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あらぬ疑いで国外追放されそうなので、異議ありと叫ぼうと思います

 容赦なく頬を打たれて、眼の前にチカチカと星が散る。その瞬間フィルメリアの脳裏によぎったのは、これどこかで見たことあるやつだ、という妙に達観した思考だった。

 衝撃によろめいたのを踏みとどまって、ゆっくりと面を上げる。痛む頬を手で押さえながら、彼女は周囲に視線を巡らせた。

 広い、広いホールだ。遠い昔に旅行で訪れたことのある、とても有名な教会の身廊に印象が似ている。ただし教会であれば並べられている筈の椅子は無く、奥には祭壇もない。長辺の壁には彫刻の施された太い柱が並んでいて、その間に明かり採りの窓が配されていた。

 窓に掛けられたカーテンは淡い菫色だ。とろりとした艶のある生地で、たっぷり取られたドレープが素晴らしく優美だった。

 あんな生地でワンピースが作れたら素敵なのに、そう思いながら視線を滑らせる。

 見上げる天井は緩やかなカーブを描いていて、その一際高いところからシャンデリアが吊り下げられていた。

 蝋燭とは異なる灯りに煌々と照らされているのは、学院の生徒たちだ。卒業を祝う式典に相応しく、めいめいが華やかな衣装に身を包んでいる。

 どこか遠い異国のような風景に、卒業式典、公衆の面前での平手打ち。

 この状況は、つまり例のあれだろう。

 幸いなことに、と言えるかどうかは怪しいところだが、エンタメ関連には馴染みがある。要するに輪廻転生だとか生まれ変わりだとか、つまりそういうことなのだろう。

 とは言え自分の身にそれが降りかかるとは、よもや欠片も思いもしなかったが。

 打たれて痛む頬に手を当てながら、フィルメリアは辟易とした気分で溜め息を吐いた。

 世が世なら、警察を呼んで傷害罪でしょっぴいて貰うところだ。そう思いながら、正面にいる人物に視線を当てた。

「いきなり、なにをなさるのでしょうか。王子殿下ともあろう方が、このような暴挙に出るとは浅慮ではありませんか?」

「なにを、だと? きさまは自分がなにをしたのか、少しも理解していないのだな」

 嘲るように言って、王子――ジュリアスが顎を反らす。

 美姫と名高かった王妃に似た金髪に白皙の美貌だが、浮かべる表情がそれを台無しにしてしまっている。水色の瞳も宝石のように美しいのに、そこに浮かんでいるのはフィルメリアに対する激しい憎悪だ。

 どうやら相当な敵意を持たれているらしいが、あいにくとその心当たりがない。

 フィルメリアは頬に手を当てたまま、できるだけ上品に首を傾けた。

「わたしが、一体なにをしたと言うのでしょう」

「まだ言うか。学園きっての才女、などと言われているようだが、やはり勉強ができるだけの無能であったようだな。ずいぶんな頭の鈍さではないか」

 ふん、と鼻を鳴らしたジュリアスは、傍らに控えていた少女の腰を抱き寄せると、周囲にはばかることのない声の大きさで言った。

「きさまが学園内で行っていた愚かな振る舞いは、俺のみならずここにいる誰もが知っている。フィルメリア・シアーズ、きさまが俺の愛するマリア――いずれは国母となる彼女に、数々の嫌がらせをしていたことを忘れたとは言わせんぞ!」

 案の定の展開である。

 それにして突っ込みどころがありすぎて、どこから反論すれば良いのやら、だ。

 そもそもジュリアスは第三王子である。世継ぎである第一王子は既に立太子を済ませ、王子妃との間にふたりの王子を儲けている。そして第二王子も去年に妃を迎えていて、つい先日に王女が産まれたばかりだ。

 この国の王位継承権は出生順だから、第三王子の継承順位は下がりに下がって現在は第六位である。王家によほどの災難が訪れない限り、ジュリアスが王位を継ぐことはないし、マリアが王妃となる目は限りなくゼロに近いだろう。

