相手の了承も得ずに一方的に追いかけ回してもいいと」

「僕が彼女のことをより深く知るためには必要な行動さ」

 奴は悪びれもせず、まるで缶のプルタブを撚るように、さも当然の行為だと言ってのける。悪意の螺旋は歪な好意を巻き込んで描かれていた。

「お前はどうしてアンチを焚きつけるようなことをしたんだ?」

「彼女を救うためだよ」

 一歩踏み込んだ質問を投げても奴は眉一つ動かさず言い切った。

「リズムちゃんは僕たちみたいな日陰者にも優しくて、僕たちを笑顔にしてくれた」

 狂気に満ちた鋭い眼光が白葉さんを射抜く。

「―でも本当は、リズムちゃんは運営に騙されて、ずっとやりたくもない活動を強制されていたんだ。オタクたちもキモイから大嫌いだったんだ」

「お前は何を言っているんだ…?」

 ―奴の言葉の意味がわからなかった。

 白葉さんは「配信活動辞めたい」なんて一度たりとも言ったことなどない。寧ろ、奴のせいで引退に追い込まれ、「自分のせいでみんなに迷惑をかけちゃうから」と涙を飲んで幕を下ろしたのに。

「言葉の節々からイヤイヤやっているのが分かったよ。数字伸びた辺りからなんとなく感じ取っていたよ」

 本当は辞めたい人間が十二時間以上、配信するはずがない。

「そういうのってさ、なんとなく分かるんだよね。だって僕はリズムちゃんの事を心の底から愛しているから」

根拠のない妄想を着想とし、その上に妄想を塗り重ね、醜悪な様相を呈していた。

「だから僕は彼女を救ったんだ」

 まるでヒロインを救い出したヒーローのように言う、奴の顔面には歪な笑みが張り付いていた。それを見て俺はようやく理解した。


―眼前の男が人智の及ばない化け物であることを。


俺はゆっくりと口を開く。

「―お前は彼女の事を何一つ理解していない」

「はぁ?何を言ってやがる…」

 これ以上、奴に悪意の螺旋を描かせない。

「―お前は自分の理想を彼女に押し付けているだけだ」

「理想を押し付けて苦しめていたのは貴様たちの方だろうが…!」

「お前は『彼女のため』という大義名分を掲げて、彼女を自分の思い通りに操りたい。支配したかっただけじゃないのか?」

 取って付けたような理由たちが、ちぐはぐに聞こえるのは本来の理由を隠すため。

「己の存在を彼女に認知してもらい、あわよくば自分のものにしてしまいたい。自分の思い通りに懐柔したい。お前はそんな支配欲を振り回しているだけだ」

「違う!僕は彼女のぜんぶを知って―」

「お前は!彼女が引退した時になんて思ったのか知っているのか…?」

「な…」

「彼女は『誰も悲しませたくない』って言ったんだ」

「は、はぁ?どうしたって言うんだよ!」

「大好きなファンに不義理な決断をしてしまうことに一番心痛めていた子が、本当は辞めたがっていた?馬鹿なことを言うのも大概にしろ」

「そ、それこそ貴様の妄想だろう!人の考えを妄想呼ばわりしやが―」

「…私は皆の事、本当に大好きだったんだよ」

 割って入った白葉さんが言葉を紡ぐ。

「だから引退する時、皆に謝りたかった。もっと色んなことしたかった。もっと一緒の時間を過ごしたかった。もっと活動がしたかった。皆を笑顔にしたかった」

 声量に対して存在感のある言葉が場を支配する。

「貴方が言っていることは全部妄想…!私は一つも辞めたくなんてなかった…!」

 彼女の瞳には燃え盛る激情が宿っていた。

「う、嘘だ!そ、その男に言わされているんだろう?」

「違う!私は!私の意思で言ってる!私の意思でここにいる!」

 白葉さんは危険も承知の上で参加している。それが根拠だった。

「ほ、本当は違うんだろ?僕なら分かるよ。だって僕は君の理解者だ―」

「目を合わせて話したことも無いくせに、私のことを分かった気にならないで!」

 空間が一気に凍りつく。

 推しからの拒絶。それは即ち、オタクにとっての死を意味する。

「今、ここで通報したらお前は捕まるな」

 ストーカー規制法違反に銃刀法違反。逮捕は確実。

