大好きな親友のため
父は残虐非道な男だった。己の欲を満たすためにあらゆる手段を用い、そこには殺生も含まれていた。
一体どういう教育を施されたら、あんな人間が生まれるというのだろう? 無用な殺生はいらぬ禍根を生み、やがてそれらは己に襲いかかってくる。幼子でも分かる道理を、どうして一国の宰相が理解できないのだろう? 人を騙す術は数え切れないほど知っているくせに……。
父は宰相であると同時に皇族であった。遡ること五世前、第七代皇帝であった武王帝の弟君――――それが我が家の始まりであった。
ご先祖様は今頃お嘆きであるに違いない。聖人として称えられたご先祖様の子孫が、今やありとあらゆる人々の怨嗟を買う暴君となり果ててしまったのだから。
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十歳になったと同時に、わたくしは後宮に入れられ、皇后に次ぐ位、皇嬪を賜わった。常に敵意を向けられる後宮になど行きたくはなかったが、どのみち拒否権などあるはずもなく、わたくしは素直に従った。心を無にし、常に顔の力を使って無表情を貫いた。おかげで顔をうまく動かせなくなってしまい、今もその状態が続いている。
周囲の人達は、そんなわたくしを影で気味悪がった。
そりゃそうだ。喜怒哀楽のない人間なんて尋常ではない。鉄仮面、というあだ名もわたくしにぴったりだと思った。
それに――――
変わり映えのない、狭くてつまらないこの宮中で、一体何を感じ、思えばよいというのだろう?
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「それでは、例の件、進めさせていただきますので」
「はいはい。お好きにどうぞ。わたくしは一切関与しませんので」
今日も父の遣いが報告にやってきた。
律儀なことだ。わたくしに話した所で何の意味もないというのに。いや、一応仕事をしたという名目は生まれるか。
「お疲れ様ですね、毎度のこと」
「お凜」
わたくしの従者であるお凜が、いつものように茶を差し出してきた。何も言わずとも察してくれる、わたくしのたった一人の友達。小人のわたくしには勿体無い人物である。
「しっかし大それたことを考えますねぇ相国サマも」
「あの方は奸骨の化身ですから」
「正道を壊し、邪道を生む悪神ですか。酷い言い草っすね、仮にも実父でしょうに」
「父どころか、アレを人間と思ったことすらありませんわ」
自分の野心のためならば身内すら始末する畜生を、どうして敬うことができましょう?
「まっ、これであの方もおしまいですかね。すでに事は露見しているのですから」
「ええ、まさかここまで上手くいくとは思いませんでした。罠を疑うくらいに」
「念の為確認しましたが、連中、すっかり信じ切ってますよ。よほど後がないと見える」
「国を売ろうとした証拠はすでに陛下の手中。実行犯も捕縛済み。あの方に考えられる手段としては、後は全兵力をもっての決起のみです」
「わーお、さすが姫様。全てお見通しでございますね」
パチパチパチ、と拍手するお凜。どこかふざけているように感じるのは気のせいだろうか?