 それを国母などと、マリアもいい迷惑と思っているのではなかろうか。

 フィルメリアはそう思いながら、ジュリアスに腰を抱かれたマリアに視線を向けた。

 線の細い華奢な少女だ。赤みがかった金髪を複雑なかたちに結い上げていて、卒業式典で身につけるには華美すぎる髪飾りを挿している。

 冬空のような青い瞳が美しく、整った顔貌をしているのだが、おどおどした態度のせいでどこか陰気に見える。

 気遣い屋で優しい人、という噂を耳にしたことはあったが、どちらかと言えば内気で湿っぽい印象だ。

 視線を向けたフィルメリアと目が合うと、マリアは怯えたふうに身体をびくりとさせた。そんなふうに怯えを見せたマリアに気づいたのか、ジュリアスが不快げに顔を歪ませた。

「そうやって睨みつければ、心優しいマリアの口を塞げると思ったか。愚か者め。きさまは少しも理解していないようだが、マリアは本物の才女だぞ。なにせ彼女の卒業研究は、学園長から優秀賞をいただくほどの出来栄えだったのだからな。きさまの妨害工作程度で、揺らぐようなやわな聡明さではないのだ。卑怯な真似をしなければ、成績を保てないきさまとは頭の出来が違うのだぞ!」

「……お言葉ですが、わたしは彼女を睨んでなどいません。元からこういう目つきなのです。それと……妨害工作ですか? そのようなことは、した覚えがありませんが」

 そう言い返すと、ジュリアスが嘲る目でフィルメリアを見た。

「まだ白を切るつもりか。本当に救いがたい性悪だな。いいか、きさまがマリアのノートを、裏庭の池に投げ捨てたことは分かっている。被害者であるマリアが見た、と言っているのだ。これ以上の証拠はないだろう」

「はい? ……ええと、ちょっと待ってください。被害を主張する方の証言だけで、わたしを糾弾するおつもりですか?」

「もちろん、証人ならば他にもいる。犯行現場から去って行くきさまを見た、と言う人物がな。そして犯行当日、きさまが学園の敷地内にいたことは確認済みだ。図書室の利用者一覧に、きさまの名があることも分かっている。図書館から学生寮の間には、マリアの私物入れ、裏庭の池がある。怪しまれずに犯行に及ぶことは可能だ」

 ジュリアスはそう高らかに言い放つと、フィルメリアに向かってびしりと指を突きつけた。

「未来の国母であるマリアに対して、かような卑劣な真似をする人物など、この国には置いてはおけぬ。王子であるこの俺が、きさまに国外追放を命じる! 首を落とされずに済んだことに感謝して、この場から即刻出て行くといい!」

 固唾を呑んで見守っていた周囲が、ざわりとする。

 王族による国外追放など、数十年前に当時の国王が政治犯に対して下したきりだ。

 王命を急ぐ理由があったその時ですら賛否両論あったと言うのに、言い掛かりでこれは後の非難を免れないだろう。

 とんでもないことになった、という周囲の空気を読めていないのか、マリアが目を潤ませてジュリアスを見つめている。一方ジュリアスはやり切ったと言わんばかりの表情を浮かべ、マリアに「安心するといい、悪は滅びるものだ」などと嘯いている。

 なんだかもう面倒くさい気持ちでいっぱいになったが、しかしここで放置すればもっと面倒なことになりかねない。

 フィルメリアは小さく溜め息を吐くと、すっと手を挙げた。

「――異議を申し立てます。ジュリアス王子の言動は、王国法第三十二条第二項、公衆の面前での名誉毀損に該当すると思われます。ですのでランバート法に規定されているとおり、反論のための機会と裁定する立会人を求めます」

 立会人、と声を発したタイミングで、フィルメリアは周囲を見渡す。

 卒業生や教師の数人はさっと視線を逸らしたが、よく見知ったひとりが、面白そうに口角を吊り上げているのがわかった。

 学園の教師の証である黒色のローブに、白髪交じりのグレイヘアー。フィルメリアも大変お世話になった法律学の教師、ロバートソンだ。

 この場における立会人として、これ以上相応しい人物もいないだろう。

 フィルメリアはにっこりして言った。

「ロバートソン先生、お願いできますか?」

「ええ、もちろん。構いませんよ」

 言ってロバートソンは群衆の中から前に出て、そのまま歩み寄ってくる。

 そろそろ引退も間近な年齢のはずだが、背筋はしゃんと伸びていて、歩む足取りも確かだ。

 知性も知識も衰えるどころかますます健在で、生半可な学力で論をぶつけてもとうてい敵わない、正真正銘の知識人である。その講義は厳しいことで有名で、理詰めで容赦のない指導に、泣き出す生徒も少なくなかった。