「…ハッ。ハハッ。ハハハ…」

 ガクリと項垂れる男が薄ら笑いを浮かべてギョロリと眼球を此方へ向ける。

「ハハッ!アハハ!アハハハハハハ!アッハハハハハハ!」

 突然、笑い出した奴の目は虚ろだった。

「…推しに嫌われちゃった。ハハハ。もう僕はおしまいだ…。僕の全部をリズムちゃんに捧げてきたのに」

 夕焼けに照らされ奴の表情が伺えない。

 ただ、歪んだ愛情と捻じれ曲がった悪意、その二つが混ざり合い膨れ上がった感情が彼を形成しているのだけは分かった。

「…おしまいならもういいか。そうだよな。そうだそうだ!もう仕方ない!話の通じない馬鹿は前みたいに黙らせればいいか!」

 哄笑を上げる奴の左手にはもう一振りのナイフ。

「お前のせいだ!僕は…っ!」

 血走った目で激昂する男。

「…推しには毎日、楽しく平穏に生きていてほしいと思う」

―そうやってリズムちゃんのことを支え続けたんだから。

楽しかった彼女との日々を思い返すだけで胸が暖かくなっていく。

 男がポケットから二本目のナイフを取り出したが、動じることなく続ける。

「推しが毎日平穏に生きられるなら、推しの力になれるなら…」

「だ、黙れええええええええ!」

「俺はどんなことでも全力を尽くす」

 奴が眼前に迫ってきた瞬間。俺は胸いっぱいに空気を吸い、全力で叫ぶ。


「助けてくれえええええええええええええええええええ!!!!!!!」


 突然の大声に奴も流石に驚き足を止めた。

 ―それが狙いだった。そして俺が助けを呼んだ存在は猛然と駆けつけてくる。

「きゅ、急に大声出してビックリしたけどよぉ!ハッタリじゃ―」

「やめたまえ!!」「何をしているんだ!」「うおおおおおおおおおお!!」

「な、なんだ!?ぐ!ぐがぁらぁあ!」

 我に返った奴が此方に一歩踏み出そうとした瞬間、奴は筋骨隆々な男たちに取り押さえられていた。

「だ、誰だ貴様らは!」

 ―「ひいらぎ荘」の一階にはラグビー部所属の大学生たちが住んでいる。

夕方、外でトレーニングするのが日課の彼らが助けを呼ぶ声を聴いたら、ナイフを持った男が暴れているのを見たらどうするだろうか。

無論、危険を顧みず助けに行くだろう。

 ―だからこそ、俺はこの時間、この場所を選んだ。

 万が一、奴が逆上した時を想定して圧倒的力を持つ彼らの存在は必要不可欠だった。

 そしてもう一つ、わざわざ自宅前で決行した理由があった。

「―はいはい!そこまでそこまで!もうバッチリ証拠も取ってあるから大丈夫だよ」

「な!?だ、誰だ!」

 取り押さえられた男の視線が声のした方へと向く。

「わ、私たち、ずっとお前のこと、さ、撮影していた。証拠ここにある」

俺の背後から聞き馴染みのある爽やかな声と、か細い声で喋る声。

「二人とも随分とのんびり撮影してたな。いつまでも出て来ないからヒヤヒヤしたぞ」

自撮り棒を持った咲人と花宮が俺の背後からスマホで様子を撮影しながら現れる。

「すまんすまん、しっかり最後まで撮影しておきたくてな」

「わ、私、何度も、は、早く行こうって言った…。けどずっと夢中だった」

 ―危うく本当に殺されるかと思ってドキドキしたんだからな。

 咲人たちからスマホを受け取り、画面をスワイプする。

「な、なに撮ってるんだ!おい、今すぐそれを消せ!」

 状況に気づいた男は吠える。でも、もう遅かった。

―なんせコイツは俺たちの仕掛けた罠にまんまと嵌ったんだから。

 勝ち誇った表情から一変、青ざめきった男に撮影した映像を見せつける。

―ここは彼女の挨拶を引用するとしよう。

「…さぁ、刮目せよ!俺たちの時間だ!」



  ◇



 月日は戻ること二週間前、白葉さんに朝ご飯をつくってもらった日まで遡る。

 あの日、俺と白葉さんはコクーンで二度目のデートをした。でもあの日は俺たち二人だけじゃなかった。

『それじゃあ指示したコース通りに。こっちは周囲に不審な人物がいないか確認する』

『了解。頼んだぞ。咲人、花宮』