「しかしほんとーによろしいのですか? このままだと、姫様の御家は取り潰しですよ?」
「構いません。あのまま残しておいては、後の世に必ず大禍をもたらします。あの家に生まれた者として、わたくしはケジメをつけたいのです」
「皇帝陛下が約束を守る保証はありませんよ?」
「その時はその時。どこか遠くに逃げましょう」
「そこはちゃんと具体的な対策たててほしかったなぁ」
今度はヤレヤレ、と首をふるお凜。本当に掴みづらい性格をしている。どこまでが本気で、どこまでが嘘なのか……。
まぁそれは、わたくしにも言えることなのでしょうね。
「大丈夫だと思いますよ。あの方は名君です。自らその名声を汚す真似はしないでしょう。約束は、守ってくださるはずです……多分」
「そこは断言してくださいよぉ」
「断定できるほど分かりやすい生き物ではないでしょう、人間は」
「それはまあ、そうですけどねぇ……はぁ」
今度は深くため息をつくお凜。コロコロとよく表情が変わるものだ。少しうらやましい。
「……後悔していますか、お凜?」
「へ? 何がです?」
「わたくしの配下になったことです」
小さい頃、家の前でうずくまっていたこの子を戯れで拾い、護衛として育ててきた。幸いにも恐ろしいくらい剣の腕がたつので、暴君の父もお凜の所有を認めてくれた。
あれから十年、お凜は何も言わず付いてきてくれたけど――――
「近いうち、わたくしは今ほど贅沢に暮らすことはできなくなります。俸禄も、いずれ満足に支払うことはできなくなる。国命によっては、貴女も罪に問われるかもしれません」
お凜には本当に酷なことをした。
退屈を少しでも紛らわすために、偶然転がり込んできた彼女を拾い、このおぞましい家の一員にしてしまった。彼女の意思を無視し、己の欲を満たすために彼女を振り回した。
やはりわたくしも、あの父の子なのだ。他人の命を弄んだ罪は重い。
「今ならまだ間に合います。今の貴女ならば、一人でも充分生きていけるでしょう。故郷に帰るなり、自由気ままに生きるなり、好きになさいな」
これだけは、言っておかねばならない。
思えば、わたくしはお凜のことを何も知らない。否、知ろうとしなかった。お凜にも故郷があるかもしれない。家族がいるかもしれない。わたくしの家なんかより、よっぽど立派で美しい家族が――――
そうであるなら、ここで心中させるわけにはいかない。本来、彼女はこの問題には無関係なのだ。
「私はクビ、ってことですか?」
お凜はまっすぐにわたくしを見つめてきた。いつもは飄々としているが、真面目なときはとことん真面目な子だ。そして、そういう時の彼女は本当に美しい。
「そういうことです」
しばらく沈黙が続いた。わたくしはお凜となるべく目を合わさないよう、顔を横に向ける。今はお凜の顔をなるべく見たくない。
「姫様」
――――耳元で声がした。いつの間にか、お凜はわたくしの側まで近づいていたようだ。
「安心してください、貴女を独りにはしませんよ」
穏やかな口調で、お凜はそう言った。
「よろしいのですか?」
わたくしはおそるおそるお凜の顔を覗く。お凜はわたくしと目が合うと、いつものようにニコッとした笑みを見せた。
「どのみち私には帰る家はありません。元々孤児でしたし、親の顔なんざ知らないし……ですから、また一人になるくらいなら、姫様の側にいたほうが退屈しませんや」
「しかし、それでも……」
「処罰の方は多分大丈夫なんでしょ? だったら問題ないです。いざという時は姫様が守ってくれると思いますし」
「わたくしに対する信頼があついですね……」
「そりゃそうですよ。十年も一緒に暮らしてるんですから」
「……わたくしは貴女のこと、何も知りません」
「まぁ……姫様、自分のことで手一杯でしたからね。仕方ないですよ。そこはほら、これから理解していけばいいじゃないですか」
「お凜……」
そうだ。この子はこういう子だ。わたくしが辛そうにしていると、いつもこうして暖かい言葉をかけてくれる。本当に、優しい子に育った。
「貴女にはやはり、敵いませんね」
「そりゃま、私は強いですからね。姫様は勿論、この国の将軍にだって負けません!」
「そういう意味ではないですがね」
「まあいずれにせよ、あとひと踏ん張りです。片付いたらどっか温泉にでも行きましょう」
お凜はいつもと変わらない。すでに彼女の中で、答えは決まっているのだろう。
ならば、わたくしも応えなければならない。
「そうですね、色々終わったら、どこか旅行にでも行きましょうか」
この子が付いてくるというのなら、わたくしも相応しい主になろう。それが、彼女を拾った者としての責任なのだから。
終わり