 どうやらジュリアスもロバートソンを苦手としていたようで、彼はじり、と後ずさると、目に見えて狼狽えた表情になった。

 フィルメリアを睨みつけて言う。

「な、なんだ。これは一体どういうことだ。きさまを追放するのに、なぜロバートソン先生が出てくる必要がある。それに立会人とはなんだ。小難しいことを言って、まさか俺を煙に巻くつもりか?」

 それに応えたのはロバートソンだった。眼鏡のつるを指で押し上げて、呆れたことを隠しもしない口調で言った。

「ジュリアス王子、どうやらあなたは私の講義を聴いていなかったようですね。提出したノートは及第点だったはずですが、精査し直す必要があるかもしれません」

「え、あ、いや……」

「マリア・フローレンス。あなたもですよ。優秀な成績を収めたあなたが、なぜジュリアス王子の愚行をお止めしなかったのです」

「そ、そんな。違うんです、ロバートソン先生。私はただ、フィルメリアさんに、自分のしたことを認めて貰いたかっただけで……。謝ってもらえれば、それで良かったんです。でも……」

 涙に潤んだ目で、マリアはロバートソンを見上げる。それは同性のフィルメリアから見ても、庇護欲を擽る眺めだったが、ロバートソンは毛ほども感情を揺らさずに口を開いた。

「言い訳は結構です。それよりも不用意な発言は控えるように。この場は私が取り仕切る、簡易的な裁きの庭です。手前勝手な謝罪の要求など心象を悪くするだけですよ。己の愚かさを理解したなら、以降はよく考えて発言するように」

 大上段から切り捨てるような物言いである。

 これにはマリアもぴしりと姿勢を正し、釣られてジュリアスも背筋を伸ばした。厳しい表情のロバートソンが、フィルメリアを見て言う。

「では、フィルメリア。あなたの言い分を聞かせてください。ジュリアス王子の言動は、名誉毀損の要件を満たしています。ですがマリア・フローレンスの訴える被害が事実だった場合、公共性を理由に訴えを却下しなければなりません」

 そう言った途端、ジュリアスが表情を明るくする。

 ロバートソンがフィルメリアを擁護するでもなく、公正な態度を取っていることに勝機を見出したのだろう。「適当なことを言っても無駄だからな」と意気揚々と野次を飛ばしてくる。

 非常に鬱陶しい。

 ロバートソンはそれを眼差しだけで黙らせてから、改めてフィルメリアに視線を当てた。

「マリア・フローレンスの訴えを退けるに足る、根拠や証拠はありますか?」

「はい、先生。学生課の記録――ノートとインクの支給申請履歴を開示いただければ、わたしの疑いを晴らすことは可能だと思います。……お願いできますか?」

「ええ、いいですよ」

 さらりと請け負って、ロバートソンはローブの袖に手を突っ込んだ。

 よく慣れた動作で鍵を取り出し、なにもない中空に差し込む。鍵を捻るとかちりと音がして、そこに光る小さな窓が現れた。

 なんとも不可思議な光景にロバートソンは戸惑う様子もなく、どころか窓を開けてその中に手を差し込んだ。ごそごそと漁って、取り出したのは黒い綴じ込み表紙の冊子だった。

 まるで魔法のような眺めだが、あれは学園の教師だけに使用が許された魔道具だ。魔道具に紐付けられた書物や書類を、ああやって自由に取り出すことができる、所謂ローカルネットワークである。

 学園生活のほとんどを図書館通いに費やしていたフィルメリアにとって、喉から手が出るほどに欲しかった代物だ。所持が教師にしか許されないと知って、悔しさに涙をのんだ覚えがある。

 やはりあれは素晴らしく便利だ、そう思って見ていると、ロバートソンがページを捲りながら、淡々とした声音で言った。

「これは原本ではなく複製ですが、記録の閲覧だけですから問題ないでしょう。それで、マリア・フローレンスの支給申請履歴でしたね。……ノートは年初に教科分それぞれ一冊ずつ、インクはひと瓶ですか。勤勉な生徒でも、一年でノートを消費しきるのは難しいですから、妥当な量でしょう。それで?」

 フィルメリアがなにを争点にしたいか既に察しているだろうに、教えてくださいと言わんばかりに問いかけてくる。その口調でロバートソンがこの場を教育の一環とするつもりであることが分かって、フィルメリアは小さく溜め息を吐いた。