 俺たちはただ目的もなく毎日同じ店を巡った訳じゃない。

俺たちはストーカー男を〝安心〟させたのだ。

 まるでこの前の事なんて覚えていない様に振る舞いながら、幸せを周囲に振り撒きながら二人で歩いたら、奴は一体どう思うだろうか。

 簡単な話だ。バレてない。と油断するはずだ。

 カッとなってやってしまったとはいえ、顔を見られてしまったこと、実害を出してしまったことは彼にとって大きな失敗に感じているはず。これを機に警戒されたり、近辺を出歩かなくなったり、警察に相談されたら自分の身に危険が及ぶ可能性まであるから。

 ―現に彼の尾行はかなり慎重になっていて、デート五日目まで気づけなかった。

 でも奴は尻尾を出した。

 犯罪者というのは、罪を重ねれば重ねるほど犯行は大胆に、それでいて大きな見返りを求めるハイリスク・ハイリターンの思考になっていくようで、デート十日目辺りじゃ改札出た瞬間から奴の存在に気がつくぐらいだった。

 そんな奴がリスクを犯してまで手に入れたいリターンはなんだろうか。

 ―白葉さんの住んでいる家。

 ようやく何日も何日もストーキングして自宅まで辿りつけていなかったのに、何度も何度も同じ駅で見かけたら、近所に住んでいるんじゃないか?と思うはず。

 そして俺たちはそこに目をつけて奴に餌を撒いた。

 ―彼女一人の時間を敢えて作ったのだ。

 危険承知でさいたま新都心から大宮までの一駅の間、僅か三分程度しかないが確かに彼女の周りに俺のいない時間を作った。

 きっと奴からしたら眉唾だったろう。邪魔者もいなく一人で帰る彼女を追いかけられるのだから。

 人は自分の望むものに手が届きそうになった瞬間が、一番油断する。

 確かに今まで奴のストーキングはあまりにも自然で完璧だったが、白葉さんの足取りを掴めた途端、奴の尾行は不自然で杜撰なものになっていった。

 こうして毎日無防備な時間を作ることで、奴の警戒を徐々に解き尻尾を出させる。」それが俺たちの狙いだった。


『もうそろそろ駅に着くから、花宮は次の電車に乗って待っててくれるか?』

『りょ、りょーかい!つ、次の電車のご、五両目に乗る!』

 ただ、その三分間何も対策をしないのはあまりにも危険だった。

そこで花宮には彼女の護衛となった。。

俺たちのデート終盤、花宮は隣駅から大宮行の電車に乗り、同じ車両に白葉さんも乗り込むことで奴にバレずに見張りをつけていた。

更に念には念を入れて、駅のトイレで合流した二人は件のダサTシャツに着替え、タクシーで帰宅してもらった。

人は他人を探す時、顔や髪型ではよりも遠目で見た時、要素がハッキリとしている衣服で判別しがちなのを逆手に取っての考えだ。

奴が見慣れているのは外出用の白葉さんのコーディネート。まさか彼女がイカレたデザインの奇天烈Tシャツを着て街を彷徨いているなんて思わないだろう。

ちなみにあの奇天烈Tシャツで外歩くことに抵抗感は無いか尋ねたところ、

『なんで?まあ確かにラフな格好ではあるけどね~』

『こ、これはこれで、け、結構ありだ、ぞ』

両者共々平気な顔して言っていたので問題なかった。


『咲人の方はどうだ?バッチリ撮れてるか?』

『ああ!よく撮れてるぜ』

 そして咲人はストーカー男の〝ストーカー〟になった。

 正確にはデートする俺たちをストーキングする奴を尾行し、その様子を証拠映像として撮影してもらった。

 偶然居合わせた。と主張されても映像があれば、奴も言い逃れできないだろう。

 一応、尾行+と盗撮という犯罪コンボではあるが、本人から相談を受けて。という大義名分がある以上咎められることは少ないはずと判断しての作戦だった。

 ストーキング対象からの視線には敏感なストーカーだったが、まさか自分が付けられているとは思いもしなかったらしい。


こうして奴が完全に油断し証拠映像も集め終わった後、最後の仕上げとして白葉さん一人で帰宅するのを奴に追わせ、二人きりになったタイミングで彼女に話を切り出してもらう。