 それでも姿勢はまっすぐに、声は張りすぎず冷静な口調を意識して言う。

「それこそが、わたしがマリアさんのノートを破損していない証拠です。ノートを池に捨てられたという証言が事実であれば、書いた文字は滲んで読めなくなっているはず。一度濡れた紙は乾かしてもたわみますし、使い物になりません。だとすれば新しく購入したでしょうし、支給申請履歴と矛盾が生じることになります」

「水に浸かったのは一部分だけで、新たにノートを申請する必要はなかった、という可能性もあるのでは?」

「それでも、まったく紙が傷まないなんて有り得ません。そしてノートは、学年最後に提出義務があります。書き文字の雑さですら減点対象となるのに、濡れた痕跡のあるノートを提出する生徒はいないでしょう」

「なるほど、一理ありますね。――では、マリア・フローレンス。フィルメリアの主張に反論をどうぞ」

 開いていた黒色の表紙をぱたんと閉じて、ロバートソンがマリアに視線を当てて言う。

 渦中の人物であるにも拘らず、我関せずとばかりに一歩下がった位置にいたマリアは、虚を突かれたような顔になった。

 きょろきょろと周囲に視線を彷徨わせ、逃れられないことを察したのだろう。彼女は大きな目に涙を浮かべると、ひどく悲しげな様子で顔をうつむかせた。

「は、反論なんて……そんな、私……」

 今にも泣き出しそうな声で言うマリアに、ジュリアスが表情を固くする。

 彼はマリアを庇うように前に出ると、ロバートソンに食って掛かる勢いで言った。

「被害者であるマリアを責めるような真似は、どうか止めていただきたい。ただでさえ辛い思いをしている彼女に、これ以上の苦しみを与える必要はないでしょう」

「被害を訴えたのはマリア・フローレンスですよ。その主張と矛盾する証拠がある以上、彼女は自身の訴えの正当性を証明する必要があります。ジュリアス王子の出る幕ではありません。下がっていなさい」

「なっ……!」

 またしても切り捨てるようなロバートソンの物言いに、ジュリアスが目を白黒させる。

 王族として遇されるのが当然だったジュリアスには、その不遜とも言える態度は受け入れがたいものだったのだろう。激高して飛び出そうとするジュリアスを、だがすんでのところで止めたのはマリアだった。

 ジュリアスの腕を引いて、彼女は意外にもしっかりした声音で言った。

「……池に落とされたノートは、その、提出用のものではなくて……ちょっとした覚え書きや、研究用のアイデアをまとめた、個人的な物だったんです。だから、学生課の記録に残っていないのは当然だと思います」

 なるほど筋は通っている。

 だが彼女の発言に看過できないものがあって、フィルメリアは小さく挙手をした。

「異議」

 ロバートソンが面白そうに眉を上げる。

「なにか気になることでもありましたか?」

「はい、ロバートソン先生。マリアさんの発言が事実であれば、別の問題が生じます」

「別の問題、ですか。……それは?」

「わたしたち学園で学ぶ者は入学時、学園で得た知識を国に捧げることを誓います。わたしたちの知識と知恵は国のもの。学園内で使用する教本や、高価な文具類が無償で支給されるのも、わたしたちが国のために学ぶからこそです。個人的な所有は許されていません」

 国は教育に力を注ぐ一方、技術や知識の流出は過剰に思えるほど厳しく取り締まっている。

 在学中は外部への手紙は禁止され、日記などの私的な記録には許可が必要で、しかも検閲が入ることを承諾しなくてはならない。メモの類も徹底的に管理されていて、講義で使用した分は必ず回収し破棄される。

 もちろん、こっそり覚え書きなどを残す者もいるが、見つかれば厳しい処罰を受けることになる。

 プライバシーもなにもあったものではない、とフィルメリアは思っているのだが、学園がそういう方針で運営されているのだから諦めるしかない。

 無償での教育という甘い汁だけ吸っておいて、権利だけ主張するのは虫が良すぎるというものだろう。

「学生課で申請されていないノートを、マリアさんが所有していたのはなぜでしょう? ――ここでもうひとつ、学生課の支給申請記録の開示を求めます。フィルメリア・シアーズ、わたしの支給申請記録をお願いできますか?」

 ロバートソンが頷く。

「フィルメリアが支給申請したのは、年初に各教科分それぞれ一冊ずつ。それと……ああ、なるほど。紛失届と、その補填分を追加で一冊申請していますね」

「はい。最終学年の中盤、卒業研究を纏める段階でノートを紛失しました。それについては反省文、というかたちでペナルティを受けています。そして研究内容が流出した可能性も考慮して、予備で進めていた内容を卒業研究として提出しています」

「その件は我々教師側も把握しています。時間が足りなかっただろう状況で、よく纏められていたと思いますよ」

 淡々と賛辞を寄越すロバートソンに、フィルメリアは笑みを返す。

「ありがとうございます。……ところで紛失したノートですが、わたしはマリアさんが池に落とされた、と主張するそれがわたしのノートではないか、と疑っています」

 フィルメリアがそう発言した途端、ジュリアスが顔を真っ赤にしてまくしたてた。

「なんという言いがかりだ! フィルメリア・シアーズ! きさまマリアに嫌がらせをしていただけに飽き足らず、罪の捏造までするつもりか!? 恥を知れ!!」

 ロバートソンが、やれやれ、と言わんばかりに頭を振る。

「……ジュリアス王子、そのように騒ぐのを止めなさい。次にまた喚くようなことがあれば、この場から摘まみ出しますよ。それが嫌なら大人しく黙っていなさい」

 ぴしゃりと言って、ロバートソンはフィルメリアに顔を向ける。眼鏡の奥にある焦げ茶の瞳が、射抜くような鋭さでフィルメリアを見た。

「分かっているのですか? あなたの訴えは下手をすればマリア・フローレンスだけでなく、あなた自身の名誉を傷つけることになります。発言は慎重に選ぶように」

「ええ、分かっています。ですが、わたしの主張は思いつきや推測ではありませんし、れっきとした証拠もあります。――マリアさんの卒業研究です」

 周囲がざわりとする。

 いったい何を言い出すんだ、といった空気になったのが分かる。

 だがフィルメリアはそれを無視して、堂々とした態度で言った。

「マリアさんが提出した卒業研究と、わたしがノートを紛失するまで進めていた研究は同一の物です。偶然内容が被った、と言うには類似箇所があまりにも多すぎます」

 ジュリアスが鼻で笑う。

「馬鹿め、そのようなことは後でなんとでも言えるだろう。優秀賞を与えられたマリアの研究まで横取りするつもりか。なんと浅ましい」

「その言葉、そのままそっくり王子にお返しします」

「なっ……!」

 声を荒らげようとしたジュリアスが、ロバートソンの視線に気づいて口を噤む。

 さすがに摘まみ出されるのは嫌らしい。それでもジュリアスは眼差しだけは鋭く、フィルメリアを睨みつけている。

 もう面倒だから引っ込んでいてくれないだろうか、と思いながらフィルメリアは後を続けた。

「私が紛失したノートには、使用した文献や研究者が残した資料も記してありました。それらはすべて、マリアさんの卒業研究の文末にあった物と一致しています」

 なるほど、と呟いたロバートソンが首を傾げる。

「ノートが手元に無い状況で、それをどう証明するのですか? あなたの記憶だけでは証拠になりませんよ」

「問題ありません。なぜなら既に、マリアさんがそれを証明してくれているからです」

 フィルメリアは言って、マリアに視線を当てた。

「マリアさんの卒業研究と、わたしが途中まで進めていた物とでは、アプローチの仕方が異なっています。わたしとマリアさんが取り扱った研究テーマは、過去に起こった婚約破棄騒動について。ですがわたしが取り上げようとしたのは、婚約破棄した側――つまり加害者から見た当時の状況と、その後の影響や政治におけるパワーバランスの変化でした」

 え、とマリアが面を上げる。

 驚いたその表情だけでも、ノートの窃盗と研究の盗用を半ば認めたようなものなのに、それを自覚していないのだろうか。

 フィルメリアはちらと苦笑して、なおも続けた。

「ですから用意した資料には、被害者だけでなく加害者側の物が含まれています。例えば、ネヴィル家。無実の罪で婚約者に国外追放され、失意の内に亡くなられた悲劇の女性、その方の家名です。婚約の年齢を引き上げる切っ掛けになった出来事ですから、学園で王国法を学んだ者なら一度は耳にしたことがあるでしょう。ネヴィル家、と聞けばそれを連想してもおかしくはありません。ところが彼女の兄の子孫――玄孫に当たる嫡男は、婚約破棄の騒動を起こしています。その彼の婚約者はダリア・ランバート。謂われなき名誉毀損に対抗する手段としてのランバート法は、彼女の家名にちなんだものです」