掲示板で自分のストーカー活動を共有していた男だ。きっと口を割らせるのは簡単だろうと思っていたが、まさかあそこまでペラペラと全部話すとは想定外だった。

 その自供部分をカメラに収めたら、絶対に言い逃れの出来ない状況証拠の完成。

ところどころ危険な場面もあったが、奴に感づかれることなく確実な証拠を手に入れる方法はこれしか思いつかなかった。


「…見てもらった通り、お前がここまで彼女にしてきた事は全部ここに収めてある」

 わざわざ自宅前で作戦決行したもう一つの理由。それは自宅までストーカー行為をしていた。という確実な証拠を収めるためだった。

「ストーカー規制法曰く、『住居付近』がキーワードらしいからな」

「な、な、なんだと…。まさか最初からずっと…」

状況証拠も揃っている。それもストーカー容疑だけでなく、銃刀法のオマケ付き。その上、両手両足を屈強な男性に押さえつけられていると。

 ―完全な詰み状態だった。

 スマホで撮影した映像を見せつけ、青ざめきった奴にトドメの一言を言い放つ。


「まさかストーカーが〝ストーキング〟されるなんてな」



                    8



 後日談。というか今回のオチ。


 咲人が予め通報していた警察が到着し、奴はその場で現行犯逮捕された。

 調べによると、奴は過去にも職場の同僚をストーキングした疑いが持たれており、その際のトラブルが原因となって一年半ほど前に解雇されていたらしい。

 家宅捜索したところ、白葉さんが写っている写真が何点も押収され、過去のトラブルも相まって常習性があるということで恐らく起訴されるだろうとのことだった。


皮肉にも俺たちの撮影した映像は、捜査班を動かしたキー程度にしかならず、証拠の一つとしてカウントされていた。

「後半、構図にもこだわって撮影したのにな…。」と咲人は肩を落としていたが、大義名分があったとしてもクロよりのグレーな行為なのは間違いなかったので、咎められずに済んだのは有り難かった。


 そしてラグビー部の面々だが、彼らは犯人を取り押さえたということで表彰されていた。これには花宮も「わ、私たちのほうがた、大変だったのに…」と零していたが、前述の通り目立たないほうがいいのは確かだったので、結果オーライだった。


 元人気ネット配信者のストーカー犯が逮捕されたという知らせはネットニュースでも取り上げられ、界隈でちょっとだけ話題になった。

 しかし〝ちょっと〟だけというのも、この事件の直後大人気声優のストーカーや誹謗中傷による裁判があり、話題が全部そっちに持っていかれたためだった。

これには流石の白葉さんも「私、一応大手事務所のVtuberだったんだけどな…」とボヤいていたが、今後のVtuber活動の再開を考えると変に話題になってケチがつくよりはマシか。と苦笑していた。


そんな白葉さんは連日、事情聴取や書類作成に追われており忙しそうにしていた。

特に誹謗中傷については、毎日のように膨大な数の当時のアンチコメントを確認し、どこで精神的苦痛を感じたか明記する必要があり、彼女も「辛かった時期思い出して最悪な気持ちになる…」と零していたが、その表情は何処か晴れやかだった。


かくいうVtuber界隈ではやはり元大手所属ということもあり、TLで話題にはなったものの、ろくでもない憶測や根拠のないイナゴネット記事の餌にされて、一週間後には誰もこの話をしてなかった。