 少し話が脱線してしまった。そう思いながら、フィルメリアはひとつ咳払いする。

「わたしが参考文献に用意していたのは、婚約破棄をしたネヴィル氏が残した物でした。ですが被害者側の視点で纏めたマリアさんの卒業研究に、なぜか加害者であるネヴィル氏の手記が参考文献として記載されているのです。そして彼女の研究内容に、加害者側の視点は一切記されていません」

 魔導具の鍵を使ってマリアの卒業研究の複製を取り出し、目を通していたロバートソンが頷いた。

「確かに。研究自体はよく纏まっていると思いますが、それだけにネヴィル氏の手記が邪魔をしていますね。所謂ネヴィル家の悲劇とは年代が異なっていますから、文献を自分で用意したならあり得ない間違いでしょう。……マリア・フローレンス。この点について弁明はありますか?」

 ロバートソンが静かな声で問う。

 追い詰められたマリアは、目にいっぱいの涙を浮かべて、ふるふると首を振った。

「ち、違うんです……私、そんなつもりじゃ……」

 大きな目から、ぽろりと涙が溢れる。

 女優のような泣き方だな、と思って見ていると、不意にマリアがフィルメリアに視線を向けた。

 つい一瞬前まで泣いていたのが嘘のように、鋭い目で睨みつけて言う。

「ぜんぶ、ぜんぶあなたのせいよ! 私は悪役令嬢(・・・・・・)なのよ!? ヒロインのあなた(・・・・・・・・)が暴走して逆ハーしなきゃ王子の好感度を上げられないのに、あなたはずっと勉強ばかりで、攻略対象に近づきすらしなかった。フラグも立たないんじゃあ、自分でどうにかするしかないじゃない……! そう思っていたら、講堂にフィルメリアさんのノートがあって、それで……」

 衝動的に盗んでしまった、ということらしい。

 焦る気持ちは分からなくはないのだが、しかし卒業研究を横取りして良い理由にはならない。

 そのことを理解しているのかいないのか、マリアは被害者感たっぷりに涙を流している。

 泣き顔を隠すことなく衆目に晒すなんて、侯爵令嬢にあるまじき振る舞いだと思うのだが、傍らのジュリアスは紳士的にマリアの肩を抱き寄せた。

「マリア、そこまで俺のことを想っていてくれたのか……!」

 駄目だこれは、という周囲の声が聞こえてきたような気がする。

 ロバートソンでさえ呆れた表情を浮かべていたが、フィルメリアの視線に気づいて頭を振った。

「つまりマリア・フローレンスは、フィルメリアのノートの窃盗と、卒業研究における剽窃を認める、ということですね。……私が立会人として指名されたのは、名誉毀損についですから、あなたの不正行為については今は深く問いません。ですが後日、改めて追及の場が設けられることになるでしょう。それまで大人しく侯爵邸で連絡を待つように」