正直、元TOとしてはもう少し、リズムちゃんの話をしていて欲しかったのが本音だ。


 結果として、この事件はネットの一部界隈では話題になったものの、特段業界を揺るがすこともなく、大学ラグビー部員のお手柄!ということで幕を閉じた。


事件後、俺と白葉さんの間にも変化があった。

 まず俺と白葉さんは別れた。

そもそもストーカーに見せつけるための偽装恋愛だった上に、Vtuber活動を再開する上で彼氏がいるのはマズイだろうと俺から切り出したのだ。

本音を言うと、このまま恋人関係を維持したかったが、こればかりは仕方の無いことだと涙の決断。

白葉さんも少々名残惜しそうだったが、「春矢が言うなら…」と唇を尖らせつつも了承してくれた。きっと俺の料理が食べられなくなるのが残念だったのだろう。

 なので代わりに毎日、彼女に朝食と夕食を振る舞うことになった。これなら彼女の不満も解消できるし、何より彼女にご飯をつくるのが楽しくて仕方なかった。


 一週間経ち、梅雨前線が北上し始めた頃。白葉さんは普段の生活に戻った。

「はぁ~~~!久しぶりの何にもない日!予定が入ってないってのは最高だね~!」

「本当にお疲れ様でした。じゃあ朝ごはんパパっと作っちゃいますね」

と言っても裁判の準備もあるので今後も忙しいみたいだが一段落はついたらしい。

 いつも通りの穏やかな日常がちょっぴり懐かしく感じる。そう思うほどこの一ヶ月は激動なものだった。

 今朝のメニューはトーストとスパニッシュオムレツに、即席のオニオンスープ。

 個人的にスパニッシュオムレツは手軽で、具沢山だから満足感も得られるということでお気に入りのレシピだ。

 白葉さんも「週一で出して!」とリピート確定要求するあたり、気に入ってくれたみたいで非常に嬉しかった。

「いや~!今日もいい天気ですね」

 梅雨の気配も微塵に感じない、雲ひとつない快晴の青空が窓の外には広がっていて、通り抜ける風も心地よく、洗濯物がよく乾きそうだった。

 洗濯物を干しながらリビングにいる白葉さんに声を掛ける。

「白葉さーん!お皿お水につけておいてくださいねー!」

「お腹いっぱいで何にもできない~」

 案の上、いつものように彼女はリビングでデロデロになっていた。

「はいはい、子供みたいなこと言ってないでくださいー」

 やれやれと洗濯かごを持ってベランダから戻り、彼女のお皿を台所へ。

 ―全くこれじゃ、白葉さんのお母さんじゃないか…。

 ささっと洗い物を済ませ、リビングのキウイの形を模したクッションにどっかりと座る。件の奇天烈Tシャツを売っている雑貨店で購入したのだが、見た目も可愛いので大変お気に入りである。

「そういや、今日予定空けておいてってどうしたんですか?」

 白葉さんに「もうすぐ色々終わるみたいだし、今度の土曜日空けておいてよ」と言われたことを思い返しながら訊いてみると、

「あー。それなんだけどさ…」

 物恥ずかしげに少し逡巡して彼女は言った。

「…天気いいしデート行かない、かな?」

 彼女の両頬は真っ赤に染まっていた。



  ◇



 ―それから俺と白葉さんはまた同じように、スタパをスルーして、家系ラーメンを食べて、遊べる本屋がコンセプトの雑貨店にも行った。

彼女曰く「あの日誘ってくれたデートの続きしたくて」ということらしい。

ただ今日はあの日のデートとちょっとだけ違った。

 ラーメンはほうれん草トッピング二枚、海苔煮玉子チャーシュートッピングに濃いめ硬め油多めでライス大盛りの白葉さんカスタムで食べたし、雑貨店ではお揃いの奇天烈Tシャツを買った。

 そしてあの日見られなかった映画も一緒に見た。

 見るつもりだった映画は既に上映終了していて、代わりによくある感動長編物を見たのだが、こういう話にすれば泣けるんだろ?という明け透けな意図を感じる退屈で陳腐な作品でちっとも面白くなかった。

上映中、チラリと横目で見た白葉さんも薄笑いを浮かべていて、涙なんて一筋も流れおらず退屈そうだった。終演後、二人で発した第一声が「イマイチだったね」で思わず苦笑してしまった。

 その後は二人でモール内をぶらぶら散策し、コーヒー豆を新しく買った。白葉さんもいつか飲めるようになりたい!と言っていたので、今回は初心者でも飲みやすい店独自ブレンドをチョイスした。


 そんなこんなで気づけば太陽は既に傾き、空も朱色を帯び出していた。

「思ったより色々と買っちゃいましたね」

 シャツやコーヒー豆以外にも生活用品やら食材やら買っていたら、あっという間に両手が袋で埋まってしまった。

「最初はただのデートのつもりが、まさか普通のお買い物になっちゃったね」

 そう言ってタハハと苦笑した白葉さんがおもむろに手を差し出してきた。

「……ん」

 ―なんでこっちに手出してきたんだ?