 逃げるな、と静かな声で念押ししてから、ロバートソンはフィルメリアに視線を当てた。

「――フィルメリア・シアーズ、あなたの訴えを認めます。よってジュリアス王子に対し、損害請求をすることも可能ですが、どうしますか?」

「必要ありません。わたしへの疑いが晴れれば、それで充分です」

 ジュリアスには頬に一発頂いたことだし、できれば謝罪のひとつもでも欲しいところだが、しかし王族に対してそれは欲張り過ぎだろう。

 ロバートソンもそこが落とし所と考えたのか、こくりと頷いてみせた。

「では、この場はこれでお開きとしましょう。……災難でしたね」

 ジュリアスに付き添われて、卒業式典を後にするマリアに視線を向けながら、ロバートソンが言う。

 平板でありながら、どこか労る声音に、あれ、と思う。

 フィルメリアの不思議そうな視線に気づいたのか、ロバートソンが微苦笑を浮かべてみせた。

「たとえ身に覚えのないことでも、言いがかりを跳ね除けるのは難儀するものです。私もそうでした(、、、、、、、)から、あなたの苦労は分かるつもりですよ」

「ロバートソン先生も、ですか?」

 驚いて言うと、ロバートソンは眼鏡の奥の瞳を悪戯っぽく輝かせた。

「私は旧姓をランバートと言います。ダリア・ランバート。今名乗っているロバートソンは、夫の姓(、、、)です」

「……ランバート? まさか、あの、ダリア・ランバート?」

「ええ、あのダリア・ランバートです。四十年前、ネヴィル侯爵の嫡男に公衆の面前で婚約破棄をされ、謂われなき誹謗中傷を受けました。幸い法律学を学んでいましたから、それを用いて徹底抗戦させていただきましたが。……そう言えば、あの時もヒロインがどうの、悪役令嬢がどうの、と聞いた覚えがあります。あなたもマリア・フローレンスからヒロインと呼ばれていましたが、なにか心当たりはありますか?」

 心当たりはなくはないが、残念ながら説明できるほどの知識はない。

 それで首を横に振ると、ロバートソンが小さく溜め息を吐いた。

「当時の婚約者の浮気相手――平民特待生だった彼女は、自分のことをヒロインだと主張していたのです。そして私のことを悪役令嬢だ、と。あなたも平民特待生ですし、平民にはそういう風習や文化があるのかと思ったのですが……」

 さすがに自分をヒロイン呼びする文化は嫌過ぎる。

 しかしロバートソンの話を聞くに、前世持ちの人間は思いの外多くいるのかもしれない。

 うっかり妙なことを口走って、厄介なことにならないように気をつけなければ。そう心構えしていると、ところで、とロバートソンが言った。

「あなたの卒業後の進路は、もう決まっているのですか?」

「いいえ、それが……。試験の結果は悪くなかったのですが、なかなか配属先が決まらないみたいで」

 国は平民にも学びの機会を与えてくれているが、しかしその実、上級文官の職に就けるのは貴族ばかりだ。

 学園で優秀な成績を収めたフィルメリアですら、めぼしい部署からお祈りされ続けている。

 面談にすら漕ぎ着けられないこともしょっちゅうで、おかげで卒業式典の日を迎えているのに、未だ就職先は見つかっていなかった。

 そろそろ意地を張るのを止めて、民間の就職先を探すべきなのかもしれない。フィルメリアがそう考えていたことを見透かしたかのように、ロバートソンが言った。

「では、私の研究室に入りませんか? つい先日に助手のひとりが結婚して、職を離れることになったのです。文官と比べれば給料は安いですが、研究は好きに続けることができますし、あの魔法具の鍵も支給されますよ」

「やります。ぜひ働かせてください」

 一瞬の躊躇もなく承諾する。

 あの鍵が使えて、研究も自由にできるなんて、フィルメリアにとって夢のような職場である。これで断るのは愚か者のすることだろう。

 前のめりで食らいついたフィルメリアに、ロバートソンが少しだけ引いているのが分かる。それでもロバートソンは居住まいを正すと、フィルメリアに向かって手を差し出した。

「フィルメリア・シアーズ。あなたを歓迎します。記入が必要な書類がいくつかありますから、式典が終わり次第、私の研究室に来るように。先ほど見せた実力を、今後は私の下でも発揮してくれることを願います」

「はい、先生。わたしを拾い上げてくださった御恩に報いるために、全力を尽くす所存です」

 がっしりと握手する。

 秋霜烈日を絵に描いたようなロバートソンだが、触れた手は意外にも柔らかく優しげだった。

 かくしてロバートソンの研究室に入ったフィルメリアだが、彼女は後に裁判所創設の立て役者となる。平民の文官登用にも大きく貢献し、歴史の一頁に名を残すことになるのだが、それはまた別の話だ。

 一方自称悪役令嬢のマリアだが、彼女は卒業研究の剽窃を理由に学園の卒業資格を取り消されることになった。ジュリアスも騒動の責任を取るかたちで臣下に降り、だが彼のマリアへの愛情は真実であったらしい。

 侯爵家は彼を婿として迎え入れ、以降ふたりは慎ましく暮らしたという。

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[良い点] 微ざまぁだけど救いが有る所 [気になる点] ざまぁ要素が少しでも有るならタグ等に「ざまぁ」や「微ざまぁ」が欲しい 個人的にはクズでもざまぁされると心が痛むので読まないようにしてるため
[気になる点] >それまで大人しく公爵邸で連絡を待つように >侯爵家は彼を婿として迎え入れ  公爵ですか? 侯爵ですか?
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