 差し伸べられた手をじっと見つめる。すらっと伸びた綺麗な白い手だった。

「……ん?」

「……ん!」

 疑問符と感嘆符付きの「ん」が二人の間を飛び交う。

「えと、白葉さん、この手は何を…?」

「荷物こっちにちょーだいってこと!」

 言われた通りに荷物を渡すと空いた手のひらにすっと暖かい感触が滑り込んできた。

「…じゃないと手繋げないでしょうが」

 感触の先を見ると白葉さんの華奢な手が自分の手の中に。

「なら最初からそう言ってくださいよ」

「そういうのは察してほしいの!」

「耳まで真っ赤になってますよ~」

 恥ずかしげに唇を尖らす彼女の手を優しく握り返す。

「…実はね、春矢にまた出会えて本当に嬉しかったんだよ」

 夕焼けに照らされた遊歩道を歩きながら彼女は言う。

「あんな目に遭うとやっぱり誰も信じられなくなっちゃってさ、同期にすら疑いの目というか、私はこんなにも辛いのにどうして…って気持ち出てきちゃって。もう全部が最悪だったの」

 目を伏せて当時を思い返しながら言葉を続ける。

「でもね。一人だけずーっと馬鹿みたいに応援してる人がいてさ、配信頻度が少なくなっても、配信がアンチvs自治で荒れても、その人はただひたすらに純粋な私への愛を伝えてくれたの」

 ―きっとあの日の俺のことだと思った。

 当時の俺は毎日、応援しているって気持ちを伝えたくて、できる限り気持ち悪くならないように簡潔に纏めた文章をタグ付きで投稿していた。

「最初は当時の状況も相まって素直に受け取れないどころか正直、気持ち悪く思えちゃってさ、でも来る日も来る日も純粋な応援メッセージを送ってきて、いつの間にかその人からの文読むのが楽しみになっていて。気づいたら私、たっくさんその人から元気貰っていたの」

 馬鹿みたいに日課のように頭を悩ませながら、日々書き連ねた怪文書たちが、まさか彼女の力になっていたとは。

 ―最初はやはり気持ち悪がられていたみたいだったが。

「だから、引退する時も真っ先のその人のメッセージが頭に過ってさ、ものすごく申し訳なくて、きっと傷つけちゃうんだろうな。嫌いになるだろうな。ってずっと思ってた」

 …でもね。と一度言葉を切り、視線を上げて俺と見つめ合う。長い睫毛が揺れて、潤いを帯びた瞳に俺の顔が映っていた。

「…そんな君とまた出会えて本当に嬉しかったんだよ!『すぷりんぐ。』君」

 突如として出てきたその名前は、俺のハンドルネームだった。

「過去の俺に言ってやりたいですよ、『お前のやった事は全部無駄じゃなかったぞ』って。本当に昔の俺って最高に馬鹿でした」

「ううん、今も十分馬鹿だよ。だってストーカーにも立ち向かっちゃうんだから」

その通りですね、と二人で失笑してしまう。

「―私ね、Vtuberもう一回やるよ。今度は目指せ登録者数、百万人!」

 そう指差す空には薄っすらと星々が瞬いていた。

「企業所属ばっかのこの業界で今更、個人勢は結構大変そうですよ?」

「それでも!私はやる!やると決めたらやるんだ!」

 ―大好きな推しが戻ってきてくれた。

 容姿こそ違うけれど、推しは確かに存在していて、推しの元気そうな姿をこの目で観測できて、推しとの思い出がまた新しく紡げるなんて思ってもみなかった。

 胸から込み上げてくる感情がこの世界で一番大事な物なのかもしれない。

「応援してますよ、いつまでも馬鹿みたいにね」

「楽しみにしててよ、きっとまた輝いてみせるから!」

繋いでいた手がふわりと解け、数歩先にステップを踏んだ彼女は振り返って笑う。

「だから、刮目せよ!これからが私たちの時間だ!」

 彼女の笑顔をこれからも近くで見ていたいとそう願った。(完)


ありがとうございました。

次回作も書くので、フォロー?とかいいね?とかしてくださると嬉しいです。

あと、勝手が分からないのでいろいろと教えてくださると嬉しいです。

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